ショートケーキ



 そのお客様はみほこが初めて〈ディレット〉に入店するより前からずっと、店に通っている常連とのことだった。
 見た目は普通に格好良くて、こういう人が彼氏なら一緒に喫茶店巡りでもして楽しいんだろうな。そんな風に思えるくらいには好印象を抱ける、そんな感じ。でも気取ったところはなくて、ウエイトレスの間でも何人かは絶賛の嵐だった。
 ただ彼女と二人で来店したことがないから、ゲイだの何だの勝手な噂を立てられているというのに本人は何処吹く風で、一人だったり友達(なのだろうか?)を連れてきたりする。
 今日は一人で、矢代はみほこを見つけると嬉しそうな笑顔を見せた。
「いらっしゃいませ。今日は、お一人ですか?」
「みほこちゃん、こんにちは。ショートケーキと、ベリータルトと、ミルフィーユ。
 それから、ダージリンをひとつください」
「はい。…お客様、いつもショートケーキは欠かさないんですね」
「みほこちゃんが言ったんだよ?うちのオススメは、ショートケーキですよって」
 指摘され、みほこは一瞬きょとんとして、それから赤い顔になった。
 まだ新人の頃、ケーキの名前が憶えられなくて…矢代に何がオススメなのか問われた時、テンパってしまいとっさに「ショートケーキです」と、答えてしまったのだ。
 それはあながち外れでもなかったのだけど、そんな種明かしをするには随分時間が経ちすぎていて、実際みほこの一番のお気に入りではあるし美味しいから、良いのだけれど…。
 微笑みながら矢代に懐かしい話をされると、みほこは言い訳したいようなこのままでいいような、複雑な気持ちになったのだ。
「すぐにお持ちしますね」
「みほこちゃん、すっかりウエイトレスも板についたね」
「おかげさまで」
 照れ隠しにみほこは背を向けて、そういえば今日の髪型おかしくないかな?なんて気になり始めそわそわとオーダーを告げると、そっと店内の鏡に目を向ける。
 矢代は物憂げに窓の外を見ていて、まるでそこに悲しいことでもあるかのような表情ですぐに視線を背けたりしていた。
「お待たせしました。そういえば、お仕事は何をしてらっしゃるんですか?」
「それは、難しい質問だなぁ」
 何故か本当に面食らったように告げるので、気になってしまうではないか。
「ただの雇われだけど、うーん。煩悩と戦ってる」
「ぼんのう」
 寺の住職か、何かなのだろうか。全然、そんな風に見えないのに。イメージしてみようとしたが、ケーキを食べる矢代以外の想像がみほこにはつかなかった。
「で、今のところ辛うじて勝ってる」
「ふふ、何ですか?それって」
「負ける時は、それで全てが終わるから怖いんだよ」
 柔らかい声が何か大事なことを言ったように思えたのだが、上手く聞き取ることができなくてみほこは微笑む矢代の顔を、真っ直ぐに見つめた。表情に何か書いてあるかと思ったのに、残念ながら何も読みとることができない。
「え?」
「いただきます」
 フォークが、豪快にケーキをつかんで口に運ばれていく。
 ああ、幸せだと矢代は言った。それは本当に良いことだなあとみほこは気分を切り替えて、ごゆっくりどうぞ。それだけを告げる。
 また明日も、矢代はこの店に来るだろうか。ショートケーキを頬張って、幸せだとみほこに微笑んでくれるだろうか。そうなったらいいな、と祈るような気持ちでみほこは窓際の常連を振り返った。


  2006.12.17


メニュー一覧 / web拍手