絶ホモ(苦)



 冬…。冬イコール、マラソン。マラソンを思いついた人を、心底僕は呪いたい。なんていうか、ただひたすらに苦行である。
 どうして僕は体育委員なんだろうと思うけど、それは大好きな担任に任命されたから。という答えが用意されているから、悩むだけ不毛ってやつだ。
 冬休みなんて、永遠に明けなければよかったのに。三学期に入ってから、体育の時間はずっとマラソン練習だ。死にそう…。
「小田切、だ、大丈夫か?」
「大野くん…」
 校外でのマラソンコース、折り返し地点を戻ってきた大野くんが心配そうに、僕に声をかける。
 バレー部のレギュラーをゲットしたその体躯には、こんな冬の気温も長ったらしい平坦な道路も敵わない。羨ましいけど、あそこまで鍛えるのが既に無理な僕です。
「僕のことは気にしないで…どうせ、歩くし……」
 どうせ歩くっていうか、走る距離の方が少ないっていうか、大きな声では言えないけど、僕のやる気は微々たるもの。
「…今にも倒れそうじゃないか。一緒に、走ろうかな」
「先行ってください。…マジで」
 大野くんは、僕のことが好きなんだって。頭おかしいんじゃないかな、って思うけど人の好みはそれぞれなので、あんまり言えない。そんな僕は僕で、担任に片思いをしている。だから、大野くんの気持ちは丁重にお断りしておいた。


   ***


「小田切、ちょっと」
 担任は僕を呼び止める時、大抵、ちょっとって言うことに最近気づいた。
 廊下の隅っこ。僕はこの人といられるのなら、場所はどこだってかまわないけど…。担任は、僕の大好きな表情を曇らせている。
「はい」
「最近元気がないようだけど、何か悩み事でもあるのかなと思って。心配でさ」
「あ…」
 気にしてもらえていることが嬉しくて、言葉が耳に溶けていった瞬間、元気になった。別に担任にとって他の生徒と変わらない一人でも、もしかしたら、ちょっとは好かれているのかもしれないって。
「やっぱり。…あーでも、俺には言いにくいか。先生だし?」
「え?ち、違う。違います。そういうことは…!だから先生にそんな顔、されると僕は…」
 しどろもどろ否定して、僕は赤い顔を俯かせる。そうしたら、堪えきれなくなったような低い笑い声が聞こえた。
「ごめん!いや、ほんと可愛いね。小田切は…」
「な、何なんですか?僕をからかって面白いんですか?…べ、別に…そういうの、嫌じゃないですけど」
「面白いっていうか、可愛くてつい…。ごめん。頭撫でてもいい?」
「………(よくわからない)」
 かくんと頷いた僕の頭を、なんだか慎重な仕草で担任は優しく撫でる。
 ものすごく落ち着かないというか、担任と僕は今、果たして意思の疎通が正しく行えているのだろうか…。まったく自信がない。
「何か悩みがあるなら、先生に話してもらえると嬉しいな。俺、小田切の力になりたいから」
「そんな、大した事じゃなくて…最近、マラソン練習が多いので…。バテているだけなんです」
「なんだそうか、頑張ってるな。小田切は」
 えらいえらいと、小さい子をあやすような口調で担任は続ける。頑張ってるも何も、他の生徒もまったく同じ状況なわけで、僕はなんだか申し訳ない気持ちになった。
「頑張りたい…とは、思っているんですけど……。すぐ息が上がっちゃって」
 僕はやっぱり大好きなこの人と会話をしていると緊張しすぎてしまって、段々気持ちが悪くなってきた。もっと楽しい話題ができたら、と思うのに。自分の機転の効かなさに絶望する。
 仲良くなりたい好かれたい、常々そういう願望は抱いているのに。意識すればするほど、言葉に詰まる。焦って、どうしたらいいのかわからなくなる。
「そうだなあ…。マラソン大会完走できたら、先生から何かご褒美をあげる。っていうのはどう?」
「先生が僕に?」
「そう」
 ギュッとしてほしいですなんて言ったら、普通に引かれるんだろうなあ。というか、キモイよね。好きなのがバレちゃいそうだし、それは困るし。でも、ご褒美って言われても何も思いつかない…。
 担任は罪な男だなあと僕は思って、小さく溜息をついた。
「迷惑かな?こういうの。どうやったら、小田切は元気になってくれるんだろうなあ」
 僕はニヤケそうになる顔を必死で我慢しようとしたしかめっ面で、首を横に振った。
「嬉しいです。先生に、気にしてもらえるの」
「それ、嬉しいって顔じゃないよ〜。小田切」
 変な誤解をされたくはないので、僕は素直な笑顔を担任に向ける。
「かわいい〜!」
「………!?」
 ご褒美にできることなら、と妄想した行為を何気なく担任は僕に行って、その抱きしめられた胸の温もりにひどく動揺した。心臓が口から出そう。
 こんなに簡単に叶えられてしまったら、もっと欲張りになってしまいそうで怖い。
「…先生。僕、やっぱりご褒美は何もいらないです」
「小田切?」

「ああ!ちょっとセンセー、うちの小田切はお触り禁止っすよ!!」

 テンパって僕が担任を押しのけたのと、高橋がそう声をかけたのが同じくらいだった。
 多分僕は死ぬほど真っ赤なタコみたいな顔をしていて、高橋はそれに気づいて、あ。コレは…という微妙な空気を読み取ってしまったらしい。本人曰く、勘が鋭い男だそうだし。
「んじゃあ、小田切はオレがもらっていきますんでー!」
 僕を引きずるようにして歩きだした高橋は、教室を通り越して人気のない踊り場までずんずん歩くと、
「小田切、恋する乙女の顔になってんぞ…」
 言いにくそうにそう、第一声を発した。
「あー、…あーもう誰にも言わないでくださいお願いします、高橋様……。恥ずかしくて消えたい」
 いきなり土下座を始めた僕に、高橋はサクッとトドメを刺すのだった。
「お前ホモだったんだな…。オレに惚れるなよ?」
「……うわぁ…時間を巻き戻して、あんな軽率な会話を進めた自分をどうにかしたい…忘れて!」
「ま、冗談だけどよ」
 前から何となく、怪しいと思われていた節はあったから、高橋に関してはもうしょうがない。僕はそこまで器用な人間じゃなかったんだろう、気持ちがふっと表に出た瞬間をたまたま見つけられてしまったら、対処しようはない。
「絶対、担任に変に思われた…。どうしよう……。高橋みたいに気づかれてたら…無理……」
「つーかアイツ、結構まんざらでもない感じだったじゃん。むしろ、デレデレしてたしよ」
「どこをどうしたら、そんな風に曲解できるんだよ〜!?」
「多分、お前に気があるぜ」
 嫌われてはいないというのが、唯一の救いみたいなもので。
「大野もお前んこと好きだったじゃん。で、お前は担任のことが好きなんだろ?オレの勘はいつも正しいの。おめでとう小田切!」
「適当なことばっか言うなよな…。もう」
 僕は泣きながら笑った。今度担任と話す時、ちょっとぎくしゃくするかもしれないって怖いけど、高橋と喋っていたら、元気が出てきた。
 ずっと一人で抱えていた気持ちを打ち明けることができただけでも、ほんの少し楽になったような気がする。こんなだけど、高橋は僕の大事な友達だ。さっきだって、普通に僕のことを受け入れてくれたし。元気づけてくれるし、ありがたいや。
「ありがとう。高橋」
「いいって。まあ、オレには惚れるなよ」
「しつこいな…」
 イラッとして手を振り上げた僕をヒョイとかわし、高橋は笑うのだった。


   ***


 マラソン大会、当日。あまりに憂鬱だったので、今日の朝はご飯が喉を通らなかった。
 あれから、担任とはろくに話をしていない。なんだか恥ずかしくて、何を話したらいいかお互いにわからないような感じ。ずっと、モヤモヤしている。
 歩いた方が早いんじゃないかというような鈍足で、僕はようやく折り返し地点へとたどり着いた。その視界に担任が映って、吸い寄せられるように列へ並ぶ。
「小田切!あと半分だよ、ほら。腕出して」
「先生…」
 担任が、僕を明るくそう励ましてくれる。胸がキュッとした。
 僕たち生徒は折り返し地点で、右手の甲にマジックで印をつけてもらわないと戻ってこられない。ズル防止の対策だ。
「あ、左手も」
「?はい」
 左の手のひらに、担任は信じられない文字を描いた。
「頑張れるおまじない。俺の気持ちです」

 スキ

 顔を上げた僕に、照れたような笑顔が与えられる。心臓の動悸が激しいのは、マラソンのせいだけじゃなくて、ああでも信じられなくて、ドキドキして死にそうになった。


  2009.02.01


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