好きで好きで、



 神様なんて存在しない、とずっと思っていた。それは周防の大切な存在が、いつも無情に奪われていくからで…諦めに似た悟りのようなものだった。物事に他人に期待をしない、ということは自分にできる数少ない防衛手段で、周防はそうやって、生きてきたのだった。
   矢代と出会い、その強い意志に惹かれるように好きになっていた。それまで何不自由なかったものが、何故かもどかしく、歯痒く感じる。その感覚は憶えのないもので周防を苛立たせたけれど、不愉快な気持ちにはならなかった。
 彼は、あまり出来た人間という風ではなかったので、自分の趣味の悪さに頭を抱えたくなるような出来事も、何度も起こった。過ぎてみればその全てはなんだか平和で、幸せだったのかもしれない。
 もう、傍にいられれば何でもよかった。一人になってしまったら、やっぱり生きてなんていけなかった。必死で留まるべき理由を並べても、同じ場所へ向かう誘惑には抗えなかった。

 あの、奇跡の日。
「呼ばれたな」
「ああ…。丈太郎くんに願われるなら、おれはいくよ」
 少し眩しそうに、嬉しそうに矢代は告げた。そんな風に言ってもらえる愛情が羨ましくて、昔は散々嫉妬したものだ。
「ほら、一緒に。お前のことを、待っている人がいる」
 差しだされた手。その手を取るにはあまりにも重い自分の気持ちに、周防は胸が苦しくなる。もう、離す勇気など持ちあわせてはいないのに。
「おれのことが好きなんだろう?だったら、この手を取れよ。広大に、迷う権利なんてない」
「…お前はいつもそうやって、オレにばかり、オレには…強く言って」
 人の気持ちなんてお構いなしで、他の男のことを考えながら気まぐれに弄んで。
「オレが好きで、でもそういう気持ちを…わ、わかってない…。全然…。大体、何でこんな気持ち悪い言い方せないかんのか……。オレはずっと、迷ってばっかりや!お前を好きやけん、そりゃあムカツクこともあるし嫉妬もする。でも、どうしようもないやんか」
 いい年をした大人が泣くなんて、みっともなさすぎる。それでも、自分の意志と反して涙は隠すよりも先に気づかれてしまった。
「広大は、諦め癖があるよね。その告白、おれがお前を選ぶ未来がまるで無いみたいだ」
「あるわけない」
 鼻をすすりながら、周防は視線を落とした。
「…いいから来いよ。おれの為に」
 涙を拭う手は、捕らえられてしまう。悪いけど離さないから、と強引な力に引きずられていく。人の気持ちに応える気がないくせして、自分のものだと所有者みたいな扱いを受けることは、周防にとって悔しいことに不愉快ではなかった。

 神様がいるかどうかなんて、未だによくわからない話だ。ましてやあの丈太郎が神様だ、なんて思えるはずもなく…。新しい今、が周防には不思議に感じる。
「そういや、聞きたいことがあったんやけど。丈太郎、何でオレたちを呼び戻したん?」
 成長期の丈太郎は、いつの間にか随分と大人っぽくなっていた。背も伸びたようだし、いずれ抜かれるのは時間の問題かもしれない。ちなみにこの男に、周防はさりげなく避けられており…この問いかけも、初めに浮かんでからかなりの時間が経ってから、口にできたのだ。
 以前のように、丈太郎は和ノ宮邸で暮らしているわけではない。けれど、正純や矢代に会いに、頻繁にここへ訪れる。自分との関係はといえば、仕方ないといえば仕方がないが挨拶を交わす程度。
「…何でって。皆にまた会えたのは嬉しいけど、俺が、生き返らせたわけじゃない。そんなこと、できるはずないし。誤解だよ」
 心底困ったような表情で、丈太郎はそんな風に言う。
「けどゆとりは、お前が奇跡を起こしたって言っとる。他の人間と同列に扱う訳にいかんけん、正純と組むのも解消させて、シンちゃんのとこへやったってな」
 什宝会の副会長・和ノ宮ゆとりは真眼の持ち主だ。その目で全てを見通す、嘘のない瞳。周防はその真実を一度たりとも疑ったことなどないし、それが信頼かただのくされ縁なのかは判断がつきにくいけれど、これからもそのスタンスは変わらないだろう。
「他人のヴィジョンがどういう風に見えるか、俺にはよくわからない。それが本当のことか、どうかも…。周防さんは、俺がどんな気持ちだったなら嬉しいんだ?」
 まさか、問いかけが返ってくるとは。面白い男だ。
「そんなこと、考えたこともなかった」
「じゃあ考えてくれ。それで、その、嬉しいって思った時の気持ちにしてくれていいから」
「その言い方は釈然とせんなァ。気に入らん」
 なんだか、扱いが適当な気がする。たとえ無意識でも、癇に障る。
「だって、それがいい」
 久しぶりに、丈太郎の笑顔を見た。そういう類の感情を、この年下の青年が自分に向けるのは本当に珍しいことだ。はっきりと断言すれば、周防は嬉しかったのだ。
 丈太郎のこういうところに、彼らは惹かれているんだろうなと周防は認識する。今の自分のように。
「丈太郎、怖い男やなぁ…。天然の魔性っていうん?オレ今、垣間見た」
「周防さんのそういう冗談。俺、あんまり好きじゃない…」
 そういえば出会ったばかりの頃、什宝会に勧誘していた時も。丈太郎はこんな風に、うんざりとした態度で接するばかりだった。時は、確かに流れている。
 調子に乗ったことは悪かったが、周防も、丈太郎を怒らせることは本意ではない。
「…あんな、丈太郎。ありがとう」
 無性に目の前の身体を抱きしめてやりたいと思ったけれど、そんなことをすると堪え性のない矢代みたいで、我慢する。素直に礼を述べた周防に、一瞬驚いたように瞬きした目は柔らかく細められた。
「俺、矢代さんに会いに行くつもりだったけど、予定変更するよ。それじゃ、また」
 丈太郎なりに気を利かせたつもり、らしい。手を上げて去っていく背中に何も言い返すことができずに、周防は立ちつくした。これは元々約束をしていたのだろうか、矢代に教えてやるべきなのか?否…。
「矢代さんによろしく」
 振り返って、丈太郎はそうご丁寧に念を押していった。この逡巡さえ筒抜けなようで、一人で赤くなってしまう。接すればするほどに、丈太郎は神様などではなく人間らしい男だった。
 どういう言い訳をして、このドアを開けばいいのか…。理由なんてもっともらしい建前があると、逆に恥ずかしい。そもそもこの愛情が今更なものであるから、グダグダ悩んでいる時間さえ意味のないことだと、矢代は思っているに違いない。
 そう。そんな(自分に対しては)底意地の悪い男を、周防は好きで好きでたまらない。


  2009.05.23


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