思い出の王子様



 美咲かなえは他の女性信者と一緒に、手作りのチョコを作っていた。別に渡したい好きな人がいるわけではないが、仲の良い男性信者なら、思い当たる人間はいた。
「仁くん、これ。バレンタインのチョコレート。受け取ってね」
「ありがとうございます」
 神津に手渡すと、声は無感動ながらもぎこちなく歪んだ微笑みに、美咲は満足した。神津は不器用な性格で、気持ちの表現が苦手だということも知っているので、それだけで十分だ。
「義理だから安心してね」
「わかっていますよ。いつか、本命を渡したくなるような男性が現れるといいですね」
「…そうだね」
 恋をする日。自分にも、ちゃんとそんな時は訪れるのだろうか。
 楽園の花嫁は、外部の人間と接触することは極力避けられる。外へ出ていいのは、特別な事態だけ。いつか楽園の幹部の誰かと結婚して、子供を産んで、年を取って…その生き方に疑問を感じたことは、特にない。
「大丈夫です。充様は、素晴らしい方ですから」
「仁くんは、充様のことが大好きなんだね。仁くんが好きな人なら、私も好きになれるかな」
「………あの方を知れば、きっと誰もが好きになります」
「いるかな、ほんとに。そんな人」
 ぽつりと呟いた美咲に、ハッとしたように神津が表情を変える。
 たとえば楽園の代表である天根矜持のことだって、美咲は好きというよりは、そこに疑問や感情の挟む余地がない絶対的な信頼を寄せているだけだ。他の信者と多分、同じように。疑問を感じてしまえば、生きていく理由を失ってしまう。それは怖い。だから考えない。神津の言う誰もが好きになる人なんて、今まで見たことはなかったので、本当に存在するのかな?と疑問に思った。
「きっと、好きになりますよ」
「そんなこと言って…なれなかったら仁くんが、責任取ってくれるの?仁くんだって、将来幹部の人間になるでしょう」
 できることなら美咲だって、自然な恋愛という形で誰かと一緒にいられたら、とは思うのだ。それがいつで、誰なのかは未だ、わからないにしても。
「私は…」
「私がお嫁さんじゃ不満?温くんは女の人に興味ないみたいだし、どうでもいいよく知らない人より、仁くんの方がよっぽどいいよ」
「…止めましょう、この話は」
「私が無理やりおじさんと結婚させられても、仁くんは平気なんだ。ひどい」
 そうしてその時になったら、きっと神津はぎこちない笑みを浮かべておめでとうと祝福するのだ。何にもめでたくない、と美咲は仏頂面でそんなことを想像した。
「大丈夫。あなたは幸せになります」
「適当なこと言うのやめてよ」
「本当ですよ」
 静かな口調で神津がそう告げるので、美咲はそれ以上何も言えなくなってしまった。
 普段は自分の運命というものを、ぼんやりと抵抗もなく受け入れているのだけど…神津と話をしていると、甘えからかつい心情をべらべらと喋ってしまう。神津は非難したり咎めたりということをしないので、(かといって、何でも聞き入れてくれるわけではない)美咲にとってこの上ない相談相手であり、話し相手であり、大切な友達だった。
 年が近い信者同士は、こうやって自然とコミュニティができる。それが美咲にとって、神津であり、温なのだった。立場を同じくする楽園の花嫁候補は、お互いライバルでもあるわけなので、何もかも洗いざらい自分を晒け出すわけにいかない。その点神津も温も、美咲には気楽だった。
 チョコを作りながら、神津は去年も受け取ってくれて美味しいですと言ってくれたけど、今年はどうだろうかとか。毎年毎年、ほんの少しは料理の腕も上達しているはずなのに、美味しいですとの一言ではその辺りが曖昧でわからないとか。チョコと神津、というのは何ともミスマッチでシュールだなとか、失礼なことを考えながら作ったのだ。友情と、愛情を込めて。
 ちなみに温には初めて作った年のホワイトデー、「俺はこういうものに意味を感じないから、来年からはいらない」とバッサリ切って捨てられたので、拗ねてしまった美咲はそれ以来二度と、プレゼント系のものは渡していない。
「ねえ、来年も受け取ってね。私か、仁くんか、どちらかが結婚するまで…」
「お返しは、何がいいですか?私の中のバレンタインもホワイトデーも、永遠にかなえだけのものですから」
「え、何?もっとはっきり喋ってほしいな。聞き取れないよ」
 神津が柔らかく微笑んだ。ごく稀に、一年に一回あるかないかくらいの確率で、美咲はその瞬間に対峙する。そうすると胸がいっぱいになって、なんだか泣きたいような気持ちになって、もっと前髪が短くて俯き加減でなかったらその笑顔をもっと見ていられるのにとその度に思って、せつなくなる。もう少しその頻度が多ければ、自分がそれを引き出せる回数が多ければ、神津に恋をしていただろう。
「お返しなら、今もらった。でも…薔薇の花束でも、贈ってもらおうかな?」 
「それが、あなたの望みなら」
 神津のことを気持ち悪いと、陰口を言う人間もいる。
 自分と話している時の言葉だけ聞けば、まるで王子様みたいなのにと美咲はそんなことを思って、微笑みを返した。


2008.01.18


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