もっと、もっと…



 僕のうちは、俗に言う女系家族だ。
 祖母、母、父、三十過ぎた出戻りの長女・円に、長男は二十八歳の直、これが曲者で女装が趣味。夜の仕事をしていて、それが似合ってしまうから、手に負えない。二十六歳の次女、雅は僕の天敵。その三人と十歳離れた僕は次男で、名前は静。高校一年。下に双子の妹がいて、愛と恵。小学三年。本当に、女ばっかりでうんざりする。
 高校受験の時僕が男子校を選んだのは、当然の成り行きだ。だって女の嫌なとこばかり見せられて、落胆させられて、辟易して、もうできれば関わりたくない。女はお喋りでヒステリーでドロドロしてて、妙に柔らかいから、安心感もない。
 男の方が断然いい。というか、マシって話だけど。恋愛なんてしたことないから、自分の性癖は未だわからない。
「くっ、倉内!お、おはよう」
 誰かに肩を叩かれて振り向いたら、クラスメイトのナントカがぎこちなく笑って突っ立っていた。山田だっけ…田中?鈴木じゃない。誰だか憶えてない。
 僕はとりあえず、適当に笑っておいた。
「おはよう」
「きょ、今日もいい天気だな!」
「そうだね」
 会話はそこで終了した。赤い顔をして、ナントカは先に行くからと僕をおいて足早に去っていく。
 …別にいいけど。なんだか本当に、面白くない。
 認めたくないことに家族の血を色濃く継いだ僕は、我が家のお姉様方とそっくりな顔をしている。男子校に入学したことで、この顔が、悪い意味で目立ってしまっているみたいだ。
 まだ一週間も経っていない高校生活で、告白の呼び出しが三回。思い出しただけで、頭痛がする。なんだか、予想と違う展開だ。女扱いされるなんて、冗談じゃない。
 そんなことを考えながら、僕は学校内の図書室へ向かった。図書委員に立候補したのは、自分から。担任のシバちゃんがサッカー部の顧問で、僕を入部させたがったのがうっとうしかったから。他にやることがあれば、何にも言ってこないと思った。それに、この図書室は僕のお気に入りだったし。
 渡り廊下を進んで、古い建物の中に独立して図書室は入っている。そこだけ、違う世界みたい。学校の中にいるはずなのに、閉鎖的で開放的で、この場所は。煉瓦造りの建物の外観も素敵だし、何より僕のお気に入りはそこの司書である陣内さん。
「陣内さん、おはようございます」
「ああ、静か。おはよう」
 僕が声をかけると、心なしか困ったような笑顔で陣内さんは微笑んだ。陣内さんは僕と会話をすると決まって、何となく居心地悪そうな表情をする。
 どうしよう、どうやってこの子を追い返そうか。きっとそんな風に考えていて、それを隠しきれない、そういう複雑な表情が全部オブラートに包まれて表現されてしまってる。そうして何故か、それを見るのが僕は楽しい。
「何か用かな」
「陣内さんの顔を見に来ただけ」
「そう。光栄だね」
 笑って受け流して、陣内さんは僕から視線を逸らしてしまった。不思議な反応をする。こういう人を、僕は他に知らない。
 この人に好かれているとも思えなければ、嫌われているとも思わない。それに、誰にだってこういう反応を返す人なのかもしれない、陣内さんは。どういう人なのかつかめない。
 だから気になってしまうのかな、何を考えているんだろうって。知りたいって、思ってしまうのかな。わからない。だから、その感覚をつかみたくて傍にいきたいって思ってしまう。
 …迷惑そうなんだけど、ものすごく。
「かわいい新入生が慕ってるんだから、もう少し嬉しそうな顔してくれない?」
「静、もうすぐチャイムが鳴る。遅刻するよ」
 心なしか冷えた声が、あくまでも穏やかに僕を諭した。
 こういう瞬間、きっとこの人はそういう態度を取ることによって僕がどういうことを思うのか全部計算しておきながら、ためらいもなくそういう態度を取れるんだろうな、ってぼんやりと感じる。でも、だからってどうということもないんだけど。僕はそこまで、繊細な人間じゃないし。
「また放課後にね、陣内さん!」
 陣内さんは、僕の言葉に黙って微笑んだ。
 僕が背を向けた瞬間に、何も感じていないような無表情に変わるのかもしれないその顔。
 もう少し、笑ってほしいんだけど。もう少し、ううん。もっと。もっと傍にいくことを許してくれないかな、その為なら僕何だってするから。今なら、散りゆく桜も全部止められそうな気はするし、小鳥のさえずりなんて、黙らせることができそうな…。
「…何、考えてるんだか」
 自分の考えに気恥ずかしくなって、僕は早足で教室へ向かって歩きだした。
 早く、放課後になればいいのに。時間が、早送りになればいいのに。

 あの人の時間を、全部独占できたらいいのに!

「え?」
 それは足を止めるには十分すぎる、とんでもない思考だと自覚して。
「おい、倉内?どうした、熱でもあるのか?!顔が赤いぞ」
「っ…」
 シバちゃんに、恋を見られてしまった。
 僕は逃げるように大柄な身体の横をすり抜けて、自分の席へ着く。
 もっと、もっと…。その先には何があるのか、今は少しだけ行き急ぐ気持ちが怖い。


  2006.12.02


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