真夏の少年



 T.家族公認


 ようやく、僕の待ちに待った、夏休みが来た。夏休みは最高だ。だって、授業がないから一日中大好きな図書室で、陣内さんと一緒に居られる。そんな素敵なことってない。委員長の金本先輩は三年だから、受験で夏期講習や何かで忙しい。最高だ!
「ふふ…」
 こんな日は僕だって、機嫌の良さを隠しきれない。頬が緩む僕を気味悪そうに一瞥し、次女の雅姉が羨ましげな溜息をつく。
「何、ニヤニヤしてるのよ。超キモイんだけど、しず。いいなー、学生はお気楽で」
 倉内家は、結構な大所帯だ。それぞれ微妙に朝の出勤、登校の時間が違う。
 僕は大抵は雅姉と一緒に、爽やかな朝を過ごす羽目になっている。洋服の販売員をしている雅姉とは、顔を合わせる度に軽口を叩き合う仲だ。十も年が違う弟に、いちいち本気になる雅姉も雅姉だと思う。
「雅姉、朝からケンカ売ってんの?そんなんだから、彼氏に振られるんだよ」
「うるさい。彼女もいたことがないしずに、言われたくないですう。この甲斐性なし」
「雅、静。い〜い?真実は時に人を深〜く傷つけるんだから、二人とも、喋る言葉には気をつけなさい」
 女装が趣味(女の子好きが高じて、というよくわからない理由。性対象は、至ってノーマル)の直兄は、メイクもしていないのにお手入れだけは人一倍で、顔パックをした真っ白な顔でそんなことを言う。
 僕と雅姉は顔を見合わせて、
「「そういう直兄が、一番キツイんですけど!?」」
 こういう反応がハモってしまうあたりが多分、お互いを鬱陶しく思う要因の一つなんだろうな。
 直兄は、にこっと笑った。口でこの男に勝てる人間は、我が家にいない。
「あら、そ?」
「あたし、もう食欲ない。行ってきます…」
「行ってらっしゃい」
 今朝も直兄の一人勝ち。僕らがタッグを組んだって、年の功には敵わない。
 朝食は、玉子とキュウリが挟み込まれたロールパンと、ウインナー入りのロールパン。納豆オムレツに、野菜スープ。これで僕も、食事に集中できそうだ。
「雅、お弁当」
「お母さんありがと〜。じゃあね、しず。アンタ、夏休みだからってダラダラ過ごしてないで。少しは有意義な時間の使い方をしないと、あっという間に八月なんて終わっちゃうんだからね!」
 なんだかんだいって、僕のことが心配なんだろうけど。僕ももう、小学生じゃないんだから。雅姉はそう釘を刺すと、一言も二言も付け加えたそうな目で僕を睨みつける。
「…いいから、早く行きなよ……」
 あっ、やだ!もうこんな時間。電車に乗り遅れたら、しずのせいだから〜。一人でバタバタしながら雅姉は風のように出勤し、僕はげんなりしながらスープをすすった。
 僕もどちらかというと、朝からモリモリ食べるエネルギーはない。
「ホーント、アンタたち仲良しよねえ。お兄ちゃんも、たまには仲間に入れてほしいな」
「そのセリフ、ありえないんですけど。ご飯が美味しくなくなるから、もう直兄は黙って食べて」
 僕が小さい頃から、ずっと雅姉とはこういう関係だ。他の姉妹には優しいくせに、雅姉は僕にはつっかかる。その度僕も応戦してきたから、おかげ様でこんな口の利き方になってしまった。
「そうだ!マサちゃん連れてきなさいよお、せっかく夏休みなんだし。静ったら、一度家に呼んだっきりでマサちゃんのこと独占してるんですものね」
 空気を読まない直兄の言葉に、僕は本気でスープを噴きそうになってしまう。
 後藤が倉内家に遊びに来たのは、何も一度ってわけじゃない。ただ、直兄が不在の時を狙っているだけで。
 直兄は空気を読めないというよりはわざと読まない、ある種羽柴に近いものを持っている。しかも女の子と喋る時は思いきり男口調のくせに、何のつもりか普段はこの有様だ。ああ、頭が痛い。
 僕はティッシュで思いきり口を拭うと、精一杯気を取り直した。
「ふ、ざ、け、た、こ、と、言、わ、な、い、で、く、れ、ま、せ、ん、か」
 いくら弟をからかうのが楽しいからって、僕に色恋の話題が出ないからといって…これはない。
 僕は脳裏で、最近体調を崩し気味な友人(と呼んでいいかな、と最近思い始めてきた)を思い浮かべる。後藤の健康と睡眠欲ときたら、日によってムラがありすぎるのだけれど。
「だってえ、静が友達を家に連れてきたのなんて、初めてじゃない!もう、お兄ちゃん嬉しくって嬉しくって。可愛かったわ〜、マサちゃんの寝顔」
「大体っ、普通友達の家に来て寝ますか〜?って話だよ。ほんっと、信じられない。後藤の奴」
「そう言いつつ、温かく見守ってたじゃないの。愛なの?」
 一瞬、二人の時間が止まった。
「お兄様。馬鹿ですか?」
 起こしても起きないものを、放置する以外どういった対処があるというのか。教えてほしい。
「真面目な話、マサちゃんなら応援するし相談も乗るけど。静」
「えっ、いきなり何言っちゃってんの?しかも、真面目に…。違いますう、勘違いも甚だしいですう」
「お似合いだけど」
「……………」
 相手にするのはやめよう。せっかくの夏休みが、爽やかな朝が台無しだ!
 早く図書室に行って、陣内さんに会おう。
「照れた?」
「まさか。もう、直兄と会話するのは無駄だから、食事に集中しようと思っただけ」
「つ、つれない…」
 直兄は、がっくりと肩を落とした。
 別に後藤を家に連れてくるのはいいけど、それを直兄にああだこうだ言われるのはかなわない。
「直兄は、」
 ピンポーン。玄関の呼び鈴を押す音がして、リビングに集まっている一同が、一斉に僕を見る。母、兄、姉。誰も行く気配がない。こういう時、真っ先に動かなくてはいけないのが年下の悲しい性分だ。
「はい、どちらさまですか?」
「あ、オレ。おはよ」
「ご、後藤…!?僕、今日なんか約束してたっけ?」
「いや、学校行く用事あってさ。お前は図書だろ?一人で休みの学校行くのかったるいし、一緒に行こうかと思って誘いに来たんだけど。悪い、メールすんの面倒だったから」
「………あら、真之くん!おはよう〜。今日も格好いいわねえ」
 ニコニコしながら、お母さんが玄関に顔を出す。…出て行こうとしなかったくせに、現金なもんだ。馬鹿馬鹿しい話なんだけど、後藤は我が家でちょっとしたアイドル扱いだ。全く、何がいいんだか!
「おばさん、こないだの鶏の唐揚げ、最っ高に美味しかったです!ごちそうさまでした」
 爽やかな笑顔を浮かべる後藤も本当、気持ち悪いとしか言えない。前から思っていたけど、後藤はつきあいが悪いように見えて、案外ノリが良かったりする。変な奴。
「本当?よかったら、今日も食べに来ない?おばさん、張り切っちゃうから」
「え、いいんですか?お言葉に甘えて。ごちそうになります!おかげで、今日も頑張れそうです」
 すらすらとよく、そんな言葉が思いつくよね。後藤って。僕は色んな意味で寒くて、この気怠い暑さの中、鳥肌が立ってきた。…これが、今晩も続くのか。
「あのさ、後藤。僕ちょっと準備してくるから。そこで待ってて。すぐ戻ってくるから」
 上がり込まれでもしたら最後、直兄がこんな楽しい状況を放っておくわけがない。
 どうせ鞄を取りに二階へ上がって、携帯を忘れないように持って…それくらいだし。五分もあれば。
「わかった。忘れ物のないようにな」

 猛ダッシュで支度を済ませた僕は、まだ家を出てもいないのに大分疲労して、玄関に戻ってくる。お母さんと話し込んでいるはずだった後藤は、何故か直兄に捕まっていた。………ああ。
「マサちゃん、俺のことどう思う?」
「静が大人になったら、そういう顔になるんだろうなあと思います」
 …僕自身気に病んでいることを、後藤は人の気も知らず、しれっと言ってのける。直兄はブラコンでありシスコンなので、兄弟に似ていると言われると喜ぶ男だ。
 小さい子なら微笑ましいけど、大きい大人なので、僕は別に何とも思わない。辟易気味だ。そんでもって調子に乗ると決まって、あの質問が飛び出してくる。そろそろ、注意した方がいいかな。
「どっちが綺麗?」
「直さんに決まってるじゃないすか。あいつ、色気足りないし。…まあ、男に色気を求めるのもどうかと思うんですけど。男子校って不毛ですよ」  
「だよな。俺、女の子大好きだから男子校なんか行ったら死ぬね。まず、息ができない気がする」
 何の違和感もなくセクシー系の女装を着こなし、緩く巻いた髪をいじくりながら男らしく直兄は…って、僕はもう我慢できない!
「いっそのこと、むさくるしい男に囲まれて死ね!」
 僕は背後から、直兄のふわふわした素材の洋服を蹴飛ばした。
「ぐはっ…!いっやだ〜、静ってばヤキモチ!?ドメスティックバイオレンス反対!!」
 楽しそうに、悲鳴を上げないでほしい。後藤はもう慣れてしまっていて、ハハハと適当に笑っている。
「後藤、こんなのほっといて行くよ。じゃ、行ってきまーす!」
 無事に僕がたくましく(見た目にはそう見えなくても)育ったのも、毎朝こんな消耗戦を繰り返してきたからだ。
 通学路に出ると、安堵の溜息が出た。
「…オレ、お前んち行ってようやく、静の性格の成り立ちを理解した気がするよ。というか、いちいち反応するからからかわれるんじゃん?適当に流しとけばいいだろ。冗談なんて」
 初めて倉内家に招いた時、後藤は賑やかでいいな、と一言だけ感想を言った。
 考えてみれば、後藤はうちのような家だと、安心して眠れないんじゃないだろうか。煩いし、煩いし…。時々遊びに来る分には、面白いと感じてもらえるのかもしれないけど。
「冗談?後藤とつきあってるって誤解されるのを、適当に流せって。嫌だよ、そんなの。事実と違うし」
 直兄は、よくわからないけど、僕と後藤をくっつけたがっている気がする。僕のことなんて、何もわかってない。まあ、同性を好きなことに関しては勘が鋭いかも。
「馬鹿だなあ。お前、皆そんなのどうだっていいんだよ。面白くて、暇が潰せれば満足なの。放っとけ」
「いいよ、馬鹿で。それでも生きていけるし」
 好きな人に誤解されたくない、と後藤に言うのはなんだか気恥ずかしい。話したこともないし。後藤と恋愛の話なんか、したことがなかった。こんなに一緒にいるんだけど、意外なことに。
 校門をくぐると、運動部の元気なかけ声が聞こえてくる。部活動は毎日あるから、休みといえど人は多い。静かな学校は何となく寂しい気持ちになるから、これくらいが丁度いいのかもしれない。
「そういえば、後藤の好きな人って」
「一生懸命だけど空回りしてて、助けてあげたくなるような人」
「そっか…」
 後藤の表情が、柔らかくて優しいものに変わる。
 もし僕が女だったら、見惚れちゃったりするのかもしれない。今は、ありえないけれど。
「お前さ、オレの手が必要な時はちゃんと言えよ。一人で悩んでないでさ」   
「…ありがと」 
 でも、誰かに相談したところで僕一人でどうにかできる問題じゃないから、意味がない気がする。話してスッキリするだけなら、ぬいぐるみにでも喋ってろって話だ。そういう関係は、今はいらない。女みたいに何から何まで喋りまくって、すっからかん、なんて嫌。
 もうこの思考回路自体が、女性差別なのかもしれないけど、好き嫌いくらいあったっていい。
「ほら、しかめっ面。可愛い顔してんだから、愛想良くとは言わないけど…せめて普通でいろって」
「イタッ!もう、いきなりデコピンしないでくれない」
 後藤はすぐに手が出るし、足も出す。羽柴なんて特にその被害を受けてて、毎日大変そうだ。

「二人とも、おはよう。朝から元気だね」

 声だけ聞くと涼しげな、季節に無関係なポーカーフェイス。
 教師の夏休みはまだなのか、フミちゃんは半袖にノーネクタイで、僕らの隣りに並ぶ。こういう少しラフな格好をしていると、とても二十四には見えないくらい、フミちゃんは若く感じる。
「フミちゃん!」
 微妙な話題を話していたから、聞かれていたら恥ずかしい。僕は慌てて、少し挙動不審になってしまう。後藤といえば、眠気が醒めたような目でフミちゃんに微笑み、さっきまでの傍若無人ぶりとは別人へ変わる。
「…おはようございます。オレ、秋月先生に用があって」
 何、その態度の違い。別にいいですけど?…いや、よくないようなどうでもいいような。大体、こんな複雑な気持ちになっていること自体が理不尽な気がする。断じて、ヤキモチなんかじゃない。
「そうなんだ?僕は今日、補習授業の監督をしなきゃいけないんだけど…」
「待ってて、いいですか」
 何と言われても曲げない、意志の強さのようなものがその一言には込められている気がした。フミちゃんは、曖昧な笑顔で遅くなるよ、と続けた。後藤は別に構わない、と食い下がる。
「どんなに遅くなっても、待つよ。なあ、静」
「…その根気強さを、お互いの関係について誤解を解く方面に、少し分けてくれない?」  
 家族公認の友達というのも、まあ、悪くはないのだけれど。僕がそう溜息をつくと、隣りの男は聞こえないふりをして、欠伸で誤魔化す始末だ。
「もう夏休みなんて、早いよね。あっという間に時間が過ぎていくから、時々怖くなるよ」
 フミちゃんが、眩しそうに目を細める。後藤が機嫌良く、とんでもない発言をした。
「それって、可愛い生徒がいて、充実した毎日だからだろ」
 これはわざとボケているのか、後藤の表情を伺うとどう見ても本気で。つっこまずにはいられなかった。訂正しておかなければ、少なくとも僕が。
「後藤。自分のことを間違ってもかわいい、なんて表現しないで。全国のかわいい人に失礼だから」
「悪いが蝉が煩くて、静が何て言ったのか聞こえなかった」
 いつも思うけど、後藤は随分と都合のいい身体をしているみたい。
「二人とも、本当仲が」
「「違うから」」
 まだ一日が始まったばかりだというのに、暑さも手伝ってなんだか怠い。
 あともう少しの距離なのに、図書室までが、ひどく遠い。 

 そんな何もかもも、陣内さんの顔を見たら、疲れなんて一瞬で飛んでしまった。


  2007.06.28


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