ヴォイス



 今朝学校に来たら、靴箱に手紙が入っていた。綺麗な文字。
 『話がある。放課後、体育館裏に来て欲しい。2C 下野 渉(シモノ ワタル)』
 下野渉、学年で知らぬ人間はいない一匹狼。一見、不良。
(…これは、世に言う果たし状ってやつなのでは!?)
 藤倉 奏(フジクラ カナデ)、高校二年。合唱部所属、テノール担当。特徴・ごく普通。どこにでもいるような人間、好きなことは歌うこと。金のかからない趣味である。
 奏は下野と言葉をかわしたこともなければ、彼といえばあの不良の、というイメージしか持っていないのだった。
(僕、何かしたっけ?わからない…。全然思い当たる節がない!どうしよう、イジメの第一歩?パシられ??いや、見ず知らずの人を勝手に疑うのはよくない。もしかしたら、下野君は僕に何か、相談したいことでもあるかもしれないじゃないか…。お金の工面…い、いや、だから落ちつけって!!)
「かーなでっ、オッハ!」
「ギャッ!?も、もう、脅かすのやめてくれよ…。おはよ、マコ」
 奏が身体いっぱい飛び上がってから脱力するのを見て、ケラケラ楽しそうにマコは笑った。悪戯が好きという悪趣味なこの友人の笑顔は、怒りや説教をする気持ちを簡単にくじけさせてしまう。
「何々?ねーえ、それってラブレター?ヒューヒュー!いよっ、モテるね奏は」
「………」
 奏は黙って、水色の封筒をマコへ差しだした。真実は、自分の目で確かめてほしい…。
 マコは真ん丸な目をしてすぐに読み終わると、ずいと奏にそれを押し返し、教室へと歩き始める。
「ちょっ、マコ!何かコメントしろよ…。余計不安になるんだよ馬鹿あ」
「お、オレ、奏のこと忘れないからっ!…ぐすっ、あ、あの子は。歌が大好きな明るい子でしたああ」
「泣きながら走り去るなよ!待てって〜!!」
 こういうところがいちいちマコの餌食になる所以なのだけれど、奏は必死で逃げ足の速い友人を追いかける。ふとその腕が誰かに捕まれ、転びそうになった奏の目に、無愛想な顔が映った。
(ヒッ!!しししし下野…っ、君)
「待ってるから」
 初めて聴いた、色気のあるバリトン。一瞬、その声に奏は聴き惚れてしまった。自分とはかけ離れた魅力に、憧れに近い感情を抱いたからだ。
 同じ歳だというのに何故、こんなにも差が生まれてくるのだろう。そこまで考え、ハッと我に返る。
「ああああああ、うん、うん!じゃ、じゃあね…」
 下野は笑ったように見えたが、奏の目の錯覚かもしれない。
 
 放課後、体育館裏。何かあっては困るというマコの言葉で、好奇心旺盛な…もとい友達思いのクラスメイトが、木の陰草の陰から見守ってくれることになった。その手にはホウキやバットなど、あまり穏やかでないものが握られている。
 奏は死ぬほど緊張しながら、下野の登場を待つ。五分くらいしか経過していないような気がするのに、もう妙な疲労感で一杯だ。
(あ〜〜、早く来てほしいような、来てほしくないような…。口から何か出そう。気持ち悪い)
「藤倉」
「!」
 辺りを見渡してみたが、下野以外の姿はない。そういえば、徒党を組むタイプではないのだった。
(や、やっぱり怖い。何か睨まれてるし…)
「頼みがある」
 その前振りを言われた瞬間、うんうんと奏は頷いていた。痛い目に遭うより、ここは長い物に巻かれた方がいい。結論は、一つしかない。ただ問題だったことは、その内容を聞く前に返事をしてしまったこと、だろうか。
「い、いいよっ」
「俺とつきあってくれ」    
 声が重なる。瞠目し驚いた下野は、なんだか年相応に見えた。
 全力で言葉を撤回しないと、そう思うのにこんな真剣な目に射抜かれては、何も言えない。動けない。…とらわれて、しまう。
「いいんだな?…藤倉」
「あ…」
 もう、蛇に睨まれた蛙である。
「…んっ……」
 初めてのキスは優しかった。優しさは徐々に熱を帯び、吸い付くように舌を絡められて、訳のわからないまま奏は、唇が離れるのを見ていた。
(…………………え?)
 嬉しいよ、大事にするから。下野が微笑む。慈しむように撫でられた髪が、くすぐったくていたたまれない。それより何より、男にキスされて嫌じゃなかった。それどころか、ちょっと気持ち良かったあたりがもうどうしようもない。クラスメイトにそれを見られている、という現実を思い出すと、奏は発火したように真っ赤になった。
 ちら、と視線を動かすと凍りついたように皆の空気が硬直している。…無理もない。
「今日部活は休みなんだろう?アンタがもしよかったら、何か食って帰らないか。藤倉にはたくさん、聞きたいことがあるし」
 確かに今日は水曜日で、合唱部の練習は休みなのだった。そんなことも知り尽くしているのかと、奏は呆気に取られ、い、いいけど。ぎこちなく、そう返事をした。
(やっば…つきあうことになってる!コレ訂正した方が!?いやでも、超怖いんですけど…)
「ありがとう。嬉しいよ」
 何度聞いてみても、やはり色っぽい声だった。そんな声で喜びを表現されてしまったら、抗えない。
 奏は声のない叫びをあげるクラスメイトを残し、下野の隣りに並んで歩き始めた。


   ***


 安さが売りの、ファミレスへ連れ立って入った。マコ率いる奏の心強い友人軍は、どうやら野暮な真似をする気はないらしい。ここまでついては、来ないようだった。
 家族で、あるいはマコたちと、何度も来た店。それなのに、下野と一緒だと異次元に来たような空気の違い。
 これも放課後のデートだと呼ぶのだろうか、ただの寄り道が?一つのメニューを二人で挟んで眺める、ただそれだけのことが妙にカップルらしく思えて、奏は意識してしまうと息苦しいような恥ずかしい気分になった。それに、心臓がドキドキしてきた。
(な、なんか告白されたのに、僕の方がイッパイイッパイなのは何故?経験値の差ってやつ?)
 これは、雰囲気に流されているだけなのだろうか。もう、下野とつきあうと腹を括るしかないのだろうか。まだそこまでの覚悟が、できない。
「…緊張して、あまり食欲が湧かないな」
 下野は顔に似合わないことを言い、その途端凝視した奏の視線を逸らすように、目を伏せる。
(ええええ本気なんすかー、この人!僕に本気ラブなの!?何で?何で??)
「俺が誘ったんだし、好きなの食べろよ。奢るから」
 最初から、そのつもりなのだろう。下野の大人びた物腰は、バイトで培われているのかもしれない。
「あ、ありがとう。オムライスにしようかな…」 
 なんだかんだいって、この店でいつも奏は同じものを頼んでしまう。最近マコあたりは、もう奏にはメニューすら見せようとしないくらいに。それが、お気に入りのオムライスなのだった。
 ウエイトレスを呼んだ下野は、オムライスを二つと告げて少し笑った。
(…ほんとに、僕は、好かれてるんだ)
 下野が言ったように緊張しているのも本当で、怖いのは、もしかしたら奏だけではないのかもしれない。そう考えると、ほんの少しだけ気が楽になった。
「さっきは悪かった。興奮して、ついあんなことを…。了承も得ずに」
 恥ずかしいから、もうその話は蒸し返さないでほしい。頼むから…。
 行為を思い出すだけで、変な気分になる。奏は意を決して、下野の本意を探ろうとした。
「あ、あのさ。何で僕のことなんか?」
「藤倉は、よくうちのクラスに遊びに来るだろう。及川に会いに」
 及川とは、奏の大親友マコの名字である。本名・及川 真琴(オイカワ マコト)。休み時間毎、とは言い過ぎだろうがそれに近い頻度、確かにお互いの教室を行き来する仲だ。
「見る度、いつも楽しそうだなと思っていて…。よく歌ってるせいかな、それで気になって。好きになったのは、」
「お待たせいたしました、オムライスでございま〜す」
 ありがたいのか迷惑なのか、複雑なタイミングでオムライスが運ばれてくる。照れくささここに極まれり状態だった奏は、愛想良くその皿を受け取って、お冷やを一気飲み。
 歌と呼んでいいのかは、わからない。それは主に、奏の気分をリズムに載せただけのものだから。ただ、そういう癖がついているのは本当のことだし、それに気づくくらいに下野は奏を目に留めていたのだろう。
(下野が、僕を好きだなんて。信じられない) 
「…冷めないうちに食べようか。いただきます」
「………いただきます」
 オムライスは、とても美味しい。食欲がない、と言っていた割には下野も残さず平らげていた。
「僕、ここのオムライス好きなんだ。優しい味がするよね」
「何それ。かわいい」
(!!!?)
 幸せそうに笑う下野の顔なんて、世界中で一番初めに見たのが自分、なのではないだろうか。見惚れたのか驚いたのか、奏は言葉をなくして頬を赤く染める。
 下野に気づかれるくらい、ときめいてしまった。もうホモでいいかもしれない、道を間違ってもいいかもしれない、下野とならつきあってみたい。たった短い間でそんな風に、奏は考え始めていた。
「好きになったのは、早朝、発声練習をしていた藤倉を見た時。ものすごい顔してて、ほんと一生懸命でさ。…こんな人とつきあえたら、多分幸せだろうと思った」  
「僕、音痴なんだ。皆に迷惑ばかりかけてるから」
 正直に奏がそう真相を打ち明けると、優しい声が、優しい返事をしてくれる。
「始めたばかりだろ?歌好きなんだろ?心配するなって、すぐだよ。藤倉はただ、信じてればいい」
 …こんな人とつきあえて、幸せなのは、奏の方だったかもしれない。
「そういうこと、言われると…」
 奏は言葉を詰まらせて、泣きそうになる自分を必死で堪えた。歌は確かに好きで、へたくそだけれどそれでも向かい合っていれば、何とかなるだろうか?
 期待を抱いて日々を過ごして、それでもたまに好きなだけに、憎しみさえ浮かぶ時があった。苦しいけどマコと馬鹿なことを言って笑って、そんな風に何とか誤魔化して、今日までやってきたのだ。
 好きなことさえ、好きなことだから、…時折嵐のように負の感情が押し寄せては、声を出して抗って。
「いつか、下野に聴いてもらいたいな。僕の歌うところ」
 さっきから、携帯のバイブが煩い。テンぱったマコの着信に決まっているので、奏は黙って放置していた。夜になったら、この関係をどう打ち明けよう。マコは何て言うだろう、そこに恐怖がないわけじゃない。朝まで談義になるかもしれない。一応それくらいは、マコだって奏のことを想ってはくれているだろうから。
「多分、惚れ直すな」
 目が合った。この男は一体何なのだろう、奏は完全にノックアウトされていた…。
(だ、駄目だ…こんなのはズルすぎる。好きにならずにいられない)
 奏はとうとう堪えきれずに、ぐすんと鼻を鳴らす。甘やかしてくれるのならば、我慢するのはもう止めだ。これは涙じゃない、心の汁だ!よくわからない叫びを脳内でわめきながら、ぐにゃりと曲がる下野を見る。
「そろそろ、わかってくれた?俺、アンタのこと本気で好きなんだよ。藤倉」 
 低くて甘い、いつの間にか大好きになった声。簡単だ、恋に落ちるなんて本当に。
 明日の朝また、ものすごい顔で発声練習する自分の姿が、奏にはもう見えるようだった。それを好きだと思ってもらえたら、ただ信じろと言ってもらえたら。他に一体、何を望めばいいのだろう。
 自分だけの為でなく、恋人の為でもあるのならば。


  2007.07.17


タイトル一覧 / web拍手