真夏の少年



 U.恋見舞い


「大体、世の中の風潮が私には理解できないね。どうして無理やり恋愛しなくてはいけないのか、興味がない人間には生きにくい。メディアもいい加減、煽るのを止めてもらいたいよ」

 夏休みは、まだ始まったばかり。僕は課題に殆ど手をつけてもいないまま、きわめて平和に、昨日と代わり映えのしない日を過ごしている。
 今日はとても暑くて、図書委員の当番は僕と二年の瀬ノ尾先輩だったのだけれど、僕が席を外している隙を見て陣内さんは溜息混じりに、瀬ノ尾先輩にそんな風にぼやいた。
 何故そんな話になったかといえば、表向きは瀬ノ尾先輩が恋愛至上主義者だからで、陣内さんがその主義に反しているからといえば、わかりやすいだろうか。僕が聞いていないと思って、そんな素直な心情を告げる。
 室内は珍しく人がいなくて、アイスでも買っておいでといって五百円渡された。僕は自分の為にチョコチップクッキーを買って、瀬ノ尾先輩のバニラを買って、陣内さんは甘いものは得意じゃないと言うから、その二人分。学校近くのコンビニまで、所用十五分。アイスが溶けてしまうから、途中走った。
「君は楽しいかね」
 陣内さんの問いかけに、瀬ノ尾先輩はニヤッと笑っただけだった。こういうところが瀬ノ尾先輩がモテる所以なんだろうけど、僕はその隣りで仏頂面をしている大人の方が大好きだ。
 瀬ノ尾先輩は、要領がいい。普段委員活動はとてもサボり気味な割に、大事な時には顔を出してくれる。後輩の僕のこともとても可愛がってくれるし、ヘラヘラしているのに、何故か憎めない。委員長の金本先輩も、瀬ノ尾先輩には甘い気がする。
 陣内さんは誰かを贔屓する、ということがない人なので分け隔て無い態度をとるから(たまに腹が立つ)、むろん、瀬ノ尾先輩とも上手くやっている。陣内さんが態度を間違える相手なんて、僕くらいだ。…光栄なことに。
「オレ、しーずーならキスくらいできるかも」
 あ、なんか瀬ノ尾先輩は、僕が戻ってきたことを気づいてるかもしれない。死角になるところで息を潜めて、僕は二人の会話を行儀悪く、盗み聞きしているのだけれど。
 瀬ノ尾先輩は、よくこういう適当な冗談を言う。本当は僕に興味なんてないくせに、そういう振る舞いをした方がいいんだと、変な誤解をしているのだ。
「そのあだ名は犬みたいだから、ペット扱いのように聞こえるね」
 僕の話題を振られると陣内さんがうんざりしているように感じるのは、…気のせいだと思いたい。
「だったら、飼い主は陣内さんしかいないじゃん?相当懐かれてるっしょ」
「私には、ペットを飼う主義はない」 
 一刀両断。ああ、もうこれ以上実りのない応酬を黙って見てるわけにはいかない。
 
「戻りました」

 僕がしっぽを振る相手なんて、貴方以外いないんですけど!
 つれない飼い主は一瞬変な顔をして、瀬ノ尾先輩と僕を見比べた。瀬ノ尾先輩はそんな視線に気づかないふりで、バニラバニラ〜♪と上機嫌だ。多分、陣内さんの考えていることは当たっていると思う。
 確信犯はニコニコ笑顔で、優しく僕の頭を撫でた。ちびっこのお使いみたいで、微妙に嬉しくない。
「えらいぞ、しーずー。猛ダッシュしたろ?まだ、あんま溶けてない」
「陣内さん、ゴチになりまーす」
「……………」
 渋い顔。陣内さんは僕に対してだけそんな、わかりやすい態度を取る。それ、逆に期待しちゃうってわかってない。
「なんですかあ?陣内さんも食べます、一口?間接キスが嫌じゃなければ」
 たまにはこんな嫌味の一つ、言いたくなってもおかしくない。こういう空気が許されるのは、この間にいるのが瀬ノ尾先輩だからで、この人は僕の陣内さんへの感情を何となくそこはかとなく勘づいてるから、こういう際どい発言ができる。いざとなったら、フォローしてくれるしね。そういうやりとりは、金本先輩よりも瀬ノ尾先輩の方が抜群に上手い。 
「ええ、いいなー陣内さん。折角ですから、しーずーにあーんしてもらっちゃえば?」
「私はいらない」 
 一言言い捨て、陣内さんは司書室へ引きこもってしまった。消沈する僕を眺め、瀬ノ尾先輩は言う。
「う〜ん。ご主人様は、おかんむりのようですよ。ところでしーずー、オレがさっき言った言葉は、ちょっとはマジだったりするんだけど」
「えっ、どの発言ですか?」
 僕はきょとんと首を傾げ、瀬ノ尾先輩の発言を思い出そうとしてすぐに玉砕する。
「…はあ。そうだよな、うん、わかってたんだけど……。しーずー、ボケッとしてるとアイス溶けるから」
「あ、は、はい」
「さーてオレはアイスも食ったし、今日はもう帰ろ。二人っきりにしてあげる。嬉しい?」
 僕が返事をする前に、瀬ノ尾先輩は司書室のドアを開け挨拶し、軽やかに図書室を出て行ってしまった。ひっ捕まえようとした陣内さんが飛び出してきて、その仕草がなんだか必死に見えたから、柄にもないと思って僕は笑ってしまったのだった。僕が吹き出すと陣内さんは面白くない表情で、黙って眉を寄せる。
 そんなに僕と二人きりは嫌なんですか、とか。可愛げのない言葉は、喉の奥に呑み込んで。
「アイスごちそうさまでした。とっても美味しかったです」
「…いつから聞いていたんだね、静。瀬ノ尾と私の話を」
 陣内さんは、僕や金本先輩を名前で呼び捨てするくせに、何故か瀬ノ尾先輩は名字で呼ぶ。そんな微細なことが僕には気になってしょうがないのに、まあそれは、瀬ノ尾先輩のあのキャラクターのせいかもしれない。
 そういう結論で、自分の中で納得するしかないのだけれど。こう、引っかかるっていうの?
「ペットを飼う主義はないって。僕、陣内さんになら飼ってもらいたいくらいですけど。残念です」
 ほんの少しくらいの嘘は、時に必要だと僕は思う。いつでも正直でいたってそれが報われるとは限らないし、多少の嘘が人間関係を円滑にするってものだ。
「瀬ノ尾の冗談は本当にくだらないと思うが、静も悪影響を受けるのはやめなさい」
「だったら。どういう冗談を言ったら、陣内さんは笑ってくれるの…」
 僕が困り果てて呟くと、意地悪な大人はようやく余裕を取り戻したのか、本当に優しく微笑んでくれた。ああ好きだなあと思ってしまうあたり、僕はもう夏の暑さも関係なく、ただ恋の最中で。いつも意地悪で冷たくて距離をおくくせに、不意打ちで優しくされる度に、僕はメロメロ。
「そういえば、昨日から暑中見舞いを書き始めていてね」
 静にも書こうとして、毎日会って話ができるならそれで十分だと思ってしまったから、結局は筆を置いたよ。確かにそう、聞こえたと思った。 柔らかい口調は、僕の何もかもを溶かしてしまいそう。
 なんだか今、つきあってもないくせにいい雰囲気っぽくない?自惚れる僕は、どこまでもおめでたい。
 僕の精一杯の冗談なんかより、何気なく告げる陣内さんの一言が、どれだけ気持ちに影響を与えているか。いつか知ってもらえる日が来ればいいけど、今はまだこの距離のままで。


  2007.07.23


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