「一瞬」



「…は、っ」
 不意に強く下肢を握られて、たまらず喘ぎ声が漏れる。岡崎はなんだか笑ったような気がしたけど、オレの見間違いなのかもしれない。
 あの指が、…うわっダメだ超恥ずかしいっていうか何だ?気持ちいい…ってそうじゃないよ、オレ!
 岡崎に触れられているということを意識するだけですぐにでも、オレはイキそうになってしまう。岡崎は優しく根元の方を撫でて、伺うような目でオレを見た。
「ぁ…ああっ……!」
 他人に扱かれた経験なんて皆無で、その相手が岡崎で…ああ駄目だ。めちゃくちゃ気持ちいい。変になりそう…。なんかとけそうな感じ。
「俺に触られるの、気持ちいいか?可愛い顔するんだな、渚」
「んん…ぁ、は……っ…出る!あっ、アアーッ!!」
 身体がビクビク痙攣して、オレの精液が岡崎の手を汚した。岡崎は特に気にした様子もなく、それどころかオレの脚を広げ、尻にヌルヌルした液体を塗りつける。
 ん…?オレはちょっと我に返り、雰囲気も気にせず逃げ腰になって声を出した。
「お、岡崎ちょっとタンマ!待って、あのさあっ」
「焦らすのか?」
 またあのいつもの、不機嫌そうな顔になる。怯んでいる場合じゃなくて、オレは慌てて言葉を続けた。
「あ、あのさ…。まさかと思うけど、オレが女の方なのか?」
「俺は、渚の中に挿れたいと思っているけど。君が嫌なら、無理やりに犯すしかないな…。こんな状態でもう今更、収まりもつかないんでね」
 悪びれる風でもなく、あまりにも堂々としたその態度に、オレは思わず笑ってしまう。笑いたいけど示された興奮が、アレがオレの中に…なんて想像があまりにも怖くて、複雑な気分だ。
「オレに、選択肢なんてないじゃん…。前から思ってたけど岡崎って、けっこうひどい男だよな」
「それを知ってて俺を好きだって言う渚も、相当変わってると思うよ」
「好みが、いいひとなわけじゃない」
「それ聞いて、安心した」
 岡崎はやっぱり笑っていて、オレは緊張と不安で引きつった表情。
「…アッ!?」
「渚の大好きな俺の指だよ。大丈夫」
 何がどう大丈夫なのか、弄ったこともない場所に、何かが蠢くおかしな感覚。怖い…。
 オレの恐怖を感じたのか、岡崎がキスをくれる。何もかも奪われてしまいそうな激しい舌遣いに、普段とのギャップがますますエロくてオレは完全降伏した。
「…ぁは…んんぅ……ハァン…」
 多分、オレの意識が下半身に集中しないよう、岡崎なりに気を遣ってくれてるんだろう。その作戦は成功で、オレは夢中で岡崎の舌を追いかける。
 セックスは痛そうだし怖いけど、キスは気持ちいい。岡崎が好き…。
「あ、ああっ!」
 その時の衝撃を表現する言葉は、知らない。生まれてきて初めての痛み。わー、死ぬ!オレ死ぬ!!涙が我慢できない!痛い!!
「まだ先だけしか入ってないから…。力抜いて、渚。全部君の中に、中…で……」
 それは無理な相談だ。力を抜けと言われてもガチガチになったオレは、自分ではどうすることもできない。圧迫感。そりゃあオレだって、岡崎とひとつになりたい…け…ど……。
「い、痛いっ…怖い…!…お、岡崎ぃ…」
 色んな感情がたまらなくて、オレはその肩にしがみついた。岡崎も汗をかいてる。耳元で囁かれると、それだけで感じまくってしまう。ずっとつれない言葉ばかり聞かされた唇。無視され拒絶されて、それでも岡崎のことをオレは諦められなくて。
「…っ…繋がったの、わかるだろ?こっち、ここ、見て。渚。渚の中に俺が入ってるの、確認して」
 手を伸ばすとしっかりお互いが結合しているのがわかって、興奮する。ずっと好きだった岡崎もオレのことを好きで、そんな岡崎に全部支配されたような心地よさ…。
「岡崎の…ぁあっ…入って…る……はぁ…」
 オレの中でドクドクと、岡崎のペニスが脈を打つのを感じる。
「ずっと、こうして…いられたら、いいのに……渚」
 本当に岡崎は、オレを好きになってくれたみたいだ。うっとりしたような声音が、なんだか信じられない。ここまでヤっといて、そんな感想を抱くのもなんだけど。
「…アッ、動かなっ…で!……変っ…駄目…ぁ…あぁん……」
 勝手によがり声が出てしまう。段々と恐怖も薄らいできた。オレの反応に、ずっとじっとしていた岡崎は、じわじわと腰を動かし始める。
 自分の内部が、何かを掘り出すように掻き回される。岡崎が腰を動かす度にピチュ、クチュと音が鳴った。これが二人の愛の音楽なんてどうでもいいことを考え、その考えに赤面する。

 数分後悲鳴というよりは絶叫をあげたオレに、岡崎は慈しむようなキスをくれた。

「いてええええ…」
「慣れてくれ」
 音楽室のカーペットの上、ぐったりしているオレに、岡崎はそう言い放った。
「めちゃくちゃな奴、ほんっとにもう…。信じらんねえ」
 正直、快感より痛みの方が勝る。何度も繰り返していれば、いつか快楽に変わるのだろうか。なんだか、想像も出来なかった。想像しようとしたけど、途中で恥ずかしくなってしまった。
 岡崎は心配そうに、労ってくれているつもりなのかオレの背を撫でる。
「大丈夫か?渚。俺も全然余裕なかったし、そんな巧い方でもないから…。悪かったな。別に君を傷つけようとか、そういうつもりじゃないんだけど。つい、勢い余って」
「淡々と勢い余ってとか言わないでくれ、岡崎…。笑いたいけど、今超安静にしていたいんだ。オレは」
「冗談を言っているわけじゃない…」
 憮然と呟く岡崎のことが、オレはほんとに好きだなって思ったんだけど。
「……ああ(天然なんだな、岡崎って)」
「次からは、もっと気を遣うよ」
 どうやら岡崎ときたら、反省しているらしい。おかしい奴。
「………そうしてくれ」 
「なんか、弾こうか。聴いてくれるか?」
 …おいおい、元気だな。ツッコミを控えておいたのは、岡崎がそう言ってくれたのは初めてだったから。すごく嬉しくて、オレの頬はだらしなく緩んでしまう。
「オレは岡崎のピアノなら、何時だって聴いていたいけど」
「ありがとう」
 何度見ても、岡崎とピアノはお似合いだ。オレのいる隙間なんて、ないくらい。
 甘い旋律が流れ始めた。岡崎がこんな曲を弾くのを、聴くのは初めてのような気がした。なんだか今日は初めて尽くしで、忘れられないオレの記念日になりそうだ。
「この曲、何ていうんだ?」
「愛の夢、リスト」
 多分、体温が一度くらい上がった。
「随分とロマンチックだな」
「ああ」
 曲が変わる。
「これは?」
「グリーグで、恋の曲」
 段々、コメントがし辛くなってきた。
 また甘い曲調が変化して、オレは黙ってピアノを弾く岡崎を見つめていた。
「………」
「何の曲か、もう、聞かないのか?」
 からかうでもなく、ただ尋ねるように岡崎がオレに問いかける。
「もー、十分伝わりました」
「それなら、かまわない」
 ああもうダメだ、きっとオレの感情は既に溶け始めているんだ!
 あまりにドキドキして、訳わかんなくて、オレはよくわからないことを興奮気味に思う。
「………すっげー気障」
「何も伝えられないよりは、その方がマシだろう」
 岡崎がピアノを弾くのを止め、オレの方へ近づいてくる。
 それだけでやっぱりドキドキして、抱きしめられたらこの心臓の音が絶対聞こえるって思って、軽くパニック状態になるオレ。好きなんだ好きなんだって、そればっかり。
「オレ、岡崎ってそういう歯の浮く様なセリフは絶対言わないって思ってた。意外〜」
 照れ隠しで誤魔化すオレに、岡崎は柔らかく目を細める。表情のひとつひとつに、ドキッとした。
「お互い、まだ知らないことの方が多いだろう。俺たちは」
「そうだな」
 岡崎の、一言一言がオレの胸に響いてくる。
 なんかもう、ほんと、今はダメだ。倍増しに格好良く見えてる。エッチ効果って、恐ろしい。
「……こうやって話をするのだって、初めてだし。喋りすぎて、俺は顎が疲れてきた」
「アハハッ。面白い奴」
「…渚には負ける」
「何だよ、オレは至ってノーマルな男だよ」
「へえ…」
 岡崎が意地悪くニヤニヤ笑うのがわかって、オレは唇をとがらせる。
「妙な含み、もたせないでくれ」
「なあ」
「え?」
「俺とこんな風になって、渚は後悔しないのか?」
 その疑問は、突然だった。
「後悔?どうして」
「…これから先のことを考えて、怖くなったりしないのか?」
「怖くなるもんなのか?何で?」
 首を傾げるオレに、岡崎は思いつめたような表情で言い募る。
「この一瞬の選択が、これから先の人生を左右するかもしれない。
 そういうこと、渚は考えたことがあるか?」
「それって、岡崎のことだろ…?もしかして、ドイツ留学のこと言って―――」
 空気が、張りつめるのがわかった。
 慌てて口をつぐんだオレは、自分の失言に肩を竦める。
「どうして渚が、その話を知っているんだ?」
「………」
 立ち聞きしたなんて、言えるわけない。岡崎は、怒ったりしなかった。
 それどころかオレの髪を撫でて、大事なもののように額にキスを落としてくれる。
「…迷ってるんだ、俺は。渚と今こうしていて…ますます、わからなくなった」
「岡崎…」
 職員室で、シバちゃんと話をしていた時も。岡崎は、悩んでいるようだった。
 オレは嬉しいような困ったような…複雑な気持ちで、そっと岡崎を抱きしめるだけだ。
「一年だ、渚。これから夏が来て、秋が来て、冬が来て…その季節の中には、渚がいて。その思い出と引き替えに、俺は春の渚と再会することになって…。変わってしまったら、どうする?お互いの気持ちが、今とは違ってしまったら……」
「…そりゃあ、今とずっと、同じってわけにはいかないと思うけど」
「……それは、」
 岡崎の目が不安そうに揺れる。岡崎って、こんな顔もするんだ。オレのことが好きだから…こんな風に、決心がつかないでいるんだ。なんて、愛しい人だろう。
 自惚れだろうが何だろうが、オレにはそう思うことが必要だった。岡崎と同じくらいの、勇気が。
「だって、もっと好きになるに決まってんじゃん。そうだろ?」
「渚…」
「岡崎が帰ってきたら、もう一度オレに惚れ直すよ。きっと。何も、心配することなんかない」 
 目を見られたら、虚勢を張っているのがバレてしまうって思った。
 岡崎の肩に額をつけて、精一杯エールを送る。オレの出来ることって、なんて限られているんだろう。
「オレさあ、怖かったんだ。このまま、岡崎に気持ちを伝えられないまま…留学しちまったらって。けど、おかしいよな。強がりじゃなく今はなんか素直に、行ってらっしゃいって言える…から。だからさ、行ってこいよ。岡崎。…でないと、オレ、この手を離したくなくなっちゃうからさ」
 抱きしめられる力が、強くなった。やばい泣きそうだ、さっき散々泣かされたのに。
「渚を離したくないのは、俺の方だ」
 もう、笑う気にもなれなかった。普通に嬉しかった。
 オレはギュッて目を閉じて、声が震えないように最大限の努力をする。
「もしかして、岡崎ってばオレが泣いて行かないでそばにいてって言ったら、そうしてくれんの?」
「ああ」
 オレがそんなことしないってわかってるから、言えるんだ。そんなこと。
 ずるい岡崎。ピアノが上手くて、ぶっきらぼうで、かと思えば、キザで天然で。
 そんな岡崎のことが、オレは―――…
「…好きだよ、大好き。どこにでも、岡崎の好きなところへ行けばいい」
 帰ってきてくれるなら、オレは浮気なんてしないで岡崎を待ってるから。
 声に出さずに、そう続ける。岡崎はなんだか不敵に笑い、
「馬鹿だな、渚。君はこれで、俺と別れるチャンスを一生失うことになった」
「へっ―――――」
 もう、何度目のキスなのかわからない。
 吐息も温もりも、どちらのものなのか境界線が曖昧になって、ひとつになる。オレは幸い記憶力のいい方だから、この微熱も甘さも全部、憶えていられるだろう。岡崎だって、あの分厚い楽譜を暗譜できるくらいだから、問題ない。絶対に、大丈夫だ。
 恥ずかしさも痛みも愛しさも、今のオレにはすべて大切だった。
 こんなに近くに、岡崎のことを感じていられる。この一瞬があれば、他に何もいらなかった。


   ***


 主のいなくなった音楽室は、どことなく、いつもより寂しい気がした。
 いるはずの、聴こえるはずの音階が耳に届かなくなっても…
「大丈夫だよ。岡崎」
 返事は返ってはこないけど、少しずつ慣れていくから。だから、今は…。
 誰もいない部屋の中、オレはピアノの前に腰を下ろす。
 次の日、岡崎は日本を発った。あんまり急じゃないかとか、文句を言う間さえなかった。しかも朝のSHR、教室でシバちゃんにそれを伝えられたのだ。どこからの情報か、修介も知っていたらしくどうりで、様子がおかしいと思ったのだけど。
 一年。長いとしか言いようがない、それくらいの我慢は、するつもりでいるけど。
「…あー、ちっくしょ」
 覚悟していたとはいえ、現実はけっこうキツイものなのかもしれない。
 涙が、白い鍵盤を濡らす。オレはそれに触れることも出来ず、遠い恋人を想うのだった。



  2005.08.19


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