piece



 どこかで会ったことが、あるような気がする。

 口説き文句ではなく、彼を見た時温は本当にそう思ったのだ。なんだか懐かしくて、胸がじんわりとするような…そんな感情が、自分の中に生まれた。
「あ…の、君は」
 言葉がつっかえてしまうのは、ドキドキしているから。まるで恋のような動揺が走り、わからない程度に頬が染まる。我ながら気持ち悪い。
「兄さんの恋人だよ。御堂丈太郎っていうんだ」
 隣りにいる優が、心なしか素っ気なくそう教えてくれる。何度もその名前を反芻しながら、知らず温は笑みを零していた。どうにかして、丈太郎に近づきたいという衝動…。
 そもそも、会わせたい人がいると言ってお互いを引き合わせたのは、優なのだった。
「俺は、伏見温だ。よろしく」
「よろしく、温」
 丈太郎はごく自然に、そう名前を呼ぶ。何の違和感もない全てに眩暈がして、幸福で笑い出したくなる。
 すぐに自覚した。恋に落ちてしまったのだ、この男に。たった一瞬で。
「丈太郎は、恋人と別れる予定はない?」
「どうしていきなり、そんなこと聞くんだよ」
 可笑しそうに吹き出すその仕草にいちいち見惚れて、世界が二人きりになったような錯覚を抱く。それくらい、丈太郎のことで温の頭はすぐにいっぱいになった。
「温くん!丈太郎さんは、兄さんとつきあってるんだからね」
 さすがに露骨すぎたのか、焦ったような牽制が入る。けれど、温には些細な障害。
「丈太郎さんだなんて、随分と親しげじゃないですか。優様?」
 少しでもこの場から丈太郎に関する情報を引き出したくて、そんな質問をする。
「そりゃあ…俺、丈太郎さんにはすごくお世話になってるから」
 ものすごく複雑な表情をした優は、話の流れが不本意らしくそれきり口をつぐんでしまった。…一体、どういう意味なのだろう?
「ハハ」
 丈太郎自身は、何も説明してくれる気はないらしい。
 つれない態度を取られると、ますます興味が湧いて…その全てを開示してほしくなる。
「俺も友達になれる?」
「俺は多分、温にとっていい友達にはなれないと思うけど。それでも、よかったら」
 随分と含みのある言葉は温には、どこか誘惑に満ちているような気がしたのだった。


   ***


 適当な理由をつけて呼び出して、温は丈太郎と二人きりになることに成功した。
 簡単な嘘に引っかかるあたり、お人好しなのかもしれない。性格なんてどんなでもきっと、構わないだろうと温は思うのだけれど。
「で、用事って何だっけ?」
 曖昧な呼び出しに応じてくれたのは、嬉しかった。なんだか、許されているみたいで。
 待ち合わせ場所は洋菓子店で、なんだかロマンチックだと自分の考えが少し、恥ずかしい気もする。
「まずは、丈太郎を質問攻めにしたい」
「どうぞどうぞ」
 余裕の笑顔を浮かべながら、丈太郎は紅茶をすする。そんな上品な飲み物を選ぶなんて、意外だった。温は珈琲。勿論、ブラックだ。
「俺たち、本当は会ったことがある?」
「そうかもな。世界は狭いから、どこかですれ違ったりしてるかも。気づいてないだけでね」
「前世は恋人同士だった?」
「案外、恋よりももっと近い関係だったりして。なんてな〜」
 答えようもない質問ばかり、まるで口説いているような言葉ばかり零れてくる。
 しかも何の動揺もなくさらりとかわしているこの男に、温はますます焦がれてしまう。
「俺はずっと、多分、君のことを探していたんだと思う」
「そう。見つかってよかった」
 そんな返事が返ってくるなんて、予想外。
 馬鹿にされるでもなく照れるでもなくごく普通に、丈太郎はそう微笑んだのだ。
「気持ち悪くないのか…?一度会っただけの男に、そんな風に言われて」
 自分の方が面食らってしまって、温は丈太郎の表情を伺う。不思議と恐怖心が湧かないのは、何故か…
「ハイハイ。気持ち悪い気持ち悪い」
 そうやって適当に流すのも、なんだかお互いにすごく馴染んだ空気で。
「そんな風に受け入れられたら、俺は、調子に乗ってしまう…」
「ばーか」
 柔らかい声さえ、甘い。その態度の全ては何故か、肯定に感じられる。
「どうして、丈太郎は王崎と?」
「そりゃ、好きだからに決まってるだろ。恥ずかしいこと答えさせるなよ」
 王崎の名前を出すと、その頬がほんの少し赤くなった。
「もう少し、早く出会っていればよかったのか…。残念だ」
「あ、いや、それは…!そんなことはないと思う。今出会ったんだから、それが、一番いいタイミングだったんじゃないか。うん。多分準備ができたから、こうやって引き合わされたっていうか…。楽園思考みたいだけど」
 照れたのだろう、ほんの少しどころか真っ赤になってしまった丈太郎は、視線を泳がせつつ、きつく手元のおしぼりを握りしめている。
 その正直でわかりやすい反応は、温の気を惹くだけだったが。
「動揺してるのか?はは、まあ…俺も日頃から、楽園思考には浸かってるけどな」
 それがいいのか悪いかなんて、あまり関係ない気がする。そういう場所に自分がいる、と認識するだけ。
 これからもきっとこの場所で自分は、生きていくだろうとわかっている。
「楽園は、温にとって居心地のいい場所なのか?」
「よくもあり、悪くもあるな。あそこは俺の、家そのものだから」
 その答えを聞いて、丈太郎はどこかホッとしたような表情になった。慈しむような視線の理由がわからなくて、温は戸惑う。
 一挙一動に意味を探して、勝手にドキドキして、これが恋じゃなくて何になるんだろう?
 丈太郎と出会う前、出会ってからではもう全てが違っていた。自分の中にある隙間が温かいもので満たされたような、核を思い出せたような。
 一緒にいられるだけで嬉しくて、穏やかな気持ちになれる。自分にこんな感情があったなんて、温は知らなかった。丈太郎は、それを引き出してくれた。
「また俺と、こんな風に会ってくれるか?丈太郎」
「そうだな。友達だから」
「…よかった。こうやって一緒にいたいんだ、少しでも」
 どうしてこんなに、言葉は暴走して切羽詰まってしまうのか。
「執着と恋愛感情って違うと思う?温はさ」
「そんなのどうだっていい。何だって…。丈太郎と、一緒にいられるなら」
 そんな相違なんて追求したところで、何の得にもなりはしない。
「俺たちは多分前世で、」
 勇気のなかった温はその先の言葉を拒み、聞かなかったことにした。
 伺うように丈太郎が、自分の表情を確かめている。
「お前が言うなら、きっとそうなんだろう」
 嬉しくて幸せなのに、どこかで気持ちがヒリヒリする。こんな相手は、ただ一人だけ。


  2008.12.31


タイトル一覧 / web拍手