ライバル



 二年の千秋悠一は、要注意人物だ。理由:オレの恋人に横恋慕しているから。

 文久のストライクゾーンがどんな風かは知らないけど(そんな話題、まったく聞きたいとも思わない)、たとえば付き合っているオレを好みのタイプだとするならば、千秋はオレと同類の人間だ。…と、お互いに認識しているので、教師であるオレと生徒の千秋は折り合いが悪い。同属嫌悪ってやつだ。

 その千秋が今、廊下の角で顔をあわせたオレに話しかけてきたのだ。宣戦布告でもする気だろうか。
「後藤先生って彼女いんの?一人ってことはないだろうけど。なんか、女の匂いしないよな、アンタ」
 遠まわしにホモか、と尋ねられイエスと答える義理はない。誰がこんな引っ掛けにかかるものか。
「悪いけど、オレが千秋にプライベートを公開しなきゃいけない理由が思いつかないな」
 探りに適当に返してやると、千秋はますます面白くなさそうな表情で肩を竦める。
 コイツ、文久と喋ってる時はデレデレした笑顔なんだけど、オレ相手だとこうなんだよな。態度が露骨すぎるだろ。昔の自分を見ているみたいで、気分が悪い。
「先生は俺に冷たくない?フミちゃんに言いつけてやろ」
 反応を伺うように口にされた名前に、オレは内心イラッとしながらポーカーフェイスを浮かべた。
「どうぞご自由に。千秋はオレに優しくされたらなつくわけ?」
「何でライバルと仲良くしなきゃならんの」
 憮然とする千秋。その感想には同感だけど、オレは千秋をからかいたくなったんだよな。
 若いっていーねなんて言ったら、オヤジでしかないかもしれないけど。まあ、そんな感じ。自分じゃ大人だなんて胸を張って、言える風でもないくせに。
「ライバルっていうのは、同じ土俵に上がって初めてそう呼べるんだよ。一つ賢くなったな、千秋」
 我ながら、大人気ない台詞だと思う。
「ほら!先生はいちいち俺に突っかかってくんじゃん。フミちゃんの名前出した途端に、ピリピリしちゃってさあ。俺のこと意識しまくり?みたいな…。やっぱ俺格好いい?アンタにとって、油断ならない相手ってわけか」
「おめでたいなーお前。逆にかわいいわ」
 どうでもよさげに笑うオレを、千秋は鋭い目で睨みつけた。
「フミちゃんって、俺のこと結構好きだと思うんだよ。日頃、それを実感してるんだけど」
「気のせいじゃないか」
 …同じ土俵に立とうとしているのは、千秋ではなくオレの方なのかもしれない。
 文久は人当たりが良いので、そう思ってる奴は結構いる。オレもそうやって自惚れた中の一人で、その先の感情を欲しいと願ってしまったのだ。好かれている確信、愛される幸せ。全部欲しくて、動かずにいられなくて。
 そんな思考は、次の瞬間真っ白になる。

「でも、アンタのことは凄く好きな気がする。フミちゃんは」

 何て言えばいいのかわからなくて、言葉に詰まった。
 だって、本当のことだろ。肯定するわけにもいかないし、否定するのは癪に障る。その結果、
「どうしてそう思うんだ?今後の参考に聞かせてもらいたいね」
 オレがそう問いかけると、千秋は今日一番の笑顔でくしゃって笑った。文久を見る時のような、恋をしている表情で。
「アンタといる時のフミちゃんは、最高にかわいい」
 高揚した口調で、返事が返ってくる。
 やっぱり知っている答えが、オレの頬を緩めさせるのだった。
 何か言おうかと口を開きかけたところに、絶妙なタイミングで文久がやってくる。
「千秋くん!こんなところに…。あ、後藤先生もいらしたんですか」
 後半の驚いた口調が、わざとではないのだと示していた。
 大体担任でもなければ部活の顧問でもない文久が、どうして千秋を探しているんだ。
 文久はオレと千秋を交互に見て、困ったように表情を曇らせる。妙な組み合わせだと思ったんだろう。けれど、話の内容を尋ねればややこしいことになるんだろうな…、とその思考はだだ漏れで、確かに最高にかわいいとオレも惚けた。
「永見先生が探してたよ、千秋くんはいつも」
「ながみんは、俺のフミちゃんをパシりすぎ。つーか、フミちゃんが千秋悠一係になってね?嬉しいから問題ないけど。いっつもありがとうね」
 ツッコミどころは山ほどあったが、あえて気にしないことにした。
「…永見先生は、職員室にいると思うから」
 オレからの無言の視線を全力でシカトして、言葉少なに文久が反応する。オレの傍にいると、文久は笑っちゃうくらいぎこちなく、意識しまくってる初恋の小学生みたい。オレはもう慣れたけど。
「相変わらず、スルースキル高いの。いつも綺麗だけど、今日のフミちゃんはかわいいね」
「千秋くん、そういうのは」
 どうして止めなかったのかと問われれば、単純に懐かしくなったから。昔のオレは隙あらば秋月先生と話したくて、何か反応を引き出したくて必死で、千秋を見ているとそういう自分を思い出した。
 あれから時は流れて、そんな風に見ている自分が今文久の隣りにいることが嬉しくて、胸が熱くなる。

「後藤先生がいると、フミちゃんはかわいくなるっていう話をしてたんだよ。ね」

 千秋は地雷を落としていく。反応を見たかったのはわかるけどそれは、あまり勧められない方法だ。
 何を言われたのか文久は理解するまでに時間がかかったようで、ぱちぱちと瞬きをした後、眉間に皺を深く刻んだ。そんなことは指摘されなくても、本人が一番自覚していることなのだ。
「二人とも、何の話をしていたのかと思ったら僕の噂話?」
 文久のこと以外、むしろ他に話すことなんかない。オレも千秋も多分、そう思った。
「あ、俺ながみんのとこ行ってくる。じゃーね〜」
 敏感に文久の怒りを察知したらしい千秋がさりげなく、戦線離脱。二人きりになっても、機嫌を損ねたらしいオレの恋人は、暫く沈黙のまま何も話してくれなかった。
「怒った?ごめんね、秋月先生」
「………」
「秋月先生」
 怒った顔も、ゾクゾクするから大好物です。なんて言ったら、文久はどうするのかな。
「後藤先生はさっき、僕のフォローをしてくれてもよかったんじゃないですか」
 オレが母校に赴任してから、文久は時々こういうつっけんどんな物言いをするようになった。それはそのままの表現というよりは大抵の場合照れ隠しで、新鮮でときめいてしまう。
「ん?」
「僕、どうしたらいいかわからなくてちょっと…」
 パニックになったんだけど、と呟く文久は泣きそうな顔を俯かせ、ギュッと拳をつくる。
 上擦った声に紅潮した頬が色っぽくて、ムラムラする。オレはもしかしたら、あの頃からあんまり進歩していないかもしれない。この人に触りたい、その衝動にいつも抗えない。どれだけ近づいても、満ち足りることがない。
 そしてその心の衝動には、なるべく従うようにしている。愛情表現は素直に。ちゃんと、文久に伝わるように。
「…秋月先生、今日部屋に行ってもいいですか?」
「僕の話、真面目にちゃんと聞いてくれてる?」
 呆れているのと怒っているのと、両方を混じらせて問い返す文久に睦言が我慢できない。
「あー、今すぐ抱きしめたい。かわいい。まぁホント、千秋の洞察力には感心するね」
「もう!何言ってるの…」
 文久はますます険しい表情になって、オレから逃げるように距離をおいた。先生と生徒、という線が引かれていた時の方が、恋人同士で同僚という今よりも、無防備で色々と無頓着だった気がする。
 ますますこの腕の中に、つかまえてしまいたくなる。一番近くで、その肌の温もりを感じたいと思う。こうやって普通に会話していても、ふと浮かんでくる淡い欲望。
「………僕も、職員室に戻ります」
 凛としていたいこの人の在り方は、綺麗だなあと思った。そういうところも好き。不意に気がつく度いじらしくて、守ってあげたくなる。
「オレ、パスタ作るよ。それとも、丼の方がいい?」
 ご機嫌取り。こんなことで文久が笑ってくれるんだったら、オレは何品でも料理するね。
 細い背中が振り返って、「カレー」と告げる。任せてと笑うと、唇だけ微笑んだ文久はオレの前から去っていった。

 文久の部屋には今、向日葵が笑っている。キッチンに立つオレを少し眩しそうに眺めながら、美味しいと喜んでくれるその瞬間は、誰も知らないオレだけのものだと嬉しかった。



  2011.07.13


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