レーズンサンド



「あ、おれね。これ、好きなんだよね」
 レーズンサンド、と矢代さんは笑って。二つお買いあげしたそのうち一つを、俺に放った。
 ここ最近、矢代さんは俺に新しい味を覚えさせるのが、楽しくてたまらないらしい。大抵美味しいものばかりだから、俺が素直にそう感想を告げると本当に嬉しそうに、矢代さんは表情を緩ませる。
「矢代さんの場合は、これじゃなくてこれも、が正しいんじゃないかな」
「それって、おれが節操ないみたいじゃない。ひどいな」
 ひどいも何も、まさにその通りなのだから。俺はおかしくなって、隣の男を小突いてみせる。矢代さんは、わざとらしくよろけた。
「俺がそこで否定すると思ったら、大間違いだよ。矢代さん?」
「予想じゃなくて、期待するくらい赦してほしいな〜」
 さく、と耳に小気味いい音が響く。広がる、甘くて濃厚な味。バタークリームとレーズンが混ざり合う、ああ、うん。俺、これも好きだな。
「最高?」
「アハハ。うん、最高」
「おれもおれも!いつ死んでもいいよ」
 矢代さんはいつだって本当に軽く、軽く死という単語を口にする。そうすることで何かを確かめるみたいにして、覚悟するみたいにして、何度も何度も言って聞かせる。
「嘘嘘。おれにも未だ、やり残したことがあるから」
「うん…」
 矢代さんと仲良くなればなるほど、近づく期限が怖くて、寂しくてたまらなくなってくる。
「…あれ?訊いてくれないんだ。おれがやりたいのは、丈太郎くんとエッチなこと」
「矢代さん、それはさすがに俺でも引くよ。どこのエロ親父だよ…」
「いや、ほんとに。丈太郎くんが美味しそうに食べてると、特にそう思うんだよね」
「矢代さんほどじゃないと思うよ」
「誰かと比べてどう、ということじゃないし。おれは丈太郎くんの食べてる姿が好き、ってこと。見てると、幸せな気分になるね」
「白鳥は?」
 二人でこうしていると、時々忘れそうになる。この世界は二人だけのものではなくて、他にも大事な人が沢山いるということ。
「戦ってる時、必死で何もかもを割り切ろうとしてるところが、いじらしくて興奮する」 
「いちいち変態くさい」
「一応忠告しておくけど、愛染の所有者は正気ではいられないよ?」
「確かに、矢代さんを見てるとそう実感する」
「そんなこと言うと、今すぐ君のこと押し倒すよ。おれ、丈太郎くんのことは逃がさない」
 …俺は矢代さんから離れて、キッチンにお茶のお代わりをつぎに行くことにする。
「矢代さんは最近、俺に対する発言がエスカレートしていると思います」
「丈太郎くんがおれの好意を、正しく受け取ってくれるから。調子に乗ってるかもね」
「正しくとか言われても、よくわからない」
「わからないものを、無理にわかろうとしなくていい。君はそのままで」
 反発するわけじゃない、ただ、わからないだけ。 
「その方が、都合がいいから?」
「そうじゃないよ」
 唐突に真面目な調子で抱き寄せられてしまったら、対処のしようがない。
 浮気相手との会話みたいな展開になって、本当は違うのに、なんだかすべてが滑稽で、笑えなくてしんどい気分になる。
「そうじゃない」
「一度聞けばわかる」
「わかってない」
 矢代さんとなら俺はずっと、こんな問答のような会話ですら楽しかった。
「レーズンサンド美味しかった」
「………はは」 
 この話はもう、終わり。
 矢代さんの携帯が鳴った。広大からだ、と平坦な声がそう告げる。
「行ってらっしゃ〜い。頑張って」
「行ってきます」
 俺と矢代さんの出会いは、俺が誘いに襲われたところを救ってもらったからだった。怖かった。腰が抜けた俺の目の前で、勇者よろしく矢代さんは華麗な刀捌きで、誘いを撃退した。
 すぐに什宝会の人間がそれを運んでいったから、憑かれていた本体の生死はわからない。でも、多分…そう感じるほど何の躊躇も、恐れもなくて。
「夜にメールするから」
 寂しがり屋はそう言って、俺から背を向けた。


  2007.04.14


メニュー一覧 / web拍手