クッキー



 私、白鳥君のことがずっと好きだったの。で、これさっき家庭科の実習で作ったクッキーなんだけど受け取って!甘いの苦手かもしれないからって思って、隠し味で唐辛子が入っていてピリッとするけど、美味しいよ。恋の味がするの。
 でも、白鳥君好きな人がいるみたいだから、つきあってなんて言えないよね。ただこのクッキーを食べてもらえれば、私、それで満足なんだ。っていうわけで、食べてよね!

 同じクラスの松浦さんが、嵐のようにそう僕にクッキーを託してどこかへと消える。
 僕は呆然と突っ立ったまま、好きな人というのはきっと矢代さんを指している以外にはないけどこういうことは正直、困る。そう思って、きれいなラッピングをしてあるクッキー(と思われるもの)を眺めた。
 そもそも本当に甘いものは得意じゃないし、別に嫌いでもないのだけれど、毎日毎日矢代さんが隣りで、幸せそうにお菓子を食べるのを見ていたら、なんだか妬けるやら呆れるやらで、ますます僕は甘いものが苦手になってしまったのだった。全部、矢代さんが悪い。
 かといって、このプレゼントを捨てていくわけにもいかない。そんなことをしたら、僕のクラスでの評価は恐ろしいものになるのが目に見えているし…でも生憎と、素直に食べてあげようとまで思えるほど親切でもなければ、松浦さんと親しくもない。
 確か、恋の味と言っていた。随分と乙女チックな発想。僕も矢代さんに恋をしているから、その味には共感できるものがあるだろうか。手に重いこの数を食べ切るにはちょっと自信がなくて、放課後の約束を思い出し、僕は矢代さんに、せめて半分食べるのを手伝ってもらおうと決める。
 
 夕暮れの公園は、僕ら以外に犬の散歩をしている老人がいるくらいで、平和なものだった。
 事の顛末を僕から聞くと、矢代さんはふうんと言ってクッキーと僕を見比べた。そこで僕の好きな人は誰なのか、そういう展開になってくれたらまだ告白するチャンスもあるのに意図的にそんな会話は避けられて、矢代さんは笑い出してしまう。何が可笑しいのかと思ったら、嬉しそうに正純はモテるんだね。なんて続けた。
 おれも広大も、正純のことを好きなんだよ?なんて、僕からしたら頭が痛くなるようなことを矢代さんは平気で言う。僕の気持ちをわかった上でそんな牽制をされているならば、今すぐ泣いてでもその心理を問いただしたい気分にもなるけど、矢代さんは本当に鈍感で僕の気持ちなんてわかっていないというか、むしろ考えたこともないのかもしれない。
 いや、考えないようにしているというのが一番正しいような気がする。そんなことを考えていると自分でも表情が青ざめるのがわかって、心配そうな顔が僕を覗き込んだ。
 矢代さんと会話をしていると、僕はよく不自然に黙り込まざるをえなくなる瞬間があって、だって口を開いたら、もう好きだとか愛してるとかあなたしか見えてないとか、そんなことを言った瞬間に、この二人の関係が終わってしまうなら、僕は黙っているしかない。沈黙で守れるものがあるなら、いくらでも僕は縋るしかない。

 それなのに僕の心情なんてお構いなしで、矢代さんが正純?なんて名前を優しく呼ぶものだからますます僕は俯いて、いつもは邪魔だけどこういう時ばかりは二人きりではなくて、周防さんが、一緒にいてくれればよかった。って、違う方向に責任転嫁する。
 大体、周防さんは僕の気持ちを知っているんだからそれくらいの考慮はして当たり前だとか、あの人も矢代さんを好きなような気がするのはこの際置いておくとして、三人でいたならきっと、適当な空気のままクッキーは食べ終えられていたに違いない。そう恨んだ。

 何でもないとはとてもじゃないけど言えそうになくて、僕はリボンで結ばれたラッピングを開きぐい、と矢代さんにクッキーを差し出した。
 恋の味がするかどうか矢代さん、確かめてみてよって掠れた声で懇願したら矢代さんはとうとう、その一つを手にとって口に放り込む。僕が作ったわけじゃないのに、その感想を聞くのがとても怖くて怖くてどうしようと思った。
 そのクッキーの味は、想像がつかなかった。恋の味って、一体、どんな。
 うん、美味しいね。と矢代さんは言って、毒は入っていないようだから正純も試食したら?とそんなこと気にしているわけがないのに、この人は天然だから(ぶっているのか、どうなのか知らない)そういう心配をしてくれた。
 なんだか脱力してしまって、僕はエイッと勇気を出してそのクッキーを手に掴み、本当にドキドキしながら飲み込んだものだから、正直、緊張しすぎて味がよくわからなかった。よくわからない、美味しいのかどうかもわからない。
 そう言うと矢代さんは、いきなり何を思ったのかクッキーを手にしたまま立ち上がって、ゴミ箱に投げ入れてしまった。ええ、何それ!?その行動が一番、何よりも僕にはわからない…。戻ってきた矢代さんは、ギョッとしているであろう僕に気がつくと飄々とした口ぶりでよくよく考えたら、正純にお菓子をあげるのはおれでいいよね。と、やっぱりよくわからない結論を導き出し一人で納得してしまっていたので、僕は状況についていけないままお菓子はいらない、と断言した。
 僕が矢代さんに欲しいものは、もっと別のもの。
 甘く溶けるような儚いものなんていらない、もっと確かなものが欲しかったのに。やっぱり何もわかっていない矢代さんは、僕の返事に寂しそうに表情を陰らせて微笑むから本当に、僕はそういう時不自然に黙り込まざるをえない。


  2006.12.17


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