liar


   act.1



 正純が天根優と同じ高校に入ったのは偶然でも何でもなく、それが什宝会のやり方だったから。同じクラスになったのもそう、優を通して楽園の情報を引き出そうとする上の手法。
 異を唱えるでもなくかといって賛成するわけでもなく、正純は自然に優の近くへ踏み込むことに成功した。
 男子校へ入学した優は、その甘い容姿と絶対的な背景で、既に学園中に存在が知れ渡っている。隣りにいるだけで熱っぽい視線が横へ流れていく様を、半ば感心して正純は眺めていた。
「正純は、俺のことを好きにならないんだね」
 ある日突然本人からそんなことを言われ、飲んでいたココアを吹き出しそうになり、正純はハンカチで口元を拭う。素朴な疑問を浮かべたクラスメイトは、まあ確かに可愛らしい。
「僕がどうして、優に惚れなきゃいけないんだ?」
「俺に近づく人間は、みんな、大体そういうことを言うんだよ。正純は変わってるね」
「………」
 屈託なく答えられてしまって、いや間違いなくお前の方が変人だと思うと力説したい気持ちを堪え、溜息をつく。この男の世間知らずさというか天然ぶりは予想以上で、会話さえままならないことが多々あった。
「なんだか、正純は特別って感じがする。俺にとって。信頼できるっていうか…」
「…ありがとう。でも、それは買いかぶりすぎだよ、優」
 無邪気な信頼を寄せられて、どこか罪悪感を感じる。
「いやー格好いいよ。俺、正純になら抱かれてもいい」
「馬鹿。そういうこと言うな」
 正純は眉間に皺を寄せた。潔癖というわけではないが、そんなセリフを言うにはまだお互いに若すぎるし、優の持つ雰囲気では冗談にならない。
「へへっ、ごめんねえ。俺、正純に叱られるの好きだよ。気持ちいい」
「ほんとに馬鹿」
「うん。俺、ヘンタイだしね」
「そこまで言ってない!もう…」
 優は今まで、一体どんな人間関係を築いていたのか。始終嬉しそうな態度に混じって、時折見せる寂しそうな顔。なんだか翻弄されている自分もいたりして、正純は複雑な気分だった。


   ***


 和ノ宮邸に帰ると、いつもと雰囲気が違っていた。その理由はすぐにわかって、正純自身も何となく浮かれたような気持ちになる。
 どうやら今日は、丈太郎が来ているらしかった。本人に何か問題があるわけではないのだけれど、幹部の明らかな特別扱いに加え、矢代の態度が露骨におかしくなることと、それの余波が周防を通じて各方面に。だからいつも、丈太郎がいる間はザワザワした、そわそわしているような…邸内はそんな空気になる。
「正純、おかえり。俺、帰ってくるの待ってたんだぜ」
「ただいま。来てたんだね、御堂。会えて嬉しいよ」
「正純は、素直で可愛いなあ…」
 目を細めて、丈太郎は正純の短い髪の毛をなでなでする。弟どころかペットのような扱いをされていることに、不本意ながら正純も慣れてきてしまった。
「ちょっと疲れてる?優のことか?お前、何でも一人で抱え込むからなあ」
「御堂に心配されるようじゃ、僕もまだまだだね。平気だよ」
「また、そんなこと言って。でも本当、あんまり仕事だからとか…気にするなよな」
 そういうわけにもいかない、と言いそうになる唇を噛み、正純は笑顔を作った。
「ありがとう」
「…高校生活は二度と戻ってこないんだから、謳歌するように」
 丈太郎は事情があって、途中で高校には通えなくなってしまった。しんみりとした忠告に、あえて明るく正純は返してやる。
「あ、ねえ。最近御堂の言うことって、ちょっと安生さん入ってるよね?」
「えっ!?それってクサイってこと?気をつけるわ…」
「あはは、そんな風に思ってるの。まあ、当たってるけど」
 丈太郎とこういう他愛もない会話をしている時、幸せだなあと正純は思ったりする。平和っていいなあとか、この人がやっぱり大事だなあとか、そういうことを。
「矢代さんには会ったの?あの人万年、御堂欠乏症だから」
「あーうん会ったよ。まあ、正純がパートナーだし俺も安心だよ。俺にとっては二人とも大事なことに変わりないから、困った時は何でも相談して?あ、別に困ってなくても何でも言ってくれれば、俺は、嬉しいし」
 頬をかきながら苦笑いするわかりやすい丈太郎に、正純もつられて笑う。
 昔から丈太郎に会いに行くと言っては、よく姿を消していた矢代。最近はもう開き直ってきて、その御堂病ときたら大分重症だ。そしてそれを許容できるようになった自分は、ほんの少しは大人になったのかもしれない。
「学校の話だけど。優ってすごく変わってて、世界が自分中心に廻っていると思ってるんだよ。どれくらい変なのかを説明するとね、僕が自分に惚れないことを不思議に思うくらい」
「充も王様だったからなあ…。これ冗談じゃないんだけど、取り巻きが多すぎて、本人がどこにいるのか見えないくらいでさ。いや、取り巻きがいるからどこにいるのかは何となくわかるんだけど、本人見えないの。それが毎日。すごいよなあ、兄弟揃って」
 なんだか簡単に想像できてしまう気がして、正純は丈太郎と顔を見合わせて笑った。
 王崎充と初めて会った時のインパクトは、今でも憶えている。こんな人間がいるんだ、と思った。強烈で、特別で、自分にはとても勝ち目なんて…
「その王崎さんは元気?まあ、あの人のしょんぼりした顔なんて、想像もつかないけど」
 自分の思考を遮るように慌てて首を振り、正純はそう問いかける。
「今頃信さんと、元気にやりあってるんじゃないかな。あの二人仲良いんだ、俺が間に入れないくらい」
 それは間に丈太郎がいるからやりあってしまうんじゃないのかな、という意見を胸にしまって、正純は大人げなく張り合う信之介と、常に本気で応戦する王崎を想像した。
「…御堂って、愛されてるよね」
「え、な、何言ってるんだよいきなり。不意打ちでからかうの禁止な」
「ええ〜。僕の些細な楽しみなのに、御堂をからかうの。反応が面白いし…」
「コラ」
 そうやって自分を見つめる表情がどこまでも柔らかいのは、きっとこれからも変わらない。
 隣りにいる相手が入れ替わってもこうやって、丈太郎は何かと正純のことを気にしてくれている。お互いの中の信頼は、一緒にいて心地良いものだ。
「話を元に戻してもいい?今はまだ平気だけど、これから優と仲良くなっていけば、僕は悩むのかな。この友情は打算的なもので、自分を偽っているって。あんな優に対して、僕は嘘ばかりで」
「そうだな、悩めばいい。その時はまた、相談に乗るよ。愚痴でも何でも、俺に言ってくれ」
「僕その言葉、ずっと憶えてるよ?」
 勿論と頼もしく答え、丈太郎は安生の事務所へと帰ってしまった。
 正純が部屋に戻ると、同じく学校帰りの犬上が顔を見せてくる。最近ちょっかいの回数が格段に増えてきていて、正直少し鬱陶しい。
「おかえり。御堂、来てたんだって?よかったな」
「別に…」
 素っ気なく応対して、正純は机の上に宿題を広げるのだった。やることが沢山あるとはいっても、勉強だって大切な学生の本分だ。情けない結果は出したくない。
「その、百八十度違う態度の差は何。お前もうちょっと、どうにかなんねえ?オレに対して」
「ならない。なりようがない」
「………かわいくねええええ!好きだから余計ムカツクっつうの?白鳥調子に乗ってるだろ」
「悪いけど勉強の邪魔だから帰ってくれませんかねえ」
 周防の次は自分だなんて、犬上の趣味は悪すぎるとこっそりそんなことを正純は思う。
 一瞬、弱いところを見せてしまっただけ。そんなことで、人の恋愛感情なんて簡単に左右される。
 煽りでも何でもなく、期待させたくないから一ミリの希望も抱かせないような態度をとり続けているのだけれど、いい加減犬上もしつこい男なのだった。
「ま、そういう真面目なところもオレは好きなんだけど…」
「ごめんそういう気持ち悪い情報いらないから、日記にでも書いておいてくれる」
「伝わらないと意味がないだろ」
 不意に真剣な声に変わって、正純はようやく振り返りドア近くの同僚の表情を見た。不釣り合いな優しい笑顔で微笑まれる度に、落ち着かないような気持ちになる。

 夕食時の矢代は口数が少なくて、どこか上の空のような気がした。この男は丈太郎と会った後は決まってこんな風な物憂げで、初恋中の乙女みたいになってしまうので、正直言ってすごく気持ち悪い。ご飯の量だって、いつもより少ない。
 それを気にも留めない周防は、一言で表現するならば慣れってすごいなという感じ。もう矢代の何がどういう風でも関係なくて、存在しているだけで周防には世界がバラ色なのだろう。
「はあ…」
 なんだかこんなに憂鬱なことばかり考えているのは、自分だけのような寂しい気分だ。
「悩み事かい、正純?おれに話してみて、大丈夫だから」
「矢代さんの大丈夫は、アテにならない。大丈夫詐欺だもん」
「手厳しいね」
 肩を竦める正純に、矢代は困ったような笑みを浮かべる。
「学校生活に、悩みはつきものだよ。多分」
「御堂も悩めばいいって言ってた。…名前出しただけで、赤くなるのやめてよ。いい大人が」
「正純、」
「ごちそうさまでした。わかってるよ、仕事だって。大丈夫だよ」
 自分にはやれる、割り切れる。純粋で微笑ましい好意を寄せられたところで、什宝会の名前に傷をつけたりはしない、きっと。
 正純は宣言して、席を立つ。丁度優から携帯にメールがきて、何してるの?今見てるテレビが結構笑えてなんて書いてあったので、知らず溜息が零れてしまった。


  2009.01.03


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