夢を生きている



 和ノ宮邸では、什宝会による宴会が行われていた。何人かは既に酔い潰れ、そろそろお開きにしようかといったところだ。
 丈太郎は一応充を誘ってみたものの、遠慮があるのか最初から予定が入っていたのか、「その日は楽園に行って、優と会うから。仁の顔を見るのも、久しぶりだしな」とさりげなくかわされてしまった。家族のいない丈太郎には、兄弟仲良くするのはすごくいいことだと思える上に、神津がどれだけ恋人を大切に想っているのかを知っている為、そう言われては強く反対もできないのだった。
 この個性的な面々の輪の中に入る、というのは、丈太郎にとってあまり得意ではない。酒など飲んでいないくせに、機嫌の良すぎる矢代に丈太郎は絡まれまくり、正純はといえば犬上の懇々とした愛の告白に無視を決め込んでいたのだが、辟易し、無理やりそれを振り切って丈太郎の隣りへと陣取った。
 矢代はトイレに席を立っている。ちらりと周りを確認して、正純は熱っぽく息を吐いた。
「正純…。大丈夫か?顔が赤いけど。はい、水」
「平気だよ。これは、お酒のせいじゃないもの。御堂と一緒にいると、ドキドキして顔が赤くなるんだよ。こういうの、恋って呼ぶでしょ。お酒は関係ない」
「見事に酔ってるな…」
(呑ませたのは、犬上さんあたりかな。…正純、目が据わってるし)
「酔ってなんかない。ねえ、御堂。僕のこと好き?本当はどう思ってるの?」
「…好きだよ。俺は、正純のことがすごくすごく大事。知ってるだろ」
 丈太郎に大切だと言われる度、正純は胸の奥があたたかくなるような…逆に痛みを伴うような、不思議な感覚を覚える。
「御堂に抱かれたい」
「………」
 返ってきたのは沈黙で、酔いが醒めていくのを感じながら正純は言葉を続けた。
「約束したよね?僕は御堂のことが好きで好きで、たまらない。この腕に抱かれたい。もう我慢できない」
「…わかった。行こう」
 そういう約束を取り付けたのは、丈太郎の方なのだ。

「二人共、どこ行くの?おれもついてっていいかな」

「「や、矢代さん!」」
 飛び上がるという表現が、正しいかもしれない。戻ってきた矢代に声をかけられて、丈太郎は心臓が縮む思いがした。
(出来ればというか、矢代さんには絶対に知られたくない。これから正純と、する、だなんて…)
「どうしたの、そんなに動揺して。うん、やっぱり一緒に行こう。丈太郎くんがいないなら、あんな宴席くだらないしね」
 そう。正純の知る限りでは、矢代は飲み会になど参加するタイプではない。…自分も、だが。丈太郎が来ると言うから、お互いにそんな理由で。
「い、いやそれは…その……」
 言葉を詰まらせる丈太郎の前に立ち、正純は真顔で告げる。
「悪いけど。矢代さん、今から御堂と僕は一緒に寝るんだから邪魔しないで」
 一瞬、三人の空気が止まった。
「ま、ま、正純!!何言っちゃってるんだよ…!?」
「だって!そうでも言わないと矢代さん、絶対ついてくるんだもん」
(甘いよ正純、矢代さんがそんなことで退くわけないだろ?…うわ、なんかすごい笑顔になったし……嫌な予感しかしねえよ!!)
 矢代の考えを、丈太郎が読めるわけではない。ただそのたちの悪さであれば、正純よりは遥かに詳しいと断言できる。おそらくは、周防と並ぶくらいにはよく知っている。…その身をもって。
「それはいいね。三人で川の字になって寝ようか?…というか、おれも丈太郎くんとしたいってだけなんだけど」
「嫌だよ。あの、矢代さん、その笑顔、怖い。何も聞かなかったことにして、飲み会に戻ってくれ…」
 身体を寄せてくる矢代に多少げんなりしながら、丈太郎は弱弱しく抗議をした。というかもう、懇願に近い。
「ええー?なんで?おれのこと、仲間はずれにするの?寂しいな…。泣いちゃおうかな。ひょっとして、何か妙な心配してる?大丈夫、おれ、正純には手を出さないから。正純相手じゃ、勃たないから安心して。ねっ」
 それは嘘だとは思わなかった。愛染の呪いを畏れていたからこそ、正純と距離をおき丈太郎を選んだ矢代のことだ。ただ、それとこれとは別問題。はいそうですかと、ここで受け入れるべきではない。
「嫌だよ…。めちゃくちゃ言うなあ、もう。まったく。何で俺が、矢代さんに抱かれなくちゃいけないんだか」
「…丈太郎くんはこんなこと言ってるけど、正純はどう?正純はずっと、気になってたんじゃないの?おれたちが、どういう風に付き合っていたのか…。おれがどんな風に、丈太郎くんを抱くのか。丈太郎くんがどんな風に、おれに抱かれるのか。ねえ、見せてあげるよ」
 首を縦に振らない丈太郎を説得するのではなく、矢代は交渉相手を変えることにする。
「矢代さん、馬鹿なことを…。正純、真面目に聞かなくていいから」
 その提案が通るとは思ってもいない丈太郎は、溜息を吐き出すような笑みを浮かべた。まさか、自分の中の認識がすぐに覆るとも知らずに。
 正純は暫く思案していたが、やがて迷うことなくその案を呑む。
「僕、御堂が矢代さんに抱かれるところが見たい。今、矢代さんが言ったことは本当だよ。二人が付き合っているって聞いて、どんな風に?って、僕はずっと気になってた。だから、…いいよ。矢代さんがいても」
「正純…」
 絶句してしまう丈太郎。
(正純は、矢代さんのことが好きだった。それがどこまでの深さだったのか、俺は知る由もないけど。だからそれが気になってたっていうのは、何もおかしくない話で。…矢代さんだって、正純のことを本当に好きだった。俺は、矢代さんの気持ちならよく知ってる。俺が間に入ることで、二人は間接的に昔の願望を叶えることができる?いや、そんなこと俺が考えることじゃない。…駄目だ、回避したいって思ってるはずなのに)
 あまりに予想外な展開に、丈太郎はすっかり混乱した。無意識に自分の気持ちより二人の欲望を優先させてしまい、頭痛がしてくる。
「おれも関心があるんだ。丈太郎くんが、正純とすることにね」
「ふ、二人とも。ちょっと冷静になってくれ…。そんなこと言われたって…俺……は」
 納得のいかない丈太郎だったが、左右からしっかり捕まえられていては逃げられそうもない。
 引きずられるようにして、三人は正純の部屋へ向かった。


   ***
 

「おれは途中参加でいいから、遠慮しないでお二人でどうぞ始めちゃってください」

 微笑みながら矢代は高みの見物を決め込み、
「い、いや…。俺、まだ納得できてないんだけど…?始めちゃって、とか言われてもね。やり辛いよ!?」
「御堂。いいから…僕のことだけ、見てて。今は」
 外野などまったく気にも留めていない様子の正純に、丈太郎は柔らかなキスを受けた。
「…ああもう!わかったよ、わかった。覚悟を決めました。…正純、服脱ごうか」
 馬鹿にしたような拍手が(そんなつもりはないのだろう)背後から聞こえたが、いちいち反応はしないでおく。
(二人とも、本当言い出したら聞かないところがソックリなんだよな…。人のこと言えないかもしれないけど)
「正純?」
 色気も何もなく、漢らしい脱ぎっぷりを披露した丈太郎に対し、正純はシャツのボタンに手をかけたまま。
「あ、なんか…。緊張して…手が、上手く……」
 よく見るとその手は震えて、浮かべられたぎこちない笑顔に丈太郎の胸が詰まった。
(…そうだ。正純の恋は、終わってない。正純が好きなのは、俺なんだ。俺を、想ってくれて───)
「ここにいる俺が、本物だから。正純」
 丈太郎はたまらなくなって、細い身体をギュッと抱きしめる。あの誘いに襲われた、何かを失ってしまった日を思い出したのか…正純の目から涙が零れた。沢山、辛い思いをさせてしまった。出会う前から、随分と沢山…。
「触っても…いいんだよ、ね……。僕は、大好きな御堂に触れても…何も、怖いことなんて起こらなくて、だから…触っても」
 赦される?
「大丈夫だよ、正純。だからもっと、近くに来て」
「近くに…?」
 丈太郎の手が正純の顎を捉えて、自分の方へ向けさせる。啄ばむように重ねられた唇は、ゆっくりと深さを増していった。
「…ん……」
「前に言ったこと、覚えてるか?俺は…正純が喜んでくれるなら、何だってする」
 慎重な仕草で服を脱がせる丈太郎を眺めながら、矢代は笑みを殺した。
 丈太郎が正純を大切に想うのは、矢代がそれを約束させたからだ。その為に生きろと、自分の命まで放って。…丈太郎を選んでよかった。こんなにも忠実に、優しい人は懸命に役目を果たしてくれていたのだ。ずっと。疑うまでもなく。
 …もっとも、今の二人の関係はそれだけではないとちゃんと理解してはいるのだが。
 矢代は、夢を見ているようだった。正純を抱きたいなどと考えるのは、あの頃の矢代には殊更恐ろしく、限りなく禁忌だった。想像もできなかった。他の男に抱かれるのは、我慢ならない。…丈太郎なら、
 丈太郎なら。どうしてそう思うのだろう。出会ってしまった。お互いに、お互いにしか赦すことのできない領域が確かに存在している。
 優しい声で、慈しむように少年に触れる丈太郎が綺麗だった。矢代の大切なものが、目の前で交わろうとしているのだ。
「御堂が好き…」
 正純が、そんな風に愛を囁く。矢代は嬉しくて嬉しくて、興奮して、はしゃいでしまいたい気持ちになる。
「ん、ぅ…御堂……あ…!」
 仰向けに横たわる正純の脚を開かせると、丈太郎はフェラチオを始めた。なんだか自分相手の時よりも熱心なように思えて、矢代は不毛な嫉妬を抱く羽目になる。正純の反応も可愛らしいが、その視線はどちらかといえば丈太郎の表情へ向けられていた。
「気持ちいい?そうだと、嬉しいけど」
「気持ち、よくて…ひぁ…僕、僕…ゃだ……ああ!」
 ビクンと震えて吐精した正純を、もっとよく見ようと矢代は立ち上がった。頬が紅潮し、潤んだ瞳。見てしまうのは、自らの規律を破るようで鼓動が煩い。矢代が近づいたところで、丈太郎しか見えていない正純にはあまり関係のないことのようだ。丈太郎は少し緊張したような空気を纏わせたが、それは気のせいではないだろう。
「あっ、そんなとこっな…舐めちゃ…あ、あ、駄目…ぇ…」
「慣らしておかないと。正純が傷つかないように…だって、ここに……ン…挿れるんだから」
 あまりに不躾な視線へ、丈太郎は一瞬物言いたげな一瞥を送る。何の変化も効果もないので、矢代を気にしないように尽力した。
(まったくもう…面白がってる。この顔、絶対楽しんでるよ!この人は)
 愛撫に感じて、喘ぐ正純は可愛い。愛してあげたいな、と思う。それは充に対する感情とは、まったく種類の違うものだが。
「ちゃんと俺を見ていて、正純。今から…挿れるよ」
「うぁあっ…」
「大、丈夫…だから……。息、して…。力、抜いて。目、開けて。ちゃんと見て。これは夢じゃない、怖くない、大丈夫…だか、ら」
 途端、正純の脳裏に蘇った忌まわしい悪夢を共有して、丈太郎はあやすように話をする。
 あの出来事が、なくなるわけではない。いつまでもそこで竦んでいたら、あのおぞましいものに邪魔をされていたら…進めない。乗り越えるしかないのだ、正純が。丈太郎と、一緒にでも。
「御堂…」
 握られた手が汗ばむ。潤んだ視界の中で、丈太郎は優しく笑っていた。
 …記憶の底に閉じ込めた、誘いの歪んだ笑い。あんなのとは違って、少しどこか不安そうで、それが彼らしいと思った。
 丈太郎のことを、失礼かもしれないが格好いいと思ったことが正純にはあまりない。格好悪くて、真正面から向かってくるようなひたむきさが、昔はむず痒く、今では好きだと思う。格好悪いところが、最高に格好よかった。
「痛い?ごめんな、もうちょっとで…全部……」
「っ…!」
 丈太郎が怖い?怖いのは、自分の中の恐怖に負けてしまうことだった。負けたく、ない。
「御堂、御堂…!僕を抱きしめて…強く、抱いて……!」
 荒く呼吸しながら、正純は丈太郎にしがみつく。丈太郎が浅い抽挿を繰り返す度に、繋がっているのだと実感が湧いてきて、正純の痛みは徐々に和らいでいった。
「あ…御堂……感じる、ァアッ!……は…」
「正純…。もっと、感じて。俺のこと…。俺で、いっぱいになって」
「…ぅ…あぁ…はぁっ……」
 なんだか存在を忘れかけられていそうで、それも寂しい。勝手な感想を抱いた矢代は、丈太郎の後ろへ回り込んだ。もっと眺めていたかったけれど、気が変わった。
 無防備な尻を舐めまわすと、丈太郎の身体はすぐに変化する。それは矢代のせいというよりは、散々その身体を堪能したであろう温と、恋人のおかげなのだろう。自分しか知らなかったのに。
「!」
「丈太郎くん、挿れるよ?痛かったら言ってね。止めてはあげないけど、ゆっくりしてあげるから」
 背中に覆い被さるようにして、矢代は悪戯っぽく耳元で囁く。
「矢代さんっ!」
 追い詰められた甘い悲鳴に、勝手な優越感を感じた。逃げようとした腰を掴んで、矢代は深く繋がろうと硬く反り上がったペニスを内壁へと擦れさせる。
「あ、あっ…や、矢代…さ……アァッン!」
 思わず声を上げてしまって、丈太郎は泣きたい気持ちになった。正純に見られたり聴かれたりすることが、恥ずかしいのだ。
「御堂…。すごくエッチな顔してる。気持ちいい?」
 快感を必死で堪えようとする丈太郎が色っぽく、正純と矢代の情欲を煽る。
 そう。この顔が、見てみたかった。矢代を感じて、泣く丈太郎が見たかったのだ。こんな風に、背中をしならせて…。本人にとって本当は不本意な行為なのだろうが、無理を強いている、自分の我侭が通されているのだと感じて、嬉しくなってしまう。
「…正純…ん…ぁ……気持ち、いい…よ……!正純の、中、」
「丈太郎くんのも、おれのを懐かしがってるじゃない。ねえ、おれのペニスも感じてくれてるでしょう?ねっとり包み込んでくるよ、ここ…」
 矢代は強く自分を捻じ込んで、拗ねた子供のように身勝手に中を掻き回す。明確に割り込む意思を持ち、強く乳首を引っかいた。
「乳首も感じるんだよ、丈太郎くんは。触ってあげて。正純」
「ひぁっ…矢代さん!……お願い…だ、からっ」
 複雑な感情と羞恥。丈太郎は、本当にいたたまれない気持ちだった。
「ふふ、そんなに恥ずかしがることないのに。正純と丈太郎くんの仲でしょ。見せてあげたら、全部。君を」
 正純の前では、出来ることなら丈太郎は格好つけていたいのだ。たとえ、それが失敗に終わっても。
「かわいい…御堂」
 今までに見たことのない、丈太郎の一面。それを見せてくれていると思うと、いとしさが込み上げてきて正純は笑う。
「違うよ。可愛いのは、正純だ」
「ん…」
 丈太郎の唇は柔らかい。均整のとれた筋肉に、正純は安心して身体を預けられる。こびりついていた黒い陰は、いつしか溶けるように薄れて、消えていくのだった。怖くない。人を好きになることも、こうやって交じり合うことすらも。
「ねえ…。御堂今、どんな気持ち?」
「気持ち…いい、気持ちいいよ。…は、ぁ……ァ…」
 気が遠くなりそうだった。丈太郎は掠れた声音で返事をすると、双方からの刺激に堪えかね吐息を震わせる。
「正純、自分で腰を動かしてごらん。ゆっくりでいいから。そう…上手だね。……っ…ああ、丈太郎くん。そんなに締めつけないで……」
「矢代さん…正純っ……そんなにされたらっ、俺───」
 一番最初。丈太郎に触れたいと思ったことが、随分昔の記憶に思える。丁度良かった?人恋しかった?単純に、丈太郎のことが欲しかった?…矢代はそれだけで、その身体に痛みを強いたわけではない。
 愛染の所有者になるというのは、ある意味で健全な幸せを放棄するのと同じことだった。好きな人と結ばれることは、叶わない。誰かに近づけば、その刃が傷つけてしまうかもしれない。一生孤独に、一人で生きていかなければいけなくなるかもしれない。お互いそういう覚悟の上で、矢代は厄介な荷物を丈太郎に降ろしたのだ。
 他人の温もりを知ることのないまま、命が終わってしまうなんて可哀想で、同情した。自分が、決めたことだというのに。
 利用するつもりが、企みなど意味がなくなりそうなほど大切にしたくなった。丈太郎といると、様々な感情が渦を巻く。一人でいる時は冷淡に利己的な考えを浮かべられるのに、矢代は丈太郎と出会ってしまったのだった。
 心配には及ばなかったのに。丈太郎は間違いなく恋人に愛され、幸せで。正純も躓いたくらいでは、立ち上がれる若さを持っている。
「もう、思い残すことが何もない。今すぐに死んでもいい。なんておれは幸せなんだろう」
「矢代さん…」
 一度死んだ身。夢を生きているのだ、きっと。生前よく口にした台詞は、自分の準備を促す為に呟いていた。けれど、今は違う。
 淡々と告げられたその心情に目を見張る大切な存在が、今は自分だけを見ている。その何もかもを見透かしてしまう瞳で、心の奥まで。
 矢代は恍惚とした幸福感に目蓋を閉じて、丈太郎の身体を引き寄せた。


  2010.03.09


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