0214



 どうしたのそれ、誰かに貰った?
 二月十四日、夜のできごと。部屋には何も音が流れていなくて、その時まで周防は一人だった。ノックもせずに入ってくる矢代のいい加減ぶりはもう、文句を言うことすら億劫になる恒例の行動なのだし。
 お前何しに来たん、と小さく呟けばそうだなあ、特に用事はないかな。なんて…そんな、やりとりは。そのチョコレートは一週間くらい前に、渡せるものなら渡してやろうかと気まぐれで(この病的な甘党に対して)周防自身が、購入したものなのだ。言えばどういう反応をするのだろうか、この男は。結局渡せずに一日が終わりそうだから、ゴミ箱にでも捨てようと思っていたところに、本人が現れるのだ。
 おれ、意外かもしれないけど、チョコはあんまり好きじゃないんだ。甘いものなら何でもいい、ってわけじゃなくてさ。おまけに、そんなトドメを刺す。たまに殺してやりたくなる。煙草を吸おうと手を伸ばしたら、口寂しい?笑ってむかつくことを問う。そんなんじゃない、ただの習慣。そう返事をしようとした唇は、甘い感触で塞がれて。

「っ!」
「隙だらけ。広大、身体が鈍ってるんじゃない?」
「…誰かみたいに、精神的に鈍い人間よりはマシや」
「キスしてほしいって顔に書いてた。ちゃんと、伝わったんだけど?」
「……………もうええわ」
「お前の好きな子って、かわいい?」
「そんな奴おらん」
「広大って、何を、勝手に、諦めているのかな」
「ええか?お前が、俺に、そういうことを絶対に言うな。正純にチクられたくなかったら」
「友達の心配くらいするだろう、誰でも。おれは、広大が心配なだけだ」
「心配?」
「今、すごい顔してることに気づいてない。おれの前で」
「元々こういう顔や」
「やりたくなる」


   ***

 
 周防の隣室は情報班の百瀬と重松が相部屋で、どん、という音が隣りから聞こえてくると二人は顔を見合わせた。いつもとは言わないが時々は、こういう不穏な物音がすることがあってその度に、二人は色んな迷惑を被っているのだ。その時百瀬はベットで雑誌を読んでいて、重松は机の上で、趣味の絵を描いていた。
「なあモモ、今…」
「すごい音なんかしてない。関わりたくない、つっかシゲ何個チョコ貰った?」
 今重松が描いているのは、欠伸をしながらそう問いかける相棒に他ならなかったが。理由?しいて言うなれば、丁度良く被写体がそこにあるから。
「七個くらい」
「うわムカツク。シゲのくせに生意気」
 確か何かのアニメでガキ大将が、よくそういうセリフを口にしていた気がする。この程度で腹を立てていると、百瀬の同僚は務まらない。それに、重松は慣れたものだ。
「そういうモモは、何個貰った?」
「本命が四。義理が一。食べる気ないけど、矢代さんにあげようと思って持って帰った」
 食べ物を粗末にするのは良くないし、毒が入っていたとしても自分でなく、矢代が死ぬなら別に構わない。その心理が透けてみえたが、重松はやはりいちいちツッコミを入れる気もしなかった。
「オレなんか全部義理」
「ならいいや」
「………いや普通に考えて今の発言の方がむかつくんすけどー」
 そういう世間話を遮ったのは先ほどよりも大きな、地震のような揺れのせいであり、どちらともなく溜息をつく。
 そのうち、壁が壊れそうな気がする。いい加減にしてほしいと以前苦情を申し立てた二人だったが、我慢してくれとあっさり追い返されてしまった。(我らがゆとり副会長に、だ)自分たちのボスにそう言われては返す言葉も、権限もない。年功序列がやるせない。
「あ、でも。矢代さんって、例の中学生が好きなんだっけ。白井?白石?周防さんは遊びなのかな。ショタ?」
「さあ、オレは詳しく知らね。戦闘班のことは、犬君にでも聞いて」
「犬が人間のことわかるはずないじゃん。シゲってほんと頭悪い。かわいそう…」
 犬君というのは、戦闘班に所属する犬上という名の少年で、からかい甲斐がありすぎる感がある。百瀬は言葉を選ばない人間なので、おかげさまで重松は精神的に逞しくなってしまった。それでもこれはつっこんでいいところだ、と判断する。
「…お前、ほんとひどい奴な」
「矢代さんほどじゃないよ」
「周防サンに同情してんの?」
「はあ?同情じゃなくて、迷惑してんの〜。大体、俺たち情報班が真面目に毎日頑張ってるのに戦闘班の成果ときたら、失笑もんじゃない。俺たちの直属の上司は信さんだけど、あっちは周防さんだろ」
「あっそ。…あ、これ!すっげえ高いチョコなんだぜ。モモ食う?多分これは美味い」
 百瀬のあしらいも機嫌の取り方さえも、重松は心得たものだ。そう笑ってチョコを差し出すと、仏頂面はほんの少し穏やかになる。
「まずかったら廊下で寝てください。…あ、これはマジで美味しい。シゲでかした」
「マジでー」
「マジで」
 この一粒が一体幾らするのか、それほど本気だって表現方法なのか。否。義理だからね!としつこいくらい念を押していた彼女のことだ、それはないと思い直し重松は苦笑する。
 七個のうち五個は、他に彼氏がいる。残りの二個は、爽やかすぎる友達づきあい。男女の友情って成立するんだね。シゲちゃんと出会うまで、知らなかった〜なんてセリフは聞き飽きて、いつでもこの世は女性のなすがままなのだ、と重松は思うのだった。
「ところで、何か、隣りがすっごい静かなんですけど、それはそれで気持ち悪い」
「何かあったんだろうな…」
「あったに決まってる。あーこわいこわいもう寝よ」 
 布団にくるまろうとする相棒を、重松は思い出したように引き留める。せっかく買ったのに、本気で渡すのを忘れるところだった。危ない危ない。金が勿体ない。
「あ、待てって。ほんとにあげたかったのはこっちな」
「…へ?」
「モモ、そこの洋菓子店のクッキー確か気に入ってただろ。やる」
 確かそこは矢代が通っている洋菓子店で、クッキーをお土産にした時だけ百瀬が手を伸ばしているのを重松は何とはなしに気づいて、眺めていたのだ。
「………シゲってほんと気持ち悪い。鳥肌立ってきた…」
「他意はないから素直に礼を言えよ!」
「あーうんありがとね嬉しいよ。お礼に、デートしてあげようか?」
 コイツも大概、どうしようもない性格だと重松は表情を引きつらせる。百瀬とデートする、なんて考えただけでしんどい。四六時中一緒にいるのに、気分転換する時まで一緒なんて窒息する。そんなのは嫌だ。
「寝ろ」
「好きだからちゃんと食べる明日おやすみ」
「おう。おやすみ」
 用事も済ましたことだし、オレも寝るかな。クロッキー帳を片づけて、重松は目を閉じる。
 二人の二月十四日は、そうやって更けていった…。


   ***


 掴み合いになって、殴り合いになって、なんだか馬鹿らしくなって疲れて、周防は結局その手を離した。死ねと言ったらそのうちねと返事をされて、もう本当に泣きたくなった。
 抵抗する気力がなくなったところに、ズボン越しに股間に触れられて浅ましく反応してしまう身体が、どうしようもない。相手が矢代だと思うと、駄目だった。
「ぁ…」
 瞳が潤む。他の誰に触れられてもこんな風にはならないのに、それを自分だけではなく相手に知られていて死ぬほど恥ずかしい気持ちになる。
「おれに構ってもらえて嬉しそうだね。広大?そういうところ可愛いよ。パンツの中は、染みになってるんじゃないの。脱がせてあげる」
「はぁ、ア、アァ…ッ」
「何隠そうとしてるんだか。恥ずかしがるような年じゃないって。期待して興奮して勃起してるペニスを、本当はおれに見てもらいたいんだろ?おれのことが大好きな広大は、おれに見られただけでお尻の孔が疼いちゃうんだよな。ちゃんとわかってるよ」
 下着はずり下げられ根元を揉まれて、声をあげないよう周防は必死で堪えようとした。
「…はぁ…ん…甲斐、甲斐っ……」
「なぁに?広大。物欲しそうな顔しちゃって…他のみんなが見たら引いちゃうよ。ほら、ローション」
 アナルに垂らされるローションが、じわじわとした快感を引き起こす。広げた孔に吸い込まれていく雫に、周防は悲鳴を上げた。
「ぁあん…ぁ、ぁっ……アンッ…!」
「今日はバイブにしようかな?たまにはいいよね?おれ、今日はそういう気分かも。こないだのやつ、出してよ。広大。おれが買ってきてあげた、蛍光ピンクのやつ」
「あそこの、引き出し…」
 喘ぐように場所を教えられ、しょうがないなあと矢代はバイブを手に戻る。誕生日プレゼントにこんな物を贈るなと本人には大不評だったが、律儀に残しているあたり愛を感じる。
「コレ、ちゃんと使ってくれてるの?イボイボになってて気持ちいいと思うんだけど…。あんまり音もしないしね、結構高かったんだよ。広大」
「馬鹿…」
 バイブのスイッチが入った。先端だけを挿入すると、矢代は気まぐれにそれを掻き回した。ヌチャヌチャ音がして、周防が死ぬほど真っ赤な顔で喘いでいる。
「ア、ア、アッ!」
 無意識のうちに、腰がバイブを受け入れようと動く。呆れたように、矢代が笑った。
「我慢できないの?広大は。どんどん飲み込もうとしていやらしいな」
「…ぁん…い、入れ…て……!」
「バイブのイボイボが当たって気持ちいいです、って言えたらいいよ?」
「ひっ!あ、ああっ…」
 一瞬深く突き挿された官能は、すぐにもどかしく引き抜かれてしまう。またゆっくりと入り口に戻ってくる震える玩具に、周防は泣いた。
「…バ…バイブの…っ…ぁ……イボ…ん、はぁ…当たって……あ、」
「全然ダメ。イボイボに犯してほしいですってお願いしてみて、そしたら気も変わるかも」
「イボイボにおか、犯して―――アアッ、い、いっ…ぁは…ん、甲斐、甲斐……!」
 スイッチのスピードを最大に上げて、思いきり奥までバイブを挿入してあげる。健気に名前を呼ばれてしまったので、絡むようなキスで返した。周防の身体が震え、勢いよく飛んだミルクがシーツを汚していった。
「まだイケるよね?広大。バイブもしっかり銜えこんで、もう放っておいても大丈夫そうだね。ほら、鏡に映ってるの見える?音も聞こえるよね。バイブが動いてすっごくエロイよ。…おれのペニスも気持ち良くしてくれる?」
 69の体位で覆い被さって、矢代は自分も周防のペニスをしゃぶり始めた。またすぐに硬くなる。腰を押しつけると、苦しそうな息が漏れた。ブィンブィンと、顔先で鳴る小さな機械音に煽られる。
「ん…んぅ…ぁっは……」
「上手にできたらご褒美あげるよ。バイブなんかより、もっといいもの…」
 周防はもう言葉にならないようで、乱れた吐息を喘がせるだけだ。宣言通り一番欲しいものをアナルにあてがい、腰を振る。散々よがっていた身体は吐精して、力が抜けたように矢代を抱きしめるのだった…。

 最悪な男は、人が許可もしていないし何も説明をしていないのに、きれいな包みを解いてはその一粒を口に運んで美味しいと、普通にいつも通りに笑っている。俺がお前のために選んだんだから当たり前だ、という言葉を飲み込んだ。言いたくなかった。
「正純には会えたんか、今日」
「おれ、別に、イベントとか拘らない人間だし」
 それは、返事になってない。どうしてこんな奴のことをと、歯がゆい気持ちになる。
「どう考えても、正純はちゃんと用意しとるやろ」
「受け取れるわけない」
 その甘い唇で人の煙草を勝手に吸うなとか、ぼんやり周防はそれを眺めながら思う。滅多に見られない険しい表情で、矢代はすぐにそれを灰皿の上で揉み消してしまった。まずかったらしい。酒も駄目、煙草も駄目。興味は一点のみに集中。他のことなんて、どうでもいいのだ。本当に。こんな男に気まぐれでハメられて、身悶えて…不毛だ。
「チョコは嫌いだって言ってあるから、正純にも何も言われなかった。それに、おれが今日会ってたのは正純じゃなく、丈太郎くんだしね。焼き菓子セット貰ったよ」
「お前はおかしい。好きでもないくせに、あんな…」
 昨年の冬。たかが誘いに襲われているところを助けた(そんなことは日常的によくある話だし、そもそもそれは仕事なのだから)だけの人間に、何故。
 つきあうことにすることにしたから、と宣言され正純の前でそんな話を持ち出して、誤解をさせて。どんな人間なのかと丈太郎を偵察に行けば、ごく普通の高校生にしか見えなかった。
「好きだよ?二番目だけど。丈太郎くんはおれにとって一番、必要な存在」
「……………」
 一番好きが正純で、必要としているのが丈太郎というのなら。自分の存在意義なんて本当に、この男にとって取るに足らないもののような気がしてくる。
 ああ胸が痛い。チョコなんて買うんじゃなかった、無駄な出費だった。
「自分はどうか、知りたい?」
「……………」
 そこで優しく抱きしめてくるあたりが、矢代に自分を誤解されていると周防は思うのだ。そんな反応欲しくない。なんて白々しいのだろう、頭の中は別のことで一杯のくせをして。矢代のこんな行為に、今更、騙されたりしない。
「広大といると、おれは、まだ、ここにいていいんだと思える。ありがとう」
「…ふざけんな」
 掠れてしまった文句にもう一度、ふざけんなよと周防は呟く。重い固まりを一旦、喉の奥に飲み込まなければいけなかった。鼻水が出そうになる。
 本当は言いたいことは、たった一つしかないのに。どうして言えないでいるんだろう、そんな素直さも勇気さえも心の奥底に閉じこめたままで、気がついたらいなくなってしまいそうなのに。嫌だ。そんなのは嫌だ、でも絶対に口にできない。告げたってどうしようもないのなら、黙るしかない。
「お前がおらんなったら、ゆとりや什宝会に迷惑がかかる。勿論、俺にも」
「わかってる」
「わかってない!」
 お前は全然わかってない。いつ居なくなってもいいように、予防線ばかり張って…腹が立つ。好かれているんだと調子に乗ってる。むかつく。大嫌いだ。最低。…それなのに、心の殆どを占めるなんて。
「…わかって、ない……」
 この腕がなくなったら、温もりがなくなったら、一体どうしたらいいんだろう。怖い。それなのに、引き留めるだけの何をも持っていない自分が、周防には悔しすぎた。こんなに近くにいるのにこうして触れる位置にいるのに、いつの日かこれがなくなったら?
「ホワイトデーには、ちゃんとお返しするよ」
「自分にリボン巻くんだけは、勘弁な」
「それが一番、嬉しいくせに」
 執行猶予が一ヶ月延びただけで安堵して、いざとなったらそんな口約束も簡単に破るような男だ。こうと決めたら誰に何と言われようが誰を傷つけようが、そうする厄介な行動力。
 矢代の近くにいると、甘い匂いがする。その中身がそのままでないことを、周防はよく知っている。このままずっと、傍にいられたらいいのに。恋愛関係であればなんて、そんなもの望んではいない。離れたくないと願うくらいは、今夜だけは許してほしい。


  2007.02.06


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