可愛いあの子は、誰のもの?



「あ、陣内先生。五時限目、図書室をお借りしたいんですけど。…よろしいでしょうか?」
「空いています。どうぞ」
「ありがとうございます」
 昼休みの職員室は、それはもうのどかなものだった。
 古文担当の秋月が、陣内にそう声をかける。陣内は快諾し、不意に視線を感じて振り返った。秋月と同期の芝木と目が合う。軽く首を傾げると、芝木はつかつかと陣内に歩み寄り、その肩を掴んだ。
「陣内先生!」
「はあ…」
「飲みに行きましょう!!」
 その勢いに呆気にとられたのは陣内だけではなかったようで、あまりにも突然の誘いに、傍で見ていた秋月がきょとんとした表情を一瞬、微妙なものへと変化させる。だが秋月は陣内と芝木を見比べて、自分が口を挟むことでもないと思ったのだろう。そのまま、職員室を出て行ってしまった。…ということはこれを、一人で対処しなければならないのか。
 芝木と言葉をかわすことはあまりない自分に、何故いきなりと訝しく感じながらも、なんだかその様子があまりにも必死だったので、陣内は承諾し、表情を輝かせる同僚を見る。
「今夜空いてますか?あ、勿論、俺が飲み代持ちますので!!」
「かまいませんが…」
「ありがとうございます!!」
 いつでも全力なのは結構なことだが、握手を求められた手が若干、痛い。
 まあ、陣内にとって芝木のような自分と正反対なタイプは好ましいというか…微笑ましいので、別段それをどうこう言う気もないのだけれど。


   ***


 何の用なのだろうか?
 生ビールで乾杯して、話を切り出そうかどうしようか迷う陣内に、先手を打ったのは芝木の方だった。そわそわしながら、芝木は言いにくそうに口を開く。
「倉内のことなんですが…」
「彼が何か?」
 言われてみれば、思い出してみると倉内の担任が芝木なのだった。だからといって、別にやましいことを自分が積極的に倉内に働きかけているわけではないので、陣内は黙って次の言葉を待つ。何の話か、ますますわからなくなった。
「俺、なんか倉内に避けられてる気がするんですよ!…担任なのに。司書のあなたを慕っていると聞いたので、仲良くなるコツでもあるなら、教えてもらえないかと思って」
「………気のせいでしょう」
 面倒な内容になりそうだったので、薄情にも陣内は、その一言で切り捨てようとした。仲良くなるコツ?知らぬ間に使っていたというなら、今後の対策としてこっちが教えてもらいたいくらいだ。
 このままじゃ、あまり良くない展開が待っているような気がする。自分にとっても、倉内にとっても。どんなに牽制しようが呆れはてようが、倉内はその想いを止めない。それどころか最近は自分の我慢も大分限界…いや、いっそ面倒になってきてしまっているのだ。大人の男がどれだけ彼に脅威であるかということを、身をもって教えてしまうくらいに。
 怖い思いを抱かせて、自分の存在を遠ざけてくれればいいと…自分勝手に。
「俺は、先生が羨ましいんです。シバちゃん、うっとうしいんだけど…とか言うし。あの可愛い顔で」
「…あまり構わないくらいが、丁度いいのでは。まあ、目立つ生徒ですし」
「俺が寂しいじゃないですか!」
 そんなの知りませんよ、と言おうかどうしようか迷った末、陣内は口を閉ざす。
 人の好意を過剰なくらいその身に受けている少年は、時々、それを蹴散らすような毒のあるセリフを吐く。それは陣内に実行されたことはない、端から見ていてそう思う、という事実だった。それをどうにかしてくれ、と言われてもどうすることもできないだろう。
 倉内にとって、ある種の自己防衛手段の一種、なのだろうから。
「サッカー部に誘っても、入ってくれないし…」
「委員会活動に熱心ですから。まあ、運動能力が高いようなので勿体ない話かもしれません」
「そうなんですよ!あの脚は、使わずにおくには本当に勿体ない」
「ランニングをしているようです」
「もっと、有効活用しないと!と、俺は思うわけなんです…」
「それは静が決めることですから、私に相談されても何のお役にも立てません」
 初めから、陣内相手に倉内の相談をする方が間違っているのだ。あくまで素っ気ないその回答に、芝木はどんどん酒を飲み進め、あっという間にできあがってしまった。
 最初に目を付けたのは自分で熱心に勧誘したところ、冷たくあしらわれて悲しかったとか。帰りのHRで名指しをすれば睨まれる始末で、しまいにはうっとうしいと…延々とその愚痴は続く。
「どうして、あなたは特別なんでしょう」
「単に、物珍しさではないですか。ただの偶然、といいますか…。たまたま、それが私だった」
「まるで、恋する乙女のようです。俺には、そんな風に見えるんですね」
「芝木先生。酔ってしまえば、何を言ってもいいという考えに、私は賛同しかねます」
 遠回しに物事を指摘されるのは、陣内は好きではない。
 かといって、単刀直入に断言されても困るのだが…この話の流れは、自分の意に介するものだ。
「可愛いじゃないですか…」
「私だって、静は可愛いですよ。それが何か?」
 だからといってそれだけで、何もかもを飛び越えられるほど馬鹿じゃない。
「………本当に、一体どこがいいんでしょう。陣内先生、俺と友達になってください。飲み友達でもいいんです。俺に何が足りないのかを、あなたとつきあっていたらわかりそうな気がするんです。お願いしまっす!」
 さりげなく失礼な前置きだったような気もしないでもないが、酔いながらも、芝木は一生懸命である。こういう暑苦しいタイプが、陣内はどちらかというと、自分にないものを持っているので割と好ましい。 
「私でよければ、喜んで」
 足りない云々よりも、単に好みの問題だとは思うのだが…それを指摘したところで芝木の落ち込みが改善されるわけでもないので、陣内は黙っていることにした。
 倉内のおかげで、新しい友人が出来た。それは何となくこれからが楽しみなことでもあり、ほんの少しは陣内にとって、刺激的な出来事だった。


  2007.10.16


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