噂の恋人



「先生、ホモって噂本当ですか」
「うん。本当」

 個人面接。それは二人きりになれる、絶好の機会だった。 
 放課後の教室は二人の他に人気もなく、担任にそんな質問をぶつけてみたのはいいものの即答され、加持は一瞬、頭が真っ白になってしまい言葉を忘れた。
 生徒のそんな戸惑いを感じたのかどうなのか、秋月はいつもと何一つ変わらない笑みを零す。もしかしたら、こんな問いかけは慣れているのかもしれない。そんな感想を抱くほど、秋月は動じていなかった。それがますます真実に思え、加持は驚いてしまう。
「加持くん、進路はもう決めた?」
「…まだ、です」
「そう」
 その伏せた目がきれいだと思うのは、きっと秋月がどちらかといえば女顔の部類に入るから。だから、気になってしまうのだ。周りは、汗くさい男ばかりなのだし。
 加持はそう自分を説得しようとして失敗し、喉をならした。
「どういう男が、タイプなんですか?」
「言わない。笑われるから」
 はにかむように肩を竦める仕草は、時折加持が目にする秋月特有のもので…焦れるような気分になる。手が届きそうで届かない、もどかしい感情を抱かせる。意識的なのか無意識なのか、わからないけれど。
 幾分か真面目な表情で、加持は続けた。
「笑わないから、教えてください」
「本当に笑わない?」
「ええ」
「…どこか陰のある不良がタイプだね、って一刀両断されたことがあるよ」
 秋月は思い出すように告げて、ほんの少し頬を赤らめる。
 いつのことなのか今はどうなのか、本気なのか冗談なのか。全然、加持にはつかめないのだ。
 わかることといえば、そのタイプから自分は逸れているという事実だった。
「ず、随分と具体的なんですね……」
「ハハ、耳が痛いよ。誰にも言わないでね」 
「…じゃあ俺、優等生だから駄目、か。あーあ」
 心の底から本心を漏らせば、可笑しそうに秋月は笑顔を浮かべてみせるのだ。
「担任にそんなリップサービス、いらないよ。加持くん」
「けっこう、本気だったんだけどなあ」
「ふふ。冗談ばっかり…。それじゃあ次の上条くん、呼んでもらえるかな?」
「はい」
 生徒の扱いには悔しいくらい慣れている秋月に、B組の教室を出て、加持は溜息をつくのだった。
 見事なほど、付け入る隙がない。
「どこか陰のある不良って、どんなんだよ…」
 暗いとは違うのだろうか、そもそも不良の定義がよくわからない。
「おう、加持。今終わったとこか?面接とか、めんどくせーよな」
 A組の前を通り過ぎようとして、加持は一年の時同じクラスだった後藤に声をかけられた。
 いつも居眠りをしていて、さぼり癖のある男。
 だがつきあいが悪いわけではなく、今だってこんな風に、加持に話しかけてくるくらいだ。
「後藤!!」
 加持が指を差すと、後藤は眠そうな目をいっそう不愉快そうに細めた。
 後藤の隣りに座っている倉内が、一瞬うるさそうな視線を加持に向けてくる。
「大声出すなよ…。眠気が覚めるだろ」
 よく理解できないが、随分と後藤らしい文句の言い方だ。
「…もしかして、お前みたいな奴のことをいうのか?そういえば、フミちゃんと仲良いし」
「秋月先生が何だって?」
 心なしか、その名前を出した途端、後藤の表情が変わったような気がした。
 その反応に何故か言わない方が良いと賢明に判断し、加持は首を横に振る。
「何でもない」
 呟いた声は、どこかぎこちないものだったが。
「何でもなくないだろ、言えよ。秋月先生が、どうしたんだよ」
 睨まれてしまった。
 笑顔を浮かべ、逃げるように加持は後藤の手をふりほどいた。逃げるが勝ち、だ。
「ムキになるなよ、大したことじゃないって。じゃあな!後藤」
 後に残された後藤は、行き場のない疑問を飲み込んで、きつく拳を握る。
「…アイツ、逃げやがった」
「後藤みたいな奴、か。…一体、どんな悪口を聞かされたんだろうね?フミちゃんに」
 端麗な笑顔を浮かべトドメを刺す悪友に、後藤はげんなりした表情で頭を抱えた。お互いに嫌味を言うのが癖になっているにしても、他に言葉はないのだろうか。
 当然といえば当然だが、学校の中では秋月はみんなの「先生」なのだ。後藤は生徒の中の一人で、そんなこと自覚してはいるけれど、時々弱音を吐きたくもなる。
「言うわけないだろ、そんなこと。先生はオレにぞっこんなんだから」
「あー、やだやだ。何が悲しくてこんな廊下で、後藤と二人にならなきゃいけなくて、不毛なノロケを聞かされなきゃいけないんだろ。早く順番、まわってこないかな」
 口を開いたことすら後悔を始めた倉内に、後藤は嫌がらせのお返しをしてやった。
「何言ってんだよ。ホントは、オレのこと大好きなくせに」
「あーっ、もう、うざい!!」
 否定されなくてますますにやけ顔になる後藤に、倉内は容赦なく肘鉄を食らわせる。
 丁度倉内の順番が前である神崎が、面接を終えA組の教室から出てきた。
「倉内、お待たせ」
「神崎が早くて、助かったよ」
 脇腹を押さえる後藤を不思議そうに一瞥し、神崎は廊下を歩いていく。その後藤の視界に、今日の面接をすべて終えた秋月が、教室の鍵を閉めるのが見えた。そう認識した時にはもう、後藤は隣りのクラスに向かい、ドアの中へと入り込んでいたのだけれど。
「後藤くん…?」
 少なくとも生徒平等に向ける微笑みが、今はなんだか無性に苛立つ。
「面接、もう終わった?丁度、同じタイミングだったんだね」
「秋月先生。なあ、好きって言って」
 突然抱きすくめてきた年下の恋人に懇願され、秋月は瞬きした。  
 こういう時は理由を聞かず、相手の望み通りに振る舞うことに決めている。
「…愛してる」
「もっと」
「駄目。その気になっちゃうから」
 最低限の線引きは、しておかなければならないのだ。少なくとも悪い意味で恥ずかしい恋愛に、したくはないから。大切にしたいから。
 それを別の言葉に言い換えて、後藤に伝える。若いうちは、そんなことは考えなくていいとも思った。その分自分が、ある意味でリードできればいい。違う場面では、後藤が。
「なってよ。ずっとオレのことばっかり、考えてくれればいいのに…」 
 かわいいなあ、と口が滑りそうになり秋月は苦笑した。いつも格好つけてばかりの後藤だから、余計に構いたい衝動にかられるのだけれど。
 慰めるようにキスをして、名残惜しい気持ちで、身体を引き離す。
 背中から、コンコンと誰かのノックの音がした。続いて、倉内の声が続く。
「後藤、次お前の番なんだけど。シバちゃん待ってるから、早くしなよね」 
「………」
 後藤の行動パターンは、どうやら倉内にはお見通しらしい。
 今日の個人面接はカ行の名字までだから、A組はあと後藤で最後だ。いくら仲が良いとはいえ、同期の芝木に迷惑をかけるわけにもいかない。
 ドアを開けたのは、秋月だった。
 やっぱりね、と顔に書いた倉内と秋月が視線を交わす。
「二人とも、またね」
「………」
 拗ねているのか反省なのか、後藤は黙り込んだままA組の教室へと向かった。
 今夜は何か、フォローをしておいた方がいいのかもしれない。秋月は、そんなことを考える。
「フミちゃんは、後藤に甘すぎるよ」
「好きだからね。多少は大目に見てくれると、ありがたいけど」
 倉内だけに聞こえるような小さい声で、秋月は返事をする。
 呆れたような納得したような、複雑な気持ちになった倉内は何度目かの溜息をついた。
「…本当、しょうがない男だよね」 
「ふふ、倉内くんも十分甘やかしてると思うよ。僕は」
「フミちゃんや、羽柴ほどじゃないよ。ねえ、さっき加持に何か聞かれた?」
「噂の恋人の話かな」
 さりげなくそんなことを答えてしまう秋月に何も言えなくなって、倉内は羨ましさを一笑する。
 春の暖かな気温が、居心地悪くなるくらい強烈に窓を灼いた。


  2006.04.17


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