第二夜「君を守りたい」



 全ての言葉を忘れて好きだと一言告げることができたなら、よかった。

 片づけられたテーブルの上、いそいそと茶の支度を始める部屋の主を眺めながら、王崎は溜息を零した。意気込んでやってきた用事が萎えてしまいそうな、随分と間の抜けた空気だ。
「このシュークリームは、皮がクッキー生地になってるんだ。生クリームとバニラビーンズ入りの、カスタードのツインクリームが評判でな」
 王崎が尋ねてもいないのに、丈太郎によるシュークリーム解説が始まってしまった。
 気のせいか、気分まで悪くなってきたような気がする。
「聞いただけで胸焼けする…。いらない」
 表情を引きつらせて遠慮する王崎に、残念そうに丈太郎は苦笑いを浮かべた。温も毎回、丈太郎のティータイムには辟易していて、今では付き合ってはくれないのだ。自然と外に食べに行く習慣がつき、どこに行っていたのかなんて、答えたところで呆れられるばかりの日々。
「そうか?」
「御堂はいつも甘ったるい匂いがすると思ったら、味覚がどうかしてるんだな」
 丈太郎とすれ違う度、王崎もいつも気になってはいた、それ。
「…味覚の問題というよりは、ただの習慣だ」
「好きじゃなきゃ、体臭が甘くなるまで食わないだろ」
「まあ、そう思われて当然だな…。で、王崎は何しに来たんだ?
 俺の部屋知ってたんだな、レベルで俺は驚いてるんだぜ。何事かと思った」
 丈太郎の言葉に、王崎が整った表情を曇らせる。
「嘘つけ。御堂の驚いた顔なんて、見たことない」
 その非難の仕方があんまりで、丈太郎は思わず笑ってしまった。時折ひどく子供じみた物言いが、なんだか妙に可愛いと思ってしまったからだった。
(十分元気じゃないか、なんだ…)
 帰りは様子がおかしかったから、いくら相手が王崎といえど、少しは心配していたのだが…どうやら杞憂だったようだ。
「そりゃあ、仲良くないですもん。王崎クンとボクは…」
「御堂が一方的に、オレを避けてるんだろ」
「お言葉ですが、世界中の他人に好かれる人間なんて、この世にいないということを知っておいた方が…」
「そうだな。御堂は、オレのこと嫌ってるもんな。…ハ。邪魔したな。礼を言おうと思っただけだ、どうもありがとうございました!」
 苛立っているはずのその美貌が、なんだか泣いているようにも見えて、丈太郎は狼狽えてしまった。冗談が通じない相手だということを忘れ、悪ノリしてしまったようだ。
「何怒ってるんだよ、王崎…」
 謝りたいという感情だったのだろうか?それは、本当に。伸ばそうとした手は、いつも邪険に振り払われる。取り巻きがいない今ですら、近づくことを赦さない。その度何かが疼く感情に、きっと王崎は気づかないのだ。
「触るなって言ってるだろ!?特に御堂に、触れられたくないんだよ、オレは!」
 こんな場面を何度繰り返して、なのにどうして?期待だと思いたくはない。苛立ちばかり、心の奥に募っていく。丈太郎は、王崎を睨みつけた。無理やりその距離を破ったら、お互い何か変われるのだろうか。そう思うのは、自惚れだろうか。
「いい加減にしてくれ、何なんだよ…。王崎は、一体俺に何を求めてるんだ?わっかんねえ」
「頭が悪いと、コミュニケーションを取るのも大変なんだな。わからなくて結構。御堂はせいぜい、伏見と仲良しごっこをしていればいい」
 率直に鈍感だとなじられた方が、何倍もマシだった。
「………出てけ」
 これ以上気持ちを引っかかれたら、その綺麗な身体に何をしてしまうかわからない。思い浮かんだそんな感情に、丈太郎は唇を歪ませる。
「言われなくてもそうするさ。用は済んだしな」
 たかがドアを閉めるだけで煩い音を立てて、王崎は出て行ってしまった。礼を一つ言うくらいで、こんなに話がこじれてしまう。馬鹿みたいだ。相性が悪すぎる。原因なんて馬鹿らしくて、考える気すら起こらなかった。
「…何なんだよ、アイツは!」
 嵐のように去っていった後ろ姿を見送り、痛みだした右手の薬指に丈太郎は眉をひそめる。シルバーの指輪。今は形を変えている、強い妖力を持つ刀。持ち主である丈太郎の感情が昂ぶることで、どうやら反応してしまったらしい。
「愛染…」
 紅い刀が、茫洋とした光を放ち丈太郎の手に姿を現す。愛染(あいぜん)は、呪われた刀だった。今まで三人の持ち主が、恋愛に悩み、苦しみ死んだ。持ち主が愛する人の血を、求める刀…。そういう言い伝えも、聞いたことがある。
 丈太郎に愛染を託した人間は、刀の呪いを畏れるあまり、自分の想い人を巻き込まないうちに自殺した。それがその相手にとって幸せだったのかどうなのか、今でも丈太郎にはよくわからない。ただ、王崎と仲良くできない理由なんて、それだけで十分すぎる。絶対に、王崎だけは巻き込みたくなかった。
「ここには、誘いはいない。消えろ」
 できるなら、叶うことならばなるべくは愛染を使いたくない。自分と同じ力を持った誰かが、命をかけて誘いと対峙しているのだと思っても…。丈太郎にはどうしても、自分を取り巻く事態と向き合う気になれなかった。


   ***


 翌日、丈太郎は学校をサボって洋菓子店〈ディレット〉へと出かけた。教室で王崎の顔を見たくなかったし、苛々して、どうも気持ちが落ち着かなかったのだ。だからいつも、色んな意味で、王崎には近づかないように気をつけていたというのに。
 …まああの状況は、助けざるをえないから仕方なかった。何度も、何度も自分に言い訳を繰り返してしまう。
(こういう時は、甘いものを食べると何となくホッとするんだよな。刷り込みに近いけど)
 すっかり顔馴染みになったウエイトレスのみほこと、他愛もない世間話をかわしながらショートケーキを頬張る。甘すぎない生クリームが喉の奥に溶けて、整理しきれない気持ちまで流してくれる気がした。
「みほこちゃん、今日の髪型も可愛いよな。それ、カチューシャっていうんだっけ…」
(って、クラスの女子が言ってたような…)
 看板娘であるみほこはいつもお洒落に気を遣っていて、彼女目当てに足繁く通う客もいる。
「ほんとう?ありがと〜。嬉しいな」
 はにかむように微笑むと、みほこは上機嫌な足取りで店の奥へと消えていった。
(はあ、心のオアシスだぜ…)
 そんなことを考えながら、丈太郎がミルクティーに口をつけた時だった。 
「あ、丈太郎めーっけ!お前の行動パターンは、わかりやすくて助かるわぁ。お姉さんお姉さん、俺、珈琲とレアチーズケーキのセットで」
 煩い音を鳴らし入ってきた大柄な男は、店の雰囲気から浮きまくったオーラを放ちながら、丈太郎を見つけるとニカッと笑った。既にケーキを食べ終えていて良かったと、目が合った丈太郎は、心の底から安堵する。
(折角のケーキが、不味くなるところだった…)
「周防さん…」
 申し訳ないが、歓迎する気持ちにはなれない。丈太郎が苦々しくその名を呼ぶと、周防広大は笑顔のまま、苛ついたように眉だけを動かした。
「うわ、その嬉しそうな顔!水ぶっかけたろか、コイツ…。あんなぁ、俺は毎日ちゃんとお前に電話入れよるやろ?それやのに、居留守使いやがって。殺すぞっ」
(殺すぞ、とか…半分本気で言ってるもんな。この人は)
 周防のせいで、最近携帯の電源を切っていたくらい、丈太郎は迷惑しているのだ。そんな空気と溜息を隠しもせずに、丈太郎はうんざりした口調で問いかけた。
「俺、急に学園が恋しくなってきたんで帰ってもいいですか」
 周防のテンションは、得意じゃない。とにかく周防と会った後は、ドッと疲れる。好きとか嫌いとかいう以前の問題で、一緒にいるだけで、生気を吸い取られるような感じ。
「あかん。もう、こっちもこれ以上待つわけにいかんのや。何しろ、愛染は放置しておくには勿体無さ過ぎる力っちゅーことで…幹部が何かとうるさい。お小言が全部、スカウトの俺にまわってきよる。ホンマ、冗談やないで。もう」
「………」
(あーあ、始まった。…長いんだよな、周防さんの話は)
 誘いを何とかしようと、発足された組織「什宝会(ジュウホウカイ)」。
 周防は有能な人材をメンバーとして迎え入れる、スカウトという役職に就いているらしい。
 丈太郎に愛染を託した持ち主が、メンバーの一人だった為に…それを受け継いだ丈太郎が今、メンバーになれだの何だの、半年間も説得を受けているのだった。まったく、ご苦労様である。顔も見たこともない、名前も知らない什宝会のお仲間に、落ちこぼれだの何だのと勝手に噂され悔しくないのかと、あの手この手で周防は丈太郎を引き入れようと頑張っている。返事を保留にし続けて、のらりくらりとかわしてきた丈太郎だったが…。いつかどういう形かで、覚悟は決めないといけないとわかってはいた。それが、いつなのかはわからないが。
「…ごっそさん。で、話の続きやけどな」
 みほこが運んできたレアチーズケーキをあっという間に食べ終えて、周防は煙草に火を着ける。勿体ない食べ方だなあ、と丈太郎はそんなことを思った。
「愛染を渡してもらえたら一番なんやけど、その刀は、今の持ち主が認めた相手にだけ次の主と認証する。そんで、キミは、その刀を手放す気がないときとる。どうしたもんかね〜」
「約束なんです。それが、矢代さんとの…」
 矢代甲斐。丈太郎に、愛染を託した男。他の誰かの手に渡すことなく、丈太郎が愛染を受け持つ。矢代の生前に、丈太郎はそういう約束をかわしたのだ。それが二人だけの取り決めで、他関係者各位には全く知らされていなかったことはご愁傷様だが。
「わかっとるって。も、何回も聞いたわソレ。ハイハイ、で?いい加減、覚悟できたか?什宝会に入るて、今日こそ、ええ返事聞かせてもらうで。それまで帰さん」
「しつこいなあ」
 できることなら、放っておいてほしいのだ。誘いになんて自ら進んで、関わりたくない。それが本音だ。あんな、厄介なもの…。理由なんて、沢山ありすぎて言う気も起こらない。周防にしてみれば、もとより聞く気もないだろうが。
 だが、その丈太郎の心情はすぐに崩されることになった。カランと、店のドアが開かれる。いらっしゃいませ、明るいみほこの声が続く。周防が席から大きく身を乗り出して、その来客に手を振った。
「今日はそんな丈太郎の為に、俺は最終手段に出ることにした。おーい!正純、こっちや!!窓際の席〜!」
「正純…」
 その名前に、姿に…丈太郎は、目を見開いた。いつかはちゃんと、丈太郎が話をしたい…しなければならないと、思っていた人物だったのだ。
(矢代さんの、想っていた相手。…こんな出逢いは、望んじゃいなかったけど)
 少し緊張した。学生服に身を包んだ幼い少年が、伏せ目がちにこちらへと歩いてくる。
「白鳥正純。矢代甲斐と組んどった少年や。丈太郎も、顔くらい見たことあるか?」
 説明されるまでもない。丈太郎は聞き飽きるほどに、正純の話を矢代から聞かされていたのだ。何度か、顔を合わせたこともある。言葉をかわしたことは、一度もなかったけれど。
 丈太郎の姿を目に留めると、殺気を含んだ目で正純は周防を睨みつけた。
「御堂丈太郎…?周防さん、アンタ何企んでんの。僕がコイツのこと死ぬほど嫌いだって、知ってるくせに。わざわざこんなところに呼び出して、何の用かと思ったら。どういうこと?」
 切りつけるような冷たい口調に、周防は少しも動じない。慣れているのか、無理やり正純を自分の隣りに座らせて、ニコニコ嘘くさい笑みを浮かべる。
「中学三年、ただいま思春期と反抗期で青春真っ盛り!な正純クンにお願いがあります。
 この、起こってしまったことは何でも受け入れてしまう甲斐性があるのかないのか、むしろ人生どうでもいい?だがそれでいいのか?…いや、よくない!俺だって何か、やれることがあるはずだと思っているはずの丈太郎と、パートナーを組んでほしいのです」
「周防さん、マジ殺すよ」
 正純は、短い返事をした。何かツッコミを入れようかとも思った丈太郎だったが、そんな空気でもないなと沈黙を守ることにする。
(っていうか、俺、ここは怒るべきなのか?)
 いや、それは余計な労力でしかないだろう。体力は、温存しておくに限る。毎回毎回、周防のテンションについていく気がしない。これならまだ、つまらない理事長の長話の方がまだマシだ。学園に帰りたい。
「いやっ、こわーい!二人とも、そんな目で見つめないで〜。…冗談はおいといて、これは命令や。お前らにはコンビを組んで、誘い対策に精を出してもらいたい」
 急に真面目な表情になると、周防はそう言葉を続けた。黙り込んだまま、心の中で丈太郎は溜息をつく。そういう条件を出されたら、自分は、断れない。
(白鳥の、傍にいられるのなら…)
 浮かんできた考えに、我ながら頭痛がしそうになる。
 この半年の間ですっかり、周防は丈太郎の心理を把握しきっているらしかった。まあ、わかりやすいのかもしれない。正純はギュッと拳を握って、まだ納得がいかない様子だ。無理もないだろうが。意志の強い目が、周防を睨みつけている。
「僕は、一人でやれる。今までだって、メンバーの中で誘いの退治数はトップなんだから…」
「正純のは浄化やなくて、殺しやろ。お前、仲間内で自分が何て呼ばれよるか知っとるか?」
 なだめるような周防の口調に、正純は唇をとがらせた。
「呼び名なんて、興味ない」
 他人の拒絶。矢代の死が、この少年にどれだけの影響を与えたのかは、想像に難くない。什宝会と関わりの薄かった丈太郎ですら、耳にしたことのある通称。 
「死神。…矢代が聞いたら、悲しむで」
 静かに告げる周防に、正純の表情が悔しそうに歪んだ。
「………そういう言い方、卑怯だ」
 周防は目的の為なら、手段を選ばない男だ。
 丈太郎も正純も、これでお互いに選択権がなくなった。正純が死神なら、丈太郎は中途半端な落ちこぼれ。足して割れば、丁度良いのではないか。そんな暢気なことを考え、すっかり会話を傍観する丈太郎に、周防が探るような視線を向けてくる。
「なあ、丈太郎。お前はどうや?」
「いいよ、俺。白鳥と組めるなら、什宝会に入っても」
 一瞬、妙な沈黙があった。あれほど嫌がっていた丈太郎がすんなりと頷き、絶句したのは正純だ。素直なリアクションだった。
「なっ…!?」
 周防の顔が、パァッと輝く。丈太郎とは出会って半年足らずだが、こんなに嬉しそうな周防を見たのは、初めてだった。
「そうかそうか!やっとその気になってくれたんか。やっぱりな…正純を呼んで正解やった!!なら正式に、今この瞬間から、御堂丈太郎を什宝会の会員と認める。これは、そのライセンスや」
 たたみかけるように言葉を繋ぎ、いつの間に用意していたのか、周防は免許証のようなカードを、丈太郎に押しつける。
「ライセンス?」
「これを持っとけば、色々便利な特権が使える。ま、おいおい正純にでも教えてもらってや。改めて、これからもよろしく。丈太郎」
 祝杯でもあげにいきそうな、そんな軽やかな勢いだった。用は済んだとばかりに立ち上がる周防に、正純が思わず声を荒げる。その気持ちは、わからないでもない。
「ちょっと待ってよ。僕は、こんな奴と組むつもりはない!」
 その大声に、店内がしんと静まりかえったが、本人はそれどころではなさそうだった。
「命令違反には、厳しい罰が待っとるで。優秀なメンバーやろうが、例外は認められん」
 周防の牽制。そこには、静かな迫力さえ感じられた。
「………」
 正純が、きつく唇を噛む。もしかしたら、正純自身、什宝会から罰を受けたことがあるのかもしれない。什宝会の規律の厳しさは、丈太郎は詳しくは知らないが、相当なもののようだ。
「お〜、怖!とりあえず、俺はこの辺で退散しときますかねえ。
 正純、悔しかったら俺より強くなってみぃ。ほんじゃあな、お二人さん。健闘を祈る」
 口笛を吹きつつ退散する上司を憎らしげに睨みつけ、正純は強くテーブルを叩いた。やり場のない怒りが、今度は丈太郎に向けられる。
 いや、元々…正純は丈太郎に対して、言いようのない感情を募らせてはいたのだ。気がつけば組んでいたパートナーが、自分の知らない男にうつつを抜かし…死んでしまった。現実は少し違うのだが、正純の中ではそんなシナリオが出来上がってしまっている。
「お前…、僕がどれだけお前のことを憎んでいるのか、わかってるのか!?矢代さんが死んだのは、お前のせいだ。お前が…っ、お前さえいなければ、あの人は……!」
 正純は言葉を詰まらせて、堪えきれない涙を零した。
(胸が痛むのは、俺が白鳥に同情しているからなんだろうか。
 それとも、俺の中にいる矢代さんの感情が、悲しんでいるからなんだろうか…)
 愛染は、斬った人間の一部を吸収してしまう。経験も感情も、すべてをランダムに。その中には、勿論矢代も含まれていた。
「…ごめんな。白鳥が、俺を殺したいならそうすればいい。それでスッキリするんなら、俺にそれだけの価値があるんなら、この身体はあげるよ」
 正純に会うことがあったら、ずっと言おうと思っていたのだ。ようやくそれを伝えることで、丈太郎は肩の荷が下りるような気がした。ただの、自己満足かもしれない。
「…死にたいのか、お前……」
 何とも表現し難い目が、丈太郎を捉える。
「まさか。…ただ、俺は白鳥になら、そうされてもいいとずっと思っていたから。こういうことになった時から」
 丈太郎は、淡々と言葉を紡いだ。
「俺は矢代さんになれないけど、…白鳥を守りたい」 
 左の頬が、大きな音を立てた。鈍い痛みが、ゆっくりと広がっていく。殴られたのだと認識した丈太郎の視界に、苦しそうに首を振る正純が映った。
「思い上がるなよ!あの人の代わりなんて、お前なんかができるはずないだろ!?」
「そんなこと、やってみなくちゃわかんないだろ。もう、俺は決めたんだ」
 別に、矢代の身代わりになろうとか…自己犠牲だとか。丈太郎がそういうことを、考えたわけではない。ただ…、丈太郎に後ろめたさがないわけでもなかったのだ。目の前で、死んでいった矢代。そして、残された少年に。
「………」
「君を守りたいんだ、俺は」
 そう誓う自分の心に、何の偽りもなかった。
(…俺は白鳥を、守らなくちゃいけない)
 それくらいの覚悟は、とっくにできている。選んだのは、丈太郎自身だった。
 正純が、声を上げて泣き始める。ずっと堪えていた、何か…長い間張りつめていた糸が切れたように、堰を切ったように。
 その身体に触れることは赦されない気がして、丈太郎はただ黙って、そんな少年を見つめていた。大事な人に取り残されて、解かなければいけない誤解はそのままで、自分にできることは何もなくただ、傍にいることだけだった。


  2006.03.24


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