友情or愛情?
ACT.4
どうしてこんなことになったんだっけ、と倉内は本日三十六回目くらいの溜息を飲み込んだ。
学園祭当日、晴れ。お昼前までは確か、平和な委員活動だった。後藤に差し入れしてもらった焼きそばを食べた後、瀬ノ尾がとんでもない提案を持ちかけてきたのだ。確かに図書委員会制作の冊子は、あまり売り上げが芳しくなかったにしても…。
「倉内マジ可愛いのなあ。え、何?冊子?買う買う」
「ありがとうございました…」
友達を引き連れたにやけ顔の生徒が、倉内の手から冊子を買い取っていく。
疲れるどころの話ではない。全然、納得なんてできない。何故今、自分は、セーラー服で図書室に…大好きな陣内の視界に、入らなければいけないのだろう?セーラー服に紺のニーソックス、という隣りの女子校の制服をどこから調達してきたのか、詳しくはもう尋ねるまい。
概ね好評らしい反応が、せめてもの救いなのか。それともそれは、男としてどうなのだろうか。しーずーなら化粧しなくても、そのまんまでオーケイ!そんな絶賛、あまり嬉しくない…。陣内といえばいつも通りで、
(ああ、似合うね。ってたった一言だし!いや、褒められてもけなされても微妙だから、…で、でも何かその反応むかつくっていうか)
「しーずー、笑顔笑顔♪何、ゴスロリの方が良かったとか?」
「そんっなわけないでしょう!!!僕の性別は男なんですよ、セーラー着てはしゃいでる方が気持ち悪いったら…」
足下がスースーして、心許ない。ソックスはピタッと貼りついて気持ち悪いし、何より視線が痛すぎる。倉内がそう唇をとがらせたところで、瀬ノ尾はニコニコと上機嫌だ。
「まあ、嫌がりながらも似合っているあたりが、なんともエロスでお兄さんは嬉しいです」
「喜ばないで下さいお願いだから。大体どうして僕だけなんです、先輩方も率先して売り上げに貢献するべきじゃないですか」
「馬鹿だねえしーずー、せっかくまいた餌を、自ら腐らせるような真似するわけないじゃん。しーずーはオレのパンチラ見たいの?エッチだねえ。金本先輩は、狩りをするような目でオレを見ないで!」
「瀬ノ尾のパンチラなんて、金積まれてもご免だね。目が汚れる」
「うううっ、しーずうう…」
「お客さん来ましたよ、瀬ノ尾先輩。一部三百円になります。はい、ありがとうございます」
「へえ、ほんとに倉内可愛いなあ…。似合ってんじゃん、セーラー服」
「……………」
そろそろ限界だった。二時間は我慢して、一体、何人の人目に晒されただろうか…。問答無用で休憩を勝ち取った倉内は、着替えようと司書室に入り、陣内に「馴染んできたかね」と声をかけられたので今度こそ、深い溜息をつくのだった。
「陣内さんには、見せてあげましょうか?パ、ン、チ、ラ」
「私はそこまで悪趣味じゃない」
「…安心してください。短パンはいてるから」
チラリズム、などとは程遠い豪快な開帳に、やはり陣内は予想通り曇った表情をする。そしてこれまた予想通り、この一連の流れに倉内もイラッとしてしまったので、自分は一体何をやっているのだろう…と、発案者の瀬ノ尾をなじりたくなった。
「わざわざ着替えなくても、その格好で見て回ればいいんじゃないかね。みんな、目の保養だ」
「そのみんな、に陣内さんが含まれないのなら、こんな服本当に意味がありません」
「可愛いよ」
割と真面目な声音で告げられたものだから、急な不意打ちで、倉内はかたまってしまう。
「そんなものオプションで付けなくたって、静は元から可愛いからね」
「休憩、頂いてきます!」
赤くなった顔を隠すように、倉内は慌てて司書室を出る。陣内の抑えたような笑い声が聞こえた気がしたが、幻聴なのかもしれない。上手く反応ができない。
ただ気恥ずかしくて、休憩から戻った後も、もう二度とセーラー服に袖を通す気にはなれなかった。演劇部から借りてきたドレスを、無理やり瀬ノ尾に押しつけたくらいで…。(ちなみに瀬ノ尾は笑いも取れないくらい、本気で似合っていなかった。)
***
打ち上げと称して、羽柴と後藤の二人が倉内家に遊びに来ることになった。打ち上げも何も、出し物に参加したのは倉内一人だけなので、その表現は適切でないかもしれない。
倉内家は三人の中で学校から一番近い距離にあるので、最近はもう、たまり場と化してきている。
「ちぇ、俺も倉内のコスプレ見たかったな〜。何で朝から着てくんないの?倉内のケーチ」
「僕だって、好きこのんでセーラー服を着たわけじゃないから!察してよ。ほんっと、お前らに見られなくてよかった」
「おかげで冊子、完売したんでしょ?まあ、思い出だよね」
「それはそうだけど…」
「で、どうしようか?」
ちら、と羽柴の視線が横に…どこか上の空で気持ち悪いくらい大人しい後藤へ、ずれる。
倉内と合流するまでは適当に振る舞っていたらしいこの男は、今は起きているのかどうかも疑わしいような態度だ。二人より三人なら会話で楽ができるとか、そういう考え方ならどうかとは思うのだが…。
「どうしようか、って言われても」
「あ、ごめん。ちょっと電話…」
すぐに通話を切った羽柴は、ごめん用事ができ…えーと、緊急でデートをしなくちゃいけなくなったから。今日はこれで……なんてあやふやで、嘘くさい言い訳をして一人逃げてしまった。
倉内が毎回疑問に思うのは、嘘をつくならつくでもう少しリアリティのあるものを選べばいいのに、いくらでもツッコミを入れてしまえそうなチョイスをする羽柴は、これは不器用というのか何なのか?ということだ。
(別に、羽柴が後藤に遠慮することもないのにさ…。馬鹿なんだから)
「デートって誰だよ…。まずオレに紹介しろって話だよな、静?」
当たり前のように、そこで同意を求めないでほしい。この男の思考回路はどうかしていると、倉内はうんざりした。
「ああ、もっと上をいく馬鹿がここにいた。大体羽柴だって、自由に恋愛する権利くらいあるんじゃない」
「どうせ馬鹿だよ。子供だよ……」
(うわ、ホンット扱いにくい!)
むっつりとした後藤を連れて、ただいまと声をかける。待ちかねたような声が、倉内の疲れを瞬時に増幅した。後藤の家にすればよかった、と少しだけ後悔する。
「おかえり!今日の静はいつにも増して輝いてたわよ!!…あら、マサちゃんいらっしゃ〜い」
「こんにちは。お邪魔します」
「似合ってたわねえ、セーラー服。兄としても鼻が高いわ」
直に熱烈な出迎えをされ、コスプレの出来映えを絶賛されてしまって、気持ち悪さに鳥肌が立った。
「直兄いなかったよね?何で知ってるの…。僕、図書室で見た憶えないんだけど」
「可愛い弟がシャイなのはよく知ってるから、遠くから観賞してたの!めっっっちゃくちゃ可愛かっ…」
抱きつこうとしてきた暑苦しい兄をつれなく押しのけて、倉内は冷たい宣告を言い放つ。
「なんか僕たち疲れてるから、お兄様は絶対に、部屋に来やがらないでくださいませ」
「静、日本語おかしいよ…?」
「なんちゃってオカマに言われたくない」
部屋に入って、念のため鍵を閉める。ようやく人心地ついて、倉内は部屋着のパーカーに着替え始めた。後藤がじろじろと視線を遠慮無くこちらに向けるので、その手を休め何?と問いかけてやる。
「静の裸を見たいと思って」
特に恥じらう様子もガツガツした感じもなく、アッサリとそういう返答が返ってきて、もう呆気にとられるしかない。
「まあ、別に初めてじゃないんだけど。…筋トレとかしてるんだっけ、きれいな筋肉だよな」
「しみじみ感心されても困るよ」
「触っていい?」
「ええっ!?」
いいわけないだろ、と文句を言う前に手の出る速さ。労るように、後藤の指がそっと腕を撫でる。
「きれいだな。…そう、だよな」
「あのーーーーー。一人で納得されてるようですが、僕には訳がわからないんですが…」
「静のこの肌に跡をつけられる人間は、幸せだなってことだよ」
「?」
「最初に謝っとく。ごめん」
言うが早いか、気がついた時には後藤の唇が倉内の鎖骨辺りに吸いついて、それが長い時間なのか短かったのか倉内自身にもよくわからないのだけども、くっきりと肌に跡を残した。
「し、し、幸せですか」
頭が真っ白になってしまったので、怒りは湧いてこなかった。倉内はなんとか、そう問いかけることに成功する。
後藤は黙ってしげしげと倉内を眺め、やがて寂しそうに笑った。全然幸せそうじゃない、という結論に至りますます倉内は困ってしまう。一体、何だというのだろう。
「ありがとう。オレは幸せ者だな」
「………あのさ」
「頼むから、もうちょっとだけ大人しくしてて。寄りかからせて」
壊れ物を扱うように、まるで大切な赤ちゃんに毛布を掛けるような仕草で、身体を引き寄せられる。ゆっくりとその指が、倉内の髪を梳いた。
「きれいな髪。いい匂いがする」
「後藤の香水の匂いもするよ」
「匂いを移してやりたい」
この友人はいちいち性的な表現をして、自分に何を望んでいるのか。耳元で囁かれ、普段は縁遠いその行動に倉内は思わず、ピクリと反応した。自覚して、顔が赤くなる。
「もしかして感じた?静。その反応、めちゃくちゃ可愛いよ」
「ちょっとだけね」
否定しなかったせいか、後藤が虚をつかれたように瞬きする。それがなんだか可笑しくて、倉内は笑った。そうすると今度は、後藤が泣きだしそうな情けない顔になったので、もうこいつは本当にどうしようもない、と心の中で悪態をつく。寝ぼすけ、駄目男、と羅列していた辺りで…
「眠い…。今日泊めて」
後藤は堪えきれないように最後の力でそう呟いて、そのままカーペットの上に崩れていった。
とりあえずパーカーを着て、難なく後藤をベットの上まで押し上げてやり布団をかけ、無駄な体力を浪費して、倉内はお茶を一気飲みする。
(もっと他に言うことがあるだろ。まあ、もう、諦めてるから許してはやるけどさ)
(…怖くなかった。相手が、後藤だったから?)
(陣内さんは、あんな風に僕に触れたりしない。もっと……)
思い出を反芻しようとして、倉内は自分の身体の変化に泣きたくなった。…先に、シャワーを浴びるしかない。
(後藤が寝てくれてよかった。こんなの見られたら、死にたくなる)
(大体っ、普通の友達同士は…こんなことしないよ。後藤の馬鹿……)
(後藤と出会ってから、僕は一体何回後藤の馬鹿って思ったんだろう。後藤の馬鹿)
寝たらスッキリした。目が覚めて開口一番、後藤はそんな風に欠伸をして、あっそう。倉内はそれ以上何を言うこともできないのだった…。本当、甘やかしすぎかもしれない最近は。今後は気をつけよう。あまり食欲もなく、そんな風にこっそり決意してテーブルの上の母流フルコースを眺める。
お気に入りの後藤が一緒ということで、豪勢な料理は見ただけでお腹いっぱいになりそうだ。心なしか、双子の妹のテンションも高めだ。…憧れるにしても、この男だけは止めておけと忠告したい。
確かにスッキリはしたのだろう、後藤はきれいに平らげて母を喜ばせた。
2008.01.18