カフェ・ライアン



 文久が観たいと言っていた(多分、主演の俳優目当て)映画はそれなりの内容で、声には出さない文久の、ビクつく身体や息を呑む表情の方が、オレにとっては興味深い。
 お茶でもしようかと笑う恋人を、連れて行きたい場所があった。
 カフェ・ライアン。オレの友人、倉内静が働いている店だ。カフェ・ライアンは、駅前通りから程近い路地にある。落ち着いた雰囲気の店内は、女性客の方が多いが男性客の常連もいる。オレも多分、そのうちの一人だ。
「いらっしゃいませ」
「おう」
 優雅に見えるであろうお辞儀をした静は、白と黒のモノトーンが本当に様になっているのだった。
 高校の頃、図書委員をしていた静。今、ウエイターをしている静。オレからすれば、どちらもあまり変わらない。〈そうであろう〉とする静の、理想がそれぞれに見えるだけで。静にはその場に相応しくあろうとする、役者のようなところがある。
「………!倉内くん…?」
「フミちゃん、久しぶりだね。こちらの席へどうぞ」
 あらかじめ連絡をいれておいたので、静の対応はいつも通りのクールなものだ。文久は目を丸くして、かつての教え子をまじまじと眺めている。
「驚いた?文久」
 連れてきた甲斐があった。まだ五分と経過していないのに、単純なオレはそんな満足感を覚える。
「…倉内くんって、ほんとに格好いい人だよね。後藤くんと並ぶと絵になるっていうか、…なんか、久しぶりにこんな複雑な気持ちを抱いたよ」
 一瞬で、先ほどの感覚は薄れてしまった。自分で連れてきておいてなんだけど、文久の反応にちょっとイラッとする。この人は、本当にイケメンが好きなのだ。本人はあまり自覚していないところが、オレの溜息の要因の一つ。
「何それ。静のこと褒められたって、オレ、全然嬉しくないんだけど?オレの横で、絶句するくらい見惚れるとか」 
「だ、だって…」
 否定しろよ。なんて内心思いつつ、素直な文久に苦笑した。
「相変わらずだねえ、二人とも。元気そうで何よりだけど。一体、何年それやってるの?本当、いつまで付き合い始めたカップルのつもりなんだか」
 静がオレたちの前に水をおいて、呆れたように声をかける。それだけで、文久の頬が赤く染まった。照れているせいなのか、静が格好いいからドキドキしているのか判別がつかない。
 そしてそんな観察をしている自分が馬鹿馬鹿しい、はあ…。こんな杞憂が知られたら、静に激怒されるに決まってる。お前がいい男だから心配なんだ、そんな本音は気持ち悪いと引かれそうだから絶対に言わないけど。
「倉内くん、今はここで働いているんだね」
「うん。自分の店を出したいから、今は勉強がてら働いて資金を稼いでるんだ。ここのマスター、面白いんだよ」
 あ、でも惚れてるわけじゃないから勘違いしないでね。早口で、声をひそめてそう続ける静には恋人がいない。
「そうなんだ。倉内くんのお店かぁ。それは楽しみだな…」
 微笑んだ文久に、期待しててねと笑い返す静。高校に入ったばかりの頃は本当に可愛い可愛いと言われていたオレの友人は、いつの頃からか近寄りがたいくらいにイケメンオーラ全開の、色男になってしまった。
 街で静と歩いていると、大抵の人間はコイツを振り返る。色んなスカウトに声もかけられるみたいだけど、静は自分の目標以外には興味がない。勿体ないような、羨ましいような…でも、そういう気持ちはオレにも理解できる。
「ちょっと後藤。僕がほんの少し、久しぶりにフミちゃんと世間話をかわしたくらいで、機嫌悪くなるのやめてくれない?余裕がない男って格好悪いよ」
 黙って二人のやりとりを聞いていたら、静に睨まれてしまった。その指摘はまあ、当たらずとも遠からずだ。
 オレと静のあり方は、高校の時からほとんど何も変わっていない。オレに対しては沸点が低い静と、じゃれ合いのような口ゲンカは日常茶飯事だ。
「悪かったな。オレ、アイスコーヒー。文久は?」
「あ、僕も同じで」
「アイスコーヒー二つだね。よかったらケーキも食べる?僕が作ってるわけじゃないけど、美味しいよ。ここに載ってるから、好きなの選んで」
 小さい声で悪戯っぽく、ごちそうするからと静が続ける。そんなサービス受けたことないけど、オレが口をすべらせると無言でまた睨まれてしまった。
 ブルーベリータルト。恋人の唇が甘い単語を紡ぐのを、どこかうっとりした心地で聞く。なんだか幸せを感じて、無意識に頬がにやついた。
「後藤は?」
「オレはいい。十分だから…サンキュ」
 オレの返事に作りものではない、友人に向けるような笑顔を浮かべて、静がかしこまりました。席を去っていく。その背中を追いかける文久の視線が、熱すぎる気がして嫉妬してしまった。
「見すぎだから。あんなの、珍しくも何ともないだろ」
「えっ?僕が倉内くんを?…ううん、そうじゃなくて。後藤くんのウエイター姿も格好よかったなあ、って思い出してたんだけど…ご、ごめん」
「………」
 自分で白状しながら恥ずかしくなってきたらしく、文久はあわあわしている。オレはものすごく恥ずかしい台詞を言いそうになって、静に聞かれるのも嫌なので結果、黙ってしまった。
「いつも長谷川先生に、後藤くんのことを見すぎだって注意されて…でも、やっぱり目がいっちゃって……」
 文久は自分で意識していないと、オレのことを後藤くんと呼ぶ。たまに、敢えて意地悪でそう呼ばれる時もあるけど。大抵は、ふにゃふにゃ状態の症状がこれだ。わかりやすい。
「そういう可愛いこと、オレを喜ばせようとしてわざと言ってるの?文久は」
 ここまで愛されたら、もう睦言が我慢できるわけなかった。ニヤニヤしながらありえないことを問いかけると、文久は泣きそうな声で、からかわないでよと言った。
「うわー、何この空気。ほんっと、相変わらずで何よりだね。オーダーを持ってくるの、ためらっちゃったよ」
 アイスコーヒー2つと、ブルーベリータルト。タルトは身の詰まったブルーベリーがキラキラと光っているようで、とても美味しそうだ。
「く、倉内くん」
「可愛いフミちゃん」
 お前…、それはからかうっていうよりもはや、落としにかかる顔と声音だろ。オレの内心のツッコミに気づいたのか、静はこっちを振り返った。
 一瞬で表情がしらっとしたものになり、オレにとっては都合が悪い方向に話の展開が進んでいく。
「そういえば。後藤、貸してたあの本返してよね。今フミちゃん見て思い出したけど」
「お前こそCD返せよ。2つくらいあっただろ」
 パッとモードが切り替わる。器用な男だ。あの本、はちなみにまだ一行も読んでいない。
「そうだっけ?まあそのうち、ね」
「あと羽柴からメールで、『倉内に会うなら、こないだのお礼言っといて』って伝言されたけど、オレ、そのこないだを知らなくね?」
 同じことを羽柴に尋ねたら『たいしたことじゃないんだけど、マサには恥ずかしいから言えないや』なんて、適当に誤魔化されたので余計気になっている。
 大体、羽柴はオレには相談しないことも静には話したりするのが面白くない。『お前に心配かけたくないんだよ。羽柴なりの愛情表現なんだから、気にしなくていいよ』静はそんな風に言うけど、それで納得できるかは微妙なところだ。『比べたらマサの方が好きだけど、頼れるのは倉内かなあ』なんて、馬鹿正直な羽柴の順位を知りたいわけでもなかったのに。
 そんなやりとりを思い出したら、妙に憂鬱な気分になってくる。
「はあ?何でいちいち、後藤に報告しなきゃいけないんだよ。あれを説明するのはめんどくさい。あーもうフミちゃん、あなたの彼氏がうざいので何とかして」
「ふふっ…。二人とも、変わってないねぇ」
 そんな事情を知らない文久が、どこか嬉しそうに笑う。
「後藤くんはもう後藤先生だけど、でもこうしてると、あの頃の二人を見てるみたいで懐かしいな。仲いいよね」
「「違うから」」
 鉄板の返事にますます嬉しそうに、文久がお腹を抱えて笑った。オレと静の空気は、どんどん冷えていったけど。


   ***


 帰り際にお土産と言って、静が焼き菓子の詰め合わせを手渡してくれた。気が利くというか、なんというか抜け目がない。
「ありがとう!嬉しい…。真之、一緒に食べようね」
「どういたしまして。今日は来てくれてありがとう。フミちゃん、いつでも待ってるからね。後藤なんか気にしないで、一人で来てくれても全然かまわないし。うちはランチも美味しいから、楽しみにしておいて」
 その微笑みに物腰に、恋人が陥落していく様を見るのは複雑な気分だった。
「うん」
 すっかり餌付けされている気がする文久は、ご機嫌そのもの。
「お前はホストか…。オレの恋人を誘惑しないで頂きたいね」
「ただの挨拶を曲解するような下品な品性を持つ男に、そんな風に言われたくない」
 よくまあそんな嫌味なセリフが、次々と思いつくよな本当。長年の付き合いですっかり慣れてしまって、痛くも痒くもないけれど。
「静、いい加減オレに対してだけ刺々しいのそろそろ改善しろ」
「後藤は知ってる?無理に他人を変えようとするより、自分を変える方が早いんだよ」
「……………そうかよ」

 …どうやら静は、改善する気は微塵もないらしい。



  2012.09.17


タイトル一覧 / web拍手