自由賛歌



 古来より翼人は、天使の生まれ変わりだと信じられていました。彼らは知能や才に溢れ、姿形も美しく、背中には真っ白な翼が生えているのです。
 その価値により、彼らは様々な輩に狙われるようになってしまいました。頭も良いですから、難しい研究には働き手としてもってこいの逸材でしたし、その見てくれだけでもとんでもない賞金を賭ける金持ちが、沢山いたからです。
 なかでも翼人の天敵は、魔族と呼ばれる対極のような存在です。諍いや血を好む彼らは、人間にもあまり好ましく思われてはいませんが、翼人にとっては何より恐ろしいものでした。
 翼人を犯すと自身の魔力が上がるとされ、魔族から狙われているのです。魔族にとって翼人は、なによりのご馳走なのでした。自分の立場も良くなりますし、中には血眼になって翼人狩りをしてまわる者もいるくらいです。
 犯された翼人がどうなってしまうのかは、語るのも気の毒なのですが、白い翼は薄汚れ、やがて枯れ背中にはうっすらとその痕が残るだけ。もう二度と、空を翔ることもなく一生を過ごさねばなりません。そして穢れてしまったという絶望感と罪悪感に苛まれ、精神を病んでしまう者も少なくない。
 ですから、とりわけ魔族から身を隠す為に、翼人は結界を張って旅をしながら、世界から気づかれないように暮らしていく必要がありました。

「ルカ」
「ヨハン。久しぶりだな!元気か?」

 木陰から姿を現した翼人の少年に、魔族の友達は嬉しそうに表情をほころばせるのでした。二人は友達でしたが、勿論、この関係が表沙汰になってはいけない秘密のもの、だということをわかっていました。
 逢瀬も年に三度会えればいい方で、お互いに想いは募るのですが、周りの環境はそれを赦しはしません。もし見つかってしまったら、この美しいヨハンという少年は無惨に犯されたあげく好きなように扱われ働かされ、雑巾のようにボロボロになったところで殺されてしまうでしょう。残念ながら、ルカの同胞たちはそういう本能の持ち主ばかりです。
 そんな想像をしただけで、ルカの心は死んでしまいそうなくらいの痛みを感じるのでした。見つかったのが逆の立場だったとしても、翼人の魔族に対する憎悪というものは凄まじく、拷問にかけられた上殺されるのがオチです。どちらにせよ、幸せな終わり方ではないということは二人もよく理解しているのです。

「君はいつも綺麗だな。俺の心が洗われるようだよ」
「…そんなことはないよ。ルカになかなか会えなくて、僕の心はどんどん醜くなっていくんだ。あなたが別の存在に心を奪われているんじゃないかだとか、ありもしない妄想に苦しんで、泣いて目が覚める」
「ヨハン…」

 濡れた瞳に胸がいっぱいになって、ルカはヨハンを抱きしめました。背中の翼が、泣いているように震えています。守ってあげたい大切な温もりに、なんと言葉をかけてあげたら笑ってくれるのでしょうか。

「俺の心は、君に捧げているのだから。そんな心配は無用だ」
「心ほど移ろいやすいものはない。あなたの気持ちが確かだと、僕はどうやって確かめたらいいの」
「…うーん……。俺の目でも見て、ほら」
「わかってない!」

 初めての口づけは、ヨハンからのものでした。行為に気づいたルカは離れようとしましたが、ヨハンは二度と離れたくない気持ちで、唇を押しつけます。お互いに年頃ですから、性欲がないわけではなく…これ以上こうしていると、自分の欲求を抑えられなくなりそうで、ルカは力いっぱいヨハンを突き飛ばしました。
 緑の地面に墜落するよりも先に、翼が開いて彼の衝突を防ぎます。ふわりと揺れる美しい身体。ルカは一瞬、そのすべてに見惚れてぼんやりとしました。それから、自分は間違っていない。その思いを確信に深めます。

「俺はヨハンが大切なんだ」
「僕はルカが好き。あなたになら食べられてもいいんだ、翼がなくなってもルカのことは失いたくない。あなたが僕に触れることで、自分が穢れるなんて思わない」
「ヨハン、頼むから…」

 今までもそうでした。そういう雰囲気になると、ルカは自ら身を退きます。自分がヨハンを堕としてしまうなど、考えたくもありません。けれど、ヨハンは聞き入れてくれませんでした。

「ずっと一緒にいたいよ!どうしてそれが叶わないの!?僕はルカがいてくれれば、他に何も望まないのに」
「そんなの、俺だって!」
「じゃあ、一緒にいよう!二人で、何もかも抱えて逃げよう!!僕の一生一度のお願いだよ。ルカ」
「何もかも捨てて、じゃなくて。何もかも抱えて、逃げるのかい?」
「勿論。その方が素敵だよ」
「…俺も、そう思う」

 あまりのヨハンの無邪気さと真っ直ぐな愛情に、ルカは笑ってしまいました。先ほどまで、それはそれは恐ろしいと感じていた一線を、超えてもいいかもしれないと思うくらいに。弾む声が、明るく晴らしてくれるような気になります。

「ヨハンは、どこに行きたい?俺は、君と一緒ならどこへでも行きたいな」
「そうだな。僕は…−−−ルカ!!」

 それは、突然の出来事でした。ドッ、という音が聞こえヨハンの身体が、ルカにもたれかかってきます。逃げて、という言葉が愛する人の最期でした。
「この裏切り者が!」
 裁きの矢を放つのは、ヨハンと同じ翼人です。尾行されていたのでしょうか?今はそう思考する余裕すら、ルカにはありません。ルカの黒髪が伸び、同色の眼はギラギラと光り始めました。魔族が自我を忘れトランス状態に陥った時、現れる症状です。魔力も身体能力も劇的に変化するのですが、負荷がかかる為、寿命を縮めると言われています。
「よくもヨハンを…。殺してやるぞ!お前らなんか、皆殺しにしてやる…!!」
 激昂したルカは、立ち竦む翼人の羽をもぎ取りました。悲鳴が上がります。翼人を仕留める時は、まず翼を破壊してしまえば、激痛に抵抗できなくなるのだと知っていたのでした。今まで息を潜めていた、魔族としての本能的な攻撃性が、一気に開花した瞬間です。
 ルカを縛り付けていた甘美で優しい鎖はもはや、全てを蝕む憎悪の刃となって、自身にも降りかかるのでした。
 黒い焔が上がります。命を燃やすその輝きは、宝石の煌めきよりも苛烈に美しく、ルカの視界に映ります。翼人が空に舞う姿は、邪魔な羽虫にしか見えません。焦がして、焦がして、何もかも無くなってしまえばいいのです。
 やがて、殺戮者の仲間がやって来ました。こんな血があるから。ルカはそう考えると憂鬱な気持ちになって、ついに同胞を手に掛けます。迷いはありませんでした。それどころか、何か素晴らしい行為をしているような、そんな心地です。同じ血のせいかなかなか終わりが見えなかったので、もっと野蛮に、命を奪う必要がありました。
 血を浴びる毎に、自分の中の漆黒の闇は増していくようでした。もう、ルカに立ち向かってくる者はいないようです。死骸の海をよろよろと歩いて、何もかもをお終いにしようと思い立った時、彼は絶望に苛まれてしまいます。
 なんということでしょう。自らが強大になりすぎて、自分を殺すことができないのです。誰かに殺せと懇願したくとも、ルカ以外の存在は見あたりませんでした。永遠の冷たい罠が、孤独な魔王を嘲笑っています。
 取り返しのつかないことをしてしまいました。後悔しても、時間を巻き戻すことはできません。生まれたての魔王は泣きながら、ただ一つの望みを叶える為だけに歩き始めました。
 未だ見ぬ誰かなら、この地獄を終わらせることができるかもしれないと。


  2008.06.30


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