友情or愛情?



 ACT.3


 ここのところ、後藤にべったりな倉内の姿は、校内でもよく話題に上るようになっていた。今までも仲がいいとは思っていたのだが、やはり二人は付き合っているのだと、誰もが信じて疑わない。
 誰の手にも堕ちない高嶺の花より、既に誰かのものである方が、余計な期待を抱かずにすむ。そんなくだらない事情もあって、一部の重傷者を除いては、歓迎ムードが漂うくらいだ。ただ周囲の思惑などまったく関心のない当人にとっては、迷惑以外の何でもないのだが…。
「あんな、万年寝たろうに取られるくらいなら、オレがしーずーの操を奪ってやりたいね」
 真面目に委員活動をする気のない瀬ノ尾が、ボールペンを指先で弄びながら、そんな風に言う。
「馬鹿なことを。女性だけでは飽きたらず、静が女顔だからというただそれだけの理由で、後輩に手を出したいかね」
 いくらか冷たい口調で、陣内は本心を言い放った。これでは会話がコミュニケーションになるどころか、空気を淀ませるだけであり、逆効果だ。
「陣内さん、睨まないでください。こわーい。金本委員長、助けてくださいよう」
「瀬ノ尾が馬鹿だってことくらい、今更確認するまでもないじゃないですか。陣内さんってば」
 頼みの綱の三年生は、いつもつれないが、今日も笑顔で瀬ノ尾をイジる。
 この二人の絶妙なコンビネーションアタックには、時折心が本当に折れそうになるので、瀬ノ尾はあまり図書室には顔を出したくない。ちょっとからかいやすいからといって、ストレスの捌け口にされるのだけはご免である。まあそこに、愛がないのかと問えばないこともない…そう感じるからかろうじて、委員活動を続けているのだが。そんなことをぽろりとクラスメイトに話したら、お前Mなの?なんて聞かれたことは、なかったことにして。
「自覚がないようだから、口に出して発音してやったまでだがね」
「…ああ。本当、誰とは言いませんが性悪コンビのせいで、オレの繊細なハートは傷ついて、ボロボロになっているのです」
 瀬ノ尾はしくしくと泣き真似をして、どうせ冷ややかであろうツッコミを健気に待った。期待通りの反応が、我らが委員長様から返ってくる。
「一人コント?寒いから、図書室以外の場所でやってね。お疲れ様」
「ううっ、しーずーはまだ来ないのかああ。オレの心のオアシスッ、清涼飲料水!」
「保健室にでも、寄っているんじゃない。そんなに気になるなら、いっそ迎えに行くくらいの役には立ったら?万年サボり君」
 切れ味が冴えわたりすぎて、そろそろもう本当に、退散してしまいたくなる。人のことをサボりだなんだと言う前に、正す何かがあるのではないだろうか?誰が、どう考えても。
「金本委員長なんてっ!そんなチクチク嫌味言うんなら、クリスマス前に彼女に振られてしまえばいいんだ〜。うわーん」
「………随分と、賑やかですね。どうかしたんですか?瀬ノ尾先輩」
 ようやく現れた後輩は、瀬ノ尾にとって優しく輝いてすら見える。
「おおっ、しーずー!君を待っていたあああ!!」
「うわっ…」
 勢いよく瀬ノ尾に抱きつかれた倉内は、よろけそうになったものの後ろから後藤の手に支えられ、難を逃れた。怪訝そうな表情の後藤と目が合い、瀬ノ尾は先ほどまでとは違う疲労感に、脱力する。
 何だろうこれ、素直にそう思った。いや、説明なんて聞きたくはないのだが…。
「ほ、ほんとに保健室に行ってたとか…」
「後藤に用があったので。遅れてしまって、すみません」
 陣内は言葉もかけず、黙って司書室に引っ込んでしまう。視線でそれを追いかける倉内は、無意識の溜息だ。瀬ノ尾の相手をしてくれる人間がやってきたので、金本も挨拶を交わしてすぐに、業務へと戻る。
「じゃ、オレ先に帰るから」
「気をつけて。また明日ね」
 ただ倉内を送っただけなのか、後藤もすぐにいなくなってしまった。聞きたくないけど聞いておかなければいけないような気がして、瀬ノ尾は倉内に問いかける。
「あのう、お二人はお付き合いをされているのでしょうか」
「何言ってるんですか、瀬ノ尾先輩。そんなわけないでしょう…」
 おなじみ引きつった否定の仕方は、相変わらずのものだったけれども。
「だよね?いや、一応確認しておかないとと思って。なんか、雰囲気変わったかな〜みたいな」
「…雰囲気?そんなの、周りが勝手に判断してるだけ。僕も後藤も、別に変わってないですよ」
 その口調には、押し殺した苛立ちすら混ざっている。それを引っ掻いてみせたなら、どんな反応が返ってくるのだろう。これはただの、好奇心なのだろうか。
「そうかな。陣内さん、あんまり面白く思ってないかもね。あの人素直じゃないけど、しーずー大好きだから」
「その言葉、陣内さんが言ってくれるなら信じてもいいですけど」
 仏頂面で、倉内はむくれるしかない。
「陣内さんの言うことなんて、信じちゃ駄目だよ。あの大人は、嘘つきだから。泣かされるよ」
「もう、手遅れです」
 陣内も陣内なら、倉内も頑なだ。お互いに真っ直ぐな平行線は、本来なら交わらないかもしれない。それをどうにかしたい、そう考えるのはただのお節介なのだろう。男同士で、歳の差もあって、上手くいかない方が自然で。
「きっと、しーずーにはひどいことをしたくないと思っているけど、誰にでも、限界ってあるからねえ」
「…そんなもの、早く越えてしまいたい」
「駄目だよ、しーずー。痛い思いをするよ。オレ、君の泣くところは見たくないなあ」
「………手遅れ、です」
 そう。決めたなら、前に進むだけ。そんな単純な理論を行動に移してみせる後輩が、瀬ノ尾にはいじらしくて仕方ない。
「ねえ、しーずー。本当にオレはしーずーのことを応援したいと思っているけど、でも、心配なんだよ。君がそんな悲しい顔ばかり見せるから…。オレならもっと、大事にするのに」
 そういう気持ちを自分に向けてもらえたなら、どんなに幸せなのだろう。
 瀬ノ尾が付き合うのは女だけだが、その誰もが、何故か長くは続かない。その度に軽く失望して、いつかの未来に期待して。だから、思うのだ。もし相手が、こんなに一途な人間だったら、と。
「僕は、瀬ノ尾先輩のペットでも何でもない。大体、先輩はノーマルじゃないですか」
「まあね。オレは至ってノーマルな性癖をしているはずなんだけど、しーずーは特別だよね」
「止めましょう。この話…委員活動をしないと」
「真面目だねえ。じゃ、オレはしーずーも来たことだし退散しようかな。お疲れ様でした〜」
(…限界を越えたら、今までとは違った関係を築けるのかな)
 倉内は司書室へと視線を走らせ、何度目かわからない溜息をつくのだった…。
「倉内、学園祭のことだけど…。く、ら、う、ち」
「あ、はい。金本先輩、何でしょうか」
「あれっ?瀬ノ尾また逃げた!?」
「はい。駄目ですよ、金本先輩。…しっかり捕まえておかないと、簡単に逃げられるんですから」
「えっ、何の話…」
「瀬ノ尾先輩の話でしょ。それより、学園祭のことですけど」
 学園祭までは、あと二週間。図書委員会では全教員にアンケートをとり、お薦めの一冊を、熱いコメントで紹介してもらう冊子を作成する。全校生徒でなく全教員、というのがミソで、その辺の発案は意外にも瀬ノ尾が思いついたものだ。なかなかに面白いと思う。陣内は基本的に否定というものをしない人なので、ふたつ返事でオーケーが出た。
「編集後記の原稿、考えておいてくれ。言い出しっぺの瀬ノ尾が、あんなんで申し訳ないけど」
「でも、瀬ノ尾先輩は表紙のデザインとか考えてくれるって。そういうの、結構好きらしいですよ」
「あいつは小説の類より、画集とかデザイン本が好きなんだ」
「そうなんですか」
(…駄目だ。我ながら、上の空……)
 陣内は今、司書室で何を考えているんだろう?その思考の先に、ほんの少しでも自分の姿はあるだろうか?どうせどんなに噂になっても、後藤との関係が何でもないことなんて、探られなくても理解されている。
(大体、後藤に元気がないのがいけないんだ。元々、覇気のあるタイプじゃないけど…)
 気持ちがモヤモヤする。
 あっという間に帰る時間で、後に残されたのは陣内と倉内だけになってしまった。
「静」
「はい」
 窓の戸締まりを確認していた陣内が、ふと振り返り倉内を見る。
「減るからあまり、私ばかり見るのは止めなさい」
「減ってもいいじゃない。僕は慢性的に陣内さん不足なんだから、もっと与えて」
「……………」
「今日、機嫌悪いですね。僕、陣内さんになら叩かれてもいい」
「本当は、私のことが怖いんだろう。静は。君に害を与えることのない、友達とずっとつるんでいればいい。そうやって安全なところで…」
「好きだから、怖いのかもしれない…。他の人間を、怖いなんて思ったことがないから」
「私は、自分が腹立たしい。君の世界が広がるのは、結構なことだ。たとえそこに私がいなくても、それは静の選択であり、ある意味願ってもない未来だった。だが、実際そうなってみたらどうだ?」
「え…」
 その世界を壊してやりたい衝動にかられているよ、静。唇を歪め言葉は心の中に仕舞って、陣内は視線を逸らした。
「叩いてほしいと言ったかい、静」
「………じ、陣内さん」
「ご期待に添えてあげよう。最初に断っておくが、今から君に触れる」
 どうしたらいいのかわからない、といった様子で立ちつくす細い身体を引き寄せ、陣内は暫く無言で倉内の頬が真っ赤に染まっていくのをただ眺めていた。触れたところから、体温が上昇していくのがはっきりとわかる。
(えと、その、何だろうなこれ…。近すぎて、心臓の音が聞かれそう。どうしよう。身体が熱い、恥ずかしくて見れない)
「静も恥ずかしいだろう?私の気持ちがわかったなら、これからは少し自重してほしいものだね」
「い、一緒にしないでほしいような…」
「叩くよ。静」
 囁かれたそのセリフに、興奮してしまったあたりもう大分終わっていると、倉内は心のどこかでぼんやり考える。頬の痛みを覚悟して、ギュッと目をつぶった。その瞬間、予想外の部位を叩かれ、耳まで発火したように赤くなる。
「あっ…」
「……………」
 微妙な反応に、陣内が苦虫を噛みつぶしたような表情をする。多分自分の行動を後悔したのだろう、と推測して倉内は何を言っていいやら、お尻をさすりながら、お互いの関係性を憂えた。
「自分でやっておいて、げんなりするなんて陣内さんは本当にひどい」
 叩かれ損だ。しれっとした顔でどうでもよさそうに、今更、陣内がいつもの牽制をしてくる。
「私の性的嗜好は、少し特殊でね。これに懲りたら、怖い大人には近づかないことだね」
「嘘つき。柄にもないことをして、自己嫌悪してるんでしょう。…もう帰ります。お疲れ様でした!」
 倉内はしゅんとしたようにそう言い残し、赤い顔を後ろに向ける。
(もっと酷いことをされてもいいよ、僕は。陣内さんなら)

「………はあ」
 一連の行動はセーフなのか、むしろアウトでしかないのか?
 かわいいかわいい我らが図書委員が走り去っていった後、陣内は色んな感情を込めて、溜息をつくのだった…。 


  2007.12.05


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