短夜



「お前のことを抱かせてくれないか、丈太郎」

 それは何でもない世間話の最中に告げられた、記憶をなくした幼なじみの願望。
 再会してから(温にとっては、その表現はまた語弊があるのかもしれない)というもの、丈太郎の中の温は以前と変わらないブレのなさで…身体を最初に求められる前の、時折何かを押し殺したような表情は、憶えのあるものだった。
 自分たちは再び、同じ道を辿ろうとしているのか?―――否。できない、そんな残酷な仕打ちは。
「温」
 咎められるべきは、どちらなのか。丈太郎自身にも、よくわかっていなかった。
 丈太郎という温の記憶が消えたということは、その存在は少なくとも、彼の幸せにイコールで繋がるものではないと、勝手な判断を下していたのだ。
 奇跡の時。温に願ったのは、自分への執着をなくすことではない。けれど、現実としてこの男は丈太郎を手放した。もしかしたらもう、その囚われた感情にどうしようもなくなった末の処置なのかもしれない。
「そんなに困った顔をするなよ。傷つくどころか、俺は興奮してしまうみたいでね」
「温…」
 もっと強く否定して、呆れて、はねのけないといけないのに。懐かしいような科白に哀切さえ感じてしまい、丈太郎の胸が苦しくなる。勝手な感傷。こんなエゴで、何度も傷つけておきながら。
「俺はあまり、丈太郎のことを知らないだろう?それが自分で、違和感を感じる。知っているはずだったのに、忘れてしまったようなストレス…。お前がどんな表情で声で喘ぐのか、俺は、確かに、知っていたような気がするんだよ」
「………」
「おかしいことを言っているって、思っているだろうな。だが、これは確信だ。お前を抱けば、思い出せそうな気がする。だから、やらせてくれよ。友達からのお願いだ」
 とりあえず、雰囲気に流されないよう精一杯茶化す方向でいくことにした。丈太郎は平静を装って、唇を歪めて笑う。何にせよ傷つけるのなら、これがせめてもの優しさだ。
「もっといい口説き文句はないのか、エロ眼鏡」
「いいから突っ込ませろ」
 真面目に語っていた温はもう面倒になってきたようで、直球を投げてくる。
「一体どこに、友達の妄言を鵜呑みにしてケツを差しだす馬鹿がいると思うんだ。勘弁してくれよ」
「好きなんだ。抱きたい。もう我慢できない。毎日お前の夢を見て、夢か現実かわからなくて、夢に決まっているのに…何もかもが経験したみたいにリアルで、なあ、俺…どうしようもないんだよ。丈太郎は王崎とつきあってるんだろう?男とヤることに、抵抗なんてないはずだ。頼む。ヤらせてくれ」
 恋人の名前を出されてしまい、丈太郎は深い溜め息をつく。充と他の何かを天秤にかけた時、少しもその愛しさは揺らぐことはないと誓える。
「抵抗ありまくりだよ、浮気とか…」
「じゃあ浮気じゃなくて、俺が無理やりお前を犯すっていうことでいいから」
「全然よくないだろ?!」
 思わず大声を上げた丈太郎に、店内の視線が集まってしまった。伝票を持ち気まずく立ち上がると、赤い顔を隠すように俯く。温の耳に、信じられない承諾が届けられた。

「大体っ、俺は…温に反抗するの、苦手、なんだよ……」

(小さい頃から、色んなことを犠牲にして、ずっと俺の世話を焼いてくれた温。温がいてくれたから俺は、生きてこられた。今だって、こうしていられる。求められるものに俺が返せるものなんて、正直、身体くらいしかなくて。だから幼なじみの誘いを、上手くかわすことができない…。今、も)

 ホテルの部屋。店を出てから途端、無言を貫く丈太郎は緊張のせいか硬くなっているようだった。その目が涙を堪えているように感じられ、温の気分が高揚する。
「怖じ気づいたのか?ノコノコついてきておきながら。今更、純情ぶるなよ」
「温…。いや俺は、怖いわけじゃ……」
 眼鏡を外す。柔らかいキスを唇に落とすと、受け入れてくれるかのように丈太郎の瞼が閉じた。温はそれだけで感激し、胸がいっぱいになった。
 初めてとは思えないほど、それは馴染んだ匂いをしているような気がする。口腔内を舌で蹂躙して、仄かに染まっていく頬に、急速に追いつめられていく想い人に欲情した。
「…ん、ぅ……はぁ…あ……温ぃ……」
 感度の良い身体だ。恋人と上手くいっているのだ、と思うと胸クソ悪くなる。温はわざと行儀悪く吸いついて、音を立ててやった。ようやく解放した唇からは、名残惜しくいやらしい糸が垂れる。
「シャワー、」
 性急な攻めから逃れようとするから、捕まえて、耳を舐めあげた。
「必要ないだろ、そんなもの。お前の匂いも、汗も、全部俺に教えてくれよ…。可愛い丈太郎。好きだよ、愛してる。お前しか見えない。いらない…」
「耳は…っ!あ、つ…ゃぁ……!」
「感じやすいんだな、この身体は。そそるよ。丈太郎、気持ち良くしてあげるから…」
 ベッドの上に組み敷くと、潤んだ目が温を見上げている。それは愛欲とも嫌悪とも違う、表現しがたい色を帯びていて…温は胸が締めつけられるような思いを抱いた。なんだか無性に、懐かしいような気がしたからだった。
 服を脱がす。露わになった肢体の胸飾りに触れると、そこはもうピンと尖っていた。摘んだり揉み押したりその感触を楽しみながら、甘やかな吐息を零す丈太郎を観察する。
「…ヒッ…ん、んっ…ジロジロ…見る、な……。恥ずかしい。電気も消し」
「見られて気持ちいいんだろ?嘘はよくない。俺に見られて興奮してるよな、わかってる」
(お前は、変わらないんだな。温。ずっと…記憶があろうがなかろうが、そんなこと関係なしに。こんな俺を想って)
 絶対的愛情を向けられて、丈太郎はなんだか泣きたいような気持ちになる。
 少年時代とは違うのに。あれから会わず数年の月日が経ち、面影も何も変わらないまま。
「何を考えてる?そんな、切なそうな表情で…。俺のことだけ考えてくれよ、今だけは」
(お前がなくしたものを、俺は、そっくり返してやることなんてできない)
「丈太郎…」
(できないんだ、温…!)
 ここで泣くのは卑怯だと、自分でも思った。そんな表情を見られたくなくて、丈太郎は温の背中に手を伸ばす。
「温、温…俺は……」
「この腕の中に、ずっと、閉じこめていられたらいいのにな。そうしたら、俺は他に何も望まないのに」
 優しく肌を撫でる指。温の仕草一つ一つに、応えてくれるしなやかな曲線。何かを辿るように、思い出すように、温は丁寧にその身体を溶かしていく。
「…ぁっ…は……」
「もっと声が出るだろう、丈太郎。俺は知ってる…だから、我慢なんてするなよ」
「知って…る……?何を言って、」
「俺は確かに、この温もりを知ってる…。そうだろう?丈太郎。でなきゃ、こんなに安心できるはずがない。こうして重なるお互いを当たり前みたいに、思えるわけが」
「ゥ、アアッ!」
 腹の上、折るように開かされた脚。温の指が、狭い孔の入り口を探るように侵食してくる。忘れていることが嘘みたいに的確な攻め方は、離れている時を感じさせない。丈太郎の感じる場所を、何故か温はわかっているようだった。
「やめっ…そんな風に、触る…な…!」
 繰り返し教え込まれた、快楽を呼び起こされる。強烈な既視感に、眩暈がする…。
「お前も思い出せよ!丈太郎。俺たちはこうやって、繋がって、た…。っく…この、熱の中で、こうやって!」
「…あっ、入っ……ぁあ…!温の…っ」
 思い出に犯されているような錯覚に陥って、その境界が曖昧な意識に丈太郎は酔い始めた。
 それほどまでに鮮烈な衝動が、チカチカと瞼の裏を焼く。自分の能力を制御できない。脳内で垂れ流される欲にまみれた劇場に、涙が零れた。
 腰を沈めた温の動きが不意に止まり、何か信じられないようなものを見る目と…視線がかちあう。潤んだ世界の中で、本当に優しくその涙が拭われて、口づけが落ちた。
「見えた……」
「え?」
「今の過去は、俺の、ものでもある。そう…だ……」
(まさか温は…俺を通して、今思い出したものを同じように見たと、いうのか?)
 自分の力の強さがどれほどのものなのか、丈太郎は正確に把握しているわけではない。少なくともこんな状況に陥ったのは初めてで、どう対処していいのかわからなかった。
「ここ、だ…。お前の、気持ちのいいところ…」
「…ひぁっ…ゃ…そこは…!」
「俺は、何度忘れても、何度でも、思い出す。思い出すよ、丈太郎。全部をだ」
 逃げられないように丈太郎の身体を強く抱きながら、温は腰を打ちつけた。熱にうかされた吐息とも喘ぎともつかない言葉が、大好きな唇から漏れてくるのが聴こえる。夢ではなく、確かな温もり。この愛しさを知っている。
「愛してる。俺がこの誓いを告げられるのは、丈太郎以外にいない」
「………」
「でも今は、お前の幸せを願ってるよ。それは、昔の俺には出来なかったことだ」
「温…」
 何を言っているんだろう。
(俺の、知っている温は)
 絶対にそんなこと、言わない。実際、丈太郎の幸せを願う綺麗事なんかより、自分の感情を押し通した男だ。
(なあ…本当に、わかってるのか?思い出したのか、温?あの白い部屋のこと、俺たちが過ごした時間、楽園を逃げ出して新しい生活を始めたこと。全部、思い出したっていうのか?)
「多分、忘れたのは自分の意志だ。俺は弱くて…手に入らないならいっそ、そう思った。だが、思い出さずにはいられなかったんだ。憶えていないことの方が苦しいなんて、お前の存在が自分の中に無いことが、どれだけ虚しいのかも知らずにいたから」
 囁かれる愛の言葉に、堪えるように目を閉じる。与えられる激しい揺さぶりが、丈太郎は心地良かった。
「全部睦言だと、思ってくれていい。お前が何を感じようと、俺の気持ちは変わることがないから。関係ない。ただ、言わせてほしい。聴いてほしいんだ…」
(…そういうところだけは、本当に変わらないんだな。温は)
「もっと奥で…もっと、お前と深く繋がりたい……。丈太郎」
「ンッ…」
 もう何度目かわからない愛の言葉が、丈太郎に繰り返される。昔から、聞き慣れた(もしくは慣れることのない、)温の愛情表現。
「今俺は、世界で一番お前の近くにいる。幸せだよ」
(そんなこと、で…。温……)
 本来なら、もっと穏やかで優しさに満ちたりた幸福を。本心からそう願うのに、そんな祈るような想いさえ自分には叶えることができない。自分との関係性を、過去を、大切な幼なじみを思って、丈太郎はきつく目を閉じた。


  2009.05.20


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