もう、貴方しか見えない
【前編】
拝啓、倉内静様
僕は貴方のことを考えると夜も眠れず、どうにかなってしまいそうです。
貴方の微笑みは僕の胸を苦しくさせるのに、貴方には笑っていてほしい。
校舎の中ですれ違う度、いつしか恋をしていました。
僕の貴方への想いをもう、黙ってはいられなくなってしまったのです。
ですが、貴方の心には別の人がいる。
僕はそれを、どうしても受け入れることができません。
貴方の恋を応援することも、彼から貴方を奪う勇気も、僕は持ち合わせていないから。
ただどうしても、この恋を知って欲しくて筆をとりました。
恋煩いの同級生より
***
今日の屋上は、なんだか妙に寒い気がする。それは突然もらった恋文のせいなのか、曇った空のせいなのか、倉内自身にはもうわからない。
名前もなければどうしていいのかわからない、これは手紙と呼べるのだろうか?いっそ日記にでも書いてろ、と本音を告げれば何をされるかわからない。
というかそもそも、こんなのを一体誰が書いたのか。悪戯にしては、あまりにも気持ちが詰まりすぎたその文面に、倉内は一人で抱えきれなくなってしまったのだった。
今朝学校の机の中に、無造作に入れられた封筒。こんな手紙を貰っても、正直困ってしまう。
「…うっわ」
そんな感想を一言で述べたのは、羽柴だった。羽柴は完全に引いていて、それ以上何も言わず無言で手紙を倉内へと突き返す。それから、きょろきょろと周りを見渡した。
このやりとりを、手紙の主が見ているかもしれない。そう思うと、気の利いたコメントも何のアクションも起こす気もなくただ、困惑しきった倉内を眺めるだけに留まるのだった…。
「愛されてんだな、静。世の中には、物好きもいるもんだぜ」
後藤が笑う。完全に感心しきったその態度に、倉内はどうしようかと思う。気持ち悪いと言わないだけ、自分よりできた性格なのかもしれない。こっそり、そんなことも思った。
(気味が悪い…。顔が見えないから、誰かわからないから)
「そんな爽やかな笑顔で、言わないでくれる?」
「お前って、モテるよな。本当。男に」
「………しみじみ言うなってば!」
それは、真実だ。高校に入学してから、告白された回数はもう数える気もしないほど。共学だった中学ではそんなことなかったのに、男子校というものが倉内には恐ろしい。
「で、倉内のつきあってる彼って誰なの?俺、そんな奴いるなんて全〜然知らなかったんだけど。マサじゃないよね?マサは倉内に、片思いしてるんだもんね」
「羽柴お前、このフェンスから投げ落とす」
ニヤニヤ笑いながら、避けるように自分に抱きついてきた羽柴を、倉内はそっと引きはがした。
「さすがに僕も、そのボケにはつっこむ気も起きないんだけど」
「だって、みんなが噂してるんだもん。後藤と倉内はつきあっているが、後藤の一方的な…」
「もういいそれ以上言うな。絶交するぞ羽柴」
「俺、マサに絶交されたら生きていけない…」
「頼むから、二人の漫才は僕のいない時にやってくれない?」
…まあこんなグダグダな展開になることは、倉内も予想はしていたが他に相談する相手もいない。陣内になんてとてもじゃないけど、言えるような話題ではなかった。
「で、誰なんだ?マジな話。お前に彼女がいないのは、オレも知ってるけど」
「つきあってる男なんていないよ。後藤と羽柴が、一番よく一緒にいるくらいなんだし」
まさか陣内への気持ちを知られているなんて、そんなことはないだろう。
「だよな…」
「だよね…」
暫く考え込んでから、羽柴は言いにくそうにあんまり知りたくないことを宣告した。
「二人には悪いんだけど、どう冷静に考えても…たぶん、倉内の彼氏はマサだと思われてるよ」
「「ハア!!?」」
見事に声がハモる。たはは、といつも通りの反応を返されて羽柴は苦笑する。
眉を寄せ、後藤が苦々しく呟いた。
「そりゃ心外だな」
「こっちのセリフ!」
不毛な睨み合いになる。
「あー、だからね、さっき倉内も言ってたじゃない。倉内と一番一緒にいる生徒は、だ〜れだ?」
「………」
そう言われてしまったら、目の前のこの眠そうな男だと言う他はない。しかもクラスが違うのに、だ。会えばつい軽口を叩いてしまうのに、つるんでいるあたりが何となく怪しく見えるのかもしれない。
(考えたら頭痛がする…!)
「うん、そうだよね。それ、マサなんだよね〜」
「だからって…その発想、おかしくない?普通、友情が先でしょ」
どこをどうひねくれて考えたなら、この関係が色っぽいものだと妄想できるのか倉内には、まったくわからないのだった。それは勿論、後藤も同じ気持ちだろうが…。
「わかりやすく説明してあげると、倉内の彼氏がマサで、友達が俺」
「……………」
(ハア?)
「で、俺とマサは仲良しだから、アイツらいっつも三人でつるんでるって思われてる」
「な、な、な、な、な、なにそれ!」
驚きすぎて、倉内の声が裏返ってしまう。衝撃の事実だ。
「すげえ。五回もな、って言った」
「そんなことどうでもいいよ!!!そんなイメージ払拭しないと」
何だろう、この温度差は。後藤の好奇心は、もうこの話題から逸れている気がするのは。
「どうやって?後藤とつきあってません、って校内放送でもすんの?無理だよ」
「……………」
シミュレートしようがないほど、確かにそれは無理だと倉内も思うのだけど…。
「まあ、自分の大事な人に誤解されてなければいいからいいや…。オレは。めんどくせえ」
「ちょっ」
どうしてお前はそうなんだよ、と一瞬妙な焦燥感が倉内の胸を過ぎった。胸ぐらを掴んで姿勢を正してやりたいような、お節介な気持ちにかられてしまう。
後藤は基本的に、物事に関して無頓着なのだ。だからこう、常々どうにかしてやりたいような自分が何とかしなければいけないような、よくわからない保護欲みたいなものを、感じてしまう。日頃抱えている諦観を、不意に見せつけられる度。
「まあそうだね、マサ。俺は二人の真実を知ってるから、安心して!」
「羽柴、ツッコミいれてもいいか?」
「ここはひとつ、不可で」
二人の声をBGMに、倉内の溜息は深まるばかり。それにしてもこの手紙をどうしたらいいのか、どうもしないでいいのか、何の結論も出なかった。
その時だ、空気がヒュッという音を立てて―――――…
「静!」
「えっ、何…」
まったく状況が飲み込めないが、たぶん、助けてもらった。
倉内は後藤に抱きしめられ、ドン、という鈍い音がして硬球がコンクリートに転がる。あ、香水の匂いがする。そんなどうでもいいことが、瞬間倉内の心に浮かんで、消えた。バタバタとした足音が、屋上入り口のドアの向こうから煩く響く。犯人なのか。
「マサ、大丈夫!?」
「大丈夫。羽柴は静頼む!」
「後藤っ、そんなことより保健室…!」
倉内の提案は却下される。間髪入れずに立ち上がり、後藤は犯人を追いかけて走って行った。
誰かが自分に向けて、硬球をぶつけてきたのか。思い当たる節はあるようなないような…いや、こんな物騒なことをされる憶えが、あってたまるかと倉内は首を横に振る。
「…今の」
「マサ格好良かったね〜!惚れた?」
羽柴はなんだかのんびりとした声でそう言うので、倉内の気が抜ける。わざと空気を和らげようとしているのがわかるから、少し落ち着いて、倉内は深く息を吸った。
「そんなわけないだろ。ま、前半には同意するけど…。後でお礼言わなきゃ。
肩にコレが、当たったんだよね。大丈夫かな」
「ん、大丈夫大丈夫。怖かったねえ倉内、もう怖い人はいなくなったからね〜。よしよし」
「……………」
怖いと思う間も、なかった。気がついたら、後藤の胸の中(この表現は、倉内の思うところではないが)だったので。
癖のない黒髪を撫でられて、大人しく倉内は目を細める。
***
ところが二人がいつまで待っても、後藤は戻ってこなかった。五時間目が始まった教室にも、いない。
時は放課後。倉内は大好きな委員活動をサボって、羽柴と一緒に校内を探し回るのだった…。
2007.03.13