liar


   act.2



「昨日、夢に正純が出てきた」

 悪戯っぽい表情で優がそんなことを言うので、まああまりいい予感はしていなかった。
「どんな夢?」
「言ったら正純怒るよ!」
「何それ!一体、どんな内容だったんだよ」
「言う前から怒ってるし…」
 耳貸して。それから甘く囁かれた言葉に、正純は目が点になる。
「正純が、優しく俺を抱いてくれる夢」
 聞かなかったことにするとか、聞き流すとかそういうことができなかった。いや、するわけにはいかないだろうこの場合は。あいにく、自分の沸点も低い。
「はあ!?頭おかしいんじゃないの?…っつーか優、一体僕に何を求めてるわけ?聞きたくないけど。馬鹿」
 正直言って、殴りたくなった。これが利害関係の及ばない純粋な友情で結ばれていたなら、一発くらいは。大体、普通の感覚ならこういうことを友達には言わない。言えない。
「夢の中では優しかったのになー。ふふ」
 幸せそうに微笑むクラスメイトの頬を、両手で挟み込む。整った表情が若干崩れるのが、せめてもの気晴らしだ。…なんて些細な。
「思い出すな!!」
「俺、そういう目で正純のこと見てたのかなあ?ホラ、夢の中って深層心理が現れるっていうじゃん。おかしいなあ、俺、他にちゃんと好きな人いるんだけど…」
「聞いてない。聞いてないから!聞、き、た、く、な、い、か、ら!!」
 全力で嫌がることで、無駄な気力と体力を消費してしまった。
 このタブーの無さ。無邪気を通り越して凶悪だ。ああ、聞くんじゃなかった。聞きたくなかった…。
 正純は後悔し、げんなりした表情を優に向ける。
「感想聞きたい?」
「結構です」
「んもー、つれないな。気持ち良かったよ」
「だーかーらー、聞いてないって言ってるのにっ…」
 楽園について聞き出すどころか、いつも話はどんどん変な方向に逸れてしまう。それが自分の力量のせいなのか何なのか定かではないが、正純はがっくりと肩を落とした。
 気は許されているだろう。その事実をどう捉えるかは、また別の問題だ。


   ***


 どことなく気持ちがささくれていた正純は、放課後、安生探偵事務所に向かうことにした。
「いらっしゃい。正純」
「御堂〜!」
 玄関先で迎えてくれた丈太郎には、きっと自分の姿が見えていたのだろう。少し大きな身体に遠慮無く抱きつくと、よしよしと温かい手が背中を撫でてくれる。
「入って。腹減ってないか?一緒にケーキでも」
「ケーキはいらない。御堂がいればいい。…あ、ねえ。王崎さんいるかな?優のことで、聞きたいことがあるんだけど」
「充なら、今日はいないんだ。仕事で外に出てる。夜には帰ってくるけど」
「そっか」
「俺でよければ、わかることがあれば答えるけど…。優のことだろ?」
 正純は詳しくは知らないのだけれど、行方不明になった優を連れ戻したのは丈太郎で、それから王崎の関係もあり、縁ができたらしい。丈太郎と正純が繋がっていることを、優は知らないが。
「優って、何かメチャクチャなんだよ。今日だって…」
 さすがに言われたことをそのまま教えるわけにはいかなくて、正純は不自然に黙り込んだ。
「何かあった?」
「…アイツ、一体どういう教育受けてるんだろう。奔放っていうか、こっちが心配になる」
「……それに関しては、なんていうか…完全に、教育係の責任だ。代わりに謝るよ。ごめん」
 突然、下げられた頭に憮然とする。丈太郎の行動は、時折読めない。
「なんで御堂が謝るの」
「俺にも責任の一端があるから?色々と事情があってね…。隠してるわけじゃないけど、ゴチャゴチャした話だし、あまり言いたくもないんだ」
「御堂って秘密主義だよね」
 拗ねたように呟いてみせると、雰囲気で丈太郎がうろたえたのがわかった。
 丈太郎は、矢代や周防と違って質問すればはぐらかさず、一応答えようと努力はしてくれる。けれどこうやって、結局、核心までは至らないことが多いので、正純はそんな風に思っていた。
 そしてこの男が、自分に甘く弱いことを正純はよく知っている。
「聞きたい?下ネタなんだけど」
「教えてよ」
「優の教育係…というか、一番近い存在ね。そいつがエロ魔神だから、影響受けるのはしょうがないよ。多感な時期だし、余計に」
 ものすごく言いにくそうに投げやりな感じで、何故か顔を赤くしながら丈太郎が白状する。
 それが丈太郎の責任に何故繋がるのかがサッパリ理解できないのだけれど、ここまでがどうやら精一杯。これ以上、丈太郎は話したくなさそうだった。
「あー、そうなんだ。なんかもう、そのうち僕が押し倒されてもおかしくないくらい、アイツ頭がピンク一色で。純粋に不思議だよ」
「へえ。気に入られてるんだ、あの気むずかし屋に。さすがだな、正純」
「御堂だって、上手くやってるくせに。よく言うよぉ。楽園のことなんて全然聞けないし、僕の腕悪いのかな…」
「俺なんて全然駄目だよ。優には、二回も殺されそうになったし…今は平和な関係を保っているけど」
「何その過激な話」
 過去を思い出すように、丈太郎が遠い目をする。
 殺意を抱かせるような何かを、丈太郎がしたとは考えにくい。ただ、巡り合わせとしてそんな出来事があったのかもしれない。自分が昔、矢代のことで憎悪していた時のように。正純は、そう解釈した。
「優って、基本的に過激な奴だよ。まあ、扱いには気を付けて」
「…どうやって接していいのか、僕自身まだ決められてないんだと思う。僕には向いてないや、スパイ」
「その時の、正純の素直な気持ちに従って動いていれば大丈夫。難しいことは考えないで」
「うん。ありがとう…」
 丈太郎が相手だと、他の誰にも言えない素直な気持ちが零れて、正純は楽になれる。一緒にいると、自分でいられるような感覚。それがいつも、嬉しい。

 和ノ宮邸に帰る頃には、すっかり日が暮れていた。
「白鳥、機嫌良さそうだな。御堂のところに寄ってきたんだろ。…ゲ、当たりか。それもそれで嫌だ」
「御堂のことをよく知りもしないで、毎度そんな悪態がつける犬上に感心するよ」 
 あの、奇跡の日。不思議なことに世界から、御堂丈太郎という存在は消えてしまったようだった。けれど正純も、矢代も周防も…ちゃんと、丈太郎のことを憶えている。それはもしかしたら、愛染のせいなのかもしれない。
 足早に自室へと急ぐが、正純のつれない態度には犬上も慣れたものだ。
「今日も嫌味が冴えてるな…。ライバルのことなんか、知ってどうするんだよ」
「お前が何に興味を持とうが結構だけど、僕のことは放っておいて」
「好きなんだよ」
「僕は、犬上の気持ちに応える気はない」
「それでもオレは、何度でも言うぜ。お前が好きだ…その目が、誰を見ていても」
 真っ直ぐに射抜くような目から、正純は視線を逸らした。
 不器用なくせに自分に迷わず向かってくる犬上の姿勢が、正純には羨ましくもあり居心地悪くもある。多分、自分は臆病なのだ。
 それに恋の勇気なら今はもう、殆ど丈太郎へと使ってしまった。燃え尽き症候群…。
「はあ…。最近、仕事の方はどうなの。新尾と色々、廻ってるんだっけ?」
 正純がそう尋ねると、関心を示されて嬉しかったのだろう、わかりやすく犬上の表情がぱあっと輝く。
「平和平和っていうけどさ、やっぱ、全部がきれいきれいってわけにはいかねーからな。はみだした澱みが、そこかしこに散らばってる」
「そうだね」
「でも、なんつーかやりがいを感じてきた!最近。お互い頑張ろうぜ」
「………」
「オレ、一応白鳥より先輩だし。何か悩みがあるんなら…」
 優しい口調に言われた言葉に、正純は恥ずかしくなって首を横に振る。そんなに態度に出ていたなんて、無自覚だった。そのことが何より、自分の過失みたいでたまらなかった。


   ***


 朝が来て、また学校へ。自分のクラスに入った瞬間「正純おはよー」となんとも呑気な声が、後ろの方から聞こえた。優の席を囲んでいたクラスメイトたちが、正純の姿を目に留めて散らばっていく。
「おはよう、優」
「寝不足みたいだね、正純。情けない顔しちゃって」
 優は思ったことをそのまま言ってしまうようで、そんな風に指摘されカチンとくる。
「………うるさいなあ。本読んでたんだよ、昨日の夜は」
「へえ。面白かったの?今度俺にも貸してよ。どんなジャンルが好き?正純は」
「え…」
 本を読んだなんて、本当は適当な嘘だった。その小さな罪悪感に、正純はボンヤリしてしまう。そしてそんな自分に気がついて、余計に愕然としてしまった。
「あ、わかった。エロ本だエロ本。正純ってムッツリ」
「ちーがーう!!」
 ニヤニヤからかわれるのは、不本意だ。正純のそういういちいち真面目なところが、面白くてついイジってしまう。そう言われたこともあるけれど、性分はそう簡単に変えられない。
「最近、ちょっと様子がおかしい?俺に惚れた?」
「ない!ないから!!もう、どうしてすぐそういう方向にいっちゃうかな。友情を育む気、あるの」
 優は肩を竦める。それから深刻というよりは適当に、偉そうな調子でこう続けた。
「友情…って言われても、俺、友達なんていないしね。わかんない。ずっと楽園の中にいて、みんな俺と対等にはならない。だから正純が初めてだし、色々、大目に見てよ。俺の友達はじめて物語を」
「しょうがないなあ…」
 綺麗な顔が微笑むと、なんだかんだ許してしまう。大体友情を育む気があるのかなんて、自分が言える立場ではないのだ。今だって嘘をついている。
 もし、嘘がバレてしまったら。きっと優は激怒し、軽蔑し、自分から離れていくだろう。裏切りを罵って、こんな時はもう過ごせなくなって…
「正純。マジで顔色悪いね、保健室行った方がいいよ。ゆっくり休んでな」
「…うん。そうしようかな」
 重い足取りで背を向けて、優は保健室へと向かった。養護教諭にはあらかじめ、什宝会の人間が送り込まれている。他にも校内に何人かいるのだけれど。
「マスオ兄、入りまーす。白鳥です」
「目に隈ができてるな、白鳥君。勉強熱心なようで何よりだ」
 養護教諭の増尾は意味深にそう笑い、温かいお茶を煎れてくれた。この、勉強というのは隠語だ。
「サボりを推奨するわけじゃないけど、もっと遊んでいいよ。白鳥君は羽目を外したくらいが、丁度いいしな。言い訳なら一緒に、考えてやる」
「ちょっと、疲れてるのかな。最近」
「寝ていけ寝ていけ」
「そんなんでいいの、マスオ兄…」
 増尾はいつでも肩の力が抜けている男なので、正純は思わず笑ってしまった。
「矢代がそれはもう笑っちゃうくらい、お前の心配ばかりしてるよ。アイツの溺愛、相変わらずだな。引いた」
「………おやすみ」
 コメントするのは止めておいた。
 ベッドに横になると、ドッと疲れが押し寄せてくるような気がする。誰かが見守ってくれているという安心感からなのか、正純はすぐ眠りについた。
 昼休みに優から、携帯の着信が(それはもうしつこく)鳴るまでは。


  2009.01.04


 /  / タイトル一覧 / web拍手