「恋人の情景」



 W.きらきらひかる


 これは岡崎が、オレに何年か月日が流れた後で突然、思い出したように教えてくれた話で…実際その時聞かされていたら、オレは多分動揺しただろうから、岡崎の判断は間違ってない。
 エドとオレたちが対決する前、岡崎はオレに内緒である人と会っていたのだった。そのある人というのは二人で、一人が菊池先輩、そしてもう一人はエド。どっちも相手の方から会いたいと、岡崎にアポを取ってきたらしい。
 岡崎がいい男だっていうのはオレがこの世で一番詳しいくらいだけど、複雑な気分だった。モテる男を恋人にもつと、気が気じゃない。
 その隣りにいるべきはオレしかいないって、思いこんではいるけれど。


   ***


「久しぶり」
「ご無沙汰しています」
 菊池先輩に微笑みかけられて、そうぶっきらぼうに岡崎は返事をした。
 オレはこの二人がまともに会話しているのを、そういえば一度も見ないままだ。
 岡崎曰く、菊池先輩と一緒にいるとなんだか落ち着かない(オレは、その感想に驚きだ)らしくて、その日も明るいカフェの中、妙な居心地の悪さを感じていたのだった。珈琲。
 岡崎がブラックで珈琲飲むのって、格好良くない?茶を飲む岡崎も渋くっていいと思うし、紅茶も上品でドキドキするような気もするし、炭酸飲料系…は似合わないから却下。
 まあとにかく、そんなに広くないテーブルで二人は向かい合いながら、珈琲をすすっていた。菊池先輩はそれはもう、話のきっかけを作ろうと必死だったんじゃないだろうか。
 オレ、その気持ちすっごいわかる。オレが岡崎にどうにか近づこうと必死だった頃、辛かったし…。恋心は笑えもしないほど、一方的に空回りしていたから。オレの場合。
「元気にしていたか?」
「はい」
 菊池先輩は、まるで離ればなれだった父親みたいな挨拶を交わし見事玉砕した。
 岡崎は割とマイペースな男で、沈黙ならそれでかまわない雰囲気がある。慣れてくると、自分から話してくれるようになるから、今までのことを思うと、それがたまらなく嬉しいんだけど。距離が遠いと、もうこれだけでくじけるような気持ちになってしまうんじゃないだろうか。うん。
「今日は、来てくれてありがとう。ずっと、君に会いたかった」
「………いえ」
 本当に素っ気ない。
「練習の方は、はかどっているのか?学園祭、楽しみにしてるよ」
「渚がいてくれるので、つられて前向きな気持ちになっているかもしれません。ピアノを弾くのがこんなに楽しいと思ったのは…すごく遠い昔と、これで二度目です」
 岡崎がようやくまともな日本語を話したのは、嬉しいことにオレの話題で。
 オレの名前が出たことで、菊池先輩も少し話しやすい雰囲気をつかんだようだった。
「もし君が、渚と出会ってなかったら。…俺とこんな風に、話せることはなかったんだろうな。俺には、二人が羨ましい。俺は、ずっと見ているだけだったから。岡崎を、好きだと思っているだけで」
 岡崎はそのさりげない告白に動揺してしまったらしく、うっかり珈琲を零してしまった。言われてみれば思い当たることは多い、そう気が付いて瞬きをする。菊池先輩は微笑んでいた。
 菊池先輩はオレや修介にも優しく笑ってくれるけど、好きな子の前(岡崎)ではどんな風に笑顔を見せるんだろう。オレは、なんだか想像もつかなかった。
 菊池先輩って、岡崎のことが好きだったのか。オレ、全然気づかなかった…けど、言われてみればなんか納得するような気もする。ずっと、菊池先輩は岡崎のことを気にしていたから。それはただ単に、被写体としての興味なのだとオレは思いこもうとしていたんだ。
「俺はずっと、岡崎のことが好きだったよ。君のその性格も、奏でる音色も」
「嬉しいです。ありがとうございます…。でも、俺は渚と出会えたから。だからこそ今、素直に嬉しいと思えるんです。あなたはもう、ご存じなのかもしれませんが」
 岡崎って、ほんっとオレに惚れてんのな!超嬉しい。オレも同じ気持ち、だけど。
 恥ずかしげもなく岡崎は、自分の気持ちを菊池先輩に伝える。菊池先輩は、小さく頷いて。
「もっと色々な話を、岡崎としてみたかった。君が何を考えているのか、何を見ているのか。俺は結局、レンズを通してしか知ることはなかったけれど。俺にとっては眩しくて、大切な日々だったよ」
「俺はずっと音楽のことばかり、考えていますよ。そこに渚が加わって、なんだか少し賑やかになった。
 そういう変化を、幸せなことだと受けとめています…。渚を好きになってよかった」
「…はは。岡崎がノロケ話をする日がくるなんて、俺も思ってなかった。君が幸せでよかった」
 ずっと気持ちを抱えていた菊池先輩は、告げることでその恋に終止符を打つのだろうか。
 恋の終わり。なんてささやかな、それでいて当人にとって大きな出来事なんだろう。
 半年くらい経って、菊池先輩はかわいい彼女を作っていた。オレと岡崎はデート中で、向こうも同じで、声をかけるには遠い距離だったからオレは、そんなお似合いのカップルに一瞬、気を取られた。
 岡崎は気づく気配もなく、今にして思えば、二人はずっとそんな距離を続けてきたんだろう。


   ***


 菊池先輩と別れた岡崎は、その足でエドとの待ち合わせ場所に向かった。
 こういうの、なんか岡崎らしいと思う。上手く言えないけど、同じ日にぶつけてくるあたりの合理性というか、なんというか、早く済ませてしまおう感がありありと出ているあたりが。
 エドは久しぶりに二人きりで岡崎と会えるので、すごく気合いの入った格好だったそうだ。それ何万?すんの??みたいなスーツでビシッと決めて、街角に佇むエドは周りの注目の的だったらしい。
 それをさらっと着こなすあたりに、異国の血筋の凄さを感じる。きっとすごく、絵になるんだろう。
 わたし、日本語わかりません!逆ナンパされ、冷たくそうはねのけるエド。
 すぐに見つけた岡崎は、わ、これは声をかけたくないなとやっぱり引き返そうかと(ひでえ)躊躇っていて、そんな岡崎に、エドは花が咲いたみたいな笑顔を浮かべて走り寄ってくる。
「楽!会いたかった!!」
 それはもう、完全に日本語を理解した、実感のこもった挨拶に違いなかったろう。
 よくわからないけど、キャー!という歓声が上がって、岡崎は硬直したままエドに抱きしめられてしまった。頬にキスをされたところで我に返り、岡崎は苦笑を浮かべてエドを引き離す。
「…相変わらずだな、エドは。少し人目を考えてくれ」
「わかりました。楽が、そう言うならわたし、大人しくします」
 でも、手、繋ぐくらいいいデスよね。いやよくないから、そういうスキンシップはやめてくれ頼むから。…岡崎は一体、ドイツでどれくらいエドのことを甘やかしていたんだろう。さすがに、これはかなり妬ける。
 オレがいない間寂しくて、エドに支えてもらっ…まあ、そんな妄想はするのは止めよう。自分の為に。
「今日は、楽とデートがしたくて誘いました」
 エドは無邪気に、そう告げる。岡崎の流し方もまた、心得たものだった。
「日本観光してないのか?エド。俺も、あまりそういうの詳しくはないんだが…」
「いえ、そういうデートはまた今度の楽しみにとっておきマス。
 今日は、楽器店とか、楽の好きな場所とか、わたし、もっと楽のこと知りたい。だから、」
「好きな場所、か。自分の部屋が、やっぱり一番落ち着くけど…」
「………」
 岡崎の言葉にエドは少し沈黙して、気遣うように微笑んだ。
「…本当は、楽と一緒にいられるならドコでもいいんです」
 もしも岡崎に、オレという最愛の恋人がいなければこれは結構、強力な威力だったんじゃないだろうか。普段明るい、顔も見惚れるほど綺麗なエドが寂しそうに、健気な愛の告白なんて。
 さすがの岡崎もほんの少しは、エドを不憫に思ったようだった。そりゃそうだ。自分を追いかけて、こんな遠い場所まで来て…。ああ、オレはその気持ちがせつないほどわかる!

 結局岡崎は、エドを自分の部屋に迎え入れた。エドはピアノに真っ直ぐ向かっていって、これが岡崎の弾くピアノなのだと幸せそうな表情をする。岡崎はダージリンの紅茶を煎れて、エドがピアノを弾き始めるのを眺めていた。
 多分、これがこの二人の一番自然な姿なのかもしれないと、オレは何となくそう思った。
「わたしが弾く曲は、これです。わたしは、楽と、こういう関係になりたかった」
「きらきら、光る…」
 可愛らしい旋律が優しく、岡崎の耳に届く。
 元はフランスの民謡で、一見簡単に思える曲だが、実際弾いてみると案外難しい原曲だ。きらきらと光る小さな星を、想う歌詞。エドは岡崎に、その気持ちを重ねていたんだ…。
「わたしは、すべてを手に入れていると思っていました。音楽も、名声も、幸せも。…それなのに、楽と知り合って気づいてしまった。わたしは一番大切なものを、まだ知らないと」 
「そんなことない。俺は…、君の演奏は嫉妬するのも馬鹿らしくなるくらい、完全な幸福だと」
 岡崎と、エドの弾き方は違う。お互いに違うからこそ惹かれ合って、嫌になるどころか…そう、エドがこんな気落ちをすることに腹が立つくらい、岡崎はエドの音を好きなのだ。
「完全な幸福。今、わたしはそれを、感じています。楽がそばにいて、わたしたちの間にピアノがある。それが、わたしの完全な幸福。…いつかは、変わってしまうでしょうが」 
 気持ちはきっと、緩やかに変化していくものだ。勿論、ずっと変わらない想いというのもあるだろう。
 エドはちゃんとそのことを知っていて、自分の気持ちにケリをつける為に、オレたちに勝負を申し込んだのかもしれない。オレには、そういう風に思った。
 岡崎が岐路に立った時、オレの一言を必要としたように。何かの、きっかけが。
「エド」
「楽を愛しています。この曲に誓って」
 言葉より何よりこの二人にとっては、響く音色が何より雄弁で、感情のすべてだった。

 本当はアナタの身体を押さえつけて、自分の好きにシテしまいたい。
 こんなきれいごとどうでもイイから、声すら出せなくなるほどに、わたしで埋め尽くしてしまいたい。
 だけど嫌われるコトは絶対に堪えられないから、この曲を弾きます。聴いてください。
 わたしはもっと、楽と思い出をたくさん、たくさん作りたい。だから、アナタに会いに来ました。

「君のピアノをこうやってもう一度聴けることが、俺には嬉しいよ」
 その返事にエドは泣きながら、ただ静かにピアノを弾いた。
 そうして二人は留学の時の思い出話とか、ピアノの話とかピアノの話とか、これからどうするとか、そういう友達同士の世間話を、懐かしい空気とともにひとしきり喋りまくった。想い人である前に、二人は仲の良い友達であったのだ。…オレには、そんな期間なかった。
 オレはまだ初心者だから、ディープな音楽話をされるとついていけない。聴くのは楽しいし面白いけど、きっと岡崎にとって、物足りない時もあるんじゃないかと思う。
 それをエドは満たしてくれる存在で、オレはそういう部分を、羨ましく思う。いつか、そうなりたいな。今はまだ岡崎の背中を追いかけるだけだけど、いつか…隣りに並べたらいいな。なあ、岡崎。
 そうしたら、きっとそこにオレたちの完全な幸福がある。


   ***


 運命の日はもうすぐそこに、オレたちは飽きることなく隣りに並んで、ピアノの前に向かう。
 岡崎が習いに行っている先生が、熱心に指導をしてくれた。弾けば弾くほど、オレはこの曲が好きになる。岡崎のことを好きになる。隣りで鍵盤に触れる岡崎が、同じ気持ちだったらいいと思う。
 この曲を完成できたなら、二人で、同じものを見ることができたなら。
 それぞれの想いを抱きながら、奏でる旋律が、…エドに、連城さんに届けばいい。
 願いは幾つも重なって、岡崎の音色を二人で紡いでいく―――…。


  2007.03.05


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