大判焼き



 柔らかそうな湯気を放つその食べ物を、矢代さんは俺にはい、と手渡して笑う。百円でおつりがくるなんて、素晴らしいよな。なんて、キラキラの笑顔を浮かべながら矢代さんは美味しそうに、それを頬張るのだった。本当に、こういう時は幸せそうだ。  
「ちなみに、どっちもクリームだから」
「ありがとう」
 冷凍庫に、五個入りのをたくさん敷き詰めたら怒られてさ。と、矢代さんは続ける。
 あったかいクリーム。どうして鯛焼きではなくて、大判焼きを選んだんだろう?
「丸いのがいいよね。このフォルムっていうの?」
「あ、そう…。俺は、このふわふわしたところが好きかな。美味しいし」
「…そんなこと言ってくれるの、丈太郎くんくらいだよ。好きだよ」
「うそつき」 
 厳密な言い方をすると、矢代さんも俺も間違ったことを言ってはいない。どっちもだ。
「ごめんね?愛してる」
「そうじゃない…。矢代さんと、ごっこ遊びをするのは俺、好きだけど。ちゃんと、言葉は選ばないと」 
 矢代さんも俺も、別に好きな人がいる。だけど矢代さんの周りでは、俺がこの人とつきあっている恋人ということになっていて(色んな事情があって)だからこそ、俺たちの間には言ってはいけないこととかやってはいけないことというのが、あるのに。矢代さんは簡単に、その咎を踏み越えて手を伸ばす。俺のところに。
「今日はつれないんだ、丈太郎くん。寂しいな」
「お互い様だよ」
 俺はどうしたって、矢代さんの一番好きな人間にはなれない。その瞬間、愛染の持ち主である矢代さんはきっと、俺を殺してしまうからだ。物騒な、呪われた刀。俺は矢代さんの一番じゃないからこそ、こうして、一緒にいられる。その特権を得られている。
 それってさ、なんかせつない。こういう寒い冬の日は特に、そんなことを考える瞬間がある。寒くて、他に誰もいなくて、手にはあったかい大判焼きが握られていて…そういうことが、時々、無性に。
「…ごめん。大好きなのは本当だから、ね。機嫌を直してほしいな」
 矢代さんは結局、好きと愛してるの中間を取った。
 俺をコートごと抱きしめて、色んな他人に嘘はついたけど、丈太郎くんには本当のことしか言わないから。自分だけが傷ついているみたいな、声音で言う。俺がどう反応するのかなんて、お見通しで。
 俺はね、俺は…別に矢代さんの本当が欲しかったわけじゃないんだと思う。だってもう、知っているから。欲しがる必要がないし、ある意味俺は矢代さんを手に入れている。
「全部あげるから、力もおれも。おれは、ずっと君のものだよ」
 俺たちは冬の日に二人でこうやって大判焼きを食べたりするけど、そんな関係は本当にせつないものなんだ。たとえば寒さに身を震わせる時、大判焼きのクリームがあんまり優しく口に溶けていく時。
 そんな俺を嬉しそうに矢代さんが目を細めて見つめている時に、ふと、どうしようもなくそういうことを考える。


  2007.02.05


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