おでん



 こたつでうたたねをしていて、目が覚めたらおでんの湯気が部屋を温めていた。
 その幸せな構図の中に自分が含まれている、という現実に気がついて、オレは照れくささに眉をしかめる。
「嬉しい時の行野さんの顔」
「………」
 環が図星をついてくるので、オレはとうとう頬を緩めてしまった。
 デレデレするのは男らしくないかな、と思うのに環の前では自制できない。それも悪くないかな、と最近は許容できるようになった。それだけ多分、二人の距離が近い。
 環はいつ、この部屋に来ていたのだろう。知らない。
 二時間前までは意識があった。オレが締め切り間近の原稿を投げ出したのは、睡眠不足と空腹のダブルパンチに身体が耐えきれなかったから。
「腹がへってたんだよ」
「こたつで餓死するつもりだったんですか?俺を呼んでくれたらいいのに」
 自分のことを頼ってくれと、環はいつも口癖のようにオレに言う。これ以上頼ってしまったら、オレは生きていけなくなってしまう。そんなに環で占められたら、正直言って困る。
 そうやって意地を張ったところで、こうしておでんがいい匂いをさせているのだから、あまり意味がないのかもしれない。こういうのを、世間では愛されていると言うのだろうか。
「…オレは環を、便利屋みたいに思ったことはない」
「俺はただ、一緒にご飯を食べようって提案してるだけ。ほら、いただきます」
 寝起きの感じ悪さにも上手に対応し、環はオレの扱いをよく知ってる。
「いただきます」
「いっぱい食べて下さいね」
 幼稚園の先生みたいな口調で告げる環に、
「食ったら帰るのか?ついでに、オレをあっためていけよ」
「もうすぐ締め切りなんですよね?」
「………美味いな。この大根」
 あっさり振られて、オレはおでんをつつく。
 おでんを食べていて、思い出すのは親父の顔。あまり料理はしない親父の、担当料理がおでんなのだった。円になった大根は黄金色をしていて、オレは何皿もおかわりをした。
 環のおでんは親父ほど濃い味付けでもなく、どこか優しい味がする。
「旅行行かないか?今、紅葉が綺麗なんだろ。日帰りでもいいし。パソコンとお見合いするのも、飽きてきたんだよ」
「行野さんの原稿が終わったら、喜んで」
「はあ…」
「行野さんも煮詰まってるんですか?おでんみたいに美味くはない、と」
「そういう時だってあるだろ」
 つっけんどんに返してしまう。仕事の愚痴を環に零すのは、オレにとってあまり楽しいことではない。お互い同業者ということが、余計に口を重くさせる。プライド。一言で片付けると、なんて簡単な言葉なんだろう。
 オレがもがいたりやっとの思いで行動しているようなことを、環はまったく平然とした顔で(澄ましてるようにしか見えなくて腹立たしい)、しかも僅かな時間の間にこなしてしまう。そういうの、適正と呼ぶのは悔しいし嫉けてくる。
 八つ当たりなんて大人気ない。わかっているのに、相手が環だと本音をぶつけてしまう。そんな自分が小さく思えて、苛々する。
 好きな男の尊敬できる部分を、手放しに賞賛することができない。
「……………」
 環は、黙り込んでしまった。
 十中八九、こういう時の環はオレの気分を受け流しているだけで落ち込んだりはしない。ありがたい話だ。
 みるみるうちに山盛りだった皿は空になり、環がおでんのおかわりを持ってきてくれる。
「明日、また、おでんの具を足しに来ます」
「ああ」
「その時に…旅行のパンフレット、もらってくるから。行野さんは、どこに行きたいですか?」
 やわらかい、オレに向けられる問いかけに胸がキュッと締まるような気持ち。好きだと、それだけを単純に想った。
「環…」
 こたつとおでんに阻まれていなければ、今すぐ抱きしめてキスでこの身体に縛り付けるのに。
 わかりやすいオレの変化を空気で汲み取ったらしい恋人は、照れたように眼鏡を伏せて熱を帯びた視線から逃れようとする。
 やっぱり我慢は出来なくて、結局箸を置いてオレは身を乗り出すのだった。


  2010.10.29


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