フレンドシップ



 年明け、友人三人で近くの神社にお参りをした。
 その時に見た祈るような彼の顔が、今でも脳裏にやきついて離れない。もしかしたら自分もきっと、同じような顔で願いをかけていたのかもしれない。あくまでそれは、想像だけれど。
 おみくじを引けば、「大凶」を当ててしまう彼に笑ってしまった。彼の親友は「大吉しか引いたことがない」といつものように明るい表情を輝かせて、彼に軽くどつかれていた。可も不可もなく「吉」を手に掴んだ自分は複雑な心境で、木の枝にそれを括り付ける。
 その時見覚えのある顔に、気がついて。慌てて隣りの彼を伺えば、飽きもせずじゃれ合っていて、そちらに目を向けることはない。その様子に少しだけ安堵して、胸をなで下ろす。
 以前にも祭で見かけた二人は、静かに参拝を済ませるといなくなってしまった。これからどうするのかなんて無粋な好奇心は、胸の中のわだかまりになり留まってしまう。どうしようもない無力さに、ただ悔しいと唇を噛んだ。
 冬の寒さに目を閉じる。冷たい風が、体温だけでなく気持ちまで奪っていくような錯覚を起こした。
 あまりにも呆気なく、為す術もなく白い季節は流れていくだけ。


   ***


 新学期。携帯のバイブが鳴り、着信したメールに倉内は目を通した。羽柴からのもので、何でも面白いものがあるから教室に見に来いというお誘いだった。どうせくだらないことに違いないのだが、わかったと返信して一年C組の教室へと歩きだす。
 羽柴みたいになれれば良かった。明るくて真っ直ぐでそのくせ、彼は多分、誰よりも優しい。羨ましいと思う。後藤もきっと、羽柴の存在で何かが救われているだろう。
 自分には、何ができるのだろう。結局のところ、何もできやしないのだ。ただ、見守ることしか。
「あっ、倉内!見てみて、これ。マサがね〜」
「羽柴、静だけには言うなって言っただろうが!」
「仲間外れは良くないと思いまーす。倉内、パスッ!」
「……何、コレ。雑誌?」
 ファッション雑誌のスナップ写真のようだ。その紙面の中に後藤の姿を見つけ、倉内は目を丸くする。
 コートを着込んだ姿は、なかなか様になっている。割と人目を惹く容姿なのだ。整っているというよりは、どこか魅力があるという表現になるのだけれど。後藤の場合。
「このカメラマン、良い腕してるね」
「…だから嫌だったんだよ。オレは!」
 倉内の感想に、舌打ちしながら後藤が雑誌を奪い返した。照れているのか、その耳が赤い。
「格好いいよね!マサッ。俺、自慢の親友だもん」
「親友とか言ってんじゃねえよ。お前、ホントに恥ずかしい奴だな」
「いたっ!」
 これもまた、いつもの流れ。 
「照れ隠しにいちいち殴られてちゃ、羽柴の身も持たないよね。可哀相に。同情するよ」
「静…。お前の言葉の暴力よりマシだろうが」
「やだねー、図星だからって八つ当たりしないでほしいんだけど」
「てめえ」
 ここまでは同じ。
「マサ、倉内も!その辺でやめときなよ」
「……ちっ」 
 …すぐに大人しくなる後藤は、以前ならこんなこと考えられない。丸くなったというより、どこか元気がない…そんな風に倉内は思う。いつもはいたって普段通りで、実感するのはこんな口ゲンカだったりするから、たちも悪いのだ。確かめようとけしかける度、見たくもないような覇気のない顔に後悔する。
 必要以上の羽柴の笑顔もそれを察してのことなのだと、倉内は気づいていた。
「倉内くん、そろそろ授業が始まるからクラスに戻って」
 穏やかな声音に、後藤の表情が苦しそうに歪む。淡い微笑みさえ、秋月は浮かべている。
 そういう事務的な会話しか、いつの頃からかかわさなくなった。はーいと、返事だけ愛想良く。
「後藤くん、体調は平気?あまり無理をしないようにね」
「……秋月先生こそ、風邪、まだ治ってないんだろ」
 二人の心境、なんて知るものか。端から聞いていてあまりにも、嘘くさい会話。
「薬を飲んでいるから、しばらくすれば治ると思う。ありがとう」
「…別に」
 チャイムが鳴ったので、それ以上の会話は聞き取れなかった。

 教室に戻る気にもなれず、倉内はそのまま図書室へと向かう。
 高校に入学したての頃、初めて人を好きになった。陣内貴志というその司書は、倉内に多大なる影響を与えたのだ。価値観とでもいうだろうか。
 あなたが好きだと告白した倉内に、陣内は「静が他にもっと大切なものを見つけて、大事にできたら考慮してあげよう」なんて返事を返したのだ。了見の狭さを指摘され、友達のなさを心配されて、好きになってもらえる資格さえないのかと、そんな自分を恥じた時もある。
 狡い大人は微笑みながら、「その先で、それでも静が私のことを好きだと言うなら…」だから、何だというのだろう。それで期待する、自分も馬鹿だ。
 そのうちに、後藤真之という友達ができた。口は悪いし手癖も悪く、けれど不思議と仲良くなった。そこまで鈍感でもないから、後藤が秋月のことを好きなのだとすぐに気がついて。できるだけ、協力しようと思った。二人の恋が上手くいけばいい、と。
 ―――――そうしたら、いつか陣内に認めてもらえるという浅ましい考えがないわけじゃない。
 純粋な好意なのか、それとも何かの見返りを期待しているのか…。はっきりと、わからなかった。それくらい後藤のことを気に入っている自分にも驚いているし、否定できないほど陣内への想いも深い。
「………」
 しんと静かな空間にようやく落ち着いて、目を閉じる。何も、考えたくない気分だ。
 司書室のドアが開く音がする。すがりそうになる手をギュッと握って、倉内は溜息を殺した。
 普段めったにその場所から出ないくせにこういう時は、やけに聡いひと。
「優等生ではなかったのかな、君は」
「陣内さんからすれば、劣等生でしかないんでしょ。僕は」
 司書の陣内が、柔らかく笑う気配がした。うさんくさい笑顔に違いない。
「静はよく頑張ってるよ。私だって、君の努力を認めないわけじゃない」
「…陣内さんは、フミちゃんと話したり、するの」
 何かわかるかもしれないと探ってみれば、アッサリとかわされてしまう。
「君が私以外の男に興味があるとは、知らなかったな」
「真面目に答えてよ。そんな返事はひどいと思わない、良心が痛んだりしないの」
 抗議は見事にスルーされるのだ、いつも。
「どちらかといえば、芝木先生とお酒を飲む機会が多いかな」
「何それ、初耳なんだけど。うちの担任、何か言ってた?フミちゃんのこと」
 しつこいくらいに問いただしても、のらりくらりと答えてくれない。
「静のことなら、よく悪口を言っているね」
「……もういいよ」
「…静。風邪が流行っているらしいから、君も気をつけなさい。他人の心配をしすぎて、自分のことがおろそかにならないように」
「元陸上部だったから、これでも健康管理は得意なんだけどね。言ったことあった?」
 飴と鞭の使い分けなんて、お手のもの。悔しいくらいに。
「知ってるよ」
「そう。…陣内さんは、僕のことで知らないことなんてないんだもんね」 
「そうかな。思いこみだと思うが」
 思い上がればきっちりとその分落とされて、せつなさが募る。
「あのねー、ちょっとくらい…別に贔屓しろなんて言わないけど、なんていうの。僕はあなたが好きなんだから、発言には配慮してくれない?傷つくよ」
「君みたいに可愛い人なら、私の他にいくらでもいるだろうに。物好きだね」
「泣くよ?」
 本音でそう脅してみても、何の効果もない。
「それは是非、見てみたいね」
「………あーあ。僕、何で陣内さんが好きなんだろ。今日の昼休みは図書の貸し出しを滞納してる人に声かけてくるから、来ないよ」
「わかった」
「それだけだもんねえ。寂しいよとか、嘘でもいいから言えばいいのに」
「君は、私の言葉を疑いもしないからねえ。人を騙すのは趣味じゃなくてね」
 落ち込み始めるとキリがないので、いつしかそんな不毛なことはしなくなった。
「………何しに来たんだろ、僕。何か手伝えることとか、ある?」
「昼休みに会えないから、わざわざ授業をサボって私に会いに来るかわいい生徒に
 仕事を押しつけるなんてことは、できない性分なんだよ」
「からかっ、てんの」
 顔を赤くする倉内に陣内は余裕の笑みで、かなうはずもないのだ。
「他に、受け取りようがあるかね」
「あーっ、もう!悔しい…」
「たまにはカウンターで、司書らしく仕事でもするさ」
「陣内さんは、真面目に仕事こなしてるじゃない? 僕が、ただ出しゃばりすぎてるだけで」
「ありがとう。静は優しいね、私には」
「…一言余計だよ」
 倉内は溜息をついて、帰ろうと腰をあげる。珍しく腕を引きとめられて、戸惑いがちに陣内を見た。
 期待なんてしない方が良いことは、よく知っていたはずなのだけれど。
「何?」
「秋月先生と関わるのは、止した方がいい。彼には、少し良くない噂があってね。一緒にいる人間は選びなさい。少なからず、影響は受けるものなのだから」
 複雑な気分で、陣内の忠告を受けとめる。
「陣内さんがそんなこと言う人だって、思わなかったけど。…どうせ、僕は今シカトされてるから。何か変な誤解されてるっぽいんだよね。思い当たる節は、ないけどあるっていうか……はあ。フミちゃんが何て言われてるのか知らないけど、僕の方こそ、ろくでもない噂しか聞いたことないよ。どうでもいいから、勝手に言わせてるけどさ。陣内さんは、フミちゃんのこと嫌いなの?」
「まさか。しいて言うなら、普通かな」
「…というより、陣内さんって好きな人とか嫌いな人とかいるの?」
「ああ、いないかもしれないねえ……」
「帰る」
「そう」
 理想的に見えて、どこか欠落しているのだ。この男は。
 まったく羨ましい性格だ。それでも好きな自分は、骨抜きにされているとしか言いようがない。
「心配してくれるのは嬉しいけど、さっきの忠告はよけいなお節介だから」
「わかった」
 微笑みから目を逸らして、教室を出る。
 陣内と話をした後は、嬉しいくせにどこか苛々して落ち着かない。
 授業が終わるまであと少し。視界の隅に長谷川の姿を捉え、倉内は立ち止まった。
「いい度胸だな、倉内。俺は生徒指導なんだが」
 普段は至って真面目な生徒なのだから、長谷川を怖がる理由もない。
 気になって仕方のないことを、とうとう倉内は問いかけてみる。
「長谷川先生はフミちゃんと、つきあってるんですか?」
「そうだと言ったら、どうするんだ?」
「そうなの?フミちゃんは、後藤のことが好きなのに」
「人の気持ちは変わるものだ。それに、つきあう人は好きな人と同じとは、限らないのではないかね」
「答えになってないよ。どうして大人は、ずるいごまかし方をするんだろ…」
 さきほどの陣内とのやりとりに疲れているのに、長谷川もたいがい喰えない。  
「文久は俺のものだと言ったら、君は悪友に手を出すなとでもアドバイスしてくれるのか?」
「…え?」
「確かに一時期、後藤のことを気にしていたこともあったようだが。文久は今は俺とつきあっているし、後藤のことなんてもう頭の隅にもない。後藤だって、同じじゃないのか?二人の仲が昔と違うということくらい、あいつのそばにいる倉内が一番よく知ってるだろう」
「何か不自然だとは感じてたけど。後藤は…っ、フミちゃんのこと好きだと思うよ」
 静は真剣にそう伝えたが、長谷川は皮肉げに笑うだけでとりあおうともしてくれない。
「そんな感情は、迷惑だと伝えておくんだな。友達思いなら、尚更だ」
「意味がわかんないよ!何で!?フミちゃん、あんなに後藤のこと、好きだったじゃない…!」 
「どうしてそんな、泣きそうな顔をするんだ?倉内、お前後藤に惚れてるのか」
 信じられないセリフだった。憤りすぎて、反論する声が掠れる。
「だからっ、それは違うって何度も言ってる!先生たちは、いつも勝手だ。
 僕たちのことなんてどうでもよくて…平気でこんな風に傷つける。長谷川先生なんて嫌いだ!」
「どう思われようが、俺の知ったことじゃない。倉内、どうしてそんなにあの二人に固執するんだ?そんなに、後藤が大切か?それは恋とは違うのか?友情だと思いこみたいだけで、お前本当は後藤のことが好きなんじゃないのか」
「違う!違う、違うっ…!!そんなんじゃない!やめてよ、勝手に……何でもないよ?!」
 必死で首を横に振る。どうしたら信じてもらえるのか、どうやって伝えればいいのか。
「どうして、そんなに必死になる?考えてもみろ。お前がそんなに動揺することが、他にあったか」
「僕は、他に好きな人がいるんだ!先生、いい加減に…してよ……」 
 理不尽だ。どうしてこんなことを言われなければならないのか、理解できない。
「いいか。それは、ただの憧れだ。恋じゃない」
「勝手なこと言わないでよ!何にも知らないくせに…っ」
「お前は、後藤に惹かれてるんだ」
「うるさい!!」
 いつもの冷静さを欠いて、倉内は長谷川を睨みつける。ポーカーフェイスが、憎らしかった。 
 きつく唇を噛んで走り出すと、今一番見たくない顔を見た。秋月だ。
 ざわつく校内に初めて、授業が終わっていたことを知る。そんなこと、今はどうでもいいが。
「……倉内くん、どうしたの?!」
「フミちゃんがそんな風に話しかけてくれるなんて、久しぶり」
 自分でもシャレにならないほど、冷たい嫌味が唇をつく。
「…誰かに、何か……」
「僕だって誤解されるのは慣れてるけど…、どうして信じてもらえないのかわからないよ」
「倉内くん…」
 涙がこみあげてくる。秋月が驚いたように、目を瞠った。
 図書室に戻ったら片思いのあの人は、優しい言葉をかけてくれたりするのだろうか?期待することもできなくて、倉内は制服の袖で涙を拭う。肌を掠める感触に、じわりと痛みが広がった。
「…の、せいだ……」
 ぽつりと呟く。行き場のない感情をどこにぶつければいいのか、わからない。
 何を言われたか聞き取れなくて、秋月は眉をひそめる。辛そうな潤んだ目が、真っ直ぐに自分を捉えていた。
「倉内くん?」
「フミちゃんの、せいだ」
 はっきりと言葉にする。心配そうに伺ってくる秋月の手を、倉内は振り払った。
 友達なんて呼べる人間は後藤が初めてで、どう接して良いのかなんてそんなこと知らずに育ってきた。笑っていてほしい。元気で、できることならその恋が実ればいいと願って。
「…ごめん、倉内くん。何の話なのかわかるように」
「大人は汚い。そんなことっ…、説明したくもない!」
 長谷川とつきあっているなんて話を、秋月本人の口から聞きたくはなかった。
 後ろから名前を呼ばれたけれど、倉内はもう振り返らなかった。足の速さには自信もある。
「…違う、僕は後藤のことなんて……!」
 走り疲れて、廊下の壁にもたれ座り込む。息を整え、膝に顔を埋めて目を閉じる。とんだ濡れ衣に、後藤に対する罵詈雑言が頭の中をかけめぐったが結局何も言わないだろう、そう思った。
 人間関係ほど、疲れるものもない。振り回されすぎている。よく知っていたはずだったのに、こんな面倒なものは他にないと。好意は、ろくなことにならない。
 それなのにまだ、友人を大切に思う自分がいる。恋だと疑われるほどに…
「違う、違う…!」
 こんな感情は、友情に他ならない。
 頭痛に髪をかきむしり、倉内は荒い息を吐く。苦しくて死にそうだった。

 友情を証明する手立てを、何も知らなくてどうすればいいのかわからない。


  2004.11.28


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