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  2006.04.11


 秋月は廊下の窓を開けぼんやりと、風に舞い上がる桜の花弁を目で追っていた。
「秋月先生」
「わっ!…も、もう驚かせないでください。陣内先生」
 心臓が止まるかと思ったと胸を押さえる秋月に、陣内は可笑しそうに唇を歪めて笑う。
「こんなところでお花見ですか?私も、ご一緒していいですか?」
「あ、いえ。そんなたいそうなものではないんですけど」
「私と一緒では嫌ですか?」
「そ、そんなつもりで言ったんじゃないんですけど…!」
(図書室で倉内くんが、あなたのことを待っているんじゃないんですか?なんて聞けない…)
 ごめん、別に抜けがけしているわけじゃないんだ。倉内くん…などと、
 よくわからない言い訳を心に浮かべる秋月の気も知らず、陣内は更に笑った。
「秋月先生って、本当に、思っていることがすぐ顔に出るというか。素直ですよね」
(陣内先生が、わかりにくいだけなんじゃ……)
「はい。よく言われます」
「!?」
 秋月が瞠目するので、陣内は笑いを堪えきれずに声をあげる。
 腹まで押さえて涙を流す陣内に、もう桜などどうでもよくなった秋月は成り行きを見守り
 複雑な表情で、居心地悪そうにしていた。
「…ふふ。向こうから、後藤がこちらに走ってくるみたいなので、私は退散しますね」
「えっと…」
 上機嫌に去っていく陣内と入れ替わるように、確かに後藤が走ってくるのが見えた。
「先生、こんなところに居たのかよ」
「あ、うん。ここから見える桜、僕のお気に入りなんだ」
「学校で見る桜も悪くないけどさ、週末一緒に、夜桜見に行かないか?」
「いいね、夜桜かぁ。どこに行こうか?楽しみだね」
 よっぽど急いで走ってきたのか、まだ息をきらせている後藤に微笑んで秋月は頷く。
 自分の場合、花より男子のような気もしないでもないが。
 秋月はそんなことを頭の隅で考えながら、可愛い恋人を見つめた。





  2006.02.11


 確かに今日は、二月十四日であるけれど。

「ギブミー、チョコレート」
 廊下ですれ違う際、芝木に両手を差し出されて秋月はきょとんと首を傾げた。
「何、シバちゃん。男子校でそれはちょっと、どうかと思うよ」
 行き交う生徒の視線が、ほほえましいを通り越して何か痛々しそうな感じがする。
 そんな自分たちがいたたまれない、そう思い秋月はツッコミを入れたのだが。
「秋月、俺の救世主になってくれ。頼む!」
「あ、ごめん。僕用事思い出した。バイバイ、シバちゃ―――」
 あしらって関わるのは止めよう、と友達甲斐のない方向転換をした秋月の腕を、
 力強く芝木は呼び止めた。
 腕っ節の強さなら、芝木と秋月は比較にならない。
「秋月!!」
「もう、何?」
 芝木に対しては、秋月の被っている猫などは少ない方なのだ。
 そんな態度にも慣れている芝木は、言いづらそうに視線を泳がせる。
「いや、あのな。大学時代の同級生がさあ、昨日電話してきて。
 どっちが生徒に慕われてるか勝負しようぜ、っていう話になってなあ…。
 電話を切った後に気づいたんだが、向こうは共学。うちは男子校。ってわけで」
「シバちゃん…。頭の中がバレンタイン通り越して、春が来てるんじゃない」
 秋月は、思ったことをそのまま口にした。
「なあ。前から思ってたけど、俺にはキツイよな?秋月よ…」
「…気のせいだよ」
 否定するのに、一瞬時間がかかってしまった。
「いいや!長谷川先生とか、隈沢先生には態度違うだろ?」
「そりゃあ先輩で目上の人なんだから、態度は違うけど。シバちゃん、同期だし」
「そ、そうか」
 その一言で誤魔化されてしまう気の良さが、芝木を好きな一因でもある。
 秋月は可笑しくなって、ようやく表情をほほえませた。
「そうだよ。ホラ、その証拠にコレあげる」
「おおっ、これはまさしく…!」
 伝説の何々、などと言いだしそうな同僚に笑いを噛み殺して、秋月は言葉を続けた。
「生徒に『もらったけどいらないから、フミちゃんにあげる』って言われてもらったけど、
 僕もいらないから、シバちゃんにあげる」
「なんだか腑に落ちない言い方だが、ありがたく受け取らせて…って、おい。
 秋月、コレ、手紙つきだぞ!?宛名が秋月先生へ、になってるみたいだが……」
 本命チョコってやつじゃないのか、というセリフは芝木の喉の奥に消えた。
「え……!?」
 秋月が瞬きして確かめてみれば、確かに小さな手紙が挟み込まれている。
「………」
「………」
 二人の間を、何とも言えない奇妙な沈黙が支配した。
「秋月…」
「ハハハ…」
 どうするつもりなんだなんて、乾いた笑顔を浮かべて驚く同僚に聞けるはずもなく。
 よろよろと歩き出した秋月の後ろ姿を見送るうちに、芝木は勝負などどうでもよくなってしまった。
 平和が一番じゃないか?なあ、秋月よ…。
「チョコひとつ、冬の寒さ増す男子校。我関せずと、色恋を見送り…。ううん、素晴らしい!」
 適当に自画自賛しながら、不意に入ってきた隙間風の冷たさに、芝木は身体を震わせた。





  2005.08.20



 おしぼり


 最初に「皆で飲み会しましょう」と言ったのは確か、芝木だったか。
 秋月は仏頂面でビールを煽る長谷川の隣りで、居心地悪そうに溜息を殺す。
「ああ、すいません。ビール追加で」 
「ビールは…大ジョッキでよろしいですか?かしこまりました」
 陣内に呼び止められて、バイト中の後藤はにっこりと笑みを浮かべた。
「秋月センセ、大丈夫?あんまり、飲み過ぎないようにな」
「後藤くん、ありがとう…。まだ、大丈夫」 
「なら、いいけど。シバちゃん、頼むな」
「おう!任せとけっ」
 ガハハと笑ってジョッキを掲げ、芝木は空気の重さを吹き飛ばすようにそれを飲み干した。
 大体どうして、この四人のメンバーで飲み会ということになったのか…。
 芝木以外の誰もがそう思っていたが、本人はまったく、気にも留めていないようだ。
「そこでどうして、芝木先生なんですかね…」
「俺は生徒に信頼されてますから、ハハハ」
 苦々しく呟いた長谷川の返事があまりにも芝木らしくて、秋月は陣内と顔を見合わせる。
 笑っちゃいけないと顔の筋肉をひきつらせた秋月は、ふと後藤と目が合いほほえんだ。
(やっぱり何度見ても、後藤くんの浴衣姿は最高に似合ってる!格好いいなあ…)
 眼福眼福と、親父みたいな感想を抱きご機嫌にチューハイを口に含む。
「秋月先生、バイト青年を酒のつまみにするのはさすがにどうかと思いますよ」
 とんでもない陣内の発言に、酒を喉に詰まらせてしまった。
 図星だったからだ。恥ずかしくて、傍目にもわかるほど秋月の耳が赤くなってしまう。
「…本当にあなたって人は。大丈夫ですか?秋月先生」
 呆れながらも、長谷川が背中をさすってくれる。
 なんだかんだと色々あったが、長谷川は秋月には甘いのだ。
「じ、陣内先生っ!」
「ビールお持ちしました〜。あと、秋月先生。これ、おしぼり」
「後藤くん…」
 その優しい後藤の気遣いに、秋月の胸がキュンとなった。
(好きだなあ、後藤くんのこと…)
「後藤、うちのテーブルに構い過ぎじゃないか。ちゃんと、仕事してるのか?」
 長谷川の牽制にも、後藤は愛想良い笑いを崩さないまま軽く流した。
「今日は暇だからいーの。堅いこと言わないでよ、長谷川先生。
 オレが甲斐甲斐しく世話やいて、先生に都合が悪いことでもあるんですか?」
「…本当にお前は、可愛くない生徒だよ」
 わかりやすくひたすらうっとりしている秋月と、不機嫌な長谷川。それに生徒を眺めながら、
 陣内は隣りの同僚をちらりと一瞥する。
「飲み会の席で、こんな三角関係を目の当たりにするとは思いませんでした。
 芝木先生も、面白がってこの店を選んだわけじゃないでしょうね。…芝木先生?」
 どうやら、小言は隣りの熱血教師に聞こえなかったようだ。
「オイオイお前ら、なんでそんなにギスギスしてるんだァ?
 つまみ持ってこい、後藤!辛いやつ、なっ」
 豚キムチ持ってきますねと、後藤はいなくなってしまう。
「…わかっているのか、いないのか……。わからない人ですね、あなたは」
「どうした?貴志、お前全然酒が進んでないじゃないか!」
 一瞬、空気が硬直した。
(…貴志?!)
 秋月はぽかんと口を開け、陣内の名前が貴志であることを初めて認識する。
 長谷川も呆気に取られたらしく、二人はただ、事の成り行きを見守った。
「芝木先生は、飲み過ぎですね」 
 平静を装って芝木を睨みつけても、当の本人には痛くも痒くもないらしい。
「芝木先生なんて、他人行儀な奴だなあ。いつも通り、名前で呼べよォ」
(…名前で、呼べよォってシバちゃん!)
 何か口を挟みたいような、とんでもないものを見てしまったような…。
 秋月はハラハラし、すっかり手も止まってしまう。
「本当に、酔ってるみたいですね。一生さん」
(ああっ!?)
 陣内が容赦ない肘鉄を、隣りの芝木に食らわせる。
 いてっと小さく呻いた芝木は、腹を押さえたままそのまま、動かなくなった……。
「だから、嫌だったんですよ」 
 独り言のように呟く陣内に、秋月は意を決して問いかけてみる。
「あの、陣内先生。聞いてもいい…です、か?」
 勇者だなと長谷川は思ったが、自分は沈黙を守ることにする。賢明な判断だろう。
「飲み直しといきましょうか、秋月先生。グラスも、空になっていますしね」
「シバちゃんと、すっごく仲が良かったんですね。実は…」
「あなたと、長谷川先生ほどではありません」
「僕、正直ビックリして」
「私の話は、いいでしょう」
 話の先を遮るように、陣内はそう拒絶する。
「…もしかして、陣内先生って照れ屋だったりしますか?」
 素朴な疑問を口にした秋月に、動揺したのか陣内がビールを零してしまう。
 なんとも可笑しな空気に堪えきれなくなった長谷川が、腹を抱えて笑い始めた。
 芝木の指示通りつまみを運んできた後藤が、きょとんとした表情で四人の教師を見る。
 テーブルの惨状に気がつき、もう何本目かわからないおしぼりの為席を立った。





  2005.03.12


 桜が舞う校庭を眺め、秋月はふと立ち止まる。
(きれいだな…。やっぱり春が、一番気持ちのいい季節だ)
 暫くぼんやりしていると、後ろから肩を叩かれた。振り向くと、芝木が笑っている。
「今から部活なんだよ。秋月、暇なら見学にでも来るか?」
「見学にでも来るかなんて言って…。マネージャー代わりの仕事をさせられるのは、
 もう充分身に染みて、わかってるんだからね?シバちゃん」
 その手には、もう乗らない。
 何度か経験があるからなのだが…そう言って芝木を睨むと、気にした様子もなく
 軽快に笑いとばされる。そういうところ、好きではあるのだけれど。
「ハハハ!まあ、たまには身体を動かさないとな。ストレス発散っていうか…」
「それなら―――――」
 セックスで発散させるからいい、と言おうとして秋月は押し黙った。
 何を言おうとしているのか、こんな昼間に。学校の廊下で。
(……ええと、もうこの思考回路が嫌だ)
「大丈夫だよ。ありがと、シバちゃん」
「そっか?なら、いいけどな」
「…うん」
 途端、言葉少なくなった同僚を怪しくも思わずに、柔らかいほほえみを返すと
 芝木はじゃあなと肩を押して、去っていく。
 秋月は少しだけよろけて、羨ましいくらい爽やかな後ろ姿を見送った。


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