別れのワルツ「恋する音色」



 冬も間近に迫った午後、とある駅前。
 オレは恋のライバルと向き合って、ごく真面目な会話をかわしていた。

「私は、壮真に会ってみたかった。あなたがどんな人間なのか、どうしても知りたかった…。勿論楽には会いたいと思っていましたが、何より、楽の選んだ男を、私は見ておきたかったのです」
 エドは端麗な美貌に影を落とし、囁くようにオレにそう告げた。
 学園祭が終わり一つの区切りがついたことで、エドはドイツに戻ることになったらしい。
「で、感想は?」
「どうということもありません、普通です」
 本人を目の前にして、よくしれっとそんな発言ができるものだとオレは脱力するが…本人はおかまいなしだ。
「失礼な奴だなあ」
「魅力的な部分もありますし、なんだか腑に落ちない部分もあります。そんなもの、誰でも持っている性質です。要は、私よりいい男なのか見極めたかった。ですが、それはあまり意味をなさないと判断しました。主観ですから」
「真面目な話をしている途中に悪いんだが、お前、日本語ペラッペラじゃないか…」
「当然でしょう?愛する人の母国語です。私の愛を表現するには、どれほど言葉を尽くしても足りないくらいです」
「……………それって、岡崎は知ってるのか?」
「馬鹿な子ほどかわいい、という言葉もあるでしょう?壮真、二人だけの秘密にしておいてくださいね」
 エドは女子が見たら発狂しそうなウインクを、勿体なくもオレに捧げる。
 一緒にいると、それだけで好きになってしまいそうな不思議な魅力を持つこの男の魔力に、岡崎があてられなくて本当によかったと思う。その醸し出されるものが計算づくだったとしたら、オレの思考回路で対抗するのは厳しい。
 どちらかといえば、オレは本能的に生きているからだ。周りはそれを大胆だとか評価したりするけれど、エドの場合、自分の魅せ方を知っているのだろう。セルフプロデュースが、上手い。親日家の才能ある若きイケメン、というふれこみで、自分の演奏をエドはしっかり宣伝していった。
「ところで、岡崎を呼ばなくてよかったのか?…その」
 もう会えなくなるのに、という言葉は使っていいのかどうかわからず、オレは言い淀む。
「楽の顔を見たら、離れがたくなりますから。壮真が丁度いいんです」
 悪びれないエドは、本当にいい性格をしているよな!…ある意味、感心するね。オレは。
 嫌いになれない。恋のライバルでなければ、オレだって、すごく好きになってしまいそうな魅力はある。いい男だとは思うものの、まあ、言っていいことと悪いことの区別くらいつけてもらわないとな?
「オレ、いい加減怒っていいか?」
「冗談ですよ、ごめんなさい。なんだかんだ言って、あなたのことは私も気に入っていますから」
「とってつけたように言われても、嬉しくもなんっともないな」
 お互いに、面白くない存在であることは確かだ。
 オレが肩を竦めると、エドは悪戯っぽい笑みを浮かべる。この笑顔には岡崎も弱いのだと、二人を見ていて何となくオレも感じていた。岡崎は、エドには甘い。
「それに、またすぐ来日することに決めましたから」
「お前なあ…。自由だよな、エドって」
 頭が痛くなる。また不毛な争奪戦を、繰り広げなければならないのか…。
 負けるわけには、いかないし。エドは少しも、岡崎を諦める気配がない。攻勢を改めただけで、隙あれば、オレから岡崎を奪うつもりでいるだろう。そんなことはさせないし、そんなことにならないよう、オレも全力で努力はするけど。
「壮真だってそうでしょう。あなたの決断には、私も驚きました」
「…ああ。自分でも、予想もしてなかったよ。なんだか不思議なんだ、今でも」
 岡崎と二人で、ひとつの音楽を作り上げていく。そんな未来を、誰が予想しただろう?
「私は自分の音楽に自信と誇りを持っていますが、いつか、あなたの奏でる音楽に嫉妬する日がくるかもしれない。その時までは、私にもまだ楽をさらえるチャンスはあると思っています。彼は、私の音にあなたを投影していました。いつか、私の音に楽が気づいてくれたなら…」
「エドの気持ちも奏でる音も、ちゃんと岡崎に届いてるよ。…それを、受け取るかどうかはまた別の話だけどさ」
「ではまだ、私は足りていないのですね。もっと響くような音色に、磨いていかなければならない」

「エド」
 
 静かな声が、白熱した会話を中断させた。岡崎は柔らかな笑顔を浮かべ、オレの隣りに並ぶ。
 エドが瞬きした後、日本を発つことを話したのか?そういう視線を、オレにちらりと投げかけるので首を横に振る。まあどうせ、オレの態度なんてわかりやすくて、岡崎にはお見通しだったのかもしれない。オレ、隠し事下手だから。
「薄情じゃないか。見送りくらい、させてくれ。君は俺にとって、大切な友人なのだから」
「楽…」
 みるみるうちに、エドの(演技ではないらしい!)目に涙が溜まる。それはまるで愛らしい犬のような表情で、なんとかしてあげたくなるような保護欲をそそられるけど、岡崎にはあまり効果がなかった。
「俺は、渚がピアニストだから好きになったわけじゃない。前にも話したような気がするが、彼は素人で、俺は真っ直ぐな内面に惹かれて恋に落ちたんだ」
「そんなことを説明する為に、楽はわざわざ出向いてくださったのですか…」
「いや、だから…。その、俺は、君のピアノが好きで!…勿論、人柄も素晴らしいと思っているが……」
 うん。ここは、多分、エドも泣いていいと思う。
「俺はエドのピアノを聴いて、離れていても、渚に恋する気持ちを忘れないでいられた。それは、渚を投影していたというより…その、だから、君の音に恋をしていたという感覚が近いのかもしれない」
 岡崎の中でオレが特別な恋人であるのと同じように、エドのことも特別な友人だと思っている。そういう事実に複雑な感情を抱きながら、オレはとりあえず岡崎のセリフを聞き流した。じゃあ、何か?
 エドがいなければ、エドの音に出会わなければ、オレに対する恋心はどこかへ忘れてしまっていたとでも?帰ったら、どういう事情か岡崎に追求しないと。
「素直に喜べません…」
 真剣な岡崎と眉を寄せるオレを見比べ、エドは溜息混じりにそんな感想を漏らす。
「エド、オレも同感」
「えっ?」
 岡崎は一人、きょとんとした表情をしていた。
 恋愛感情に疎い、不器用で他人の気持ちに鈍感、変人。…オレはよくこの男を落とせたものだ、と思う。今でも、奇跡みたいに感じる。でもそんな岡崎だから、オレたちは好きになったのかもしれない。この想いは、きっと変わることはない。
「そろそろ、時間なんじゃないか?エド。岡崎にも会えたし、またすぐ戻ってくるんだし、もういいだろ」
「そうですね。楽、愛してます。再会する日まで、身体には気を付けて」
 オレたちの空気に、岡崎は完全に取り残されていた。ちょっとかわいいと思ったけど、そういうことを言うと岡崎は嫌な顔をするので、オレはいつも黙っている。
「俺の話は、まだ終わっていないような気もするが…」
 でも大分オレにも、そういう岡崎の扱い方はわかってきている。なんせ、恋人同士だからな!
「岡崎、妬くよ?」
「わかった」
 ただその一言に、岡崎は唇を閉ざす。見よ、この愛のパワーを。
 オレたちのやりとりにますます、エドは端麗な顔をげんなりさせると、とうとう涙を拭うのだった…。ああもう、泣かせちゃったじゃないか。岡崎のバカ!色男!
「また、ピアノを聴かせてくれ。楽しみにしているから」
「…楽。あなたのためになら」
 エドは微笑んで、オレたちに別れを告げた。
 元気で、とかまたな、とか。送る言葉に長い手が、ひらひらと左右に揺れる。それは感傷というよりも、明るい再会を暗示するような、軽やかな別れのワルツのように。 


  2007.10.30


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