ボタン



 昼休み、購買に弁当を買いに行こうかと立ち上がった瞬間だった。隣りの席の宮野が俺の腹辺りを指差して、
「木下、ボタンがとれかかってる」
「あー…」
 その指摘に、俺は自分のブレザーへ目をやり、面倒くさくなって頭をかいた。
 確かに、上段のボタンは外れそうになっていて、ゆらゆらと頼りなげに揺れている。これは非情にマズイ。家にいる時ならお母さんが付けてくれるのに、なんでよりによってこのタイミングで、取れそうになるかなあ?
「付けてやろうか?すぐだから」
 なんでもない感じで、宮野がありがたい申し出をしてくださる。俺は下がりかけたテンションが途端に回復して、我が救世主を讃えるのだった。
「えー、マジで?付けれんの、宮野。つか、裁縫セットとか持ち歩いてんの?すげえ」
「貸して、それ」
 ものの五分。すぐに、俺のブレザーは完璧な形になって、俺の手へ戻ってきた。下から見ても上から見ても、どこから見ても元どおりに。おお、神様宮野様!
「わー、カンペキじゃん!すげえ!!ありがとう宮野〜」
 俺は大興奮しながら、恩人の宮野に飛びついた。
 宮野はうちのクラスの委員長で、あだなも委員長。みんなに頼りにされる存在だとはもう誰でも知っている事実だけど、こんな器用さももちあわせていたなんて、俺は全然知らなかった。
「どういたしまして。そんなに感動してもらえると、僕も嬉しいよ」
 またその笑顔が、本当に爽やかなんだよな。二年間同じクラスだけど、宮野を悪く言う奴なんて、いるはずないしな。俺は自分のことのように勝手に誇らしい気持ちになって、胸を張る。
「今時、女子でもこんなのできないね。婿に来てほしいね」
「僕は手芸部なんだよ、木下」
「えっ、それって女子目当てで?いや、宮野に限ってそれはないよなあ」
 恋愛にガツガツしている宮野、というのはそぐわないというか。そうであってほしくない、というか…。いいひとポジションというよりは、え、宮野くんて恋愛できるの?的な微妙な雰囲気を醸し出しているし。爽やかすぎて手が出せないっていうか、出させてもらえないのよね…とは、クラスのマドンナ榊お姉様(色っぽいからお姉様と呼ばれている)談である。なんとなく、言っている意味はわかる。
「うちの部の女子って、みんなクリスマス目標にマフラーとか編んでるんだ。僕は眼中にないよ」
「おおお、クリスマスかあ。クリスマス…それはおいといて、宮野は結局何で手芸部に入ったんだ?」
「僕は将来、アパレル関係の仕事に就きたいと思っているから。実用的だろ」
 俺は近い未来のクリスマスでさえ考えたくないというのに、この温度差。ましてや将来の夢なんて、もってのほかだ。そんな俺と対比したって、宮野は本当にいい男で、こういう奴とつきあう女が幸せになれるんだろうなあとか、俺はぼんやり考えたりする。
「さ、さすがいいんちょ…」
「フフフ。僕の人生計画に、何のぬかりも曇りもないよ」
「それもいいけどさ、宮野もピンクのマフラー手編みするとかさ、そういう情緒も必要だぜ?」
 ああ、俺の余計な一言なんて所詮は負け惜しみに過ぎないさ!あまりに嫌味がないところが逆に嫌味で、思わずそんなことを言ってしまう。
「木下は、ピンク色が好きなのか?」
「俺じゃなくて!ほら、好きな子とかいんだろ?その子にあげなよ、って話」
「………ああ、なんだ」
 微妙な反応だな、と思った。否定も肯定もせず、この話はそれで終了。
 もしチャイムが鳴らなかったとしても、俺は多分、深くはつっこめなかったと思う。宮野にはな。


   ***


 宮野は、女友達が多い。男女問わずの人気者なので、男友達もいるにはいるけど(俺はそこに含まれるのか、正直微妙なところ)、容姿もよく立ち振る舞いも洗練されていれば、女子が放っておかないのはまあ当然だと思う。宮野が言うには、相談相手に丁度いいらしいよ。とのことだったけど…。いつでもおそろしいくらいに、宮野は宮野で自然体なのだ。
「そういえば、僕は木下のアドバイス通りマフラーを編み始めた」
「えっ。誰にだよ!?榊お姉様?」
 やっぱりいたんじゃないか、好きな奴。俺はそんな風に思って、表情を輝かせた。
 宮野は友達が多いけど一線を引いたつきあいを好むから、多分、その秘密を知る者は少ないはず。好奇心が、俺をワクワクした気分にさせる。
「榊が僕のことをどうこう言ってるの、完全にネタだから本気にしない方がいいよ」
「そうなのか?俺、お姉様に告られたら喜んでおつきあいするけどなあ」
「そうなんだ」
 ん?俺は先日も感じた宮野の空気に、少しだけ声を潜める。
「あ、宮野。お前って、もしかして恋バナ苦手だろ?若干テンション下がるよな。ごめん、今気づいた」
「それ盛大なる勘違いだけど、木下には僕の繊細な感情の揺れ動きなんて理解できないだろうから、しょうがないね」
「なんか宮野にそういうこと言われても、全然むかつかないんだけど、でもそれがなんかむかつく」
「何だよそれ。それって僕のこと好きってこと?」
 少し笑いながら、冗談なのかそうでないのかよくわからない口調で問いかけられてしまった。
「どうしてそうなるのか、全くわからない」
 俺に断じて、その気はない。知らない間に、そんなオーラでも出てしまっていたとか?…いや、それはない。真顔で否定する俺の反応に、相変わらず少ししか動かない表情でさりげなく宮野の、告げた戦慄の愛の言葉!
「そうだったらいいなあと思って。誰だって、片思いは辛いから嫌だろう?」
「ええと?」
「つまり、僕はボタンが取れかかっていることに気がつくくらい木下を見ていて、好きだってことだよ」
 ………ああ、それでこの微妙な空気に流れるわけ。
「なるほど…って、そんなわけあるか!」
「あるある。一編み一編み、木下への恋が成就するようにと祈りながら編んでるんだから」
 悪びれず、いつもの調子でさらっと恥ずかしいことを発言する宮野。そこには同性愛への禁忌とか、俺の返事への恐怖とか、そんなものは微塵も感じられない。委員長様は、本当に大物である。
「俺、ピンクは無理」
「黒だよ。肌触りのいい糸を見つけた。四日もあれば出来上がるね」
「……………」
 出来上がるのはいいけど、俺、それを身につけなきゃいけないのか?そんな念の込められたマフラーを…。策が見えなくて沈黙する俺に、宮野は続けるのだった。
「僕は裁縫も料理もできるし、尽くすタイプだから木下はきっと幸せになるよ」
「あ、それは俺もそうだと思うよ…」
 その甲斐甲斐しさが逆にうざいタイプ、とは宮野はまた違う。
 なんなんだろうな、いい男すぎて俺には勿体ない。…って、この思考回路はまずいんじゃないか?俺の未来は、まだ決まったわけではないんだし。
「決まりだね」
「いやそこは、もっと考えようぜ!?お互いに……」
 十分考えた末の結論なんだよな、僕は。
 俺はなんだか寒気がして、ポケットの中のホッカイロを強く握りしめた。
「来年のクリスマスは一緒に、ロマンチックな夜を過ごそう。木下」
「何で来年なんだよ」
 そして俺はどうして、こんな不毛な展開にも律儀にツッコミを入れてやっているんだろう?
 なんだか眩暈がしてきた。風邪を引いたかもしれない。インフルエンザはまだ流行していないけど、急に熱が出てきたような気もする。
「いくら僕でも、恋人でもないのに図々しく特別な日に誘えないよ。一年かけてじっくり落とすつもり」
「………(でも、マフラーは編むんだ…)」
「ボタンだけじゃなくてさ、それこそ衣食住全てに、僕がいなきゃ木下の生活が成り立たないくらいになりたいね」
 宮野はそう言って微笑んだ。それから、榊お姉様に呼ばれて女子のグループへ。
 落ち着かなくなってしまった俺は、所在なくブレザーのボタンを弄くりながら、宮野から視線を逸らすのだった。


  2007.12.13


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