愛しのサンタクロース



 その年のクリスマスは残業で取引先との接待もあり、私はとにかくクタクタに疲れていた。
 働き盛りの三十代。仕事仕事で恋愛をする暇も、器用さもなく、時間が忙殺されていく…。気が付けば、今年も十二月二十四日が私にも他の誰にも平等に、やってきたのだった。どうでもいい話だ。
(どうせ過ごしたい相手など、私にはいないのだから…)
 実家は遠いし、帰れば見合いをしろと煩い。数少ない友人たちは、今頃彼女と楽しく宜しくしているんだろう。明日も仕事。年末年始、数日辛うじて休めるだけで、基本的に代わり映えしない日々。
「メリークリスマース!ケーキはいかがですかあ?」
 やたらと明るい客寄せの声が耳障りで、私は眉をしかめた。
 クリスチャンでもないくせに、と罵るほどの恨みは別段持っていないし、まあ、雰囲気がキラキラと楽しそうな街並みは嫌いでもない。ただ、ひどくこの風景に場違いな自分がつまらない生き物のように感じられて、早く帰って一人になりたいと、そう願った。いつもより、歩く速度が遅くなるのは人が多いから。めかしこんでイチャついて、その幸せそうなこと…。
(今のはちょっとタイプだな。隣りの男は…イマイチか。世の中、上手くいかないよなあ)
 すれ違いざまに、女の唇が笑ったような錯覚。鼻につく残り香がやけに鮮明で、思わず私は振り返ってしまった。
 何か奇跡でも起きないものだろうか、こんな浮ついた夜に、雰囲気に誤魔化された感じで。
(いや、まあ、どんな奇跡を期待しているのかと問われてもとっさに思いつかないあたり、私はつまらない人間だな)
 サンタのコスプレをした派遣の若者に、お互い大変だなと勝手な同情を浮かべながら、私は改札をくぐった。乗り換え無し、三十五分。まあ、可もなく不可もない通勤距離。パッと見た感じ、生憎今日も座れない。寝過ごしそうになるのを必死で堪え、最寄り駅に着く。駅から安アパートまでは自転車で、二十分。
(せめて、チキンでも買って帰るか?)

「メリークリスマス」

 突如目に飛び込んできたのは、赤と白の少年。少年は胸に、大切そうに何かを抱えている。誰かへの、プレゼントだろうか。結構なことだ。
(中学生?が、一体、私に何の用なんだ…)
 微笑んだ少年は、くたびれた中年(私である)を眩しそうに見つめ、「僕は、サンタクロースだよ」と告げる。私は辺りを見渡して、おかしな二人組に注目するような暇人はいないことを何度も確認してから、何かを言おうと口を開きかけ、失敗して閉口した。が、これだけは言っておかなければ。
「サンタクロースなどいない」
「僕が、サンタクロースだよ」
 少年は真摯な口調で繰り返し、私を見上げる。何だ、何なんだ?
「私はとても疲れている。君の冗談に付き合う気はない」
「何が、欲しい?」
「………恋人。甘ったるいケーキ。誰でもいいから、優しくしてほしいね」
 どうして、答えてしまったんだろう?  
 私が正直な返答をすると、少年は抱えた箱をパカッと開いて「ケーキです、ブッシュドノエル。予約したんだ」それから、「恋人は年下で、同性でもいいですか」。よくわからないことを羅列した。
「私は、普通の男なんだが」
「僕、あなたに優しくしたいです。恋人として…駄目かなあ」
(ど、ど、ど、どうして心が揺れているんだ私は!中学生だぞ、しかも男!どんだけ疲れているんだ…)
 私は人としての精一杯の何か、を必死で表面に張りつかせ咳払いする。素直に可愛い、なんて思ってしまった。それはなんだか間違っている気がする。眠ってしまいそうだった思考回路は今や完全に覚醒し、私は今この状況がどういうものなのか必死で考えようと試みていた。よ、よくわからない…。
「僕、あなたが好きなんです。電車でいつも見かけるうちに、気になって…。信じてください、お願いします!」
「え…ええっと。き、君は見たところ中学生だろう?私は何の変哲もないサラリーマンで、ほら、スーツもよれてるし」
「…高校生です、一年、ですけど。でも、愛に年の差は関係ない!」
「はあ…」
 どうやら、本気のようである。
 私はなんだか疲れが増してくるのと同時にどうでもよくなってきたというか、こんなにもすれていない存在を久しく目にしていなかったので、男でも年下でももう、何でもいいような気がしてきてしまった。クリスマスだし、と私は思った。正確にはイブだが…恋人をつくるなら、きっと、今夜がより相応しい。
 私の世間体というのも、大抵脆いというか。目の前に欲しいものがリボンを巻かれておいてあるのに、手を出さずになんていられない。今日くらい、そんな欲張りが私に赦されてもいいだろう。
「それじゃあ、お言葉に甘えようか。私は、そのプレゼントを受け取りたい」 
「ホントに!?」
 頷いた。いつまでもここに立っているのは、あまりにも色んな意味で寒すぎる。
「メリークリスマス、私のサンタ君」
 私のサンタ君(仮)は、大きな目に涙を溜めて、一瞬しかめっ面になる。泣くのを、我慢しているようだ。…面倒なことになった。そういう風に思わなくもなかった。
 私の部屋は、なんとか人を呼べる程度には小綺麗にしてある。色気も何もない、簡素なインテリアだけれど。ピザ屋はどこも忙しいだろうから、途中タクシーでコンビニにでも寄って、つまみを買うのもいいかもしれない。デザートというには私のサンタ君は好みとかけ離れた容姿をしているので、今日はとりあえず、お互いの親睦を深めるという辺りでどうだろうか。サンタ君は、嬉しさを噛みしめるような表情で口元を微笑ませている。
(やっぱり可愛い…かも、しれない)
 これは予想外の奇跡だと、私は密かに苦笑いした。
 タクシーに並んで座ると、こっそりとサンタ君が手を繋いでくる。どれくらい私を待っていたのか、その指は冷たくて、なんだかいとおしいような気持ちになった。サンタ君は流れる景色に、興味深そうにキョロキョロしている。立ち寄ったコンビニの「メリークリスマス」という挨拶が、数時間前とは違って聞こえた。唐揚げ、ジュース、ピザにポテトチップス。ジャンクフード万歳!ハッピークリスマス!いつもいるはずのバイトの森上さんがいないのは寂しかったが、それはそれで幸せなのだろうか。
 お互いの家が近所だと知ったのは、これから先、五分後の出来事。ブッシュドノエルは美味しかった。サンタも私も身の上を明かし、恋人らしく早速抱きしめ合ったりしてみた。
 未知の体験…同性の少年の唇というものがどうだったかは、酔っぱらって憶えていない。


  2007.09.24


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