ウイルス



 僕は、あまりテレビを見ない。テレビを付けてもブラウン管の向こう側というのはすごく遠くて、なんだか空しい気分になる。
 結局消してしまうし、バラエティもニュースも…いや、ニュースは職員室にある新聞で読むから、一応時勢はなんとなくは把握しているつもりだ。
 今日も僕は家に帰ってまずテレビを付け、すぐに消すという非生産的な行為をした後、音楽でも聴こうかと立ち上がりかけ、結局ソファーで膝を抱える。無音。
 その瞬間だった、よくわからない衝動が胸をかすめていって涙が出た。一度流れてしまうととめどなく溢れる透明な液体は、ぼんやりしたような僕の心を活性化させ、同時に動揺もさせる。
 後藤くんに会いたい、と思ったけれどそれは行動に移すことを躊躇わせた。変に心配させたくはない。大体後藤くんは僕のことで、余計な心配ばかりする。
 僕は後藤くんに夢中で、別のことを思い煩う余裕なんてないのだから安心すればいいのに、ヤキモチをやく。しかもそのヤキモチの表現方法が、子供じみてそのくせ半端に格好いいから、困ってしまう。むかつくだけとか、子供だとか、叱れるだけのものならよかったのに、後藤くんはそうじゃないから困る。先生もう、他の生徒と喋んないでよ。できるわけがないそんな甘い懇願をして、僕を困らせて彼は笑う。
 僕はよく、後藤くんのことを考える。最近は、その頻度が多くなってきて大分重傷な感じがする。
 長谷川先生はそんな僕に呆れながらも見守ってくれるから、本当にありがたいと思っている。京介くんは僕と好みが似ているのか何なのか、後藤くんによく話しかけているのを見かける。倉内くんも羽柴くんも、相変わらず後藤くんと仲が良くて、僕は時折その関係を羨ましく思うほどだ。
 
「ただいま」

 後藤くんの声が玄関でして、僕は首だけを後ろに向けその体躯を眺めようとした。
 何がただいま、なのか。後藤くんは割とマイペースだと思う。その空気が僕は好きだ。というかもう、後藤くんを形作るもので嫌いなものなんて思いつかないほどには、溺れている。
 ドアを開けリビングにやってきた後藤くんは、僕と目が合うと、あ、という表情になった。
「ただいま。秋月先生」
「………」
 後藤くんの目が細められた。後藤くんは眠る時と笑う時の表情が、よく似ている。
 僕が無言で、微妙な雰囲気を醸し出しているのを瞬時に察知したらしい恋人は、しょうがないなあという風に唇を歪めて笑って、僕の隣りに座った。
 僕はこういう時いつも彼に赦されたような気がして、ひどく安心する。安心した次に襲ってくるのは強烈な性欲で、後藤くんを押し倒して舌を絡めて散々喘がせてやりたい、という願望を一度僕は自分の中に抑圧してから、ようやくおかえりと発声した。
「センセーてば…。おかえりの一言を、そんな色っぽい声で誘わないでほしいんだけど」
「そんな、まわりくどい誘い方はしないよ。それとも後藤くん、やりにきただけ?」
「苛々してんの?秋月先生。いいよ、その声でオレを散々責めるがいいさ…ああかわいい。大好きだ愛してる」
 抱きしめられてしまった。後藤くんの匂いを嗅ぐと興奮する。これは僕の本能。
 つまるところ、後藤くんは病気なのだと思う。だって僕は、至って普通の八つ当たりをしているにすぎないのに、そんな愛情は盲目過ぎてもう、手放せる気がしない。ウイルスは僕。
 僕の不機嫌なんて、後藤くんの一言で簡単に溶けてしまう。
「叱ってくれないの。駄目な大人だって…」
「オレに甘やかされて、落ち着かなくて居心地悪そうにモジモジしてる、秋月先生を見ているのが好きだから」
「後藤くんは悪趣味だよ。裸になる方が恥ずかしくない」
「裸の先生を、甘やかすのでもいいよ?」
「お願い」
 そうして。と続ける前に、柔らかなキスを受ける。
 ようやく僕は憂鬱な思考を捨てて、何も考えず愛欲に身を任せるだけ。


  2008.02.04


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