秘密



 あなたにだけは、私のすべてを知っていてほしいと願う。


 少しずつ、秋月は後藤と一緒に過ごす時間が増えるようになった。
 それは自然に、どちらが言いだしたわけでもなく。いつしか、当たり前のように。
(後藤くんを、僕の部屋に連れてくる日が来るなんて思わなかったな…)
 先にシャワーを浴び、ベッドで後藤が出てくるのを待ちながら秋月はそんなことを思う。内心嬉しすぎて、頬が緩むのを精一杯抑えなければならない。幸せすぎて。
「秋月先生、お・ま・た・せ」
 少し浅黒い肌に見惚れて、ぼんやりしてしまった。この身体を独り占めできるんだと考えたら、やっぱりたまらなくドキドキして、赤面してしまう。
 キスする度に、なんだか泣きそうになる。優しい目がいつも、自分を見つめてくれているから…。
「ん…んぅ……ぁん…」
「セーンセ。まだキスだけなのにそんな顔されると、オレ、困るよ。何でそんなエロいの」
 後藤に抱きしめられると、ひどく安心する。年上なのに後藤の方が大人びていて、そんなところにもメロメロで。好きだなあと思う。
「…ぁむ…んっ…んー……アッ!」
「耳、感じるんだよな。先生…可愛い。震えちゃってさ。今日はいっぱい声聴かせて?前ヤッた時に我慢してたの、オレ、わかってるんだから…」
 告げられた言葉の意味が、飽和しかけた秋月の頭ではよく理解できなかった。浮かんできたのはただの疑問で、本当に不思議に思ったのだ。そんなに、態度に出てしまっていた?
「ど…し、て……?」
「好きな人のことくらい、わかるよ」
(わ…いきなりそんなこと言われたら……駄目…だ……。嬉しい…)
 後藤の言葉は甘く優しく、秋月の心に解けいるように染み込んでいく。何度も頭で反芻させる。そんな愛情に対応する言葉なんて、何も思いつかない。
「………」
「もー、秋月先生ってば何泣いてんの。まだ早いだろ?あーあー、ヨシヨシ。おっぱい揉んであげるから元気出して」
 こんな素直な反応を返してくれる恋人を、後藤は大切だと思う。別に大したことなんて言っていないのに、小さい幸せですごく喜んでくれる可愛い人。
 ずっと巧く、お互いに噛み合うことができなかった違和感。こうやって交わることで、少しずつ解消されていくような気がする。二人でいることが、それだけ自然だと感じる。
「アッ…あぁ……後藤くんっ…」
 笑おうとしたけど、無理だった。
 悲しい涙じゃなく幸せだから泣けてくるんだなあとか思うと、止まらなかった。
「も、先生ほんと可愛いから…。なあ、今日はバックでしたいんだけど。秋月先生の奥まで、全部オレのこと感じてほしいから。あ、勿論先生が嫌だったらしないし」
「…嫌じゃない」
 秋月は緊張して少し、言葉少なになってしまうのだ。いつまでそれを保てるかは、自信もないのだけれど。後藤に嫌われないような、努力がしたい。
「よかった。じゃあ、四つんばいになって、オレにお尻向けて。脚広げて?」
「ん…」
「よく見せて…」
「…後藤くん……」
 こんな時間を二人でゆっくり取れることが初めてで、脚が震える。慣れている行為のはずなのに、相手が後藤だと思うと恥ずかしい。
「うん。怖くないから、大丈夫…。すぐに気持ち良くしてあげるから」
「アーッ!」
 ローションの冷たい感触が、じわじわと肌に塗り込められていく。気持ちが良かった。
「このローション、なんかいい匂いがする」
「あ…あぁん…後藤くんの指で、僕をもっと触って……」
 後藤の全部が好きだと思う。性格は当然だけれど、顔や身体の器官ひとつひとつが愛しくて、それと重なり合えることがどんなに幸せか…。
「どういう風に触られたら嬉しいの?先生」
「お尻のとこ…スリスリしてほしいの…ぁ…いいっ…気持ちいいっ……」
 ローションをすりこむように、お願いされたところを撫でる。時折気まぐれにアナルに指を挿れてやると、その度に敏感な身体が震えた。
「…はぁ…アァン……いっぱい感じちゃう…」
「先生って、感じてくると女の子みたいな喋り方になるんだ。かーわいい」
「………」
 そういえばそんなことを、何度か志賀に指摘されたこともあるような気がする。
「何照れてるの。あ、先生のアナルの中すっごいトロトロで気持ちいい…。ぐちゅぐちゅ鳴ってる」
「ん、ん…!指だめ…ぁん、あ、そんなにコリコリされたら…僕っ……」
 後藤の一挙一動に翻弄されてすぐにでも、ああ、もっとずっと二人でこうやって交わっていたいのに。
「指だけで満足しないよな?…秋月先生の一番、欲しいものはコレだもんな」
「ひあぁんっ!あ、あ、あっ」
 すんなりと後藤のペニスを受け入れて、秋月の内壁は離すまいと絡みついてくる。
 背中に覆い被さるようにしがみつき、後藤は腰を動かした。秋月のペニスももうヌルヌルと、すぐにでもイッてしまいそうだ。
「すげー締めつけ…ね、秋月先生。こうやって、後ろと前両方犯されるのってどう?」
「いいの…っ…イイ、アッ……後藤くんのおちんちん、当たるの…気持ちいいよぉ……」
「先生、そ、それは反則…っ」
 そんな言い方をされてしまったら興奮して、我慢ができない。
「…ぁっ…ああ…!」
 ドクドクと自分の中で脈打つ後藤自身を感じながら、秋月も果てるのだった…。

 無防備に上半身を晒したまま、後藤は穏やかな寝息を立てている。
 いい歳をした大人が興奮して眠れないでいるなんて、知られたら笑われてしまいそうだ。眠ってしまうなんて勿体ない。もっとたくさん、後藤のことを少しでも知っておきたくて。
(あっ、そうだ!携帯番号!!…なくしちゃったなんて言えないし、今のうちに登録しておこう)
 不意に思いついたアイデアは、良い考えだと思われた。少しの罪悪は、あったにせよ。
 ところが、後藤の携帯を開いた秋月の目に入ってきたのは、…意外な事態だった。
「え…?」
 秋月文久と、確かに登録されているその番号。
 どこかで見覚えはあったものの、自分の携帯のものではない。
(まさか…)
 嫌な予感がして、自分の携帯を探る。見事にそれは的中し、浮ついた気持ちは途端に冷めた。番号は長谷川のものだった。慌てて登録し直して、秋月はどういうことだろうと溜息をつく。考えたところで、本人に問いただしたところできっと答は返ってこない。
(長谷川先生が、後藤くんの携帯を知ってるってことだ。…何も、起こらないといいけれど)
 元はといえば自分が、ちゃんと管理していなかったのが問題なのだ。大問題だ。
 一度ちゃんと長谷川と、話をしておいた方がいいかもしれない。しなければ、いけないのかも。
「………」
 秋月はベットに戻り、後藤の隣りにそっと音を立てないようもぐりこんだ。間近で何度見てもやはり後藤は格好良くて、ぼんやりと見惚れてしまうだけだ。好きだと思う。愛しいと思う。無意識のうちに、秋月の表情は幸せそうにほころんだ。
 視線がうるさかったのか、後藤を起こしてしまったようだ。もぞもぞと、精悍な身体が動く。眠そうに目を擦る仕草さえ、いとおしい。相当参ってしまっているようだ、後藤には。
「ん…」
「目が覚めた?もう少しのんびりしてていいよ、後藤くん」
 そう声をかければ、後藤は振り向き、申し訳なさそうな表情になってしまう。
「…ゴメン。オレ、いつもこんなんで。あんまり気持ちいいから、起きてられなくて」  
「ううん。そう思ってもらえるの、嬉しいから。……後藤くんは前に、知られたくないことがあるって僕に言ったよね。教えてくれないかな。知りたいんだ…後藤くんのこと」
 しつこいと思われても、どうしても聞いておかなければと思っていたのだ。ずっと。
 彼の秘密。今までは、知る権利さえないようなためらいが、あったけれども。
 秋月に催促され、後藤は少し表情に陰を落とすと、どこか寂しげに笑った。
「…そう、だな。オレばかり、先生のことを教えてもらってるのは…フェアじゃない。本当は、言いたくなかったんだけど。オレ、病気なんだ」
「病気…?」
 疑問はすぐ、確信に変わってしまった。
「睡眠障害。オレの場合は、ナルコレプシーっていう過眠症に当たるんだけど」
「…睡眠障害!」
(ああ…)
 思い当たることなんて、言われてみればたくさんある。…どうして、気づかなかったのだろう。
 後藤は淡々と言葉を続け、秋月を避けるように天井を見上げる。
「症状としては、日中の強い眠気。感情が高ぶった時なんかに起こる、情動脱力発作。入眠時の幻覚…。先生も何回か、オレがそうなるの見たことあると思うけど」
 何回かというよりむしろ、いつものことなのだ。それは日常で。
 あまりにも自然に、いや不自然だったのだろうか。後藤は、いつも眠りについていた。
「全然、僕は、そんな可能性なんて考えもしないで…!後藤くんに、ひどいことばかり…何も知らないのに、…んで、……何で気づかなかったんだろう」
 居眠りの多い、やる気のない生徒。
 そんなレッテルは間違いだったのだ、最初から…誤解、していたのだ。
「そんなこと、秋月先生は気にしなくていい。オレが、言わなかったんだし」
 抱きしめられるのは嬉しかったが、なんだか落ち込んでしまう話だ。
「僕は、君の先生なのに…!」
 恋愛感情を抜きにしても、教師としてそれはどうかと秋月は落ち込む。
 好きな生徒一人の事情すら把握できない、…自分のことでいっぱいいっぱいで。
「そうやって気にすると思ったから、知られたくなかったんだ。先生はきっと、今までみたいにオレに接してくれなくなる。自分の行動のせいでオレが、また睡眠発作を起こしたりするんじゃないかとか…そんなこと考えながら、オレの顔色伺いながら…嫌だろ?そんなつきあいなんて…っ!」
「だって君が、一人でそんな辛い思いをしてたなんて全然っ…!好きだとか言っておいて、何も見えてなくて…後藤くんのことを、振り回してばかりで……」
 自分が後藤の症状を、悪化させていたことなど明かだ。…最悪だ。
「だから!良いんだって言ってんだろ…。同情とか、…オレが先生に求めてるのは、そんなもんじゃないんだよ」
 後藤はキスを秋月に贈ると、ぶっきらぼうに言葉を続けた。
「……」
「この病気のおかげで、誤解されるのは慣れてるんだ。諦めることにも慣れた。適当にやり過ごして…これでいいんだって、別に生き方に拘りもなくて。でも、先生が…秋月先生が、妙に一生懸命っていうか必死っていうか…。頑張ってるのを見てると、何かさ。目が離せなくて、気づいたら…好きに、なってたんだ」
 初めての担任で戸惑って、秋月がいっぱいいっぱいだった時期だった。
 いや今でもそうかもしれないが、あの頃から…どこか寂しそうに陰のある微笑み方をすると、思っていた。
(だから、いつも…。後藤くんは、あんな風に笑っていたんだ……)
 何も言えずに我慢して、穏やかに笑いやり過ごす。
 それがどれだけ大変なことなのか、秋月には想像もできなかった。
(この人は、本当に……!) 
 なんて、愛しい人だろう。胸がいっぱいになる。
 大切にしたい。そばにいて…こうしてずっと抱きしめていたい。
「近くにいきたくて背伸びしてみても、年の差も線も、超えられない。
 せめて格好いい男でいたかったけど、やっぱ身の丈は隠せないもんなんだな…」
(そんなことはないよ。後藤くん…)
 伝えたい気持ちが、たくさんある。
「後藤くんは、格好いいよ」
「…先生」
「僕は、君が好きだ…」
 唇が触れる。絡めた指を握りしめて、抱きしめる腕を強くした。
 これでもうきっと、二人の間に秘密はない。


   ***


「長谷川先生、今日お時間ありますか?」
「…私も、あなたを誘おうと思っていました。秋月先生」
 静かに微笑みを浮かべる顔は、その先にある決意を悟らせることもなく。長谷川の真意を知りもせず、秋月は気合いを改めて深呼吸する。今なら、何でもできそうな気がしていた。
 恋というものは、時に単純で強力な原動力に成りうるのだ。


  2005.04.10


 /  / タイトル一覧 / web拍手