三十分



 行野さんには、どこか行動が粗野なところがある。
 たとえば今みたいに、風呂から出て、髪を最後まできちんと乾かさず途中で切り上げてしまうところとか。この悪癖は、風邪をひくからやめてくださいと何度指摘しても本人は直す気がない。
「行野さん、髪伸びましたね。美容院に行ったらどうですか」
「…お前も一之瀬と同じこと言うんだな。環」
 うんざりしたような行野さんの返事は、はいともいいえとも違うもの。はなから行く気がないのは知ってる。
 俺よりも早く同じアドバイスを一之瀬さんが行野さんに送った、ということにささやかなジェラシーを感じながら、俺は湿った黒髪を指に絡めた。
「うっとうしくないですか。前髪は邪魔そうだし。みんな、思うことは同じなんですよ」
「髪が伸びても死にゃしないんでね」
「たった三十分、椅子に座っていればサッパリします」
「はあ」
 面倒くさい。全身でその言葉を表現してみせ、行野さんは盛大に欠伸をする。
「お前が切れよ。環。文句は言わないから」
「嫌ですよ。失敗して坊主になって、後で泣きを見ても知りません」
 気分が乗らなくて、俺はその要請を拒否。拗ねるでもなくはあともう一度溜息をつき、億劫そうな仕草で携帯を手に取る行野さん。
 行野さんは、こんな風だけど意外と後に回さない性格だ。そういうところ、俺はすごく好き。
「あー、カットの予約をしたいんだが…。店長の敬介と代わって。…行野 克己です…はいはい」
「敬介?いつなら空いてる?え、今から…。支度する時間、三十分くれ。ああ、わかった。よろしく」
 時計と俺を交互に眺めつつ、そんな取引が成立する。
「今から出るから。次に会う時、イケメンすぎてオレだってわからないかもな」
「行野さんは、元々格好いいですよ」
「………」
 俺の睦言に対し何かを言いかけてやめると、行野さんは身支度を整え始める。
 どうしようか迷ったけれど悶々とするのは嫌なので、俺は素直に自分の疑問を口にした。
「店長さんと、ものすごく親しそうでしたけど。友達なんですか?」
「高校の時の同級生だよ。お前も来る?ヘッドスパもやってもらえるぜ。頭が柔らかくなって、いいアイデアが浮かぶかもな」
「俺も一緒に…行っても、いいの?」
「ああ。紹介したら、ビックリするだろうな。ラブラブ自慢でもしてやろうか」
 お前も支度しろ、そう言われて嬉しくて泣きそうになった。
 この人の何でもなくやってのけるこういうことが、本当はすごいことなんだって行野さんは無自覚なのだ。それに触れるたび、俺の想いはどんどん大きくなっていく。


   ***


「いらっしゃいませ。待ってたよ、克己。あれ、その人は?」
「環。オレの付き合ってる相手。ヘッドスパして欲しいって言うから、連れてきた。お前んとこの売上げに貢献してやる」
 行野さんは、友人の敬介さんにそうやって普通に俺を紹介した。
「環さんはじめまして、店長の宇高 敬介です。克己の相手は大変でしょう?しっかり癒されて帰ってくださいね」
 敬介さんは愛想良く微笑し、その肩を行野さんが不満げに小突く。
「お前は本当一言多いな。客からクレームが来ないのかよ、そんなんで」
「そのアドバイスは、気持ちだけ受け取っておこうかな。お前に遠慮したところで、うちの店に何もプラスはないからね。前に来たのはいつだったか、自分でちゃんと覚えてる?ここに来ることを、思い出してくれて嬉しいよ。克己」
 二人は、本当に仲がいいみたいだ。
 行野さんが付き合っている相手が男だということにも、特に偏見はなさそうな敬介さんだから、俺をこうやって連れてきて紹介してくれたのかもしれない。信頼できる相手だから、きっと引き合わせてくれたんだろう。
 俺は色んなことが嬉しくて、緩みそうになる頬を引き締めなければならなかった。

 カットの後行野さんは、頭が軽くなったとご機嫌になっていた。敬介さんに髪を切ってもらうと、毎朝の手入れがしやすいとニコニコだ。
 だから手入れのしやすいうちに通ってくれれば、そんな風に一言添えた敬介さんには、無言で返していたけれど。
 俺がしてもらったヘッドスパも本当に気持ちが良くて、上半身に羽がついたみたい。
「行野さんて、どんな高校生だったんですか?」
 行野さんはあまり、昔の話をしない。今目の前にいるオレがオレだから、というようなことをよく言われるしそれもわかる気はするけれど、俺だってもっと、行野さんのことなら何だって知りたいと思う。
 敬介さんは尋ねられると、高校時代を懐かしむように目を細めた。
「ん〜、今よりちょっとやんちゃでしたよ。夜の学校に忍び込んで花火をしたら、それがバレて徹夜で怒られたり。こっそりラーメンの出前を取って、屋上で食べたり。あと当時好きだった女の子にアピールしようとして、文化祭にバンドのステージで告白をしたけど、見事振られて青春の思い出になったり…とか、色々ありましたねえ。懐かしいな」
「へえええ…!初めて聞きました、そんな話」
 どれも見たかったなぁ。想像できるような、できないような不思議な感じ。
 俺が目を輝かせると、照れくささを隠すように行野さんが敬介さんを軽く睨む。
「おい。敬介も全部一緒にやったことだろうが、今言った話は。何、他人事にしてんだよ」
「バンドで出た時は、俺、めいちゃんと付き合えることになったもん」
「嘘だろ!?初耳だ…」
 かたまって衝撃を受ける行野さんはなんだか高校生みたいに幼い表情になって、俺は知らない時間に思いを馳せた。
「あの時は、傷心のかっちゃんに遠慮してみんな黙ってたんだよ。翔太とか」
「…ガラスの友情に感謝するね。帰ろうぜ、環」
「ありがとう。また来てくれよな、二人とも」
 もちろんですと俺が笑顔で頷けば、敬介さんは、もっと克己の話を教えてあげるからねとこっそり続ける。俺にとって三十分の楽しみが、また一つ増えた。

 二人並んで歩く足取りは軽い。
「気持ちよかった〜。行野さんの話も聞けたし、誘ってくれてありがとう。行野さん。すごく嬉しい。今度から、俺もあそこに通おうかな」
「いいんじゃないか。ただ、俺の話は聞き流してくれよ。敬介の奴、腕は良いんだが話を盛るのも得意だから」
「普段も好きですけど、髪を整えた行野さんは、やっぱりもっと格好いいです」
 行野さんが笑いの滲んだ声で、帰ったらキスな?と楽しそうに囁く。期待を隠そうともせずに、俺は少し歩を早めるのだ。


  2011.01.25


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