「恋人の情景」



 T.あなたと二人で


 季節は秋。今年のオレには、芸術の秋。暑い夏の名残が、そこかしこに未だ留まったままで。
「渚、バイバ〜イ!」
 正門まで、オレと一緒に歩いてきた同じクラスの羽柴が、元気に手を振った。
「ああ、また明日な」
 帰ったら、すぐピアノの練習をしよう。時間は有限じゃないから、最大限に活用しなければいけない。
 オレがピアノを始めてから、一年と少し経つ。家にいる時間の殆どは電子ピアノの前に居るオレは、今ツェルニー30番を練習している。他の人のことはわからないから、オレにはこれが早いのか遅いのかは、よくわからない。ピアノを教えてくれているひとみ先生との授業は、週に一回三十分が、いつのまにか週二回一時間に。
 少しでも早く、岡崎に近づきたい。もっと岡崎やピアノや音楽を、知りたい。隣りに並ぶことはできないかもしれないけど、それでも自分にできる限りのことは、やり尽くしたい。
 こんなに情熱を傾けられる何かが、自分に見つけられただけでも本当に幸せで、嬉しく感じる。だから、練習も楽しい。上手くいかない時もあるけど、その方が多かったりするんだけど…越える楽しみっていうのを、オレはピアノに教えてもらっているかもしれない。
 そう思って足を踏み出そうとしたオレの視界に、見慣れない外人が立ちふさがった。
「………おぉ〜」
 金髪で背が高くて、美形ってこういう人間のことを言うんだろうな…。
 オレはそんな風に思って、ぼんやり見惚れた。ま、オレがこの世で一番好きな顔は、岡崎だけど!
「アナタ、渚壮真?わたし、エドいいます」
「えっ!?あ、はい!何でオレのこと知って…」
 いきなり話しかけられて、オレは赤面してしまった。本当に格好いいのだ、何より。
 エドと名乗った男は、じろりとオレを睨みつけると低い声で返事をする。
「楽から聞きましタ。アナタのこと」
「え!!?あ、はあ…な、何て?」
 色んな疑問符が、オレの頭を駆けめぐったけど…とりあえず、一番知りたいのはそれだった。
「恋人だと」
 何故か絶望的な発声で、エドはオレの幸福度を上げる。
「えっ、あ、そ、そ…ホントに!?」
 オレはもう、何がなんだか嬉しくて…とにかく教室まで戻って、岡崎にキスでもしたい気分だ。
 岡崎が、意外にも平然とそういうことを言えちゃう男だっていうのは、何となくわかってはいたけど。
「わたし、ドイツから楽を追いかけてきまシタ。誰より、楽のこと愛シテます。彼と別れてください」
「!」
 美形が思いつめたような表情をすると、本当に物悲しい空気が漂うものらしい。
「アナタと楽は、似合わない。壮真は彼がどれだけすごいか、わかってない。…音楽室へ、案内してくれまセンか」
 その言葉は一瞬で、オレの喜びをどこかへと打ち消してしまう。
 図星だから胸が痛むのか、自分自身そんな答えを導くともう、落ち込むしかない。
「……………」
「壮真、アナタは知らなくては」
 哀れむようなエドの目を避け、オレは結局、もう一度校舎へと向かうのだった…。

 その場所に岡崎がいなかったのは、オレにとって幸か不幸か。
 音楽室に鎮座しているグランドピアノは、エド相手にも快くその音を響かせるのだ。エドが鍵盤を叩く。その旋律はオレも何度も、聴き覚えのあるものだった。
 サティのジュ・トゥ・ヴ。邦題は、お前が欲しい。原詩を知った時、赤面してしまうくらい情熱的な歌詞で驚いたものだ。曲自体は、どちらかといえばまるで大人の恋のような、お洒落な印象を受けるのに。
 軽快さの中にその情熱を隠すような、緻密で繊細な指運び。岡崎とはタイプが違う。岡崎は、ギリギリまで情緒的な弾き方を好んでいる気がする。
 独りよがりでなく、洒落っ気たっぷりなその演奏。エドの表情は、愛の告白そのものだ。その相手が誰かなんていうのは、確かめるまでもないことだ。
「……………」
 その風格も技術ですらも、エドは岡崎に引けをとらない。派手さはまるでない曲なのに、こんなにも今惹きつけられるのは、エドの感情の賜物なのか。
 いつの間にか、音楽室には沢山の観客が詰めかけていた。皆、黙ってエドのピアノに耳を傾けている。ただ静かに、音楽の祝福を受けている…。オレも含め、そういう表現が正しいくらいだった。聴いていてすごく、気持ちが良かった。ずっと聴いていたいな、と思うほどに。
 エドは周りのことなんて、気にしていない。そう、最初からただ一人にこの曲を捧げているんだ…。
「ジュ・トゥ・ヴ…?」
 呟くような声音が、ドアの近くで聞こえた。岡崎だ。
 そうしてそんな微かな音を聞きわけたのは、オレだけじゃない。エドは鍵盤から手を離し、パッと顔を上げる。その表情が、初めて嬉しそうに輝くのを見た。太陽みたいだった。
「楽!逢いたかったよ!!」
 皆の拍手喝采の中、エドは真っ直ぐに岡崎の元へと走り寄る。岡崎は困ったように眉を寄せ、オレと目が合うと驚いたように瞬きした。誤解されたと思ったのかもしれない。…悪いけど、他の男と抱き合うところなんて見たくない。
「渚っ!!」
 そう叫んでくれたことだけが、どれだけ嬉しかったか…振り返らずに、オレはまっすぐ家に帰った。
 わざわざ他人に言われなくたってこういうことは、初めから理解してるはずだった。…でも、聴いてしまったら。たまらない気持ちになった。距離はどこまでも遠くて、追いつきようもない。
「………煩いな」
 どうしてよりにもよってオレは、携帯の着信音をあの曲にしてしまったのだろう。耳にこびりついたジュ・トゥ・ヴが、鞄の中で機械的な音を奏でる。あんまりしつこいから、携帯の電源を切ってやった。
 岡崎に、何を言えばいいのかわからない。何を言われるのか、今は怖くてたまらない。こういう時は、ピアノに向かってもろくな音が出ないものだ。オレはベットに寝転がって、ぼんやりと恋人の顔を思い浮かべていた。
 遠慮がちな静かなノックが、不意にその思考を邪魔する。
「お兄ちゃん、岡崎さんよ。あ、どうぞ。入ってください。お茶、ここに置いときますね。ゆっくりしていってください」
 ノックの後、よそいきの声を出すから嫌な予感はしたんだけど。見事的中。妹の美波が連れてきたのは、仏頂面としか表現しようのない岡崎だった。ドアが閉まる。二人きりになると、硬直するオレに遠慮なく近づいた岡崎は、そのまま唇を奪った。
「…っ……」
 今、そういう気分じゃない。逃れようとするのに、強い力はオレを離さない。
 キスをしながら、責めるような視線がオレを捉える。…泣きたくなった。
「んんっ…」
 どうせ、オレが悪いよ。ピアノだって全然巧くないし、面倒な相手を好きになったってわかってるよ。ちゃんと覚悟はしてたんだよ、好きになった時から。でも、悔しいだろ。そういう気持ちになったって、たまには……。
「…う、うう……」
 何か言えよ。馬鹿、不安になるじゃん。慰める優しさがないのか、お前は!
「っ…」
 岡崎が、オレの肌に触れる。身体が震えた。耳が赤くなる。まだ何も喋らない、岡崎。何怒ってんだよ、怒りたいのはオレの方だよ?アイツ一体何なんだよ!
 もう、オレは色んな感情でいっぱいになってぐちゃぐちゃになってた。オレは泣くのを我慢しながら、乱れた息を吐き出した。
「あ、ああっ…!」
 思わずオレが声を漏らすと、
「この指が、ピアノと渚以外に触れられなければいい。君も、そう思わないか?渚」
 キザ男はオレの中に指をつっこみながら、そんな台詞を囁く。
 …勘弁してくれ。これは、ときめいていいところなのか?オレが聞きたいのは、もっと、
「あいつ、渚に何て言ったんだ?渚を泣かせていいのは、俺だけなのに。彼の音楽は確かに素晴らしいけど、少し思いこみの激しいところがある。気にしないでほしい」
「気にしないわけ、ない…っ」
「ならもっと、渚は俺を理解する必要がある。俺がどれだけ渚を愛しているか、求めているのか…。わかってもらえるまで、俺は君を離さない。拒まないでほしい、渚」
 拒む理由なんて、あるわけがない。でも、本当にそれでいいのか?嬉しいけど、岡崎はオレなんかで本当に…。堪えきれず泣き笑いしながら、オレは鼻をすすった。
「ほんっと、恥ずかしい奴だな。岡崎は…」
「渚のせいだ。愛してる」
「馬鹿、オレだって…ん…ふっ」
 しがみついた岡崎の心音も、オレに負けないくらいは速くて。少しだけ、安心することができた。
 オレを揺さぶる強い力は、愛されているのだと…ちゃんと実感することができた。
 他のことがどうでもよくなってしまいそうなほど、岡崎と抱き合っているのは、本当に気持ちがいい。
「離れている間、何度も君の夢を見た。渚と深く繋がって、キスをする夢を」
「…ん…あぁっ……」
「でも、目覚めるといつも一人で。寂しかった。渚に会いたくて、こうしたくて…おかしくなりそうだった」
 初めての時は死ぬかと思った岡崎を受け入れる痛みは、何度か繰り返すうちに快感へと変わっていった。自分の身体の変化は全部岡崎によってもたらされたもので、それが嬉しくて、少し不思議だ。 
 動かれたら身体が裂けてしまう、そんな恐怖は今は…。顔が見えないと怖かったけど、バックでも感じられるようになった。愛されている確信の、せいなのかもしれない。
「岡崎…う、動いて……!」
「もっと可愛くおねだりしてくれたら、渚のお願いを叶えてあげてもいい」
 岡崎にそうやって、セックスの途中少し冷たい口調で言われると、恋に気づいた頃の思い出を追いかけて、オレは密かにドキドキする。岡崎が格好良くて困る。
 可愛くおねだりって言ったって…どうすりゃいいんだよ。色仕掛けなんて似合わないオレにできることなんて、愛の告白くらいなんだぜ。
「…好…き……もっと、岡崎を、感じたいよ」
 その反応はまあ合格点、だったみたいだ。浅い注挿が始まって、オレはギュッとシーツを握りしめた。
「はぁ…ん…ぁ……ああんっ…」
 なるべく声を出さないようにと思うのに気持ちがよくて、堪えきれない喘ぎが漏れる。階下に家族がいると思うと、背徳感に余計に煽られる気がする。
 岡崎もそういう事情を考慮してなのか、自分の部屋でヤる時よりも、オレの部屋の方が若干控えめに動く。それがもどかしくて焦れったくて、…多分わかっていて、オレを喘がせてるんだろうけど。
「愛してる…っ…渚…!君がいてくれたら、俺は…あぁ……」
「アッ!…アァン…ああっ…」
 オレだって、離れている間ずっと、こうしたくてたまらなかった。

 オレの部屋でした後は決まって、まるで人をぬいぐるみか何かのように、岡崎はいつも優しく撫でてくる。岡崎の部屋でした後は、よくもまあそんな元気がと呆れるくらい、ピアノを弾く。
 一度何故かと尋ねたら、「興奮している気持ちが収まらないから」。岡崎は、そう平然と答えた。
 …大分、そんな態度にも慣れてきたけど。
「泊まってくだろ、今日?岡崎。うちの母さん、今頃、夕食作り張り切ってるぜ」
「ああ。そう、だな…。でももう少し、俺は渚とこうしていたい」
「…岡崎……」
 オレだって同じ気持ちだ、とか言わなくても何となく、目線で通じるものだろう。
 思いこみかもしれないけど、した後の岡崎はいつもの岡崎より、ほんの少し優しくなる気がする。
「エドとは、向こうの音楽院で知り合った。とても、俺のピアノを気に入ってくれて…。渚のことをちゃんと話していたから、日本に来ているなんて、本当に驚いたよ。不安な気持ちにさせてすまない。渚…」
「…もう、いいよ。岡崎のピアノを聴けば、好きになる気持ちはわかるし。技術も、勿論あるんだろうけど…この音楽をつくる人そのものに、惹かれずにはいられないっていうか。オレがそうだったんだから。岡崎が謝ることなんて、何もないよ」
「渚…。俺が想うのは、生涯で君だけだ」
 ………岡崎が元々こう、なのか。それとも留学でグレードアップしたのか、オレにはわからない。オレたちは、端から見れば砂を吐きそうな甘い空気を醸し出しながら、そんな風に語り合っていた。
 短いような長いような一年が過ぎ、オレたちは高校三年になって。いつの間にか、もう秋だ。オレと羽柴は生徒会の業務を終え、幼なじみの修介は、菊池先輩の跡を継いで新聞部の部長に。
 平穏な毎日を送っていた矢先の、いわばエドは突然訪れた嵐だった。


   ***


 どうやら問題は、何も解決していなかった。翌日昼休みになって、エドがまた学校まで、オレのことを訪ねてきたのだ。
 岡崎ではなく、オレに用があるらしい。…まあ、あれで引き下がるとも思えなかったけど。
 進学校である割に、基本的にいい加減なうちの教師たちはエドの事情を聞き、手厚く歓迎するという迷惑な方針を決めたようだ。留学先の学院に、恩を売って損はないというわけだ。
 岡崎と一緒に音楽室に呼び出されたオレは、本当に何事かと思った。
 エドの他に、人はいない。こういうすべての行動を、どれだけの覚悟で行っているのか…よっぽど本気で、エドは岡崎のことを好きなのに違いない。
「このままでは、わたしの気が済みまセン!」
「いや、そう言われても…」
「ご両親が心配しているんじゃないのか?エド。早く帰国した方がいい」
 …誰のことを追いかけてきたと思っているんだか、つれない口調で岡崎はそんなことを言う。恋敵ながら、オレはエドの心中を察するどころか…気持ちがわかりすぎて心臓が痛くなってきた。
 案の定エドは美麗な表情を泣きそうに歪ませて、俯いてしまう。
 オレが悪いわけじゃないけど、もっと他に何か言い方はないわけ、とか思わなくもないけど…それはそれで、今度はオレが嫉妬してしまいそうだから……ってああもう、わけわからん!
「エド、迷惑なんだ」
 岡崎は言葉を選んでいるんだかないんだか、単刀直入にそう切り捨てる。そんな立場じゃないのにひどい、なんて言ってしまいそうになり、オレは唇を噛んだ。
 オレは、岡崎の恋人なんだから!恋人、恋人……。
「納得できまセン。楽、わたしたちが過ごしたあの日々は一体何だったのデスか?何も知らない、楽の素晴らしさを理解していないこの男に…」
「ちょっと待った…。なあ岡崎、わたしたちが過ごしたあの日々って、一体何なのか説明してくれ」
「ただの言葉のあやだろう。渚が気にすることじゃない。それにつっこむべきところは、そこじゃないと俺は思うんだが」
 オレのあしらい方を、本当に岡崎は上手くやる。でも、その手には引っかかるもんか。
「何それ。大体、オレだって不安になるよ?わかってるつもりだけど、やっぱり…。一緒に居た時間の長さなら、オレよりエドの方が長いくらいなんだから!」
「そんなのこれからいくらだって、二人で時間を共有しようって言ってるじゃないか。いつも」
「待ってくだサイ!…わかりました、もういいです。でも、わたしこのまま帰るわけにいきまセン。アナタが本当に、楽に相応しいか見定めなくては」
 オレたちの痴話ゲンカを止めたエドは、厳しい目でオレを睨みつける。
「難しい日本語知ってるんだな、お前…」
「壮真、ピアノは弾けるんデスよね」
「彼は初心者だ、エド。君と比較するレベルじゃない」
 岡崎の話では何度か手紙のやりとりで、オレがピアノを始めたと嬉しくなって報告したらしい。
 意外にかわいいところもあるとか思ったオレは、今ここで文句を言える立場じゃない。
「わたしと、勝負してください。観客の前で演奏して、拍手が多かった方が勝ちデス。わたしが負ければ、大人しく楽から身を引きましょう」
「無理だ!エド、無茶言わないでくれ…。どれだけ実力に、差があると思ってるんだ!?」
「……………」
 こればっかりは自分でも、まったく岡崎の言うとおりだとしか思えなかった。
 岡崎がオレの代わりに喋ったのかというくらい、エドは無謀な勝負を挑もうとしている。
「勿論、ハンデはさしあげますよ。壮真は楽と、連弾を。わたしは独奏を。人生のパートナーというなら、お互いの演奏に合わせるくらい、わけのないコトです。どうです?壮真、受けて頂けますか?」
「渚、こんな話には乗らなくていい。馬鹿馬鹿しい…」
 連弾?そういえば、そういう演奏方法もピアノにはある。一人ではなく二人で、四つの指で…オレと岡崎にそれが、できるのか?わからないけど、きっと岡崎に迷惑をかけるだろうけど。
 オレが、岡崎と連弾できる?一緒に同じ曲を、演奏…できる?
 それができたら、どんなに嬉しいだろう。幸せだとしか言えないじゃないか、そんなのは。どれだけ大変なのかなんて、知らない。経験がないんだから。
 でもきっとこのチャンスは、誰にでもやってくるものじゃない。こんな巡り合わせは。
「岡崎には、迷惑か?」
「え?」
「オレ、岡崎と一緒にピアノを弾いてみたい。勿論、そんなに難しい曲はまだ弾けないけど」
 岡崎が、オレの申し出にきょとんとした表情をしている。それから、驚いたように瞠目して。
 出会った時はこんな顔ばかり、そういえばオレは岡崎にさせていたっけ。
「……………」
「決まり、デスね」
 エドはにやりと笑った。勝利を確信した笑みは、やっぱり惚れ惚れするようなもの。
 まだ岡崎の決心は、ついていないようだったけど。
「ちょっと待った!!俺たちも、その話協力しようじゃないか」
 突然の乱入者が、不毛な三人の前に現れる。
 いつから話を聞いていたのか、どこに隠れていたんだか…話に割り込んできたのは修介だった。岡崎なんてその姿を見た途端、うんざりしたように表情を歪めている。
「…は、何っ?盗み聞きしてたのか?修介!?」
「十一月には、丁度学園祭がある。体育館で盛大にイベントを催せば、白黒はっきりすると思うぞ。学園祭には菊池先輩も来られるだろうから、お前らの演奏を聴ければ、きっと喜ぶ」
 懐かしい名前だ。菊池先輩はうちの高校を卒業しても、時々新聞部に顔を出している。相変わらずオレの憧れである先輩は、そういえば岡崎のことを始終気にかけていたから、修介の言うとおり、喜んでくれるだろうけど…。
 ちらりと岡崎を伺うと、奴は観点の違う苦情を申し立てているところだった。
「瀬名、君が渚にそんな風にべったり張りつかれると、俺も…」
「岡崎あの〜、今はそれどころじゃないと思うんだ。オレ」
 こんな言葉を幼なじみに聞かれるなんて、恥ずかしすぎる。
 赤面して、オレは慌てて岡崎の台詞を遮った。放っておけば、何を言うかわからない。まあ、言わせてもらえば俺だって、岡崎が壮真に似合っていると思ったことは一度もないからな。それとも、全校生徒の前でそれを証明してくれるとでも?天才ピアニストさん」
 こんなに話がバラバラな三人の会話を、エドがまとめられるわけもない。
 修介の意志の元どうしようもないこの展開に、岡崎は真剣になってしまっているようだ。
「……っ」
「修介!」
 さすがにちょっと、悪ノリしすぎなんじゃないか?お前。オレがそう睨んでも、こんな時の修介は相手にもしてくれない。
 面白そうな方に転がす。それが修介のやり方で、その実害なんて気にも留めない。
 ほんっと、いい性格してると思う。子供の頃からずっと変わらなくて、オレはもう慣れきってるけど。時々うんざりするくらいだ、今みたいに。
「認めさせてみろよ」
 わかりやすい挑発。着火するだけしておいて、その後始末はオレにまわってくるんだぞ?修介…。
 岡崎が息をつく。どうやら、決心を固めたみたいだ。
「君がそう言うなら、受けてもいい。見せつけてやるだけだ。な?渚」
「岡崎…」
 思わず溜息が零れる。嬉しいような嬉しくないような、ひどく複雑な気持ちだった。
 岡崎とピアノデュオを組むなんて、夢に見たこともないくらい本当に凄いことだ。想像もしたことがなかった。岡崎はどこまでも遠くて、こんな方法思いつきもしなかった。
 それなのに現実のこととして、オレが岡崎と……。
「十一月、第一日曜。学園祭で!」
 岡崎がそう啖呵を切り、オレは我に返る。一見して落ち着いたように見えるこの男が、誰よりも短気な性格だということを、オレは思い出していた。
 見事賭けに成功した修介は、それはそれは楽しそうに笑っていて。幼なじみをいいネタとしか思っていないだろうその表情は、これからへの期待に満ち溢れている。頭の中では次号の新聞の部数とか、そんなことばかり考えてるに違いない。
「わたし、負けまセンから」
 そう宣戦布告するエドの腕を、取材させてくれと言わんばかりに修介が引っ張っていく。
 二人きりになると岡崎は、そっとオレの大好きな指を絡めてきた。
「大丈夫。俺たちは、必ず勝つよ」
「うん。オレも、頑張るから…」
 どちらともなく唇が触れ、ほほえんだ。
 とりあえず今は、二人で甘い時間を過ごすことにしようか。


  2006.10.13


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