vacances


   act.1(天根 優)



「キ、キャンプ!?連れて行ってくれるの…?ほんとに?」
 キャンプにでも行こうか、そう言って兄は笑った。その目はとても優しくて穏やかで、食事中にも関わらず俺は思いきり椅子から立ち上がって、大声になる。
 学校は夏休みで、毎日退屈…と、言いたいところだけどやらなければいけないことは山ほどあった。俺だってそろそろ、息抜きをしたいと思っていたところだったのだ。嬉しい。
「優様」
 仁が困ったように俺の行儀の悪さを注意するけれど、今はそんなことに頓着していられない。
「かわいい弟が望むなら、運転してやろうかと思ってね」
 気障ったらしく兄が微笑み、それが様になっているのが俺には笑えた。見惚れたりなんかしないけど、いつもこうやって口説いているのかな、なんて考えるとおかしい。恋人の丈太郎さんは、傍から見てもよく惚けているから。
「行きたい!キャンプしたい!!バーべキューしたい!仁も一緒に行くんだからね」
「私は…」
 俺の量の半分くらいしか食べない仁は、明らかに断りたい雰囲気を醸し出しながら助けを求めるように兄をうかがう。
「行くよな?勿論。オレが誘ってるんだから」
 自信満々に兄が仁を覗き込む。仁が行きたくないのを感じ取っているくせに、兄のこういう振る舞いをするところがSだなとどうでもいい感想を抱いた。Sっていうか、自分を貫くっていうか…。まあ、それは友人である仁にも当てはまることなんだけど。
「真に申し訳ないのですが、行きたくありません…。虫、苦手ですし。アウトドアはちょっと」
 まざまざと虫を思い描いているのか、無表情が気難しく変化し、仁は溜息までつくのだった。
 案の定兄はまったく気にした様子はなく、
「経験したこともないのに、食わず嫌いは良くないぜ。お前の悪い癖だ。今すぐ矯正しろ」
「あいにくと、興味がないんです」
「どうしてお前は昔から、そう融通が利かなさ過ぎるんだ。少しは譲歩を覚えるべきだぞ。別に、仁に魚を釣ってこいとか木を切ってこいとか頼むつもりはない。オレが、お前と一緒にそういう時間を過ごしたいって思ってるんだから、仁だって素直に楽しめばいいと提案しているんだ。オレは」
 これでは、まるで口やかましい教師のよう。
「…話の途中口を挟んで悪いけど、兄さんにこれだけ言わせるのって仁くらいだよね。丈太郎さんは、兄さんにゾッコンだから。それ、仁自覚あるの?」
「私は、そういうつもりではありません」
 仁が兄に自分の意見を言えるようになったのは、つい最近の話だ。誘いが一斉に浄化されたあの日。浄化される前の、夜明け前の暗い空みたいな日々の中で、彼は自我を身につけ、そして表現するようになった。兄にはそれが嬉しいらしく、本人に拒絶されない程度に仁の感情を引っ掻き回す。
「充様には、自分を偽りたくないのです。私は」
「いや、お前ら。さりげなく話がズレていってるぞ?さっさと計画を立てよう」
 兄はよくこうやって、まともなツッコミを入れてくれる。
「ハイハイ。じゃあ、参加者決めよ!俺たち三人に、丈太郎さんも来るの?温くんと〜、正純も一緒に呼んでもいい?」
「丈太郎と伏見を一緒にしていいのか?オレは全く気にならないから、別に構わないが」
「あー…」
 正純スパイ事件の後、みんなが正純の出自を知っていて(更に仲間で)仲間外れにされていた俺は、本当に面白くなかった。理由を考えれば仕方ないんだけど、それでもなんだか悔しかったんだ。
 本当にごめんなと丈太郎さんは頭を下げ、この人は俺に対して謝ってばかりだなとそんなことを思い出す。丈太郎さんは温くんに対する俺への引け目がすごくあって、色々と気を遣ってくれている。もうごめんはいらないとそっぽを向いたら、宥めるように頭を撫でられた。そんなので誤魔化されたりするもんか、って思うのに結局気持ちがよくて許してしまった。
「温くんはこの間、ちゃんと振られたって言ってた。だから大丈夫じゃない?そこをちゃんと乗り越えてもらわないと、俺困るし。…それにしてもホント、兄さんは余裕だよね」
 俺の温くんへの気持ちは特に変わりないけど、温くんときたら感情の変化が忙しい。それがたった一人のせいなんだから、恋って厄介。この旅行で、俺たちの関係に何か進展があればいいけど、過度な期待は辛くなるだけだ。
「オレの場合は、幼馴染のあいつらが一緒にいるところを最初から見ているしな。どうってことない。オレと仁みたいなものだろう」
「仁は兄さんに手を出す甲斐性なんて、なかったみたいだけどね」
 あるいは本当に、そんな慕情は抱いていなかったのか。それは本人以外知りようのないことで、兄いわく「手を出そうとしたけど拒否された」というらしいから、やっぱり仁はつわものだ。
「先ほどから、やけに優様に絡まれているような気がするのは錯覚ではないですよね?」
「ごめんごめん。仁のことからかうの楽しくて、ついね。美咲かなえも呼んだら?喜ぶんじゃないの」
「っ…」
 俺がその名を出すと、仁は僅かに息をつめる。可愛い反応。多分だけど、仁の好きな人は美咲かなえのような気がする。勝手な、俺の予想でしかないけど。彼女といる時の仁は、少し違う表情を見せてくれるから。
 黙りこんでしまった仁を柔らかく見つめ、兄が俺をたしなめる。
「こら、優。その辺にしておけ。まあそうだな、女性がいると何かと助かることもあるかもしれない。仁、お前から美咲に話をしてみるんだな」
「………わかりました。一応、話してはみようと思います。どうなるかはわかりませんから、期待しないで待っていて下さい」
「うわ、全然乗り気じゃない。仁てば」
 あまりにも露骨なその態度に、俺は笑うしかない。
「いや逆にわかりやすいだろ、可愛いところもあるよな。仁は」
「し、失礼します」
 真っ赤な頬、泣きそうな顔で仁は部屋を出て行った。
 この人は確信犯でそういうことを言ってるのかな、と俺は兄を見上げる。自分の言葉がどれくらいの威力を持っているのか、自覚しているとしたら凶悪だ。
「兄さんにとって、俺と仁はどっちの方がかわいいの?別にヤキモチじゃなくて、好奇心からの質問だけど」
「兄貴がブラコンだと気持ち悪いか?今更なせいで、表現方法も上手くないときてる」
「もう慣れた。見てると面白いから大丈夫」
 兄弟であるとはいえ、俺たちの関係は始まったばかりだから、試行錯誤があって当然だ。始まりはとてもギスギスしていて、コンプレックスの対象でもあり、俺はこの兄が嫌いだった。今はそんないびつな関係を滑らかにしようとお互いに歩み寄っていて、そのうちに、気持ちよく適切な距離を築ける時がくるだろう。
「丈太郎さん、来てくれるかな?正純は、何が何でも誘ってみるけど」
 皆で出かけるなんて初めてだ。考えるだけで楽しみで、ドキドキしてくる。
 温くんは一緒に来てくれるだろうか?…正直に白状すれば、俺の気がかりなんてそれだけなんだけど。
「丈太郎なら、お前が会いたいと言えば来てくれるさ」
「そっか…。楽しみだな」
 丈太郎さんは俺に甘い…と言いたいところだけど、基本的に他人には甘い人だ。恋人の兄を筆頭に、年上だろうが年下だろうが幼馴染だろうが、あの人は接し方が甘すぎる。優しいというのとは違う、時折胸焼けしてしまいそうなほどの毒を孕む甘さ。中毒者多数。
「ただ、デカイおまけがついてきても文句は言うなよ。丈太郎はあれでいて、あまり自由が利かない立場なんだ」
「うん。大勢の方が楽しくていいんじゃない」
 俺は「そちら側の事情」なんて知らないし。気楽に笑うと、兄はホッとしたように頷いた。
 

   ***


 そんな計画を立てた夜、俺は温くんの部屋を訪ねた。眼鏡を外した温くんは俺だとわかると本当に一瞬だけ躊躇うような表情をし、それでもドアを開けてくれた。
 ベッドサイドのランプだけが、薄明るく俺たちを照らす。
「優様、どうかしたんですか」
「さっき兄さんが来て、皆で、泊まりでバーベキューでもどうかって。俺は温くんが一緒に来てほしいけど、どうかな?」
「構いませんよ。俺だって荷物持ちくらいは、役に立てるでしょうし」
 見るからに適当な笑顔は、次の俺の一言であっさりと崩れてしまう。そんな温くんの変化を、俺は観察するように眺めていた。
「丈太郎さんも来る予定。仁と美咲かなえと…うーん、この二人はどうかわかんないけど。あと、正純」
「そうですか」
 流されてしまいそうになったので、俺は確認するように問いかける。
「丈太郎さんも来るけど大丈夫?」
「話したでしょう。俺は、振られました」
「兄さんとイチャイチャしてても、泣かないでよね」
「優様が、慰めてはくださらない?」
「…寂しいの?」
 温くんは答えず、すみませんと視線を伏せる。かわされた、そう思った。自分の部屋なのに俺がいることで、どこか所在無さげなその腕は、自分を戒めるようにもう片方の腕を抱いている。
「どう、接したらいいのかよくわからないんです。優様。俺は、ずっと、あなたのことをないがしろにしてきたから…。大切にしたいと思った時、それがどういう行動なのかわからなくて、…今も……こんな、風に」
 涙は出ていないのに、温くんは泣いているみたいだった。振られたと報告しに来た時は、彼なりに精一杯の無表情。そう、と俺は返事をして、多分それから部屋で泣いてた。思い出を邪魔するような無粋なことを、俺はしなかった。
「もう本当、温くんは馬鹿なんだから」
「自分でもそう思います」
 ぽつりと呟く声音は子供みたいで、自嘲というよりはただの感想。
「服を脱いでよ、温くん。これは命令ね」
「………優様」
「早くして」
 温くんの葛藤。そんなのに自分を合わせていたら、おじいちゃんになっちゃうね。俺は「下着もだよ。全部脱いで」と付け足して、困り顔の温くんに距離を詰める。
「久しぶりに、丈太郎さんを抱いてどうだった?気持ちよかった?何回出したの?思い出して、自分で擦ったりしてるんでしょ」
「…すみません」
 謝罪はつまり、肯定?俺は別に、責めているわけじゃないのに。
「ね、温くん。俺は質問してるの。謝ってほしいなんて一言も言ってない。…丈太郎さんの名前を出しただけで、興奮して硬くするんだ?でも残念だけど、あの人は俺の兄さんのなの。わかってると思うけど」
 それぞれにちゃんと何が一番大切なのかを、どういう風になっていくのがいいのかを、考えてくれないと困る。現実逃避されてしまったら、割を食う人間がいるんだから。
 それでも温くんが逃げるなら、その手を掴んで追いかける。俺に気づいて、嫌だと振り払われるまで。
「わかってます。俺だって、ようやくそれを受け入れられるようになったんです」
 静かに、自分に言い聞かせるように。そんな温くんのペニスに触れると、久しぶりでドキドキする。舐めたいと思ったけれど、我慢した。温くんが今何を考えているのかは、俺にはわからない。触れられたいと願っているのか、違うのか。…わからない。
 だけど、わからないからこそ知りたいと思う。俺はもっと、温くんを知りたい。
「俺に、触られるの、嫌?」
「そんなわけ、ないですよ…。俺があなたを拒否するなんて、ありえない」
「それって俺が、天根優だから?」
 この口調だと責めているように感じてしまうのかな。俺は、まどろっこしいのは好きじゃない。自分の立場だって、少しは意識するようになった。何からも逃げたくない。特にこの恋からは、絶対に。
「さっき言ったでしょう。あなたのことが大切なんです。でも、俺は大切がどういうことなのか、どうしたらいいのか自分ではわからない」
「丈太郎さんのこと、大切だった?」
「好きでたまらなかった。大切になんて、思いつきもしなかった…。想うだけで苦しくて、でももうそんな形は終わりにしたんです。もっと穏やかで、幸せな感じの…俺は、そういう風に変わりたくて」
 だったら、俺がそんな幸せをあげる。そんな風に考えながら、俺は別の言葉を口にした。
「怖いの?自分では、大切にできないんじゃないかって不安に思ってる」
「そうなのかもしれない。だから、傷つけてしまいそうで…あなたに触れることが怖い」
「…温くんて、女々しいとこあるよね。平気だよ、俺は。そんなに弱くない。昔よりは成長した。何より、温くんが好きだ」
 俺は跪き、温くんのペニスを口に含む。あの<奇跡の日>以来、久しぶりの行為だ。
「っ…は……優様…!」
 掠れた喘ぎ声が、俺の名を呼ぶ。それだけで嬉しい。
「イっていいよ。飲んであげる。温くん、気持ちよくなって」
 迷子になって途方にくれたようなその姿に、どうにかしてあげたいなんて思う奇特な人間は俺だけじゃないと困る。温くんの特別になりたい。別に丈太郎さんと同じ場所じゃなくていい、違う関係で、新しく大切なものを築きあげていけたら。
 震える指が、俺の髪を掴む。本当は抱きしめてあげたいけど、まだその距離は遠いような気がした。


  2011.08.13


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