そうは言うけれど



 温かい日差し。天気も良くて、屋上で日向ぼっこでもしようかなと思った。
 購買で買ったパンと牛乳を片手に、倉内はギイ、という音を立てて空と近い世界に立つ。
「あ」
 屋上には倉内の知っている生徒が、二人いた。もっと正確に表現すれば、一人は知っていて、もう一人は見たことがある程度だったが。
 知っている方は身体を丸めて、熟睡しているようだった。大体、後藤は寝ているか眠そうにしているか。もう一人は、時折後藤を図書室から連れて行く友人で、名前までは知らない。
「倉内、こっちこっち!」 
 少なくとも倉内の記憶の限りでは、名乗った覚えは一度もなかった。
 何の約束も取り付けてはいないはずなのに、後藤の友人は手を上げて無邪気に微笑む。他の生徒の視線が気になって、早足で倉内は二人のところへ向かった。
 空は極上に良い天気で、青空の中の綿菓子みたいな雲がなんだか微笑ましい。その気持ち良さに匹敵するような、妙に罪のない笑顔だと思った。晴れがよく似合う、というか。
「俺、羽柴綾。マサの友達」
 隣りの寝太郎とは正反対だと倉内は思い、つられて笑う。
「…僕は倉内静。図書委員、一年」
「うん。知ってる〜。ところで単刀直入に聞くけど、倉内って、マサとつきあってんの?」
「っはあ!!?」
 単刀直入というか、挨拶にしては何もかもを飛び越えていて、一瞬何を言われたのかわからずに。…というより、できることなら言葉の意味を理解したくなかった。
 思わず倉内は持っていた牛乳パックを思い切り握りしめ、下で寝ている後藤に降りかけてしまった。とたん目を覚ました後藤が、冷てえ!と喚きながら不愉快そうに周りを睨みつける。
「何すんだよ…。人の安眠、妨げてんじゃねえよ」
「今のは羽柴が、全面的に悪いと思うよ」
 一口も飲んでいなかったのに、勿体ないことをしてしまった。
 ちなみに今日の倉内の昼食は、あんパンと牛乳というこの上ない組み合わせで。
「イテッ」
 後藤に軽く小突かれた羽柴は、え〜。でも、火のないところに煙は立たないんだよ?と続ける。
「何の話だよ、オレに関係あんのか」
「だからァ、マサと倉内がつきあってるって噂があるって話。知らないの?」

「知らねえよ!!!」
「知らないよ!!!」

(むしろ、知っててたまるかだよ!)
 一瞬の間の後、きれいにハモった倉内と後藤を見比べて、羽柴はなるほどねえと頷く。屋上に来てしまったのは間違いだったかもしれないと、倉内は五分前の自分の選択を後悔した。
「随分、息がピッタリなんだ。へ〜え」
「…羽柴。もっかい殴られたいのか?」
 この二人どうかしてる、自分のことを棚に上げて倉内はそんな風に思う。
「ヤキモチ妬いてるんじゃないの?不毛な誤解だよね、本当迷惑なんだけど」
「んなわけないじゃん。男にヤキモチなんて、馬鹿らし〜」
「否定するところが余計に怪しいんだけど」
 コイツでよければのしつけて渡すけど、と内心呟いて。
「ないない。絶対ないから!
 俺はただ、倉内をマサに紹介してもらいたかっただけだもん。俺も美人の友達欲しいし」
「「は?」」
 思わずお互いの顔を見合わせ、二人は羽柴をまじまじと見つめた。
 やっぱりその動作が笑ってしまうくらい同じで、羽柴はツッコミを我慢しなければならなかった。殴られるのは嫌だし、刺々しい反論も嫌だ。それは、ごく自然な心理だろう。
「あのね、マサってねえ、意外と好きなものは自分一人で黙って、楽しみたいタイプなんだよね。倉内のことを隠してたから、本命なのかな?って思っただけ。だって、マサ面食いだしね」
 普段の百倍疲れた顔で、後藤が盛大に溜息をつく。
「…羽柴、オレが面食いだとしよう。それはいい。だけど静の顔を好みだと思った覚えは、一瞬たりともないことを知っておいてくれないか」
「そ?担任の秋月先生の方が好みなのかな〜、マサは。妙に優しいしあっやし〜」
 秋月は担当教科が古文で、倉内のクラスも受け持っている、図書室にも顔を出す教師だ。そう指摘されてみれば確かに、きれいな顔をしているのだが…。
(いや、怪しいも何も僕も秋月先生も男なんだけど!僕が言うのもおかしいけどさ。そんなことより、)
 倉内はようやく一番大事なことを、流してしまっていることに気づく。
「ちょっと待って。話を元に戻したいんだけど、僕と後藤がつきあってるって噂があるの?」
「そうだよ。有名だよ?現に、その噂のせいでマサ昨日呼び出しくらってたよね。
 マサのことだからあんまり話聞かないまま、返り討ちにしたかもしんないけど。果たし状ってやつ」
「…あー、昼休みの」
 どうでもよさそうに思い出した後藤は、眠そうに欠伸をする。
「何返り討ちとかしてんの?否定しなよ!!」
「眠かったし…」
 コイツ駄目だ、と倉内は思ってがっくりと項垂れた。
 噂が広まったのは不本意だが、相手がコレでは無理もないのかもしれない。なんていうのか…、自身の噂に興味が無さ過ぎてそれが悪い方向に展開している。この男。
 今すぐガクガク肩を揺すぶって、しっかりしろ!と渇を入れてやりたい衝動にかられてくるが、そんなものは体力気力の無駄だと悟り、結果溜息をつくのみだ。
「撤回しないと。そんな噂、冗談じゃない!」
「真実と違うんだから、放っときゃすぐ忘れんだろ。そんなもん」
 さも面倒くさそうに言われて、倉内は呑気すぎる後藤を睨みつける。
(陣内さんの耳に入ったらどうするんだよ!…うわあ嫌だ、最悪だ。喜ぶ顔が目に浮かぶ)
 ほんの少しでも嫉妬の表情を想像しようとしてみたが、無理だった。
「…何か、落ち込んできたんだけど」
「ゴメンね。でも、ちゃんと知っておいた方がいいと思ったから」
 羽柴はいきなりまともなことを言うと、倉内を慰めるように柔らかく目を細ませた。
「噂とか関係なく、これからもマサをよろしくね。あ、俺も入れて三角関係なんてどう?
 それは冗談として…。俺、ずっと倉内と話してみたかったから、今日は嬉しかった」
 念願の倉内と初めて会話した羽柴は、ひたすら楽しそうだった。
 文句を言う気にも礼を言う気にもなれず、苦笑いを浮かべて倉内はあんパンを喉に押し込んだ。


   ***


 図書室は今年に入ってから、ゴミ一つ落ちていない状態を保っている。
 それはひとえに倉内の日頃の積み重ねだが、今日も埃をゴミ箱へと捨てた後、ずっと弁解したかった言葉を、陣内の前で口にした。
「じ、陣内さん。もし、僕について変な噂を耳にしたとしても…」
「変な噂?」
「たとえば、誰かとつきあっているとか…」
「誰かというのは、後藤くんのことかな?」
(し、知ってるの!!?)
 そんなにも、噂が広まっているのだろうか。
 ただ単に他に候補がいない、陣内の推理だったのだがそれは倉内には伝わらなかった。女っ気の無さなど目にも明らかで、ただそれをネタ晴らしするほどは親切ではない。
 男子校は恐ろしい。女顔というだけでこの注目、本当に勘弁してほしい。倉内は、そんなことを思う。
「そうだけど、それは、誤解だから気にしないでほしいっていうか」
「そうは言うけれど。私は、二人がお似合いだと思っているよ」
(あ…)
 …わかっていたはずだったのに。しまったと、倉内は思った。こういう話の方向になることは知っていたから、恋の話は避けていたはずだった。ああ、馬鹿だ。
 誤解されるようなことをした自分が、悪いのだろうか。誤解?そもそも、こんなものは普通の友達の範疇で、とやかく言われる筋合いはない。後ろめたい気持ちがないのに、どうしてこんな悔しい気持ちにならなければいけないのか…。
(泣きそう。やばい、ここで泣くのはまずい。帰ろう。今日は…無理……)
「まあでも、それは微笑ましい友情という意味であって、噂は噂だから静が気にすることはないだろう。私は、本当のことを知っているからね。それとも、誤解されたくない相手が他にいるというのなら、話は別だが…」
 そう優しく言葉を続ける陣内の表情はすごく困っていて、言おうかどうしようか躊躇した末の決断だったから、倉内は嬉しかったのだ。
「………」
 不意打ちで優しくするなんて、ずるい。我慢しようとしたのに、涙なんて陣内の前で見せるつもりなんて、なかったのに。
 ぐすっと鼻水をすすって、好きな人を見る。陣内の姿が滲んで、あんまりにも好きすぎるからこれくらいが丁度いいかもしれない。倉内はそう思って、目尻を拭った。
(もう〜〜〜!)
 好きすぎる。何なんだ一体、この人はどこまで自分を夢中にさせるんだろう。わざとだとしたら嬉しい、そうでないとしても嬉しい。もう何でもいい、何回言っても足りない。
「…ないし。他になんていない、僕には陣内さんだけだし」
「……静。何を言っているかよく聞き取れないけど、これで涙か鼻水かわからない液体を拭きなさい」
「あ、ありがと」
 呆れられている上に見事に誤魔化されてしまったが、おかげでハンカチをゲットできた。黒い生地に、赤と茶のライン。落ち着いたデザインは、倉内の胸を弾ませる。
(…陣内さんのハンカチだ)
「このハンカチは、洗って返―――」 
「いや、一生返ってこないような気がするから遠慮しておくよ」
 図星としか表現しようもない。そんなに理解されているなんて、勘違いしてしまいそう。
「陣内さん、普通そういうこと考えても実際口にする人は、あんまりいないと思うんだよね…」
 正直な感想を告げると、楽しそうに陣内は笑った。
 すっかり涙も止まり、倉内はそれはそれは大事そうにハンカチを制服のポケットへと仕舞う。牽制なんて意味がない。そういう可能性があることを知っていて、手渡されたもの。
「洗って返させて。ちゃんと、アイロンもかけておくから」
 お先に失礼します。頭を下げて、図書室を出る。
 また明日も、陣内と会える。それだけでこんなにも嬉しいことを、あの人は全然わかっちゃいない。わかってくれないとばかり思っていた、…でも。もしかしたら。
 ほんの少しくらいは、たとえば、このハンカチを差し出すくらいの愛情が期待を繋ぎ止めたまま。

 あなたは、この恋を不毛だと笑うけれど。


  2007.01.18


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