真夏の少年



 V.海辺より


「灼熱の太陽は、いっそ暴力的ですらあるよ!夏なんて胸を焦がす焦がさないじゃなくて、本当この一日が数年後しみや何かの原因になったりして、みんな、開放的とか言ってる場合じゃないよ!!」
「うるせー…」
 喚き散らす羽柴に、そう簡潔にコメントしたのは爽やかさのかけらもない後藤。
 目の前に広がる、青、青、青。子供のはしゃぐ声、楽しそうな男女グループ、そして僕らはというと…この炎天下、倉内家の長男直、僕、双子末妹である愛と恵、後藤と羽柴という組み合わせで、浜の一角を占拠していた。
 大体、僕が中学時代あまり友達を家に連れてこなかったから、家族の二人に対する歓迎ぶりは並みじゃない。それで僕は子守を免れて、いつもの三人でいつものように過ごしているわけ。
 毎年のように家族で海に行くことは最早倉内家の恒例行事で、僕の友人を誘ったのは、直兄。直兄は僕と後藤をくっつけようとしている迷惑な兄であり、ありがたくもなんともないその自称キューピットは、砂の城を造り始めた愛と恵を見守るような、微妙な位置関係で寝そべって早速女の子鑑賞という、がっついてるのか干からびているのか判断しづらい行動に移っている。
 女好きが高じて女装趣味の直兄が、女物の水着を着なかっただけ全然マシだ。いかにも、ナンパしに来ました!的な雰囲気で決めたというのに、なんだか近寄りがたい空気を纏っているのはもう、家系の宿命なんだろう。
「なんで泳げないの?羽柴は」
「え〜。だって、水の中って息できないじゃん。そういう空間って、ホント恐怖だよ。自殺行為。海の中なんて、足の下に何が蠢いてるかわかんないし、さっきだって見た?サメに注意の看板!」
 羽柴はキャイキャイ身振り手振りで説明し、通り過ぎる女の子にクスッと笑いを提供している。
「プールなら泳げるのかよ」
「塩化水素なんて、身体に悪すぎだから!髪の色が薄くなっちゃう…。どちらにせよ無理ですう」
「大丈夫、でっかい浮き輪買ってきたから。お前は、それに乗って浮いてろ。せっかく海に来たんだし」
 今日の後藤はいつもと比べて、若干テンション高めのようだ。わかりにくいことに…。この男がはしゃぐところなんて気持ち悪いだけだから、僕も見たくはないし、別にいいんだけどね。
「マサひどい!俺、波に流されてどっかの離島に、一人で救援を待つことになるんだ。携帯無いし、お腹も空いて、」
「うるさい。男なら、ガタガタ言わずに入りなよ」
 僕はもう我慢できなくなって、羽柴の尻を容赦なく海へと蹴飛ばした。
「ギャアアアアア…。は、犯人はくらう」
「馬鹿」
 ザッパーン!大した深さでもないのにばたつき、羽柴は半泣きで、僕に対しての罵詈雑言を叫んでいた。テンパリ過ぎてて、何言ってるか全然わかんない。後藤は悪趣味にも、そんな友人の姿に大笑いしている。
「でも、よかったのか?家族の団らんに邪魔して…」
「迷惑どころか…。そもそも誘ったのは僕…っていうかうちの家族なんだし、気にしないで」
「あ」
「ん、どうかした?」
 あれ、うちの司書じゃねえ?後藤がそう呟いて指差したその先には、ものすごくこの海に似合わない陣内さんが、確かにそこに佇んでいた。
 この暑い中、陣内さんは水着ではなくラフなシャツに短パンで、別段楽しそうというよりは居心地悪そうな表情で小さな女の子の手を引いている。心臓が、嫌な感じで早鐘を打ち始めた。
「あの人、結婚してたのか?そんな風には見えなかったけど」
「…知らない」
 何気ない後藤の言葉が、耳に痛い。僕は陣内さんのことなんて、何も知らない。教えてくれない。
 結婚している?そんなわけない…そう、言い切れる自信がない。陣内さんなら黙ってそれくらいのことを隠し通していたとしても、不自然でも何でもない。その真意なんて、わからないけど。
「海が似合わないな…」
「……」
「声、かけてくれば?静?」
 後藤の呼びかけに、僕はハッと我に返った。
 心配そうな落ち着いた目が、僕を覗き込んでいる。まずい、態度に出てたみたいだ。
「邪魔、したくないし…。いいよ、海入ろ!」
 嘘をついた。真実を確かめることが、怖かった。知りたくない。傷つきたくない。
 結婚して子供ができて、幸せな家庭を築く陣内さん。…そんなのはきっと普通のことで、否定する方がおかしくて。今、僕はすごく嫌なことを考えている。最低な生徒だった。 

 上の空だったと思う。気が付いたら波に流されて、人気のない場所に辿り着いてしまった。あんなに賑やかだった浜辺は遠く、今は一人しんと静まりかえる場所。我慢していた涙が零れた。
「っ…」
 とりあえず泣きやんだら、知らん振りしてみんなのもとに戻ればいい。目が赤いのなんて海水が入ったとか適当に誤魔化せば、何の問題もない。…元気、出さないと。
 家族がいる相手をずっと好きでいることは、しない。そこまで不毛な恋愛に時間を費やせるほど、馬鹿じゃない。
「静、君は迷子で泣いてしまうほど幼かったのかね。そんな風では、不安になるよ」
 ここは海でここは図書室じゃない、陣内さんは海パン姿で呆れたように僕に声をかけた。水着…。僕は黙ったまま陣内さんの上半身を凝視して、ようやく顔へと視線を移す。いつもの苦い表情だ。
 今何か言葉を発したら、僕はもう駄目になってしまう。今まで積み重ねたきたものを壊してしまいそうで、沈黙する。
「……………」
「よく知っている姿がいたと思ったら、どんどん波に流されていくし…。心配で見ていたら、…静?言いたいことがあるなら言いなさい、顔に出ているから」
「僕も健全な高校生なんで好きな人の裸体というのは割とこうくるものがあるんですけど、僕がちょっと中性的な容姿をしているからといって油断しているのかなんなんだか知りませんけど、そんなこと言われたら押し倒してもいいのかな?くらいは、わざと勘違いしますよ」
 陣内さんが頬を染めた、勿論上半身裸のまま。それからすごく複雑な顔になって、俯く。
「静」
「どうして来たの」
「君が見えたからね」
 僕は陣内さんをガン見したまま、自分の心配が杞憂だったと悟って、もう気分はバラ色だった。
 だって、単純に生きてるもの。僕の勘は間違ってなかった…、陣内さんは、どう考えても結婚なんてしていない。
「陣内さん、僕のこと好きでしょう」
「…まったく、静もうちの姪っ子と変わらないな。あの子も、私と結婚するだのなんだの言っていてね。かき氷でも買ってあげれば、機嫌を直すかい?」
 ほら、正解。なんだ、ただの姪っ子だったなんて。本当によかった…。紛らわしいことするの、勘弁してほしい。僕は一挙一動に、馬鹿みたいに左右されてしまうんだから。
「そんなのいらない。ねえ、触らせてよ。乳首とか?」 
「……上目遣いで甘えた声を出すのは、やめなさい。自覚がないようだが、割と凶悪だ」
「じゃあ、帰らない」
「………仕方がないね」
 陣内さんが、僕の肩に手を置いた。少し屈んで、その唇が耳に寄せられる。吐息がかかって、背中が震えた。低い声が甘く懇願して、僕の耳を柔らかくくすぐる。何?何?何??
「言うことを聞いてほしいのだけど。私の、可愛い静」
 凶悪どころか、もう恐ろしいくらいの威力。
 陣内さんはそれだけ告げて、僕から離れるとね?と首を傾げた。
「いいかい、君は別に女の子っぽいというわけではないけれど…整った容姿をしているから。こんな場所では特に、性的嗜好がノーマルな人間ばかりとも限らない連中が、隙を見て悪戯をしようとか思うかもしれないだろう。一人になるのは感心しないね」
「変態くさいセリフ…。っていうか、僕勃起したんですけど。陣内さん、責任取ってよ」
「静は顔に似合わず、あからさまな表現を度々使うんだね」 
「あのねえ、僕は男であなたに惚れてるの!上半身裸の上耳元で囁かれたりなんかしたら、そりゃ反応します」
 ふふ、と陣内さんは余裕の微笑みを浮かべている。もう一体、何だっていうんだろう。
 僕ばっかり好きで、好きで、好きで…ムカツクったら!
「そうだね、抜いてあげようか」

 それから何がどうなったのかはよく憶えてないんだけど、気が付いたら目の前に後藤と羽柴がいた。
「お前なあ、あんまり心配さすな。チビたちもいい子にしてるのに、何一人で迷子になってんだよ」
「そ、そうだよ!もう、倉内がいない〜ってマサったら、大騒ぎしちゃって。大変だったんだよ?」
「誰がだよ、馬鹿。虚飾すんな羽柴…オレはお前のコーチで大変だったんだろ。はあ。司書のオッサンが連れてきてくれたから、よかったけど…。静、学校でお礼言っとけよ」
「聞いてよ倉内、マサすっごいスパルタなんだよ!サディストだよ!俺マジで泣いたし…」
「あ、あのさ。状況がよく飲み込めないんだけど」
「静が波にさらわれて迷子になったところを、司書のオッサンが見つけて連れてきてくれたんだよ。なんか気失ってるし、ほんとビックリした。一人であんまり、沖の方に行くなよな。せめてオレたちに、一言声をかけてから…」
 後藤は保護者みたいにそんな風に言って、ぼんやりしている僕のおでこをデコピンした。…痛い。
「それで、陣内さんは?」
「子供と帰っていったけど。静にお大事に、だって」
「ふうん」
 あれは夢、だったんだろうか。
「倉内大丈夫?俺、かき氷買ってきてあげよっか。いちご?」
「練乳かかったやつがいい」
 言われてみれば、喉が渇いたような気もする。今は、羽柴の優しさに甘えよう。強い日差しのせいか、頭が上手く働かない。身体が怠い。動きたくない。
「はいはい」
「オレ宇治金時」
 すかさず、ちゃっかりしている後藤がそんな一言を添える。羽柴は一瞬僕と後藤を見比べてから、
「………しょうがないなあ」
 ニコニコ楽しそうに笑いながら、海の家に走っていった。
 愛と恵が作っていた砂の城は立派な完成を迎え、周りには湖も作られているところだった。途中から、直兄も手伝い始めたらしく、妙に凝り性な兄のせいでその完成度はなかなかのものだ。
 後藤は僕の隣りに腰を下ろして、優しい声で大丈夫か?と問いかけてくる。
「欲求不満なのかもしれない…」
「夏だしな〜。まあ、気持ちはわかる」
 後藤が、僕の空気を読んだ。こういう時は一番後藤がらくちんだ、色んな意味で。
「恋なんて、ただの思いこみなのかな」
「あの司書のオッサンて、そういうこと言いそうだな。確かに」
 どこまで勘づいてるのか、何もわかっていないのか。後藤はそんな感想を漏らし、沈黙した僕にならう。やがて羽柴がかき氷を三個抱えて戻ってきて、その甘さに僕は眉をしかめた。
 直兄がスイカ割りをしようと言って、みんなでスイカを割って、写真を撮って。
(寝顔も撮られていたみたい)
 ビーチバレーは僕と後藤VS羽柴と直兄のチーム分けになったけど、チームワークの乱れのせいか僕たちが完敗。

 夏の幻日は、晴天だった。 


  2007.08.22


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