君と僕の関係「シスター&ブラザー」



 田宮さんは野球部のマネージャーであり花的存在で、俺が先日乱投したボールに運悪く後頭部を直撃。それから今日まで五日間、未だ意識を取り戻していない。田宮さんがそこにいることも、自分のノーコンぶりが今回も外れず最悪な形で発揮されることも、俺は何にもわかってなかった。
 田宮さんが死んだら、どうしよう。田宮さんが、もし脳に障害を負ってしまったら?田宮さんが…。
 俺はそれこそ自分が死刑宣告を受けたような気持ちで、毎日病室に通っては(幸いにも、田宮家に追い出されたりしなかった)田宮さんの病状が一刻も早く良くなりますように、と祈り続けていた。
 黒髪をポニーテールに結び、明るくてはきはきと俺たちの手伝いをしてくれる彼女に、憧れる部員だって多い。
 不幸な事故としか言いようがなかったので、俺は別に責められはしなかった(むしろあまりにもショックだったので、逆に慰められたりした)けれども、それはそれでなんだかいたたまれないというか、とにかく、今すぐにでも田宮さんが目覚めてほしい。
「松木さん、…ココアです。どうぞ」
 活発な田宮さんの弟、となるとこちらも明るいと思っていたのだが、控えめで大人しい瞬(しゅん)君は、こんなふがいない俺にも気を利かせて、温かいココアをいれてくれたりする。うう、身体に染みる。瞬君は他校に通っているので、俺たちの学ランとは違いブレザーがなんか、いかにもイケメンって雰囲気だ。
「ありがとう、瞬君」
「おねえはきっと、目を覚ましますから。ここのところ忙しそうだったし、ちょっと疲れて、その分休んでるだけですよ」
「田宮さんには、いつも世話になっててさ。でも、こんな風に恩を仇で返すようなこと…俺……」
「大丈夫ですって。そんな弱気だったら、おねえにしばかれちゃいますよ。おねえだって、松木さんのことを恨んだりしない」
 芯が通った姉弟。どことなく、そんな風にアドバイスしてくれる瞬君には姉の面影が重なるような気もする。いや、そんなものは自分に都合のいい妄想なのかもしれない。年子だって話だし、先輩の俺よりもしっかりしている瞬君。
「あの…。松木さんて、おねえのこと好きなんですか?だから毎日…」
「えっ、ち、違うよ!そりゃあ、田宮さんは可愛いしいい子だしすごく魅力があるけど、好きだなんて恐れ多い…」
 そういう下心が、あるわけじゃない。大体、田宮さんの争奪戦に参加できるほど、俺はバイタリティもない。俺の挙動不審とも呼べそうな慌て方に、瞬君は苦笑した。困った人よね、と肩を竦める姉の表情によく似ている。
「だったらいいんですけど」
「あ、もしかして田宮さん、俺たちの知らない彼氏でもいるとか?」
 そうだとしたら、初耳だ。その彼氏にも、謝っておかないと…。二発殴られるくらいじゃ、済まないかもしれない。俺だったら、自分の彼女がこんなことになったら…いや、彼女なんてできたことないから、このたとえは想像できないな。
「やっぱり、興味があるんじゃないですか。おねえに」
「いや、だから…その彼氏もさぞ心配しているだろうと思って…申し訳ないと」
「なんだ。いないですよ、彼氏なんて。おねえは結構野球バカなんで。デートより野球観戦してる方が、楽しい人ですから」
「そ、そっか…。そうかもな」
 田宮さんがグラウンドで生き生きしているのは、野球が好きだから。
 早く一緒に戻れる日が来ますように、神様…。俺は小さく溜息をついて、目を閉じる田宮さんを見つめる。
「松木さんは、どうなんですか?彼女いますか?」
「いや、いないんだよな〜。瞬君は?モテそうだよな。羨ましいよ」
「僕は男子校なんです」
「あ、そうなんだ」
 せっかくいい男なのに、男子校とは勿体ない。まあ、これだけ格好良かったら通う場所がどうこうではなく、女子は多分放っておかないんじゃないか?俺の生活とは無縁だけど。
「松木さんは、同性愛に偏見ってあります?僕が男を好きだったら、やっぱり気持ち悪いですか?」
「え、そ、そんなこと考えてみたこともなかったから…。そ、そうなの?」
「松木さんのこと、好きです。僕」
「そ、そ、それ、だって、あの、田宮さんが!」
 静かな視線が俺と姉を見比べ、「やっぱり好きなんですか?」と少し落ち込んだ問いかけをされる。
 そういう問題じゃなくない?俺は田宮さんを意識不明にさせた張本人で、その田宮さんはまだ目を覚まさないし、瞬君は田宮さんの弟なわけで…。たった五日間、確かにある意味濃密な時間を共に過ごした俺たちに…愛が、芽生え、芽生えるのか?
 これっていわゆる、吊り橋効果ってやつなのでは…。瞬君は姉を心配するあまり、ちょっとおかしくなってしまったのでは。
「ご、ごめん…。急に言われても、今は、それどころじゃないし。俺坊主だし、ノーコンだし」
「…わかりました。おねえが回復したらまた、アタックします」
「……………(本気?)」
 
 そういうようなやりとりがあった翌日、田宮さんの意識は回復したという吉報が入った。
 俺を筆頭に野球部全員が心の底から復帰を喜び、もはや田宮さんはエースの千住くんより必要な存在、といった具合だ。全員で病室におしかけるのは迷惑なので、キャプテンと俺が花束を持って、田宮さんの病室を訪れる。
「ごめんね、マッキー。なんか、眠ってる私より顔面蒼白だったんだって?私もう大丈夫だから、これからもバッシバシみんなの応援してくからね!!」
「田宮さん、よ、よかった…。いつも通りの田宮さんだぁ……」
 快活に笑いかけてくれた田宮さんに、俺は思わず安堵のせいで零れてきた涙を拭う。
「ごめん、痛かっただろ。俺、いっぱい練習してせめてノーコンは直すよう努力するから…。レギュラーは難しいけど、」
「馬鹿!もっと強気でいきなさい。マッキーに足りないのは、弱肉強食の精神なんだから」
「何だよそれ…。ハハハ」
 キャプテンはいつも通りの俺たちのやりとりを見て、ニコニコ微笑んでいる。よかったなあ、と俺の頭を撫でた。
 毎朝近所の神社でお祈りをしたのも、花が枯れもしないうちから見舞いの花を持っていったことも、ああ、すべては無駄ではなかったんだ。よかった。ほんとによかった!
「よかったです、ほ、ほんとよかった…。元気になったら、快気祝いやろうな?田宮さん」
「私、パティスリーNIKIのケーキが食べたいで〜す。そうそう。それからさ、うちの弟がなんか色々、私が寝てる間にご迷惑おかけしちゃったみたいで…。ごめんね?」
「えっ、そんな、瞬君には色々俺の方が励ましてもらったっていうか…。謝られるようなことは全然」
 告白の返事は、田宮さんが目を覚ました今、保留にしようと思ったのにあまり意味がなかった。
 どうしてすぐに断らなかったんだろう、と思うけど人間いざという時、頭が真っ白になってしまう(俺みたいな許容量の少ない人間は、特に)。どうしたらいいのかわからなかったし、今もよくわからない。男の好意なんて、経験がないから。
「あらそう?ならいいのいいの、いやーマッキーって本当、懐が広いよね♪」
「…田宮、その表現は女子高生に似合わないと思うぞ」
「あははっ。やだもー、キャプテン。あっ、お花ありがとうございました!私はすっかり元気なんで」
 笑顔の田宮さんに見送られて、俺たちは病室を後にした。病院を出て、今日は部活はナシになったしどうしようかな、そう呑気なことを考える俺の背中に「松木さん!」という切羽詰まった瞬君の呼びかけが聞こえて、俺は身体をビクッと震わせる。ぼんやりせずにキャプテンと帰っておけばよかったかもしれない、と一瞬ひどいことを思った。
 瞬君は缶コーヒーを握りしめて俺に向かって突進してくると、俺が逃げも隠れもしないことをどうやら安堵したようで、息を整え、「おねえ、目、覚ましました」と片言を喋る。
「うん。本当によかった…。瞬君も、心配してたもんな。ごめんな」
「おねえが言ってた。僕の気持ち、全然迷惑じゃないって…う、嬉しくて……!」
 な、な、な、なんか曲解されてるんですけど!?俺は呆然と涙ぐむ美少年と対峙して、またしてもテンパってしまう。瞬君は簡単に、状況説明した。
 瞬君が自動販売機で飲み物を買いに行っている間に、俺たちが見舞いに来て、戻ってきた瞬君に、田宮さんがそのような話をしたと。(どこがどういう話だったのか、非情に曖昧だ)
「あー、えーと…。ごめん瞬君、俺、やっぱりそういうのはちょっと」
「やっぱり、気持ち悪いんだ。僕なんかに好かれるの、松木さんは迷惑なんだ…」
 漫画のテンプレートみたいなセリフを瞬君は呟いて、潤んだ目で俺を見つめる。俺が、ひどいことしてるみたいだ。
「気持ちはその…嬉しいけど……そういう問題じゃないよね?多分、無理だし。色々」
「友達からでもいいです。友達の弟からでもいいです!あなたとこれきりになるのは、嫌なんです」
 うっ…。俺はこんなだから、田宮さんに押しが弱い!とかなんだとか、色々説教されるんだよな。
「と、友達なら…なんとか…かんとか……」
「ありがとうございます!おねえ、やったよ!!」
 瞬君は表情を輝かせて、大きく後ろを振り仰いだ。
 その視線の先は病室で、田宮さんがニカッと笑顔を浮かべ、Vサインを俺たちに向けている。
「仲、いいんだね。君ら……」
 どんな感想を抱けばいいのか、何を言えばいいのか、どういう行動を取ればいいのか…。
 とりあえず姉弟の絆に圧倒されてしまった俺は、眩しすぎるその二人の笑顔に、完全に敗北した。


  2007.11.09


タイトル一覧 / web拍手