第二十三夜「告白」



 丈太郎は、夢を見ていた。最近見る夢は、あまりにも鮮明で、まるで映画を見ているよう。
 明るい森の花畑で、双子の少女が影踏みをして遊んでいる。二人は本当によく似ていて、人形のように愛らしい容姿をしていた。

『光子。少し、休憩しない?』 
『そうね』
 花の上に寝転がる少女たち。広がるのは、罪のない晴れた水色の空。
『私、近頃怖い夢ばかり見るのよ』
『また…、未来のお話?』
『こんなにきれいなものが、そこにはもうないの。真っ暗で、汚くて、煩くて、頭がガンガン痛くて。沢山の人が、泣いたり怒ったり…』
『そんなところに、恵子がいるの?私が一緒なら、怖くても、二人で手を繋いでたら平気よ』
『一緒じゃないの』
『どうして?私たち、ずっと一緒にいたいのに』
『どうしてなのかなあ。私には、光子が見えないの。だから、ずっと探してる。でも、どうしても見つからないの。たくさんの目を使っても、私は光子がどこにいるかわからない。だから寂しくて、悲しくて、腹立たしくて。私は…』
『恵子が私を見つけられないなら、私が、恵子を探しに行けばいいのね』
『どうやって?』
『私は、耳を使うわ。ほら、こうやって恵子の声を聞き取るみたいに』
『駄目よ。楽しいことや嬉しいことなんて、誰も教えてくれないの。耳を塞いでいなければ、壊れてしまうわ』
『壊れたら、また治せばいいじゃない』
『人間はそんな、玩具みたいに簡単に修理できるわけではないの』
『だけど、恵子に会いたい』
『今はそう思うかもしれない。でも、十年、二十年、三十年先もずっと気持ちは同じだと思う?光子は、いつか私を捨てるのよ。私を捨てて、男の人と恋をして子供を産んで、それから……』
『そんな妄想、聞きたくないわ』
『子供の名前は充というの。私、知ってるのよ…。あなたに似て、とても美しい男の子』

「王崎…。王崎充のことか?」
 丈太郎が呟いた声音に、侵入者に気がついたような素早さで、二人が視線を向ける。
 あ、と思った瞬間世界は元に戻って、部屋の天井が…確かな現実が丈太郎を迎えた。
(夢?まるで、現実のことじゃないみたいな…)
 丈太郎は顔を洗って身支度を整え、頭をスッキリさせようと試みる。
(…まず、王崎に確認しよう。この夢がどういう意味を持つかは、それから考えればいい)
 誰がどこにいるかなんて、探さなくても見えてくる。学校に通っていた頃は、なるべくなら使わないようにしていた便利な能力。何故かそれを禁忌のように感じて、その感覚を自分の奥底に押し込めようと振る舞っていた。
 王崎は書庫にいた。什宝会のことでも、調べているのかもしれない。什宝会の成り立ちそのものに興味がない自分に比べれば、よほど熱心だ。そんなことを考え、丈太郎は溜息を殺した。力が手に入るなら、矢代じゃなかったら…別に什宝会じゃなくても、何だって良かった。条件が、揃いすぎただけで。
「王崎、聞きたいことがあるんだが…」
「話?ああ、何だ?」
「…なんか、ニヤニヤしてないか?嬉しいことでもあったのか」
 王崎は直情型なので、何となく雰囲気でその気分がわかってしまう。丈太郎の見る限り、今はご機嫌のようだった。返事をせず、王崎は端麗な唇を微笑ませただけ。
 それだけの仕草にも、見惚れてしまう。悔しいくらいに魅力的で、何もかもどうでもいいと思えたらどんなに楽だろう…そう、一瞬だけ丈太郎は考える。
「王崎のお母さんは双子で、…光子っていう名前じゃないか?」
「!」
 何も言われなくても、その空気の変化が全てを物語っている。
「…そうなんだな。でも…どうして……」
(どうして俺なんだ?他の真眼を持つ人間も、同じようにあの夢を見ているのか…?何か、理由があって?)
 わからないことだらけで、頭が痛くなってくる。そしてすぐに、答えが出そうもない。
「どうして、と尋ねたいのはオレの方だ。御堂が何故、その話を?仁にさえ、話したことがないのに。誰にも」
 王崎はそう続け、問いつめるような真っ直ぐな目で、丈太郎を見つめる。ああ、その顔に自分は弱い。きっと好きだからなんだろう、負けたような気持ちになる。こんな風に、どうしていいのかわからなくなる度に。
「………それは」
「その名前は、その話は…楽園の重要な機密だ。だから、仁は知っていたかもしれないな…。いや、わからない。本当に、一部の限られた人間しか知らないことだから。話してくれ、どこでその話を聞いた?一体誰に」 
「俺は、真眼を持ってるんだ。夢でさっき、双子の女の子が話してるのを見た」
「話すだって?恵子は死んでる。光子…オレの母親は精神を病んでいて、まともに喋れる状態じゃない」
「二人とも幼かった。昔の回想みたいな…」
 思い出というより、きれいすぎてまったく現実味を感じないヴィジョン。ただ確かに存在していた双子の少女は、間違いなく王崎の母親だ。その意味も意図も、わからないけれど。
「真眼は、そんなことまで見ることができるのか?他人の思い出まで覗けると」
「…他の真眼が、どういう風に何を見ているのか、俺は知らない。ただ、俺は…知ってるかもしれないけど、神津と同じ楽園の研究所で、能力開発に心血を注がれてきたから。…多少は強い力、だとは思うよ」
 自分が見える能力の、説明を求められてもきっと上手く答えられない。多分、引かれるどころのレベルではないのだ。
(神津…。今も、王崎の後ろに俯いて立っているけど。これは、残像?それとも)
「御堂は、楽園の信者なのか?」
「違う。そうなれたら…よかったけど」
 慌てて、丈太郎は首を振る。神津はずっと俯いたままだ。
「それならいい。楽園なんて、そもそもは天根矜持が光子の為に作った居場所なんだから」
「え?」
「これこそが、楽園が一般信者にひた隠しする真実だ」
「なんだって…そんな……」
(一人の女性の為だって?そんな理由で作られた全てを、ただ守る為だけに…俺は、俺たちはあんな扱いを受けてきたっていうのかよ!?何だよそれ!!)
「御堂?」
「っ…」
 腹立たしかった。悔しかった。涙が溢れて、止まらない。馬鹿馬鹿しい、そう言い捨てるにはあまりにも重い日々を過ごしてきた。自分も、神津も。
 たかがそんな始まり。きれいで耳障りのいい言葉を並べて、気持ちの良い優しさに満たされて…そんな信念はどこにもなく、ただの恋愛感情に振り回されてきたというのか?
「…んだよ、それっ……何なんだよ!ふざけんな!ちくしょう…ちくしょう!!うう…」
 怒りのあまり、身体が震える。
 楽園の思想を、信じきっていたわけじゃない。崇拝していたわけでもない。それでも、こんなにも動揺するなんて。
「御堂…」
「っご、ごめん。王崎が悪いわけじゃない、自分でも、こんなにショックを受けるなんて…」
 一般信者が知ったら、一体どんな反応をするだろう。想像もできない、また違った衝撃が彼らを襲うだろう。確かにひた隠しにするべき真実には間違いない、そんな始まりは。
「…前に、話したことを憶えてるか?オレの周りにいた楽園の信者たちは、オレがそういう秘密を零すんじゃないかと警戒し、監視していたんだ。それが本人の意志によるものかは、もう、わからないけど。そういう意図で、オレの近くに配置されていたんだと思ってる」
「でも、その中には本気で、王崎のことを好きだったり、憧れを抱いてる人間だっていたはずだ。俺には、わかるよ」
 ずっと王崎を見ていた。あの学園で、誘いと過ごした夜を丈太郎は思い出す。
「それって、佐藤のことか?」
「そうだな。佐藤のことだよ…お前に憧れてた」
(そして結果的に、俺が殺した)
 丈太郎は口をつぐんだ。何か言いたげな王崎が、屋上でのいつかの日と重なる。ああ、ようやく言える時がきた。
(怖いけど…)
「佐藤のことで、御堂に聞きたいことがあった。…でも、今は聞くのが怖い。本当のことを知ったところで、何になる?オレは探偵ごっこをしながら、何か正しいことをしているつもりだったんだ。あの時は」
(でも、俺がしたことに変わりはない。あの時は言えなかったことを、俺はちゃんと王崎に伝えないと)
 唾を飲み込む。思ったより落ち着いた声が、二人の間に響いた。 
「俺は人殺しだよ、王崎」
「そんな風に、言うものじゃない」
「俺、お前のこと殺してしまうかもしれないんだ」
 突然王崎に、しがみつくような強さで抱きしめられて、丈太郎の息が止まりそうになる。何が起こっているのか、よくわからなかった。これは現実なのだろうか、抱きしめられるのは…二度目?
「かまわない。…それでもいい、御堂の傍にいたい」
「な、なに…言って……離せよ。王崎、お前、どうかしてる」
「離さない。もっと近くにいきたい、知りたい。御堂と繋がりたい、オレを見なくちゃ許さない。オレは、御堂が好きだ」
 濡れた視界が捉えたもの。そんなに間近で見つめられると、丈太郎にはもう、どうしようもなくなってしまう。
「王崎…んっ―――!」
 深い口づけ。それをかわしているのは、本当に、王崎と自分で合っているのか?
 王崎がこんなに、情熱的だなんて知らなかった。絡みつく舌、押しつけられる下半身、全てに頭がクラクラする。
(俺だって、王崎が好きだよ。でも…)
「呪いの妖刀なんだってな、愛染って。御堂、呪いを解く方法を試したりはしたのか?そもそも呪いなんて最初から存在せず、所有者の思いこみということは考えられないか?」
「そんなこと、考えてもなかったけど。な、なあ、ちょっと離れてくれないか?」
「オレを好きなんだろう?殺したいくらいに」
「……………」
(駄目だ。破壊力が強すぎる…)
 もう何を言われても、従ってしまいたくなるような強さ。そう、殺したいくらいにこの男のことを好きだった。
「オレは対象に触れただけで、その感情が伝わってくる能力を持ってる。御堂がオレを、好きでたまらないのがこうしているとよくわかる。オレも同じ気持ちだ、好きなんだ」
「え…」
「オレのこの能力は、光子から受け継いだものだ。だからずっと、潔癖性だなんて周りに言われていたりしたけど」
「離してくれ。そんなの…困る」
 いたたまれない。この感情が筒抜けだなんて、恥ずかしさを通り越してもう、パニックになりそう。
「隠したって無駄だ。オレにはわかっているんだから」
 敵わないのは、惚れてしまった弱みだろうか?
「…ああ、もう!そうだよ、俺はずっと王崎のことが好きで、好きで…どうせ手の届かない存在だって諦めて、平気な振りをしてた。愛染を手に入れる時だって、お前に関わらないと決めたから、それ…なのに……」
(今嬉しくて、愛染のこととか…考えなくちゃいけないのに―――)
 その時不意に見えた映像は、確信的な場面までは見られることを逃れる術。
 丈太郎は王崎を引き剥がすと、精一杯、普通の表情をしようと尽力した。どうせ、無駄な努力かもしれないが。五秒も経たないうちに、走る足音が書庫の前で止まる。セーフ。そう、心の底から丈太郎は安堵した。
「御堂、探した!仕事が入っ…え、何?何この空気は?」
 どんな違和感を一瞬で抱かせてしまったのか、ぽかんとドアの前に立ちつくす正純に、慌てて駆け寄っていく。
「ああ!仕事ね!!今日も頑張ろうな白鳥。じゃ、じゃあな王崎っ…」
 間が悪すぎて照れくさすぎて、まともに顔が見られない。
「御堂!」
「う、うん?」
 振り返ると、王崎はまるで夫を送り出す妻のような表情で微笑むのだから、本当に参ってしまう。そんなことを考えてしまう自分にも、だ。
「気をつけて」
「…ありがとう。行ってくる」
 無事に帰ってくることができたら、話の続きができるだろうか?


   ***


 今回仕事がまわってきたのは、犬上新尾・正純丈太郎の四人だ。車の運転は、丈太郎の知らないお抱え運転手の一人。
 気まずそうに正純に視線を走らせた犬上が助手席に乗り込み、後部座席の真ん中に正純。それを、丈太郎と新尾が挟むように座る。自分にだけ聞こえるような小さな声で、正純に囁かれた言葉に丈太郎は沈黙した。
「次に殺すのは、あの人なの?」
「……」
 正純は思う。その問いかけに、かすかに混じったヤキモチは、可愛いなんていう例えでは表現できないかもしれない。それにこんな歪んだ形じゃ、きっと相手には伝わらない。伝えられない。
 丈太郎は表情を強張らせ、けれどすぐにそれを困ったようなものへと変化させる。なんだかそれが矢代を彷彿とさせ、正純は胸が苦しくなった。こんなに違うのに、時折無性に今はいない人を思い出す。
「ごめんな、白鳥。心配ばかりかけてさ…ありがとう」
 込み上げてきた苛立ちの意味なんて、きっと、考えない方がいい。
「どうしてそこで、お礼が言えるの。僕は…」
「ん?」
「何でもない…。そんなわけ、ないよね。気にしないで」
 丈太郎のことを好きだなんて、好きになってしまったなんて…そんなわけ、ない。第一に愛染の持ち主であるし、丈太郎の想い人は、どうやらあのお綺麗な王崎なのだろうから。そんな恋は、したくない。
 矢代のことも周防のことも、丈太郎が正純に優しくする一因だ。それ以上の何かを望むなんて空しいだけ。ふと、寂しさが込み上げてくる。一人じゃないのに、隣りには丈太郎もいて、犬上だってあんな言葉をかけてくれた。
「…白鳥?」
 丈太郎に甘えるようにもたれかかると、正純はギュッと目を閉じる。
「ごめんなさい…」
 そうならないように、近くにいる自分も力になれるよう…そういう気持ちでいなければと思った。


  2008.03.13


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