第十一夜「愛情表現」



 人間、死ぬ間際には今までのことが走馬燈のように見える、と聞いたことがある。王崎が感じたのは一瞬の暗転で、だからもしかしたらそれは、その時じゃない、ということなのかもしれなかった。
「生きてる…?」
 王崎は、随分と久しぶりの言葉を唇に乗せた。見慣れた神津の顔が、心配そうに王崎を覗き込んでいる。なんだか、懐かしい気がした。
「み、充様!気がつかれたんですね…。よ、よかった」
「仁…」
 今にも泣きだしそうな笑顔を見せる友人に、王崎はつられたように表情を歪ませた。
 よく憶えていないが、あの銃声は神津が理事長を撃ったのだろうと推測する。だから、生きているのだ。自分は。向けられた憎悪に、殺されたような気がした。それはただの錯覚で、どこも怪我などしていないようだ。
 よく寝た。そんな感想を抱いて、なんだかそれだけ聞くと平和な気がして、王崎は笑った。
「お前が助けてくれたのか。…ありがとう」 
「わ、私は…お礼を言われるた、立場では」
 神津はもごもごと口ごもり、暗い視線を居心地悪そうにさまよわせる。お礼を言われるも何も、命の恩人だ。神津がいなければ、間違いなくあの場で王崎は死んでいたのだ。日常が、侵食されている。一体、何が起こっているのだろう?誘い、次々に消えたクラスメイト、理事長の乱心、それにこの状況…。
「ここ、どこなんだ?学校の寮じゃないな」
 簡素な部屋。記憶にない、知らない場所。
「…安全な場所です。あなたはもう、何も心配することはありません。充様のことは、私がお守りしますから」
「どこだと訊いてる」
「楽園の中です」
 この世の終わりみたいな声だった。遠いところなんだな、と思った。どこから、とかそういうことはわからないが、感覚的に。眠っている間に随分遠くへ来たんだと、始まりはいつからだったっけ…考え始めるときりがない。どこまでも後ろめたい表情を崩さない神津の手を取り、王崎は思わず吹き出してしまう。
「み、充様…?」
「楽園の信者だったのか、仁は。言ってくれればよかったのに。オレは散々、嫌味な言葉ばかり楽園に言っていたから、不愉快な気分にならなかったか?すまないな」
 わざと明るくそう言ったのは、自分の中の軽い不安を消してしまいたかったから。王崎の取り巻きたちは皆、楽園の信徒だった。そしてそれは、神津も同じだったのだ。人格など関係なく、王崎が、天根矜持の息子だから。それだけの為の、偽りの友情など本当はいらない。それなのに、ひどく動揺している神津を見ていると、なんだかどうでもよくなってしまいそうだ。
「どうして、ですか…。わ、私はあなたをずっと騙して……!」
「オレより傷ついた顔をして、よくそんなことが言えるよ。仁は。…大丈夫だから」
「っ…」
 普段のポーズとは違い、神津の正直な反応に王崎は嬉しくなってしまう。触れた手からは、くすぐったさを感じるほどの、純粋な愛情が伝わってくるのだし。
 王崎が、死ぬかもしれなかった。そんな場面に直面し、神津はいつもの不思議な余裕を忘れている。自分のことで頭がいっぱいで、嫌われるかもしれないと怯えて、子供みたいに。怖くてたまらなかったのは、王崎だけではなかったのだ。自分のことを心配し、想ってくれる人がいた。
「み、充様…。手を、は、離してください」
「何故?」
 こんなにも、気持ちがいいものを手放すなんて、とんでもない。自分の人の心が読める厄介な能力が、王崎は初めて役に立ったと思う。一人じゃない。神津がいる、それがどれだけ嬉しいことなのか、救われているのか…。 
「何故、って…あ、あの……っ」
「オレに触られるのは、嫌?」
「とんでも、ないです……。ですが、私はっ」

 ―――受け入れて欲しい。

 不思議だった。生まれて初めて、キスをしたような気がする。神津は時が止まったように硬直してしまい、真っ白になってしまった。
「オレはきっと、仁が考えているほどきれいな人間じゃない。人並みにセックス経験だってあるし、女でも男でもできる。相手を、愛していなくても」
 大抵の場合人は快楽を前にして、ごちゃごちゃ別の物事を考えたりしない。だからこそ、その行為は王崎にとって数少ない(気持ちが良いというよりは、)気の休まる方法でもあったのだ。さしずめ、相手は道具だったかもしれない…。自分のことだけ考えた、自分に都合のいいセックス。そんなことを思い、王崎は僅かに自己嫌悪した。
「………」
「仁は?」
「私には、そういう人間らしい欲求はありません…」
 抑揚のない声で本音を告げると、神津は項垂れるように俯く。
「オレが相手でも?」
 その相手が神津でなかったなら、どんなに威力を発揮した媚びだったろうか。神津は真っ青な顔で、首を横に振るだけだ。
「無能な男です、私は」
「オレが頼んでも?」
「お許しください、充様…。あなたを汚すくらいなら、舌を噛んで死にます」
「汚いだなんて…。愛情表現とは思えないか?仁には」
 神津は、ついに泣きだしてしまった。まるで処女を追いつめたセクハラ親父みたいな自分の言動に、王崎は少しうんざりしてから安心させるように、ゆっくりと神津の震える身体から手を離す。
「悪かった。もう触れないから、安心してくれ」
「…な、何人か、あ、相手を手配し、します……。も、申し訳ありません、充様…」
「大丈夫。友達に、変なことを言ってしまったな。気にしないでくれ」
「私はあなたの…友達にも、なれない男です」
 否定しようと思ったのに、余計に泣き声が酷くなり、王崎はやれやれと肩を竦める。
 神津の今までが、能面のような態度と言葉だったから…。そんなに取り乱すほどに、自分が目を覚ましたのが嬉しいのだろう、と見当がつくから文句も言えず。神津らしくて、神津らしくなくて、安堵している自分に頬が緩んだ。
 何日経っているのだろう。丈太郎も、心配してくれているだろうか。彼は、どうしているのだろうか。ふとそんな考えが浮かび、そういえば事件の真相はうやむやになってしまうのだろうかと唇を噛む。おそらくもう、学校に自分の戻る場所などないことは王崎にはよくわかっていた。
「仁は、御堂のことについて何か知っているのか?」
 何気ない質問、だったはずだ。
 一瞬で空気が変化し、神津は凝視するような目で王崎を見つめる。夢から醒めたような、現実に打ちひしがれているような…そのくらい明白な態度だった。
「知ってるなら、教えてくれ。探偵ごっこは、まだ終わっていないんだ。佐藤を殺したのは、御堂なのか?仁は何を知ってる?あいつは一体、…何者なんだ?」
「…御堂丈太郎は異分子です」
 神津には、それだけを言うことしかできなかった。人間らしい欲求はない、と言った自分にもどうやら、人間らしい嫉妬の感情は残っていたらしい。いっそ、何もかも捨ててしまえれば。そう願う弱さに、笑う気力も最早ない。


   ***


 丈太郎は楽園の研究所で育ったのだと、ゆとりは言った。
 楽園の内部事情の資料など、和ノ宮邸の書庫には山ほど揃っている。これだけを集めるのに、一体何人の情報員が犠牲になったのか…物騒な代物だ。丈太郎のことを知る手がかりになるかもしれないと、楽園の資料を漁っているのだが、結果は芳しくない。読んでいると眠くなる、これに尽きる。楽園の理なんてものは、小学校の道徳の教科書にでも載っていそうでまともに読む気にもなれなかった。
 どこに自分の知りたい情報が落ちているのか、どうも上手く見つけられない。情報班の人間の手を借りることができればいいのだが、そう気安く頼める相手は正純にはいない。何よりメンバー内の一番年下で、正純は本来ならば、他の人間のパシリになっていておかしくない。関わり合いにならないように適度に無視されているおかげなのだが、こういう時ばかりは誰かの手が欲しいものだ。
「おい、死神」
「うるさい、犬」
 本をそこら中にひっくり返し、調べものをしていた正純は顔も上げずにそう切り返した。
 不遜な物言いは、わざわざ確かめるまでもない男。同じ戦闘班の犬上清貴とは、それはそれはもう犬猿の仲なのである。顔をつきあわせれば、口喧嘩。本当は相手にもしたくない。ただ、必要以上につっかかってくる犬上に、仕方なく正純は合わせているだけだ。高校二年の犬上は、年が近いせいなのか、何かと正純を見下すような発言を繰り返す。苛々する。
「はあ!?つっか、オレただ挨拶しただけなんですけど!」
「今日は、新尾は一緒じゃないの?だったら、出てってくれる」
 犬上とパートナーを組んでいる新尾がいれば、まだ会話は成立するのだが。この状況は、お互いに絶望的だ。
「ちょ、何それ!しょうがないじゃん、新尾が彼女とデートするからお前帰れとかオレ」
 そんな態度だから、うざがられるのだ。学校の友達にメールでもして構ってもらえばいいのに、来るところが間違っている。他の人間のようには、心を開けない。
「大人しく、犬小屋でおねんねしてればいいじゃん。馬鹿犬」 
「てんめぇ…、本気で死にたいらしいな!」
 楽園の施設は全国に散らばり、大中小色々な規模のものが何万とあるらしい。ホテル、ビル、小さな集会所。正純の視線は右から左へと流れ、ページを捲る音だけが響く。
「こんなところでそんな野蛮な武器、振り回すの止めてよね」
 相変わらず犬上の方を見向きもしないで、正純は深く溜息をついた。斧を握りしめた犬上は、舌打ちしてそれをリストバンドに戻すと、じろりと正純を睨みつける。
「お前のパートナー、…御堂だっけ?案外、楽園の中でのたれ死んでんじゃねえの?死神と組んだ奴は全員、地獄行きになるってな」
「今すぐ、お前を地獄送りにしてあげてもいいけど!」
 矢代のことを引き合いに出されては、瞬間頭に血が上る。叫ぶが早いか、廊下で佇む犬上の背後を取った正純の腕を、宥めるように誰かの指が掴んだ。周防だった。柔らかくその目が正純を捉え、別人みたいに静かな声が続く。
「正純、落ち着け。…清貴お前、ええ加減にせえよ」
「「周防さん!」」
 不本意にも重なった声に、二人は顔を見合わせる。
「お前ら、本家で揉め事はよせ。犬上、俺の可愛い正純にちょっかい出さんといてくれん?」
「そういうキモイ注意の仕方、やめて!鳥肌立つ…」
 手を振り払い、正純は落ち着こうと呼吸を整えた。早く、苛々を静めなければ。犬上は眉間に皺を寄せて、子供みたいな本音を漏らした。
「周防さんは、死神のこと贔屓しすぎ。コイツらにつきっきりでさ。面白くねえの」
「なんや、ヤキモチかァ?清貴。そんなに愛が欲しいなら、今晩可愛がってやってもええで」
「ん〜…」
 微妙な会話の方向に、正純は軽蔑しきった視線を向けて声を荒げた。  
「周防さんの冗談って、本当気持ち悪い。センスない。そういう話なら、僕のいないところでやって!」
「その反応が可愛いなァ、正純は」
「………何か、用があって来たんじゃないの?用事ないなら、顔見せないでくれる」
 本題を問うとすぐに表情を変え、周防は正純が願ってもない言葉を続けた。
「ああ、そうそう。会長からのお許しが出てな。丈太郎を迎えに行ってもええって。什宝会の名前を出したら、さすがに向こうもタダで帰すわけにはいかんけん、まだ可能性は…」
「一体、どういう心境の変化?御堂を殺す気だったくせに、よく言うよ」
 浮かれそうな気持ちを律しようと、わざと意地悪な感想を呟いてみる。更に意外な返事が、ようやく正純を黙らせた。
「…正純が、思い出させてくれたやろ。俺は確かに、矢代のことが大事やった。矢代が大事にしとった、お前のことも。丈太郎のことも。悪いな、時間がかかってしもたけどもう大丈夫や。信じてくれとは言わんが、行動で示すけん」  
「周防さん…」
 何か言いたげなもう一人の部下に、周防は悪ノリしてウインクしてみせた。
「清貴。なるべくお前らのことも、これからは気をつける。で、今晩何時に部屋に行けばええ?お望み通り、た〜っぷり可愛がってやるわ」
「だからっ…、そういう話は僕のいないところでやって!!」
「妬いてくれるんか?正純」
「そんなわけないから!!!」
 全力で否定して、正純は二人から離れようと書庫を後にする。調べたいことがあったのに、もうそれどころではない。…でも、周防の変化は素直に嬉しかった。
 誰にでも大事だとか慰めてやろうかだとか、簡単に周防は口にする。矢代以外が、相手ならば。矢代が大事だったんだと、初めて本人の口から聞いた。言葉にしなくても伝わってはいたけれど、ようやくその感情を、認めてもらえたというのなら。


   ***


「ひっ、ぁあ…す、周防さん、あ、イイッ……!」
 犬上は周防の膝の上で、ゆっくりと腰を動かした。抱き合うように座って、随分近くに周防の全てを感じる。じっとりと汗ばんだ肌は滑り、いやらしく照らされる。
「そんなにええ?やらしいなあ、清貴は。可愛い可愛い」
 耳元で低く囁かれて、背中をゾクゾクと快感が走った。吐息を感じるだけで、たまらない気持ちになる。周防に言葉攻めされながら耳を甘噛みされるのが、犬上は好きだった。
「可愛いって…ぁん…白鳥、より、も?」
「アレはアレでええんやけど。可愛いの種類が違うやろ?それとももっと…可愛いとこ見せて、俺を煽ってくれるん?」
「ど、したら…いっ…の……」
 大人の返答だ。セックスを楽しむ心得を知っている相手に、犬上が為す術はない。
「俺がいいって、俺じゃなきゃやだって泣いて縋って、ヒィヒィ喘いでくれればええよ」
 犬上を突き上げながら、周防はそんな風に告げる。それならいつもしていることで、でも周防に応える気などないというのも、犬上にはわかっていた。
「周防さんが、いいよぉ…」
「俺が好きなん?それとも、俺のチンポが好きなん?」
「アアッ!」
 思わず犬上は周防の肩にしがみつき、涙を零す。背中に廻される腕が逞しくて、すごく安心する。けれど、切なくもなる…。揺さぶられる衝動に、何も考えたくなくなるのだ。
 このまま快感だけ追いかけることができたら、どんなに楽だろうか。
「自分で乳首弄ってみ?そうや、ぷっくりしてきたなぁ…ええよ。清貴、エロくて興奮する」
「…はぁ、はぁ…。い、痛いよ……」
 普段、自分でも触れない箇所。自慰をする時はペニスを刺激するくらいで、未知の感覚に犬上は表情を歪めた。
「優しく撫でるように触れるんや。気持ちええやろ?俺も揉んであげるわ」
「揉むほどっ、な―――あ、すお…さんっ」
「男でも揉みよったら、おっぱい成長すると思うか?」
 不思議なもので、周防に触れられると途端に、緩やかな摩擦は快感に変わった。ゆっくりと小さな突起を押しつぶされて、撫でさすられる。犬上のいいところを的確に捉え、奥まで侵入してくる熱い塊。気持ちが良くて、何も考えられない。考えたくない。
「あ、あっ、知らなっ…や、出る……出るぅ!」
 しがみついてもしっかり受けとめてくれるのは、それが彼の仕事だからなんだと…ちゃんとわかっている。

 周防は、昼間の明言通り犬上の部屋にいた。
 什宝会に入った人間は、今までと違う日常にまず、ストレスを感じることが多い。その捌け口を自分で探せる器用な人間ばかりならいいのだが、不器用な人間も少なくない。そういう鬱憤晴らしのつきあいも、スカウトである周防の役割に含まれる。
 割り切れる人間だからこそ、選ばれたといってもいいだろう。こんな、面倒きわまりない立場に。案外どこか寂しがり屋なところもある自分は、適当にセックスできる理由ができてありがたいくらいだと…煙草の火を灰皿に押しつけて、周防はベッドに寝転がる犬上を振り返る。
「けどなあ、清貴。いくらなんでもああいう愛情表現じゃ、正純には伝わるわけがないと思うで。さっきは俺が、たまたま通りかかったからよかったようなものの…」
 おまけにこういう展開は、それこそ好ましくないんではないか。はっきりとその心の内を聞いたことはないが、周防の知る限り犬上は、正純を意識しすぎている気がする。
 自分を慕ってくれるのは嬉しいが、それと恋愛感情は別物で、セックスの最中は盛り上げる為に睦言も言うけれど、基本的にその好意を周防は信用しない。
「べ、別にオレそんなんじゃねえし!誰が死神のことなんか…!!大体アイツ、オレのこと人間とも認識してねえっつか…。どうせ犬扱いだし、ムカツクし」
「本気で否定するあたり、あやしーねー。青春ってすばらしいねー。おじさんまぶしーよ」
「…っていうか、何でそうなんの?周防さんてマジ、何もわかってねえよ」
 犬上は、勝手に拗ねてしまった。
「丈太郎が帰ってきたら、楽しみやな。お前、負けんなよ」
「はあ?どういう意味だよ、それ」
 完全に誤解されてしまった恋心に、もう説明する気力も無くした犬上は溜息を殺す。
「さあな〜。丈太郎の奴、どないしよんやろな…」
 青春の恋の行方から、周防の興味は簡単に別のものへと切り替わってしまった。
 丈太郎を連れて帰れるのだろうか、本当に。できるのだろうか、そんなこと。一抹の不安は夜の闇に消して、明るい朝を迎えたいのに。
 何日間か間を空けただけ。それなのに…、こんなにも嫌な感じに囚われるのは何故なのか。丈太郎と矢代は、どこか似たところがある。しかも一番、厄介な深層の部分で、だ。その二人が同調した結果が、矢代の死だった。あれは想像もしていなかった、もう二度と繰り返せない事件。矢代の闇に丈太郎が囚われたのか、丈太郎の闇に矢代が囚われたのか…。そんなものがあの二人にとって救いだったなんて、なんて悲しい。
「いや、違うか」
 救いだとしたら、その後丈太郎が悩むことなんてなかったはずだ。傍目に見ても、どうしていいかわからない、迷子の子供みたいな不安そうな目をして。
 放っておけるはずなかった。今は誰か、傍にいてくれているのだろうか。随分、過保護になってしまっている。願わくばこの子たちが幸せに、なんて。本当にらしくない。
「周防さん、もっとオレのこと構えっての。バーカ!」
 難しい顔をした上司にそうねだると、望み通りの笑顔が返ってきた。錯覚しそうになってしまう。あんなに身体を繋いだ後で、こんな笑顔を見せられたら。
「清貴、ええ夢見ぃや。俺はどこにも行かんけん」
「周防さんのそういう優しさ、オレ、時々困るわ…」
 優しさというよりは、打算の上のビジネスライクな関係なのに。誤解する。
 パートナーの新尾に相談したら、周防はやめておけと言われた。その意味も何となくなら、わかる。彼の特別なんて、ない。もういない。死んでしまった。ポッカリと胸に空いた穴は、きっと今でもこうして笑っている現在でも、冷たい風を通しているのだろう。その隙間を埋めることすらできない自分が歯がゆくて悔しくて、彼の大切な人間に八つ当たりしてしまう。しかもそれを恋だと当人に誤解されるなんて、空しすぎるし、切ない。
「そんな風にシッポ振ってくれるんは、お前くらいや。よしよし、可愛いなあ清貴は」
「ほんとだれにでもそういうこという」
 別の人間の心配をして、他のことばかり考えているこの男のことが腹立たしい。
 彼の心を煩わせている御堂丈太郎という落ちこぼれなんて、やっぱり什宝会に入れない方がいいに決まっていたのだ。
「博愛主義者って言うてくれ。清貴、愛しとるで」
 考えた末、どういう返事をしていいのかは全然浮かんでこなかった。
 多分、この涙は知られてはいけないんだろう。それが精一杯の愛情表現で、犬上は温かな布団に瞼をきつく押しつけて泣いた。


  2006.12.11


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