4.友情と恋愛の区別



 …あれから目を閉じると、倉内の顔が浮かんでくる。
 倉内と初めてのキスをした、あの日。触れ合った唇。押し倒されて、強烈な色香で迫られて、俺は本当に為す術がなかった。

『好き、好き、好き…。愛してる』

 欲望を隠しもしない愛の告白は、いつまでも耳の中でリピートを繰り返す。

(……ああっ、もう!)

 あんなことをされて、その相手が倉内で、平静でいられる人間なんているわけない。いるなら、お目にかかってみたい。
 振り払おうと首を傾げる俺に、スマホのメッセージが目に入った。倉内からだ。

 明日、うちに来て。
 後藤と渚も呼んでるから、元気な顔見せてあげてよ。

「心配……してる、だろうなぁ」

 二人からは、何度も気遣う言葉を受け取ったけど、俺は返信できなかった。大丈夫とも、大丈夫じゃないとも言えなかったから。自分のことが、よく分からなくなっていたんだ。

 ------でも、今は。

(俺は多分、大丈夫だよ)

 そんな風に思えるようになった理由を考えるのは、照れくさいのだけれども。


   ***


「お邪魔します。
 …もしかして、まだ、二人は来てないの?」

 俺が一番乗り。倉内があえて時間をずらしていたなんて思いもせず、相変わらず整頓された部屋に上がり込んだ。

「うん、上がって。
 いらっしゃい、羽柴。今日も可愛いよ」

「な、な、何言ってんの!?」

 開口一番さらりと口説かれて、俺は真っ赤になって倉内を睨みつける。整った顔はクスッと微笑みを浮かべて、余裕綽々だ。
 俺が知らなかっただけで、倉内は、本来こういう性格なんだろう。

「何って、思ったことを言っただけ。反応が可愛いよね、羽柴は。昔から。
 でもそういうの、僕だけにしてほしいんだけど?」

「あ、あのさあ。しょっぱなからそんなテンションで来られると、俺、二人が来るまで全然持ちそうにないから。勘弁してよ」

 赤くなりそうになる顔を必死で堪えて訴える俺に、倉内はにっこりと笑うだけ。

「僕は至っていつも通りだよ。羽柴」

「いやいやいや。マサに、なんて思われるか……」

 マサにこんなことが知られたら、恥ずかしくて死んでしまう。
 想像するのも怖い。知られたくない。

「へえ、後藤ね。僕は今すぐ教えたいくらいだけど、羽柴がそんなに知られるのが嫌なら、その気持ちを尊重してもいいよ。秘密にしておいてあげる。
 ……でも、後藤にとっては言われない方が嫌だと思うけどね」

「倉内、目が怖い。怒ってるの」

「後藤に嫉妬してるんだよ。わかるでしょ。俺は、どれだけ羽柴が後藤を特別に思ってるのか知ってるもの。受験もそう、今だって。それだけじゃない。数えたら、キリがないくらいに」

 はあ、とため息をついて憂う倉内も綺麗だ。
 何をしてても絵になるなんて、どうでもいいことを俺は考えてしまった。

「羽柴にとって後藤が大切な存在だってわかってるけど、俺は、その気持ちに対して自分の想いを遠慮したりしないから。羽柴のことが好きだよ。だから、後藤じゃなくて俺だけを見て」

「俺…別に、マサのことそんな風に……」

 どうして、話がそういう方向に向かってしまうのだろう。ずっとつるんできた友達に、始まったばかりのこの変化を知られるのは照れくさい。
 ましてや知らない相手ではなく、一緒に居た倉内なのだから。

「お邪魔しまーす!あ、後藤。羽柴もう来てる」

「入るぞ、静」

 渚とマサの声がして、倉内はそのタイミングの悪さに舌打ちをした。倉内の舌打ちなんて、初めて見た気がする。
 呼吸を整えてから、いらっしゃいと立ち上がるその姿は平静を装っている。

  熱の込もった真剣な告白に、倉内の気持ちが伝わらないわけがない。それを全身で受けとめることが精一杯。ドキドキが止まらなくて、俺は泣きそうになった。

「久しぶりだな羽柴!元気か?」

「心配したぞ〜。こうやって、会えてよかったけど」

 嬉しそうな笑顔が俺に向けられて、連絡できなかった気まずさや罪悪感よりも、ホッとした。皆、気にかけてくれていたことはわかっている。

「マサ…渚ぁ……ありがとう。
 心配かけて、ごめんね。連絡もせずに」

「何泣きそうになってるんだよ。
 おい静、コイツに何か言ったんじゃないだろうな」

 自ら丁寧に地雷を踏んでいくマサに対して、倉内がピクリと形の良い眉をつり上げる。少し黙り込んで…その間はきっと、冷静な自分を取り戻すまでにかかった時間なんだろう。

「羽柴が連絡をくれないって、俺に泣きついて来たのはどこの誰?
 こうやってセッティングしてやってるのに、お礼を言われるならまだしも、お前にそんな冗談を言われる筋合いは全くない」

「……今日は、いつもに増して言葉の切れ味がすごくないか…?ただの冗談だろ」

「俺もね、ただの冗談で傷つくような繊細な気持ちの時だってあるんだよ」

 二人の不穏なやり取りに、わざと明るく間に入る。

「ご、ごめんね!俺、誰にも連絡できなかったから…。そしたら倉内が、家に来てくれたんだ。そのおかげで色々、気持ちも落ち着いて、……今は、大丈夫だから。
 倉内も、二人も、ありがと」

「……何か飲み物入れてくる。渚、ちょっと手伝って」

「おう」

 倉内がため息を殺して、そうやって気を利かせてくれる。
 確かに、俺はマサと話したかった。でも、二人だけで会うのは気まずかったから、きっと俺のためにこういった形で、二人を呼んでくれたんだろう。その優しさがありがたい。

 二人になると、マサは小さい声で俺に問いかけてくる。

「…本当に、静に何も言われてないのか?あいつ、なんか変だぞ」

「う、うん…!マサが心配するようなことは、何もないから」

 ほらやっぱり、怪しまれちゃってるじゃないか。
 マサの野生の勘は鋭い。いつまで隠し通せるのかはわからないけど、まだ、言いたくはなかった。それがマサを傷つけることになっても、言えそうにない。

「そう言うなら、信じるしかないけどな。
 あとそれから、お前…また医大目指すつもり?」

「ううん。自分のやりたいこと、これから、見つけていこうかなって。それが医者だと思ってたけど、人間、向き不向きがあるっていうか…。
 俺、無理してたなって、自分でもわかったから」

 マサが優しく頷いてくれる。

「オレがこんなこというのは、おかしいのかもしれないけど」

「うん」

「ありがとな、羽柴。お前が医者でも医者じゃなくても、俺はお前のことが大切だし、好きだし、何もしてなくたって、羽柴が羽柴であることに変わりはないから。
 頑張ったよな。本当に、お疲れ様」

「っ……」

「弱音も吐かずに、ひたむきに頑張って、えらい、えらい。よしよし、羽柴。もう、これからは無理しなくていいから。お前が元気で笑っていてくれることが、オレは、一番嬉しいって思う。言葉を重ねて、オレの気持ちが伝わるかどうかわからないけど…いつも、感謝してる。
 お前と友達になれてよかった」

(マサ……)

 マサの気持ち、伝わったよ。

 返事の代わりに、ぼろぼろと溢れ出る涙を拭う。胸がいっぱいで、今は、何も言えそうになかった。欲しかった相手から、欲しかった言葉をもらえて、やっと、一つの区切りがつけられた気がする。

「後藤、なに羽柴のこと泣かせてるの?
 少し席を離れたらこれだよ、油断も隙もない」

 コーヒーを持って戻ってきた倉内の、氷点下のような刺さる声音が、降ってきた。冷たいのは声だけじゃなく、その眼差しも射抜くように鋭い。

「別に泣かせたわけじゃ…。
 ただ、オレは友達として一般的な慰めをだな」

「ふぅん?僕が慰めた時は、羽柴は泣いたりしなかったのにね」

 …慣れているとはいえ、こんな不穏な懐かしさはいらない。

「おいおい。そういうのは二人の時に盛大にやってくれよ。すごく居心地が悪いぞ。泣きたい時は、いっぱい泣いたらいいじゃねーか。なあ、羽柴。
 ……生徒会の奴らも心配してたから、落ち着いたら連絡してやってくれ」

 見かねた渚が、助け舟を出してくれた。
 渚には、今まで幾度こうやって助けられたかわからない。

「渚…。本当に来てくれてありがと、居てくれてよかった」

 空気の悪さを、渚の明るさが打ち消そうとしてくれる。
 それに救われて、癒されて、俺は安堵の笑顔を浮かべた。本当に、渚と仲良くなれてよかったなぁ。一緒に生徒会で活動できたことを嬉しく思う。

「どういたしまして。今日は羽柴が元気なら、オレはそれでいい」

 出会った頃からずっと変わらないかっこよさで、渚は屈託無く笑う。


   ***


 やがてそれぞれの簡単な近況報告を済ませ、お暇しようかと席を立とうとした俺の手を、倉内はしっかりと掴んだ。

「羽柴はまだいるよね?用事の途中だったし。
 二人とも、また今度ね」

 有無を言わせず二人をさっさと帰してしまうと、ご丁寧に部屋の鍵をかけ、倉内はそのまま俺に手を伸ばした。
 無言で、きつく抱きしめられてしまう。
 あまりにもその一連の動作が滑らかで、我に返った時には倉内の腕の中にいた。

(倉内、いい匂いがする…。って、何考えてるんだろ、俺)

「なんで、あんな可愛い顔で泣くの?」

 不機嫌な問いかけは理解不能で、思わず間抜けな声が上がった。

「は、はあ?」

「気持ちが抑えられなくなる。ねぇ、キスしていい?
 羽柴が可愛くて我慢できない。ダメって言ってもするから」

 ただ泣くのに、可愛いと可愛くないとか、女でもあるまいし…。
 戸惑う俺の唇は簡単に捉えられ、熱を持った舌が入り込んでくる。相変わらず、突然で遠慮がなくて、

「な、な、な、なにそれ…ん……ぅあ…!」

(意味がわからない!)

「感じて…僕のことだけ、ね?羽柴……」

 こんな攻撃をかわせる人間がいるとしたら、不感症だ。言い聞かせるようないやらしい響きを含んだ声が、俺を支配していく。
 じりじりと押し倒されて、端麗な美貌が目の前に迫っていた。

「ま、またっ…エッチなキス……はぁ…」

 押しのける力が出ない。抗議するので精一杯。

「逃げないで……。俺の気持ち、受け入れて…好きだよ。羽柴」

「倉内……」

「後藤といる時の羽柴、すっごく可愛いんだもの。健気で、いじらしくて…あいつが振り向くことなんてないのに。そんなこと関係なく、羽柴は羽柴で……」

「だから、俺、マサとはそんなんじゃないってば!!
 マサとキスなんてしないし!」

 不本意な形でマサの名前を出されて、俺は倉内を睨みつけた。わかってない。健全な友情をよりにもよって、倉内に誤解されたくない。

「………」

 倉内は表情の読めない顔で、俺を見下ろしている。
 悔しくて、その視界が滲んだ。俺の気持ちなんてちっとも、わかってない。

「今こうやってキスしてるのは、相手が、倉内だからだよ!…俺だって、俺は馬鹿だけど、友情と恋愛の区別くらいついてる。倉内も、学生時代マサと誤解されて嫌だったでしょ?
 俺が好きなのは、マサじゃなくて……」

 …言わなきゃ。勇気を出して、倉内に気持ちを伝えないと。
 自分の心臓の音がうるさい。壊れそうに速くて、緊張で声が裏返る。

「…す、好き……好きだよ。俺、倉内のこと。多分ずっと自然に惹かれていて、ちゃんと自覚できたのは、こんな風になってから、だけど」

 俺の言葉は、ちゃんと倉内に届いているかな。

「羽柴……」

「最初は、今まで会った誰より可愛くて。友達になれて嬉しかった。なのにどんどん格好良くなって、綺麗で、頼り甲斐があって。面倒見が良くて、頭が良くて、いつも、倉内に見惚れちゃうんだ。隣りにいて、嬉しい気持ちは変わらなくて。
 倉内のこと、好きにならない選択肢なんてないくらい……好きです」

 自分でも、こんなにスラスラと愛の言葉が出てきたことにびっくりした。俺は人を、好きになれないのだとばかり、思っていたから。…でも、そうじゃない。

 ずっと自然な倉内への好意に、蓋をしてしまっていたから。それ以上に好きになれる相手なんて、いるわけがなかったんだ。

「本当に…?」

 こんなに驚いている倉内を見るのは、初めてかもしれない。
 力強く頷いて、過去の自分に俺は笑った。

「違う誰かを想っているのは、知ってたから。上手くいけばいいなって、ずっと、思ってた。だって、俺なら…きっとその手を取る。
 俺が倉内に選ばれる未来なんて、想像したことはなかったんだ」

 それでもよかった。倉内が幸せなら、…俺の、大好きな人たちが幸せなら。元気で笑っていてくれるなら、俺には嬉しかったから。

「羽柴が、僕を……」

「大好きだよ。恥ずかしいし、俺、恋なんてしたことがないから、怖いけど。
 倉内が好き。多分、俺の方が…あなたを好き」

 一度認めてしまったら、ためらいなく気持ちを伝えることができた。素直に、倉内のことが好きなのだと。

「------あ」

 赤い血の筋が、倉内の白い肌を滑っていく。

「だ、大丈夫!?倉内っ?」

「涙と鼻血が……。信じられない、全然格好つかない。鼻血なんて出たの、小学生以来なんだけど、もう、あはは。かっこわる……。
 嬉しすぎて、身体が反応しちゃったみたい」

 倉内は震えながら、ティッシュを顔に押し付ける。

「そ、そんなに喜んでくれると嬉しいけど…。大丈夫?」

「うん。笑っていいのに、羽柴。ちょっと興奮しすぎだね、俺。でも、ごめん。涙止まらない…。嬉しい……好きな人に、好きだって、言って、もらえることが」

 倉内が、こんなに感情を剥き出しにして喜んでくれるなんて。

「大好きだよ。倉内」

 ぎゅっと強く抱きしめられて、おずおずとその背中に手をまわす。ゆっくりとさすってあげると、小さく嗚咽を繰り返す倉内がいとしくて、胸がいっぱいになった。


  2017.01.02


 /  / タイトル一覧 / web拍手