君をつかまえて



 好春(ヨシハル)は、大変に頭が柔らかいというか結構アレな性格で、僕はいつもそれに振り回されて大変に迷惑、もとい充実した毎日を送っている。
 大体転校生というのは、大抵の場合、隣りに座ったクラスメイトに世話になるものだ。僕は転校生で、彼は隣りの席なのだった。好春はすごい笑顔で、転校生だって!かっこいいね。とよくわからない感想を言う。この辺が、彼の頭が柔らかいという所以だ。
 勿論こんなのは序章で、僕の騒々しい日々はこの瞬間から始まったのだった。
「田辺くん田辺くん聞いてよ〜!」
「うんうん、聞こえてるから。そんな大声出さなくても」
「ゆっこに振られたああああ!!田辺くん、お願い、慰めて!」
「おま、二週間も経ってな…」
「傷を抉らないでくれまいかっ!
 なんか、俺顔だけは最高にいいけど、中身が駄目すぎるって。ひどい…」
 そこで、ぐすぐすと泣き真似をする。
 クラス中の注目を集めていることに気づきもしない(そして、その中の何人かの好意にすらだ)好春は、どちらかといえば小柄な類に入る僕を、ぬいぐるみ代わりに抱き寄せるのだった。
 あっねえ、ヨークシャテリアに似てるって言われない?言われるわけないだろ!!とっさにその犬種が出てくる奴なんて、めったにいないから―――僕はそんなやりとりを思い出しながら、引きつった笑みを浮かべる。
「あー」
 慰めてあげようと思ったのに、僕の態度はどこまでも正直だ。
「うわ、今、納得したっしょ!?田辺くんの鬼っ!悪魔あ」
「喚くな抱きつくな泣くなうるさい」
 いつもこうだった。好春は顔とスタイルだけは抜群に良い男なので、放っておいても女の子が沢山寄ってくる。
 それなのに、毎度長続きせずいつの間にか別れている。それを繰り返して、もう何度目なんだろう。
 殴られなかっただけマシかなあ、と好春はのんきなことを言って笑った。好春はいつもどこかフワフワしていて、僕はそんな好春を見ていると、たまに心配になってしまう。敬語が得意じゃない。数字が苦手だし、好春は自分の感覚で生きる男だ。ハラハラする。
「別れたくない、って言わなかったんだろ。どうせ」
「気持ちが俺に向いてないのに、一緒にいたってしょうがないじゃない」
 時々こういう正論を、どこかしらけた口調で言ってのけるのだ。
「そのアッサリ感が、何よりゆっこと別れる原因だったと反省しなさい。好春」
「ん〜。そっか」
 好春は僕の小言をそう聞き流して、あ、これ新発売のチョコなんだけど。美味しいよと笑った。
 新発売のチョコ>元カノ、なわけで。そりゃあ振られるよ、好春…。
「お前、ゆっこのこと好きだった?」
「ゆっこはねえ、いい匂いがしたんだよ。あれは桃かなあ?」
「知らないよ。そんなの」
 僕は、好きか嫌いかを問うているのに…答えになってないじゃないか。
「俺が続いてるもんなんて、朝のジョギングくらいだし。
 走るのは好きだし気持ちいいし、最高だよね!田辺くんも、何か運動すればいいのに」
「そっか。お前、陸上部なんだもんな」
「今度、見学に来たらいいじゃん!田辺くんなら、冷やかしでも大歓迎だよ〜」
 俺、体育祭のアイドルだよ?と僕が転校してくる前のイベントの話をし、好春は懐かしそうに笑む。
 そんなに言うなら、その雄姿を一度くらいは拝んでおかないといけないじゃないか。友達として。

 放課後になって校庭を覗いてみると、僕が見たことのない好春が、そこにいた。
 好春は、好きなものが多い。たとえばそれは新発売のチョコだとか、寂しそうにしている転校生の相手だとかその中に、走るという行為が含まれているんだろうけれど。
 真っ直ぐに前を向いた、きれいなフォーム。ああ、これこそが本当の好春なんだろうか。僕は呆然と見惚れるばかりで、好春は外野の視線になんか気づきもせずに。
 陸上を始めたのは高校に入ってからだけど、すごく楽しいよ。好春が言っていた言葉を、思い出す。後ろを振り向いたりしない好春のことが、本当に好きなんだなと僕は自覚してしまったのだった。
 誰にも言えない、こういう恋の始まり方。僕は幸せで、少しだけせつないような気もする。だけどそんな秘めやかな恋は、四度目の転校で、どうにか区切りをつけざるを得なくなってしまった。
 たった半年の間だけだ、僕が好春といられたのは。
 僕は毎日好春の隣りで笑って、前を向いて走る姿を見ていた。走るその先に何があるのか、後ろから想うだけの僕にわかるはずもない。
「好春はっ、どうしてそうなんだよ!」
「そうって、何が」
 ある日好春が、陸上部員エース・高梨と口論になっているのを、こっそりと盗み聞きしてみたら走ることはあくまで趣味の範疇であり、これで食べていくとかそういう、真剣な情熱は俺にはないよ。静かな声でそう告げて、怒った高梨に殴られていた。高梨は、なんだか悲しそうだった。
「そんなこと言うなよ!…言わないでくれよ。頼むからっ」
 好きなだけでは、理由にならないの?問いかけた好春に答えず、高梨は僕の隣りを走り抜けていく。それはそれは、青春て感じだった。
 もしかしたら、高梨は好春のことを好きなのかもしれない。そう邪推したくなるような、横顔で。そんなことがあった放課後も、僕は好春に何も言わず、黙ってその隣りに陣取っていた。
「よしくん、あたしとつきあってよ」
「いいよ」
 学習能力がないのか、それとも笑っちゃうくらい前向きすぎるのか。匂いは、その度に変化する。
 好春の右隣りはしょっちゅう女の子が入れ替わっていくけど、左隣りは半年間僕がキープした。どうして好春がモテるのか、走る姿を見ていたら、わかってしまったから。
 ただやっぱり、僕が一方的に気持ちを変化させただけで、好春は出会った頃から変わらずにどうやってC組の井上さんを自分の部屋に招き入れたらいいのか、とかそんなデリカシーのない話題を僕にばかり、ぶつけてくるのだった。
 僕以外の男だと、モテ自慢うぜえとか思われるのがオチかもしれないけど。自慢じゃなく天然でやってのけるから、困るというかなんというか…。
「好春は、何でそんなに女が好きなの」
「だって、人間の本能じゃん」
 そういうならば、それこそ真逆な僕の好春への想いはどう表現すればいいだろう?本当にせつないと思う。あと少しで転校してしまうのに、そんな話題で費やされていく時間。
 だけどこの生温い片思いが気持ち良すぎて、空気が変化するのも勿体ない気がして、僕はとうとう転校するとも好きだとも、好春に言えないでいた。

 友達と別れるのには、慣れている。
 転勤族の父親を、格段恨んだこともない。おかげで僕たちは、生きていけてる事実があるので。その度に、寂しいと思う気持ちがどうしても今回だけは、好春とだけは離れがたかった。
 言えるわけがない。言えない。勇気が出ない。
「二週間経ったら、また引っ越さなきゃいけないんだ。好春」
 タイムリミットは、もうすぐだった。
 ぎりぎりになって別れを告げた僕は、ついでのように、それから好春が好きだと白状する。どうせ別れてしまうなら、これきりになってしまうなら。せめて、想いを告げることだけは。
 何度か転校を繰り返して、それでも友達でいてくれるつきあいのいい人間なんて本当に、一握り。好春が僕をどちらに振り分けるのか、その審判が今から怖い。
 告白を、言い訳にはしたくない。…だけど。
「好きって、どういう意味?」
 お馬鹿で鈍感な好春は、直球の質問を僕に投げかけてくる。本人に言及された恥ずかしさで、僕は耳まで熱くなってしまった。無性に恥ずかしい気分だ。
 どういう意味も何も、僕はお前をそういう目で見てるってことだ。性の対象として?いや、そんな生々しい話は今ここで求められていなくって…ああ、どうしよう。どうしよう!
「田辺くん?ねえ」
 そう無邪気に首を傾げる好春ときたら、全然何もわかっちゃいない。現実って、なんてこんなにも怖いんだろう?好きな人の反応というのは、僕のすべてを揺るがして。
 好春の人懐っこい表情が、色を無くしていくのを見ていられなくて、失恋を抱えて逃げ出した。
「ま、待ってよ!田辺くんっ…」
 ひどく動揺した、心なしかその声音に、好意に対する嫌悪は感じられなくて。
 陸上部で、走るのが好きな好春は、僕になんてすぐ追いつくんだろう。今振り返れば、あんなにも願ってやまなかった好春の顔が見られる。走る好春の、顔を。
 僕はその事実に、もうどうしようもなくドキドキした。告白の返事より、何よりも。
「つかまえたからね!!」
 そうして振り向いた時に目が合った、好春の顔がかつてないほど情けない表情だったので、計算が外れたというか、愛しさが込み上げてきたというか、本当この男はずるいとか色々思いながら不覚にも、僕は泣いてしまった。
 好春のことが好きなんだよ、好きで好きでたまらないんだ。何度も胸の内で告白を繰り返し、僕らの未来を決めるのが好春のたった一言であるのに、それがどんなものであれ、あんな顔を見たら、赦してしまう他にない。


  2007.03.25


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