ありふれた日々



 オレが図書委員になったのは、一年の時、今より不真面目だった頃…授業をサボっているところにホームルームでいつのまにかその枠に、収まっていたんでした。何故か二年目もこうして、継続しているわけですが…活動にあまり熱心な方では、ないかと思います。他の委員に比べると、どう考えても。

「山さん山さん。図書の本の貸出期限、過ぎてるんですけど」
「よう、瀬ノ尾」
 山峰は時々図書室を利用しては、その度に返却期間を過ぎて、オレにこうやって催促される。
 最近は、わざとなんじゃないかと思うほどだ。オレに預ければ、図書室まで(けっこう遠い)行かなくていいし、楽だろうし?同じクラスであるオレが、山峰専属の返却係。普段は用事もないので、オレはあまり山峰に話しかけたりはしない。
「図書の本」
「…お前な。いくら俺が、ごつくてお前好みのかわいい女じゃないからって、素っ気なさすぎるだろ?」
 オレの貴重な放課後が、こうしている間にも一分一秒と過ぎ去っているのに、山峰は悠長な文句を言う。最低限かわいい女じゃない、というのを理解していてくれて何よりだ。
「返して」
 どうしてオレが、かわいげのないごつい男に愛想を振りまかなきゃいけないのか。
「………ほらよ」
 所要時間、三分くらい。俺はようやくお目当てのものを手に入れて、ホッと胸をなで下ろす。
 これで、金本先輩に嫌味を言われなくて済む。そう思うと、もう本当に目の前の男にそれ以上の用はないのだった。金本先輩は真面目で健全な先輩で、オレに会うごとに何かしら小言を言うのがもう、くせになってる。(愛情の裏返しだと思いこみたい)
「それじゃ」
「瀬ノ尾」
 すごい力が手首を掴むので、オレは思わず顔をしかめた。これだから、筋肉バカは嫌いなんだ。いや、別に山峰を好きとか嫌いの基準で考えたことなんて、一度たりともないけど。
「…んだよ?離せよいてーよ」
「お前は、本が好きだから図書委員をしてんのか?」
「違う」
 ただの成り行きだ。説明する気にはなれなくて、オレは口をつぐんでしまう。
 こいつが、読書好きなようにも見えない思えない。だから余計に、勝手な警戒を解けないオレ。自意識過剰なのかもしれない。消えてくれない、ある嫌な予感。
「お前の好きなものって何?」
「女子の太もも」
 オレは迷いも躊躇いもなく、即答してやった。
 きめえ、と言って山峰はようやくオレを離す。オレにそんなことを尋ねてくる、お前に言われたかねえよ。男に興味を持たれたって、嬉しくも何ともないだろう?まあ、少なくともオレはそうです。
「そういやお前、彼女いるんだっけ」
「ん〜…。候補が三人くらい」
 そして今は特にイベントの時期ではない六月初旬なので、切羽詰まる気持ちが全然ない。そういう正直な本音を打ち明けると、大抵最低だって言われる。そういうことじゃないだろ?だってさ。
「よくやるぜ。俺には、できん話だな」
「オレ、女子には優しいからねえ」
 優しいというより、ただ単にマメなのかもしれない。実は寂しがりやなのかもしれない、オレ。
「優しい男が、三股もかけるのかよ」
「だから候補だっつーの。オレ、図書室行くから。さ・よ・な・ら」
 図書室行って本を戻したら、さっさと帰ってしまおう。オレは他の委員に怒られそうなことを考えながら、山峰に背を向ける。
「待てって」
「んっだよ」
 どちらかというと、オレは恋愛経験が豊富、な方に分類されると思う。それこそ思い出したくないようなドロドロとか、恋愛未満の遊びのようなものまで。だから、何となく他人の気持ちには敏感になってしまった。好かれているとか嫌われているとか、言葉にされなくてもオレは気がついてしまうんだよな。そんで同性で筋肉バカのこの男に、オレは好かれているような気がしてならない。
 …あんまり、考えたくないけど。
「瀬ノ尾、俺が図書室に行った時はいつも、いない気がするんだけどよお。委員会にそんな熱心じゃないだろ?なのに、」
「オレは確かに、熱心な図書委員ではないな。で、何なんだよ?用がないなら解放してくれ」
「好きだ。つきあってくれ」
 直球。ぎょええ、という小学生なみの感想はどうやら言葉にならなかった。よかった。そのかわりオレは言葉通り固まってしまい、悔しくも僅かに身長の高い山峰を見上げ、表情を引きつらせる。
「そ、それは無理だな。論外だ。理由は…説明するまでもないだろ?ありえない。ねえよ…」
「俺が図書の本を借りるのなんて、お前と喋るきっかけを作りたいが為のものだし」
「知るか。鳥肌立ってきた…。だからないって、わ、悪いけど。全然嬉しくねーし、オレ、男はちょっと」
「図書委員の一年に、倉内っていう可愛いのがいるだろ。そいつに告白されても、お前は今と同じことが言えるのか?瀬ノ尾」
 倉内(名前が静なので、オレは親しみを込めてしーずーって呼んでる)は山峰の言う通り、本当に男じゃないみたいに可愛い…というか美少女系の容姿をしている。図書室の利用者は、倉内が委員になってから大幅に人数が増えた。まあ、その倉内がオレを好きになるわけはないし上手くそんなこと、妄想すらできないんだけど。倉内とはつきあってもいいけど、それは倉内が倉内だからで。イコール男とつきあうことに対してどう思うか、とはまた別の問題だ。山峰は何もわかっちゃいない。
「山峰くん。うちの自慢のしーずーと、君のような男を一緒にするのはやめてくれたまえよ」
「お前が会話を続行してくれるなら、そういう話題だってするさ」
「………」
 相手にするのは止めよう。
 オレは猛然と、図書室に向かってダッシュする。いつまでもこの不毛な会話が終わりそうにないので、せっかくゲットした図書の本を、オレの三分の努力を、せめて返却しておきたい。はあはあ息をしながらドアを開けて、一瞬で本を棚に戻している倉内を発見し、オレは飛びついた。
「しーずー、会いたかったっ!」
「わっ、瀬ノ尾先輩!?ビックリした…。普通に登場してください」
 オレが倉内にこうやってちょっかいをかける度、図書室中から痛いくらいのお前死ねよっていう、殺気だった空気がビシバシ身体中に突き刺さる。倉内の人気は尋常じゃないけど、実際は図書室に通うくらいの大人しい生徒が多いので、オレはとりあえず未だ無事でいるわけです。
 見た目によらず、倉内は強い力でオレをさりげなく引き剥がす。呆れたようなその目も、もう見慣れた。全然怖くありませんよ、と。
「いやあ、しーずーは今日も可愛いね。オレの荒んだ心が潤うよ」
「瀬ノ尾は一体、図書室に何をしにきてるのかな?みんなの読書の邪魔をするなら、帰っていいよ」
 後ろから金本先輩に、頭を軽く叩かれた。先輩はこんなこと言ってるけど、実際わかりましたと帰ろうとしたら、もっとキツイとどめをさされるのは体験済みだ。
「やだなあ。オレ、今日は気合いを入れて、委員会活動を頑張りたいと思って…」
「えっ!?瀬ノ尾先輩がっ?」
 オレが傷ついた表情をすると、倉内は顔を赤らめてすみませんと頭を下げた。ま、可愛いから許すけど。オレは倉内にベタ甘だし。
 確かにオレが真面目に図書室で仕事をする、という確率は限りなくゼロに近い。だけど、図書室を出て山峰に捕まるのは嫌だし、一人になっても気分が落ち込みそうな気はするしで、ここにいた方が百倍マシだ。倉内は可愛いし、一緒にいるだけで潤うからな。
「今日はフィルム貼りをしようと思っているんですけど、手伝ってもらえますか?」
「勿論。しーずーのお願いを断るわけないじゃん」
「お願いします」
 フィルム貼りは、結構めんどくさい仕事だ。地味だし…。正直言ってやりたくないけど、普段サボっている分も、やる時はしっかり頑張らないと。
 やり始めると、けっこう真剣に集中して作業をしてしまう。そんなオレに感心したのか、倉内は順調に積み上げられていく本を眺め、表情を輝かせた。これでオレが倉内を可愛いと思うのは、今日何度目なのかもう数えるのも面倒だ。
「なんか、真剣な瀬ノ尾先輩って格好いいですね!ちょっと新鮮です。そういうギャップで、女の子落としてるんですか?なんか先輩がモテるの、わかる気がします」
「えっ」
 オレは、油断していたんだと思う。
 倉内は普段、オレには絶対にそんな言葉をかけたりしない。まあ、それだけ手伝ってもらって嬉しかったっていう可愛い後輩心の現れ、なんだろうけど。だから戸惑ったっていうか、照れてしまった。
「?」
 オレが言葉を返せないでいると、倉内はきょとんと首を傾げる。
 やばい。ヤバイヤバイよ、コレは。良くない傾向だよオレ!倉内は可愛いけど男だから!!何ときめいてんだよ、オレは?落ちつけ、落ち着くんだ。落ち着こう…。さっき自分で山峰に言ったことが、全然説得力なくなっちゃうじゃん!オレが好きなのは女子の太もも、倉内が可愛いのは今に始まったことじゃない。動揺するようなことじゃない!
 大体、どうしてオレは男子校なんかに進学してしまったんだ。これが、そもそもの間違いだった。それにきっと山峰の告白が、多分オレを妙な気分にさせたままなんだ。ああ、何か言わないと倉内に変に思われる…
「どうかしたんですか?瀬ノ尾先輩?」
「ご、ごめんしーずー。オレ、急用思い出したから…今日は…これで業務終了ということで……」
 オレは息も絶え絶えに、そう宣言して立ち上がる。
 後からボロクソに金本先輩に言われるだろうけど、今倉内と一緒にいたくない。まだ、まだセーフのはず(だと思いたい)。このトキメキが恋になる前に、消してしまわないといけない。ああ、そう。オレは男にときめいてしまったのか…。
「もしかして、具合悪いですか?そういう顔…」
「ちっ、違うから!全然っ!!それじゃっ」
「瀬ノ尾先輩」
 オレは脱兎の如く逃げ出して、金本先輩の追尾も必死で逃げ切って…正門横に立つ山峰と目が合った瞬間、心の底から溜息をついて脱力した。
「お疲れ、瀬ノ尾。一緒に帰ろうぜ」
「嫌だ。疲れが増す…っていうかごめん、さっき言い過ぎた。悪かった、動揺して」
「いっや、全然気にしてねえ。って言ったら嘘になるけど…まあ、普通はそういう反応だろうってわかってるしな」
「そうか?オレが同じこと言われたら、立ち直れないと思って……」
「誰に?」
 何気なく呟いたオレのセリフに、山峰は探るような視線を向けてくる。あ、しまった。失言だった。
「えっいや誰ってこともないけど想像?とにかくそういうことだから!」
「瀬ノ尾…。真っ赤になってるけど、そんなに俺の告白にドキドキしたのか?」
「ちっげーーーよ!!!」 
「…おい、携帯鳴ってるみたいだぜ」
「!」
 メールの着信は、倉内からだった。ボタンを押す指が、プルプル震える。
『お疲れ様です。瀬ノ尾先輩の様子がおかしかったので、大丈夫かな?と思ってメールしました。手伝って頂いて、嬉しかったです。それでは』 
 短い文面だったけど、それはオレの胸をキュンとさせるには十分だった。
 大体、オレも一応図書委員の一人なんだから手伝った、っていう表現は微妙に間違っている。オレの仕事でもあるんだし。なんかしみじみ、倉内って可愛いなあと思った。
 オレは今、すごく癒されている…。それが恋によるものなのかどうかは、この際おいておくとして!
「オレさ…」
「ん?」
「もう少しだけ、真面目に…委員会活動、頑張ろうかな……」
「何だそれ。図書室で何かあったのか?俺が聞きたいのはそんな宣言じゃなく、俺たちの関係の前向きな発展につい」
「オレとお前の関係が、発展することだけはないから!」
 そしてきっと、オレと倉内の関係が発展することだって、絶対にないのである。


   ***


 恋愛のことで悩んでいる、と金本先輩に相談したら「瀬ノ尾って、斜に構えているようで、予想外のことが起こるとテンパるから。落ち着いて考えて、自分の素直な気持ちに従えばいいんじゃない」。そう、的確なアドバイスをされた。
 さすが彼女持ちだ。なんだかんだいって、オレも倉内も金本先輩を頼りにしている。ただ何となく、股がけした上での修羅場だと思われているような節があるので、そこはどうかと思うけど…。
 オレが真面目になったかといえば、そうでもなく今まで通り。だって倉内への淡い感情が、形になってしまったら困る。山峰は相変わらず、気まぐれに本を借りてはオレが催促するのを楽しみに待っているらしい。趣味が悪い。少しだけ、お互いの間に会話が増えた。本当に少しだけ、ただそれだけ。
 彼女候補は、三人から一人になった。エリはオレに惚れているので、多少連絡の速度が遅れても大丈夫なんじゃないかと自惚れている。人生の選択を間違える前に、彼女とつきあった方が良いのかもしれない。
 そんなことをダラダラ考えつつ、オレは今日も図書室へ向かう。


  2008.03.05


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