一番最初に、貴方に言いたい



 久しぶりに、弟に会った。元々兄弟仲は良い方でもないオレたちは、少しずつ、お互いに歩み寄ろうとしてこうやって時間を共に過ごす。 二人きりだったり、オレの恋人も一緒だったり色々だ。
 ドライブがしたいという優の期待に応え、信さんの車を借りた。どこをどうやったらあんな乱暴な運転が出来るのか疑問に思うほど、繊細にキャロライン・マークUはオレの言うことを聞いた。たとえるなら、隣りにいる弟よりも断然、素直に。
「学校、楽しいか?」
「うん。正純がいるからかな」
 白鳥正純。優の友達であり、丈太郎の大切な人であり…イコール、オレにとっても大切な少年だ。大好きな正純の話をする時、優は本当に嬉しそうに微笑む。それが作為的なものであったとしても、白鳥が優と出会えたことにオレは感謝する。その友情において、優はやっと自由になれたようだから。
 オレたち兄弟を縛るもの。楽園の創始者、天根矜持の血。…オレたち二人の絆を、繋いでいるもの。
「…ふふ。兄さん、運転下手だね。まるで壊れ物を扱うみたいで、似合わないからすごく面白い」
 優の言葉はいつも、単刀直入だ。オレと同じで、そういうところは兄弟かなと思ったりもする。二人とも、他人に対する気遣いが少し下手なのかもしれない。特別な立場だったという言い訳は、我ながら情けないと思うが。
「大事な弟を乗せてるからな。手が汗ばんで滑る」
「緊張してるの?兄さんでも、緊張なんてするんだね。ふふ、あははは」
 心底可笑しそうに、優は笑った。その態度に何となく憮然としてしまい、横目でじろりと弟を睨む。
「お前は一体、オレを何だと思っているんだ。…意識すると、余計に運転しづらいだろうが」
「急所の無い完璧な俺のお兄様」
「完璧なんてないってことを、兄として教えてやるよ」
「うん。知ってる…」
 天根矜持が死んで暫くして、二人でそのことを話した。永遠なんてないんだね、と呟いて優は唇を歪め…お互いに涙などなく、いかにあの人が遠い存在だったのかを再認識する。
 それがプラスだろうがマイナスだろうが、あの人がオレたちに残したものは大きすぎた。
「一番最初に、兄さんに言っておきたいことがあったから」
「何だ?その事後報告かつ、大事なことみたいな物言いは」
 やけに引っかかる台詞だ。今日は天気がいい。陽光を受けて、海面はキラキラと輝く。優は窓の外の海を眩しそうに見つめながら、続けた。

「俺、天根矜持の後を継ぐよ」

「え?」
「天根矜持の後を継ぐ」
 もう一度、今度はオレを見て優が告げた。
「継ぐって、それ…は、」
「もう決めたんだよ。誰にも相談はしていないし、この気持ちを話したのも今が初めてだけど」
「優」
 言葉に詰まる。何を言ったらいいのか、よくわからなかった。オレは元々、楽園の人間ではない。優の居場所は、家は楽園で…オレたちはそれぞれに事情が異なる。
 動揺する兄に、優は海へ行こうと誘う。自販機でコーヒーを買って、二人で堤防の上に並んだ。
「誰かに言われたからじゃなく、自分で考えた上でそうしたいと思った。時間はかかるかもしれないけど、俺はできることをしたい」
「それが、あいつの後を継ぐことだって?」
 出来るわけがない。そんな否定は、この確認に含まれているだろうか。
 優のこの穏やかさは一体どこから来ているのか、
「そうだよ。俺は、俺であることを受け入れる。この血や環境を含めた、すべてを」
「選ばないという選択肢だってある。それは別に、逃げてるってことじゃないんだ。優」
「俺は俺を選ぶよ」
 なんだかその物言いが、丈太郎に似ているって思った。
 行方不明だった優を見つけて救け出したのは丈太郎で、その件以来、優はオレの恋人をいたくお気に入りだ。兄弟だけに同じ顔だが中身はやっぱり別物なので、不毛な嫉妬なんてしないが、そんなにも影響を受けていたのだろうか。オレの、与り知らぬところで。
「だから、もう、兄さんのところに箕輪や誰かが説得に来ることはないと思う。楽園に来てくれって」
「優…」
 確かに何度も楽園の関係者はオレのところを訪れて、色々と勝手なことを言ってくる。確かにそれは鬱陶しい。ただ、その度に丁重に断りをいれるだけだから、別段迷惑ということでもない。オレは楽園と、無関係という立場ではないのだ。自分でもそれは、わかっている。
「どうして、そんな困った顔してるの。応援してくれるでしょう」
「応援?…いや、オレは。優は個人的に、楽園の外に出た方がいいと思っていたから」
「…そっか」
 素直な心情を告げると、優は神妙な顔をして頷く。
「反対っていうよりはその…選択肢が沢山ある方が、お前の為になるって思ったんだ」
「俺のことを考えてくれた?」
「勿論」
 邪気の無い瞳に問いかけられて、迷い無く答える。心底嬉しいような、ふんわりした甘い微笑を見た。
「ありがと」
 いつもこんな風だったら、オレたちはもっと上手くいく気がする。お互いのことを思いあって、信じることができるのならば。…いや、これからは今までよりはもっと---------------
 缶コーヒーの温かな甘さが、優しく喉にとけていく。せめて海と空が夕闇に照らされるまで、オレは弟の決意の支えになれたらと願う。


  2009.11.07


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