絶ホモ(笑)



 僕は中肉中背で、見た目は弱そう(そして実際に軟弱だ)なのだけど、どういう訳か体育委員をしている。体育委員をすれば積極性が育つのではないか、と目論んだ担任の意志は見当はずれだ。
「いっちにっ、いっちに!南高〜」
「「ファイっ」」
 大体、うちの高校の方針はどうかしてる。偏差値があまり高くないからこそ規則が厳しくて、嫌になる。体育なんてチャイムが鳴る五分前に整列を済ましていなければ、教室からやり直し着替え直しで。今の準備運動後のランニングも、声が小さければ永遠に終わらない。ちなみにもう、授業開始から二十分は経った。暑くなり始めた校庭はなんだか、思考を溶かす装置みたい。
「…大丈夫か?小田切」
「お、大野くん……」
 見ての通り、あまり大丈夫ではありません。小声で心配をしてくれるもう一人の体育委員(バレー部。でかい、爽やか、明るい)は、僕の状態に小さく溜息をついた。新学期が始まってから、僕はこの大野くんに、足を向けて寝られないくらいにフォローされまくっている。ありがたい存在。
「もう少しだから。我慢できそうか?…少しスピードを落とそう」
「ありがと」
 体育委員が列の先頭をきって走っているわけなんだけど、僕はもう死にかけているのに対して、大野くんは至って普通だ。よし、ランニング終わり!体育教師の野太い声が響いて、みんなの安堵し、脱力した空気が伝染する。
「ふらついてるな、小田切。平気か」
「ありがとう、なんとか…。今が六時限目でよかったよ。朝一でこれだと、後がもたないもん」
 心底素直な気持ちを吐きだすと、大野くんはまるでシマリスに接するような目で僕を見つめる。なんでシマリスかっていうと、大野くんが実際、そういう風にクラスメイトにからかわれていたから。その表現おかしいと思うけど、何人かは納得したりなんかしていて、僕は一部でシマリスのシマ、なんて呼ばれたりするようになってしまった。ちっとも嬉しくない。
 僕は実際にチビだし華奢だし、友達というより、大野くんだって小動物をかまうような気持ちなのかもしれない。…ただでさえ頭がクラクラするのに、なんかもう、僕は気分まで落ち込んできてしまった。
「今日はサッカーだっけ。僕、チームの迷惑にならないように見学してるから」
 僕はナチュラルに思考回路が卑屈な上、被害妄想気味なので、そう宣言してグラウンドの隅に腰をついた。

『小田切。お前、体育委員やりな?』

 担任はそう微笑んで、僕の頭をぽんぽんと叩いた。その提案を断れなかったのは、僕が担任を好きだから。そう…恋愛対象として、僕は担任に片思いしているのである。合掌。
 あんな風に柔らかく言われてしまったら、何でも頷いてしまうじゃない。恋する男は盲目です。
 新学年になって、僕の成績は少しだけ上がった。笑っちゃうくらい小さなアプローチに、担任が気づくことはない。絶対、彼女がいると思う。あんな魅力のある人を、女が放っておくはずない。同性の僕まで、好きになるくらいなんだから。
「なーなー、小田切。大野って、お前のこと好きなんじゃね?」
「うん、いい人だよね…」
「いやそうじゃなくてさー。さっきから、チラチラお前の方見てるし」
「そういうの長男気質なんだろうね。僕は一人っ子だから、大野くんの弟が羨ましいよ」
「お前、天然なのかワザとかわしてんのか…」
「高橋?妄想も度を過ぎると恥ずかしいからね。あんまり変なこと言うなよ、バーカ」
「しかもっ!ほらっ、オレ、今あいつに睨まれてるうう」
「はいはい」
 いくらマブダチとはいえども、高橋の妄想には、付き合いきれない。
 高橋はとってもうるさい…いや、元気の良い(僕と一緒にいると、丁度良いくらいの空気が出来上がる)クラスメイトで、ただ少し妄想が過激なところがある。
「ぜってーホモだと思う。絶ホモだよ絶ホモ」
「お前いい加減にしろ」
 絶ホモは大野くんじゃなくて、僕の方だっつーの!何だよその略し方、馬鹿にしてんのかっ…。
 何が何でも担任のことが好きだなんて、誰にも言うわけにはいかない。知られちゃいけない。知られたらイジメにあいそうだし、なんてったって担任に軽蔑されたくない。気持ち悪い、なんて思われたくない…。そんなだから、僕は担任と会話する時は常に細心の注意を払っている。授業中なんて意識しすぎて、逆に見れないし。担任のおかげで、僕は科学が大好きになった。体育は相変わらず嫌いだけど。…大嫌いになりかけている、けど。
「そういやうちの担任ってさ」
「えっ、うん。何?」
 いきなり担任の話を振られると、僕は動揺してしまう。
 そんな僕の顔をまじまじと覗き込み、高橋は考え込むような表情になった。
「………」
「何?」
「気のせいかもしんないんですけどぉ、うちの担任の話になると、小田切いつも食いつきよくね?
 …ま、大野の絶ホモには負けるけどな。ヒヒヒ」
「あのねえ…。僕は、高橋のその妄想力の豊かさに脱帽したよ」
 僕はあえて否定しなかった。高橋が指摘したことは、本当のことだから。
 よほどそのフレーズが気に入ったらしく、絶ホモ絶ホモと繰り返しては、高橋はニヤニヤしている。馬鹿…。人の気も知らないで。
「オレの勘って、結構当たるんだけど…ブッ!」
「高橋、大丈夫!?」  
 偶然にしてはできすぎのような気がするけど、大野くんの蹴ったボールが頭に勢いよくぶつかって、高橋が泣いた。


   ***


「小田切、ちょっと職員室に寄っていかない?」
「えっ?はい…」
 ある日の昼休み職員室の近くを通りかかったら、僕は担任にそう声をかけられた。
 本当はすごく嬉しいし、キョドりそうになるのを必死で抑え、噛みしめるような笑顔を返す。自分の机までやってくると、担任はとっておきのものをプレゼントするみたいに、僕の手にはい。と、お饅頭を乗せてくれた。 
「出張に行っていた教頭先生のお土産。俺、あんこは苦手なんだ…小田切は平気?」
「あ、あの…はい。好き…です」
「よかった」
 告白したわけではないのに、好きというただそれだけの単語が、火が出るように恥ずかしく感じる。
 よかったなんて、そんな返事が返ってくるわけはないのに。瞬間的な幸せな妄想。僕は、高橋を笑えない。担任はわざわざお茶を煎れてきてくれて、僕はもう、その一挙一動に恋をしてしまうのだった。
 味なんてちっともわからないけど、これは美味しいに決まってる。担任が、僕に与えてくれたものなんだから。
「先生、ありがとうございました。美味しかったです」
「小田切に喜んでもらえて、よかったよ。…ほら、俺、いつも余計なことばっかりして、小田切を困らせてるだろう?体育委員のこととか…嫌われてるんじゃないかなって、少し不安で。そういう下心も、なきにしもあらずだったり」
「そんなことはないです。僕…先生のこと、好きです…から……」
 どれくらいの勇気を持ってこんな告白をしてるかなんて、目の前の大人は想像もつかないんだろう。
「小田切は可愛いなあああ。よしよし」
「う…」
 頭を撫でられてしまった。担任は猫でも飼っているのかもしれない。僕によく、こういうことをする。
 どうせ僕は、この人にとってなんとなく放っておけない類の消極的な生徒でしかないのかな…なんてふと思って、泣きそうになって涙を堪えた。
 大体、僕は口を開けば、絶賛ネガティブだったり自分否定の方向になることが多いので、担任の前ではあまり喋らないようにしている。少しでもいい印象を与えたいから、黙り込むしかないじゃない。
「そんなに緊張されるとね…。あのね。俺は…えーと…いや、まあ、…小田切と仲良くしたいのさ」
 多分照れ隠しなんだと思うけど、担任は明後日の方向を見ながらぼりぼりと頭をかく。
 あんまりときめきすぎて、僕はもう胸がいっぱいで、こう告げるのが精一杯だった。
「僕もです…」
「ふふふ」
「へへへ」
 僕だって、仲良くしたいに決まってる!そう熱弁したい衝動を、ふにゃりとした笑顔で誤魔化して。 
 その数分間をいつまでも胸に留めたまま、僕は天にも昇る気持ちだったので、六時限目の体育もどうってことないと思えた。サッカーボールを体育倉庫から運び出す時に、大野くんから、
「俺、小田切のことシマリスだなんて思ってない。好きなんだ、君がうちの担任を想っているのは知ってるけど。俺の気持ち憶えといて」
 そう告白されるまで、僕は間違いなく天国の淵にいた。


  2008.04.25


タイトル一覧 / web拍手