悪趣味恋愛



 一番最初からもう本当に、出会いは最低最悪だった。
 鳴海は風紀委員で、眼鏡を掛けていて、癖のない黒髪の持ち主で、背は俺とあまり変わらないくらい。成績優秀。家が金持ち、親が政治家。まあ、俺とは別世界の人間だと思う。
「矢島裕孝。お前、その髪は何なんだ?」
「えっ、地毛」
 生まれてきて十七年。すれ違いざまに、初めて言葉を交わした人間に、髪の毛を掴まれた経験は初めてだ。俺は明らかな嘘をつき、眼鏡越しに心底冷たい目が間近で睨みつけてきたので、曖昧に視線を外す。空気が寒い。
「ピアスも何個付けてるんだ?うざったいんだよ」
「えー、数えてないからわからない…」
 左と右で同じ数だったか、違ったか。それすらも思い出せない、俺の記憶力。別に重要なことじゃない。情報化社会の今の世は、どんどん忘れていかないと生きていけない。
「ちょっといいか。そのだらしなさに我慢できない」
 凄い力で、鳴海は俺を生徒指導室に引っ張り込んだ。密室でこんな男と二人きり、というのは俺にとってもう地獄以外の何でもない。俺は俯き加減で、説教がどれくらい続くのか予想して、ひたすらテンションが下がる。
「大体、そのズボンの穿き方はおかしい。みっともない男だな」
「すいませんね…」
 のろのろと腰で穿いているズボンをずりあげる俺は、パン!という目の覚めるような音と頬の痛みに、一瞬呆気にとられてしまう。状況を理解するとあまりにも理不尽で、怒りを通り越してなんだかドッと疲れてきた。
「さすがにそれはおかしくないっすか?風紀委員さんよぉ」
 俺は、殴り返すべきだろうか。いや、今そこまでテンションを上げることがまず、できない。文句を言うくらいは、許されてしかるべきである。
「お前の全てが気に入らないな」
「別に、鳴海さんに気に入ってもらえなくても俺は全然問題ありませんので、結構ですけど?」
 むしろ気に入ってもらいたくなんてないね、こんな訳の分からない気味の悪い優等生に。
「その蛍光ピンクのシャツも、悪趣味だ」
「ちょっ、な―――!?」
 制服の下に重ねたシャツを、険しい表情で鳴海がずりあげる。昨日は彼女の家に泊まりに行ったので、その名残が点々と跡になっている。鳴海はそれを見て、顔をしかめた。
「へえ…。お前の彼女、4組の松野?あの香水くさい、頭の悪そうなギャル」
「俺のことは別にどうでもいいけどさ、梨美の悪口まで言われる筋合いはないな。いい加減にしろよ」
「別れた方がいい」
 それ、は信じられないような出来事だったので、俺には防ぎようがなかった。
 どうしてこの流れでキスをされなければいけないのか、まったく意味不明だし、頭の良い人間でもきっと分析は不可能だと思う。鳴海のキスは粘着で執拗で、苦しくなるくらいに俺を逃がさない強い意志を感じる。初めて会話したというのに、俺は確かにその行為に執着を体感させられた。…気持ち悪い。
「裕孝…」
「何、のつもりだよ…。意味わかんね、きもい、離れろって。お前頭おかしい」
 囁くように名前を呼ばれて、背筋が寒くなる。
「みっともなくてどうしようもないお前の、もっと無様な姿を見たいんだ。どんな顔してイクのか、だとか」
 世の中には本当に俺の考えが及ばないくらい、変な奴がいて、そしてそれは困ったことに関わり合いになってしまうことだってこんな風に…あるらしい。


   ***


 俺は確かに今、最高に無様な姿を鳴海の前に晒している。
 必死で逃げ出そうとした頑張りも空しく、鳴海は俺の息子をまるで何か美味しい食べ物か何かのように、懸命にしゃぶり尽くした。正直言って梨美にフェラなんてさせるわけにいかない、なんて思っていた俺の決意はなんだか最悪な初体験の思い出になり、もう涙しか出ない。ねっとりした舌の粘膜が無性に、気持ちがいい。でも多分、鳴海も巧いんだと思う。
「あ、クソ…」
 出そう。うっわーもう何、カッコつけてないで梨美に舐めてもらえばよかった。俺の馬鹿俺の馬鹿俺の馬鹿!こんなのは屈辱だ。嫌がらせ以外の何でもない。ああああ、終わった。イッてしまった…。
「いっぱい出したな」
 満足げに鳴海が微笑む。俺は敗北感とむなしさでいっぱいになりながら、ぐすぐすと涙を拭った。抵抗する気力もない。どういう顔で梨美と会えばいいのか、もう全然わからない。
「………も、勘弁してくれ…」
「いや、楽しいのはこれからだろう」
「ぜんぜん、たのしくないっす」
 どうして俺は男相手に開脚(マゾじゃないから、女相手でも辛いけど)させられて、しかもああ、もう状況を整理するのすら嫌だ。いやそこは、何考えてんのお前。無理。無理だから。入るわけない…。俺の竦んだ身体はもはや、俺の命令を完全に無視している。鳴海に好きなように弄ばれて、この有様なんだから。
「う…」
 ムズムズして、変な気持ちだ。早く終わってほしい。こんな奴と無関係でいられるなら、俺は品行方正になってもいいから。もう許してくれませんか、神様。
 フェラもまだ未経験だったなら勿論、アナルなんて触らせようと思ったこともない。未知の空間だろう、そんなところは…!
「…あっ……は…!」
「その快楽を我慢する顔なんて、最高だよ。裕孝」
 最強に勘違いしたセリフは、ツッコミを入れる気にもならない。その眼鏡を叩き割ってやりたい!
「いっ、てえ…」  
 この馬鹿風紀委員はきっと、自分が気持ちよくなりたいだけで、俺がどうなろうと知ったことじゃないんだろう。そこはそういう器官じゃありませんからーー!痛い痛い痛い!!泣きたい…。
「まだ指が二本入っただけじゃないか。そうだ、俺はいい物を持ってるんだった」
「い、いい物?」
 飽和しそうな俺の目が、鳴海の手に握られた剃刀を認識する。それのどこがいい物なのか、俺はもう考えるのを放棄した。いっそ、意識を手放したい。
「裕孝は、オシャレに気を遣ってるんだろ?君の格好はいつも、目を惹くよ。坊主にするのは、さすがに可哀想だからな…。俺が優しい人間でよかったな」
「や、やめろよ。冗談っ…」
 鳴海がニヤリと笑った。その笑顔は俺の怯えにも性的に興奮している、ということなんだろう。
「動くと危ないよ?…何も身につけていない裕孝はきれいだ。こんな姿じゃ、松野とヤれないだろうな」
「こんな時に、梨美の名前を出すのはやめてくれ」
「フン」
 それから先のことは俺にとって、一生のトラウマとなるだろう。男に無理やりヤられた上にマニアックなプレイまでされて、情けないというよりむしろ死にたい。この絶望感ときたら。
 難癖つけられてまたあんなことになるのはゴメンだったので、俺は黒髪に染め直し、ピアスの数も減らした。悪目立ちするのは生きていく上で、とても不便なこともあると学びました。無難。普通。結構じゃないですか…。
 ギャル男が好みな梨美には振られてしまったけれど、あんな状態でエッチなんてとてもじゃないけどできそうもないので、お互いの為に、それが一番良かったかもしれない。そんな傷心は、一週間遊んでカラオケして食べて飲んだら、大分癒されはした気はする。
 なんか話しかけづらかったけど、矢島くんてほんとは面白いんだね。というまったく同じ会話を、クラスの二三人と交わした。二度と鳴海には関わりたくない。クラスが違うし、教室のある校舎自体違うから、まだマシだ。

「おはようございます」
「おはよー」
 正門をくぐろうとした俺は、月曜の朝から見たくないもの(鳴海)を認めて、溜息をつく。
 風紀委員の挨拶運動が今週だと知っていたら、正門ではなく南門から登校したのに…。他の生徒に紛れてシカトしようと思ったのに、鳴海は真っ直ぐ俺に向かって手を伸ばす。それから、おはようと言った。強い力。押さえつけられたあの屈辱を思い出して、ゲロが出そうだ。
「…はようございます」
 怒りのせいで声が震える。俯いた俺の視界に、手入れのされた革靴が見える。俺の五千円で買えるスニーカーが、無性に汚らしく見える。…いちいち腹が立ってくる。
「似合ってるじゃないか」
「うっせ。話しかけてくんな、死ね」
「そろそろ生えてきた頃なんじゃないか?また俺が、きれいに手入れしてやるよ」
 低い声が、簡単に俺をそう挑発する。一瞬で、臨界点を突破。躊躇いなんて、微塵も感じなかったね俺は。たかがグーで一発殴ったくらいで、正門前は大騒ぎ。ちくしょう、俺の心の傷はこんなもんじゃ済まされないっていうのに!
「鳴海くん、大丈夫!?」
「平気だよ…。…ちょっと、頬を冷やしてくるから。ほら、君も来るんだ」
 騒然とした場を、何事もなかったかのように収めたのはやっぱり鳴海で、周りを適当に言いくるめながら奴は俺を、再び二人きりの生徒指導室へと連行した。
「松野と別れたらしいな。その髪も服装も、俺の影響なんだろう?責任は取るよ」
「はあ?調子乗んな」
 心の慰謝料でも払ってくれるなら、いくらでも値段をつり上げてやるところですけど。翌日なんて、俺は満身創痍だった。というか実際、精神的にも肉体的にも軟弱なので三日寝込んだ。
「好きだよそういうの。すごく俺好みだ、裕孝。前から、お前に目を付けてた」
 俺を抱きしめて、熱っぽく鳴海はそう告白する。首の辺りに奴の眼鏡が擦れて、くすぐったい。殴られた分の、借りは返した。犯された分は…俺、男に欲情する趣味はないから、やり返すわけにもいかないし。未来永劫、こんな男と付き合うような予定もない。


  2008.04.03


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